※阿伏兎→威高です。 慣れた我が家とも云うべき艦内の階段を下りて阿伏兎が不意に振り返れば倉庫の荷物が詰まれている場所に見知った姿を見付けた気がしてつい確認して仕舞った。後になって思えば確認などしなければよかったのだが、確認して仕舞うのは意外に職務に忠実な副団長故なのか、或いはその眼に収めたのがひらひらとした蒲葡色の着物の裾の所為だったのかはわからない。本音を云うと心底前者であって欲しい。兎に角、阿伏兎はそれを見付けて仕舞ったのだ。そしてあまつさえ暗い荷物の多い狭い廊下の奥へと進んで仕舞った。 「誰か居るのか・・・」 手動でロックを解除して倉庫の一角の扉を開ければ高杉だ。 「高杉、晋助・・・」 思わず苦々しくフルネームで呼んで仕舞った。 高杉は阿伏兎を視界に収めそれから何でも無いように窓の外に視線を戻す。 窓の外は宇宙だ。通常夜兎の多いこの第七師団の艦隊は窓を落していることが多い。映像カーテンで遮断しているのだが、今は特に太陽光が届く範囲を航行しているので全艦の窓は映像カーテンでは無く物理的にロックされている。普段なら直ぐに解除できるのだが誤作動があってはいけないのでプログラムでロックしているのだ。けれども今、高杉の居る場所の窓はクリアだ。ロックも映像カーテンも無く星の海が見える。ちょうど太陽が他の星で隠されているがそれでも僅かにちらつく陽の光が阿伏兎には眩しかった。 「そういや修理してなかったっけな・・・」 物理ロックの修理依頼が出ていたがあまり使わない倉庫だったので後回しにしていた。その場所に高杉が居る。 高杉は今第七師団で預かっている身だ。二日ほど航行した先のステーションで鬼兵隊の船が迎えに来る手筈だった。 「暗がりに飽きたか?総督殿」 嫌味を込めて阿伏兎が云えば高杉は僅かばかり肩を竦めそれから手にした酒の杯を煽った。 「団長はどうしたぁ?」 常ならば神威が高杉を手放さない。急ぎの仕事も無かった筈だからこうして高杉が艦内をうろついている以上ひょっとして寝てるのかとも思う。阿伏兎とて神威の行動全てを把握しているわけでは無い。あの気紛れな若き団長の首に縄を着けられるのなら着けたいがそれも不可能だ。夜兎の中の序列では強い者が一番偉い。そしてこの中で一番強いのは残念ながら神威なのである。だから阿伏兎とて神威に文句を云うことは多々あっても神威の行動を制限できるわけでは無い。ただはっきりしているのは神威が入れ込んでいるこの地球種の侍の男の扱いには注意しなければならないということだけだ。 「餓鬼なら寝てらぁ」 「やっぱり・・・」 だろうな、と阿伏兎は溜息を零す。でなければ高杉がふらふらと艦内を歩けるわけが無い。 高杉のしていることは阿伏兎から見れば神威の情人であったが、別の意味では子守りだ。手のつけられない程凶暴で気紛れな餓鬼の手綱を何故か異種族である高杉はいとも容易く握った。どういう手を使ったのかはわからないし阿伏兎がそれを実践したところで神威の手綱が握れるとも思わない。策でも弄したのか、術中に嵌ったのか、或いは単純に高杉と神威がただ合っただけなのかもしれない。兎に角この二人の関係は阿伏兎でさえも言葉に出来ないほど複雑だ。否、根を掘ってみれば案外シンプルなのかもしれなかったが、そうなるとまるで恋だとか愛だとか甘酸っぱい虫唾の奔る単語が出てきそうなので、複雑だという認識に阿伏兎は留めている。 「飲むか?」 高杉に杯を差し出され阿伏兎はとりあえず頷いた。 此処で遠慮しても不格好なだけだ。いつ陽が射さないとも限らないがそれに臆したとも思われるのも癪である。 阿伏兎が高杉に張り合う必要も無かったが高杉を前にするとこうして些細な意地の張り合いのような阿伏兎の矜持が揺らされる。 ( 全く性質の悪い男だよ ) 高杉の杯を受け取り、阿伏兎が酒を煽れば高杉が「いい飲みっぷりだ」と聲を漏らすものだから悪い気はしない。 この麗人と時々行われるこうした酒盛りは阿伏兎を何とも云えない心地にさせた。 その上状況が悪い。 業とだ、わざと高杉はこの場所で、陽の光が射すであろうこの場所で阿伏兎を酒に誘った。 その高杉の意地悪な目論見が僅かばかり見えるからこそ性質が悪い。性質が悪いが阿伏兎はそれに付き合わずにいられない。 無視をするには相手の方が遥かに上手だ。 「美味ぇ酒だ、何処にあった?」 「団長サマの部屋だ、とっときだと云ってたぞ」 「ったく、団長の奴こんなの隠してやがったか・・・」 チッ、と舌打ちをしたくなるが、この場では堪える。安っぽい男だと思われたくない。これもまた嫌な矜持だ。少なくともこの男の前ですべきじゃない。それをわかっていても阿伏兎はそういう下らない、まるで好みの女の前でするような意地を張った。 ( こいつが俺の好みだって?冗談じゃねぇ ) こいつは地球種で蛮族の侍とかいう戦闘集団の長で挙句男だ。 これだけで何十苦だってぇ話だ。 ( 団長をたらし込みやがって・・・ ) あの団長がまさかこんな男に堕ちるなんて思ってもみなかったことだ。 最初こそ楽観視していたが既に神威と高杉の関係は阿伏兎の危惧を遥かに上回って手に負えない領域に入っている気がするのは気の所為か?否、そんな筈は無い。既に何かの歯車が狂っているような感覚を覚えて阿伏兎は嫌な予感を更に募らせた。 厭な、予感だ。 そして己もそれに引っ張られてはいないかと阿伏兎は自問した。 だから反応が遅れた。 眼の前の男に意識を遣りすぎて反応が遅れたのだ。 「・・・ッ」 わずかに射してくる陽の光が阿伏兎の眼を焼く。 油断していた為に眼に痛みが奔る。 それに気付いたのか高杉が光を遮るように阿伏兎の影に成った。 そう、この男は違う。 夜兎では無い。 その動作一つで別の種なのだと思い知る。 神威が高杉に抱いている憧れのような焦燥はもしかしたらこんな感覚なのかもしれないと不意に阿伏兎は思った。 高杉は人間で、神威は夜兎だ。 陽の光を浴びても平気な種族と、浴びれば死に至る種族。 夜兎は滅びゆく種族だ。 いつからそうだったのか、少なくともこの百年で随分数が減った。 出生率は維持されるものの、致死率が高い。 先祖返りの親殺しの本能、なんて聴こえはいいが同族殺しと、傭兵業で戦闘に狂って死ぬか、夜兎特有の疾患で死ぬ。 布団の上で往生する夜兎なんてのは稀だ。 多くはこの三つのどれかで死に至る。 疾患に関しては幼少期に発症するので発症さえしなければ大丈夫だ。 夜兎にだけある奇病。元々夜兎なんて脳筋系の戦う事しか知らぬ種族に医者なんて居る筈も無い。夜兎を研究する学者崩れの医者も居るには居たが助けても結局戦場で死ぬような衰退を辿る種族を真剣に診る医者なんていやしない。 夜兎特有の疾患は生後数日で死に至るケースが圧倒的だった。 後天的に発病するケースもある。これは女に多い。 それが種族にどういう結果をもたらすかはわかりきったことだ。 気付けば死が夜兎に蔓延している。 個体数がどんどん減り、そう遠くない未来に滅亡して仕舞うであろう種族だ。 他種族との交わりもあったが混血種の子供は生まれにくい上にどうにも夜兎の因子が薄いことが多い。 世代を経ていく毎に弱体化して仕舞うのだ。結局、夜兎同士で血脈を繋いだ方が強い種になる。 その中でも神威のそれは一際強かった。 衰退を辿る種が遺した最後の力のように、神威は純粋に強く本能に忠実だ。それが阿伏兎には輝かしい。 だからこそ阿伏兎は神威に着いていくし、神威の為なら命だって惜しくは無い。 けれどもこの神威が初めて入れ込んだ高杉という男は危険だ。 いつもこの男を前にすると阿伏兎は警戒して仕舞う。 ( それはどっちの意味でだ? ) 神威を別の地獄へ追いやって仕舞いそうな男だから?己がこの男こそと見込んだ神威を変えて仕舞うから? 或いは・・・と阿伏兎は己の為に影になって距離が近くなった高杉を目を細めて視た。 隻眼の男だ。 黒い濡羽の髪に気怠げな眼差し、程良く付いた筋肉に煙草の香り。 ( つまり、なんだ・・・ ) しっとりとした肌が美味しそうとか、眼に色気がありすぎるとかもう俺の好みですすみません。 胸中に過った想いに阿伏兎は心底嫌気が差した。離れていれば否定も出来たがこれほど近くでこの男の色気に中てられれば全く否定できない己の薄弱ぶりに阿伏兎は眩暈がした。 これでは団長を詰れない。 「どうした?まだ眩しいか?」 阿伏兎が近付いた為に距離の近い高杉が背の高い阿伏兎を見上げる。 そして阿伏兎の葛藤を知ってか知らいでか高杉は愉しそうに阿伏兎の今は無い左腕を治めるべき衣服の空白を指で撫ぜた。 其処に腕は無い。無い筈なのにぞわりとした。 吉原で失くした己の腕をゆるりと高杉の指で撫ぞられている心地になる。 ならばこの男の無い筈の左目を舐めれば感じるのか。 気付けば互いの鼻先が近い。そして酒に濡れた唇も。 思わず阿伏兎は顔を寄せて仕舞う。 けれども吐息がかかるところで阿伏兎は止まった。 ( ああ、もう・・・ ) いっそのこと食ってやろうか。そう思わないでも無い。否、そうしたい誘惑は常にある。 身体の芯を甘く痺れさせるような欲望を悔しいがこの男に覚える。 それでも寸でのところで阿伏兎は踏み留まった。 冗談じゃない、これがバレたら阿伏兎は確実に神威に殺される。 高杉に手を出すとはそういうことだ。 ( でも多分、近付けばできる ) デキるってナニだ、セックスに決まってる。 この阿婆擦れはそれがどういうことかわかっていて阿伏兎を常に誘っているのだ。試す様に。 男に発情なんざ冗談じゃないが、それでもこの男は滾る。美味そうな匂いがしていけない。 本音は今すぐ組み敷いてその生意気な面を涙で濡らさせて力尽くで犯したい。 四肢を押さえつけて貫いて、阿伏兎を誘ったことを後悔させてやりたい。酷くして、その上で快楽で追い詰めて甘く啼かせてみたかった。組み敷けばどんな風に啼くのか、どんな風に誘うのか、或いは拒絶するのか、考えただけで堪らない。 それでも、それでも阿伏兎は最大限の理性と将来の計算で以ってその衝動を抑えた。 「暑いな」 高杉から身体を遠ざけ高杉の手にしていた徳利を奪い阿伏兎は一気に酒を煽った。 酒だ、酒。飲んで忘れてやる。忘れたい。忘れるべきだ。 阿伏兎がしないとわかると高杉は「やっぱり手前との酒は美味ぇ」と酷く愉しそうに肩を揺らすのが、また癪である。 ちくしょう、俺が出来ないと知ってて誘いやがる。或いは阿伏兎がしないとわかっているからこそ高杉は阿伏兎をこうして酒に誘うのだ。楽しそうに、恐らく神威の前でも見せないような寂しさと懐かしさを湛えた瞳を阿伏兎に向けて。 「うるせぇ、この性悪、酌でもしてくれるんだろうな?」 腹が立つ。俺はてめぇの過去になんざひとつも似てねぇ筈だ。高杉もそれをわかっている癖に、阿伏兎に己の過去の誰かを重ねている。失って仕舞った過去の誰かの記憶を。きっとこいつが好きだった仲間だとかそういうものを阿伏兎に酒の間だけ求めてる。 ( そういうのが、危ねぇぜ・・・高杉 ) この男は儚くて、切なくて、寂しい。抜身の刃のような眼差しの奥にそれがある。その雰囲気が正直エロいったら無い。 無茶苦茶にしてやりたくなる。団長が入れ込むわけだよ、既に阿伏兎は内心敗けを認めた。 正直好みだ。そしてムラムラするのは何もかもこいつの所為だ。 全部てめぇが悪いに決まってる。 「俺ぁ、天邪鬼なんだ、機嫌直せよ、好きなだけ注いでやらぁ」 「ったく、天邪鬼さんよ、映像カーテンをオンにするぞ、直に陽が入る」 阿伏兎が息を洩らしながら高杉の背後にある窓の映像カーテンをオンにする。 これで多少は陽の光が中和される筈だ。 チカチカする目を擦りながら文句を云えば高杉は意味深に阿伏兎に笑みを見せた。 それを視ながら思う。 ( 眼福っちゃあ眼福だがね ) ひらひらした着物とか云う服の間からちらちらと見える腿も何よりこの男が持つ独特の寂しそうな、吸い寄せられそうな雰囲気が堪らない。団長はこれにしてヤられたのだと阿伏兎でさえ納得の艶気である。 ( 男にしておくのが惜しいぜ・・・ ) これが女であれば良かった。女であれば迷い無くその地球種の脆弱な肉体をひん剥いて床に押し付けて欲望のままに犯したに違いない。そして後は綺麗な檻にでも閉じ込めて好きな時に抱けばいい。 もし高杉が女であれば万々歳だ。幾度となく阿伏兎が思ったことだが、もし高杉が女であれば叶わぬとわかっていても団長に挑んだかもしれない。それを思えば高杉が男で良かったと、阿伏兎は複雑な溜息を漏らした。 13:既に完敗 |
お題「隻腕隻眼」 |
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