※阿伏兎→威高です。 忘れていた。 完全に忘れていた。 否、消去していたのだ。 あれから阿伏兎は可能な時は徹底して避けたし、相手も然して阿伏兎のことなど気にしていない筈である。 その筈なので、この距離を保ちつつ阿伏兎は入れ込んで止まない団長こと神威とあの男との破局を心待ちにしていたのだが、現実はそう都合良くは回って呉れなかった。いついかなる時も現実というのは過酷なものである。 偶然出会って仕舞ったのだ。 地球で。鬼兵隊絡みでは無く春雨のある案件を処理した帰りに、ばったりと。 本当に偶然であったので相手も一瞬酷く驚いた顔をした。 そのくらいなら可愛気があったのに、次の瞬間にやりと笑うものだから相手の性質の悪さが伺える。それがわかるから咄嗟に仕事があるから、と言い訳をしてその場を辞すことにしたが遅かった。 「ちょっと、付き合えよ」 よって、阿伏兎、三十二歳。何故か鬼兵隊の頭である高杉晋助と酒と相成った。 「なんだかんだで付き合うじゃねぇか、副団長さんよ」 「いやね、だってね!付き合わないと『俺の遺書に阿伏兎愛してた』って書くっつうからだろが!この鬼!悪魔!」 高杉に酒を注ぎながら阿伏兎は捲し立てる。 そう性質が悪いのだこの美人は。 遺書に阿伏兎愛してたなんて書かれてみろ、それを見た神威に俺が殺される!・・・というわけで阿伏兎は不承不承ながらも高杉に付き合って酒を交わしているのだ。 「正確には俺の辞世の句に『阿伏兎お前だけを愛してた』を追加する、だ」 「余計性質悪ぃよ!俺が団長に殺される!」 神威と高杉のふたりが懇ろになっているのは周知のことである。 高杉にその気があるのかは阿伏兎からは伺い知れないことであったが、阿伏兎の上司である神威が高杉にぞっこんなのはわかりきったことだ。 その上、阿伏兎は先日一瞬とはいえ、油断から高杉を想像して抜いて仕舞った。抜くってナニをだ。房事のあれこれである。 あの時の苦い気持ちが再び阿伏兎の胸の内に去来してきて堪らない。 ( だから会いたくなかったンだよ、畜生・・・! ) 高杉という男は性質が悪い。性質が悪いとわかっているなら引っ掻からなければいい。 けれども結局は高杉の思うように事が運んで仕舞う。 神威を出汁にされると弱いという阿伏兎にも問題があったが、阿伏兎は神威の為に死ぬ覚悟はあっても神威の所為で死にたくは無いので高杉は鬼門だ。なのに絆される。 「まあ、呑めよ、お前さんの為にとっときのを用意させたんだ」 こぷこぷと阿伏兎の杯に注がれる酒は確かに上等である。地球は食に拘らない夜兎でも矢張り美味いと思うものが多い。その上この数回の酒盛りで阿伏兎の好みを熟知したのか、或いは時折神威が阿伏兎秘蔵の酒を持ち出しては高杉と呑んでいる所為なのか、高杉に振る舞われた酒は非常に阿伏兎好みであった。 ( 性質が悪ぃよ、あんた ) 阿伏兎の前でだけ、高杉は切なげな、何かを懐かしむような、そんな顔をすることがある。 その度に阿伏兎はこの男が過去に失ったものに自分はひょっとして似ているのではないかと思うことがある。少なくとも高杉が阿伏兎を前にしてこうして二人だけで酒を交わしている時に何かを懐かしんでいるのは確かなのだ。 恐らく神威の前では見せないようなそれを、阿伏兎にみせる。 ( そういうのがいけねぇぜ、高杉・・・ ) 普段隙が無い男が不意に見せる隙は色気になる。 元々色気のある漢だ。男惚れする種類の男である。神威もその種類の男だ。男に惚れられる男。妙な意味では無い。その強さに惹かれ憧れる、その眩しさに惹きつけられるそんな男だ。けれども高杉のそれは尚性質が悪い。過去に何かを失ってきて今も過去の地獄に生きるその孤独、酷く悲しい悲鳴と咆哮をあげるその様に惹かれる。この男は何処か狂っている。なのにそこに惹かれて止まない。他の侍がどうかは知らないが、夜兎である阿伏兎には高杉のその危うさは屈服させたいものだ。この男を前にすると阿伏兎はそういう衝動に駆られる。だからこそ高杉のその艶気はいけなかった。 この男を力で屈服させ、阿伏兎が危険な生き物だとまるで理解しないその御目出度い頭に獣を刻み付けてやりたい。肩を噛み、血を流し、痛みで呻かせ阿伏兎を悪戯に誘ったことを後悔させて、そして徹底的に奪いたくなる。これは危険な男だ。 頭が良いからきっとこの男は阿伏兎に噛みつくだろう。けれどもそれさえも力で封じて身体を無理に繋げ痛みの悲鳴と懇願をさせてやりたい。その果てに快楽で堕としてみたかった。そういう欲をこの男は刺激する。そして閉じ込めて好きなだけ愛でてやりたい。痛みと快楽との両方を与えて己だけだと懇願させて縋りつかせてみたくなる。そういう種類の欲を阿伏兎は高杉を前にすると感じる。 だから不思議なのだ。あの神威が、夜兎の申し子のような男が、未だ高杉を前に、夜兎ならばそう感じるであろう男を前に未だ何もしないことが阿伏兎には不思議でならない。 相手は男だ。男相手にただでさえも夜兎は衰退しているのだから酷くその行為そのものが無駄だと思うが、逆に番っても子供ができるようなことは無い。面倒がなくていい。だから奪えばいい。奪えばいいのに神威はそうしなかった。決して高杉にそれを望まなかった。その種類の欲を感じてないわけが無いのだ。神威とて夜兎だ。まして健全な肉体を持つ以上夜兎であれば当然感じる。この男の艶気は『そういう種類』のものだ。少なくとも夜兎にとってはそうだ。 だから神威が高杉を殊更大事に扱うことに阿伏兎は戸惑っている。 ( まるで、本物みてぇによ・・・ ) 何が本物なのか、夜兎に本物など在りはしない。夜兎は殺すことが全てだ。 どれほど愛しても結局は壊す。どれほど情熱を燃やし望んでも殺して仕舞う。 奪うことが夜兎にとっての愛であり真実だ。 なのに、神威はそれをしない。 それを想う度に、この二人の根底にある何かが、不意に酷く悲しいもののように思えて阿伏兎は何も云えなくなる。 いっそのこと高杉に全てを棄ててウチの団長と宇宙を往って貰えないかと云いたくなる。 奪うことを神威がしないのならせめて神威と生きる道を選択できないのかと問いたくなる。或いは阿伏兎が力で高杉を宇宙へ連れて二度と地球などと云う辺境の星に戻らなければいつかは納得してくれないか、それとも今手遅れにならないうちにこの男を阿伏兎が殺すべきなのか。 与えないなら、殺して仕舞いたい。共に生きぬのなら、団長は諦めて欲しい、どちらも神威の為だ。神威が望むのなら阿伏兎は叶えてやりたい。親が子に水を与えるように、神威をこの男こそと阿伏兎は見込んでいたが、逆に無条件であの子供が望むものを与えてやりたいという親心のようなものもまた阿伏兎の中にはあった。 ( この男は得難い・・・ ) 阿伏兎にとっての神威の様に、高杉は替えの効かない男だ。 失えば二度とこんな男は現れない。神威もそれがわかっているからこそ高杉に対して酷く慎重なのだ。 壊さないように、殺さないように、じっと神威は高杉を観察している。 だからこの男が欲しい、奪いたい。神威か、或いは阿伏兎のものにならぬのなら殺した方が良い。 「美味ぇだろ」 「ああ、美味ぇよ、畜生」 高杉を前に無様に本心を云いたくなるのを阿伏兎は堪えた。 阿伏兎が口にしたところで解決はすまい。阿伏兎が仮に高杉を力で奪うなり、犯すなりしても阿伏兎は神威に殺される。阿伏兎が神威の為にならぬと高杉を殺しても神威は阿伏兎を殺す。ならば高杉に共に来いと云ってもまた別の地獄に生きるこの男は頷くまい。 八方塞がりだ。 結局のところ神威が高杉と奪うか殺すかしか無いのだと阿伏兎は想う。 「団長はいいのかよ」 「どうせ味なんざわかんねぇだろ」 「俺もわかんねぇよ」 阿伏兎がその上等の酒を呑みながら高杉に応えれば高杉は眼を細める。 「お前さんはいいんだよ」 それがいけない。 こういうところが高杉はいけない。 上手いのだ。人の心を擽るのが。無意識なのか意識しているのかは阿伏兎にはわからなかったが、これはいけない。 男殺しだ。 自棄になって阿伏兎が膳に盛られた刺身を口にすればこれもまた絶品であった。 これで良い気分にならない方がおかしいのだ。第七師団はこうした接待を受けることもままあったが高杉のそれは明け透けに夜兎の力を求めた裏が見える接待と違ってごく自然な気配りが行き届いている。 この男の育ちは良いのだろうなと阿伏兎でさえ察せるものが高杉にはある。 その男が悪戯に口に笑みを浮かばせれば不吉な予感がするというものだ。 油断してはいない、美味い料理に美味い酒を振る舞われても相手は高杉だ、阿伏兎は油断などしないが高杉の次の発言には度胆を抜かれた。 「疲れたなら今日は泊まっていくといい」 不意に奥の襖を指され見て見れば、布団が一つに枕が二つである。 そういえば以前吉原でこういったものを見た。つまりそういうことだ。 高杉が阿伏兎に案内したのは連れ込み宿である。 「・・・・・・」 其処で阿伏兎は思い出した。高杉をどうにかするには神威が高杉を奪うか殺すしか無いのだと想う、常々そう思っているが・・・もうひとつあった・・・阿伏兎が高杉を奪うだ。 これは最悪だ。 絶対にヤってはいけない。ヤったら最後だ。 なのに高杉はしれっと阿伏兎を誘うのだから性質が悪い。性質が悪い癖に想像すると下肢の付け根が熱くなる。魔性なのだ。高杉はわかってやっている。阿伏兎が手出しできないとわかっていて誘うのだ。 「犯してやろうか、この性悪」 高杉の着物の衿を掴みながら阿伏兎が云えば高杉は愉しそうに喉を鳴らすでは無いか。 「いいぜ、やってみろ」 性質が悪い、性質が悪いが食いたくなる。 今直ぐにでも押し倒して己のものを突っ込んで、喘がせてこの淫らな身体を喰い散らかしたい。 男に欲情なんざ柄でも無いが、この男は別だ。 この男だけは屈服させたくなる。 けれども阿伏兎は堪えた。 深い溜息を吐いて、それから高杉に「冗談!」と云い放つ。 「俺ぁ前にも云った通り、団長の為なら死ねるが団長の所為で死ぬのもアンタの所為で死ぬのも御免だ」 「そいつは残念」 まるで阿伏兎がそう答えるのを知っていたように酷く機嫌が良さそうに高杉が手を鳴らす。 手を鳴らせば廊下で控えていたのか女が入ってきた。 「おい・・・」 席を立つ高杉に阿伏兎は聲をかける。 すると高杉が振り返って云った。 「悪かったな、お前さんと飲む酒は美味ぇからよ、そいつぁ俺からの詫びってとこだ、酒と料理もまだあらぁ、愉しんでくれ」 こういうところが・・・いい男なのである。 宛がわれた女は確かに阿伏兎好みである。高杉とは似ても似つかない金糸の髪の女。 結局不本意であったが、至れり尽くせりの持成しに阿伏兎は内心舌を巻きながらも有り難く頂戴した。 翌日何食わぬ顔で艦に戻った阿伏兎に珍しく何かを察したのか神威がしつこく聞いてくる。 「だから何でもねぇって、たまたま高杉に会ったってだけだろ」 「何も、無かった?」 無かった。無かった筈である。 既に高杉から何かを聴いていたのか確信した様子の神威に阿伏兎は参った。 何も無い、飯を食わせて貰っただけ、それだけだ。 真実高杉とは何も無いのだが、何故か後ろめたい。後ろめたいのが神威にもわかるから、神威はこうしてしつこく高杉の様子を問うのだろう。 「いいよ、阿伏兎、じゃあ、俺の遺書に『阿伏兎愛してる』って書いておくから末代まで語り継いでもらおう」 「やめて!もうヤメテ!てめぇら悪魔だよ畜生!」 神威のいつもの暴言に、やめてと云いながらも阿伏兎はこれだけは云えないと胸に誓う。 翌朝、昨夜接待してくれた女と気持ちのイイことをしたのにも関わらず、朝起きたら己のものが暴発していた。 原因は勿論高杉である。直前に高杉の夢を見ていた気がする。 どんな夢かは忘れたし思い出したくも無いが、阿伏兎、二度目の放出であった。 俄然、死にたくなった朝である。 10:二度目の ごめんなさい |
お題「嵌めるとか嵌めないとか」 |
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