番外04:おやつ

このところ、団長は新しい玩具に夢中だった。
玩具とは高杉晋助のことである。
夜兎からみればささいな種、辺境の星、地球の侍という戦闘集団の長の男だ。
そのタカスギシンスケに神威は夢中だった。
確かに相手は酷く頭の良い男だ。
洗練された仕草と育ちの良さが滲み出ている癖に、地獄に身を置く奇妙な男。
暗闇の中で僅かに灯りを放つ光の様にこの男を前にすると皆引き寄せられる。
暗がりの世界に生きる者にとって抗いがたい魅力を持った男だ。
そして神威も例に洩れず奴の魅力に嵌った口だった。
真綿が水を吸収するように、神威は高杉から様々なものを見聞きして、そしてそれに夢中になった。
神威のことだ、直ぐ飽きるかと思ったのに、興味の種は尽きないらしい。
暇さえあれば、暇でなくても高杉のところへ足蹴く通っては何かしら理由をつけて帰って来ないのだ。
そのお蔭で阿伏兎も高杉の元へ赴くことが増えた。
止む無くである。何も好き好んで高杉の処へ通っているわけでは無い。
「おう、奴さんなら寝てるぞ」
「・・・のようだな・・・」
既に顔を出せば通されるようになっている勝手知ったる高杉の旗艦に上がれば高杉の膝の上ですやすやと寝入っている我らが団長サマだ。
( 懐いちまって・・・まあ・・・ )
可愛らしいことは確かだが、阿伏兎とて手を焼く神威の天邪鬼は高杉の前では形を潜めるらしい。
「急ぎか?」
「いや、急ぎっつうわけじゃねぇがよ、うちの莫迦団長が世話になっちまって悪いな・・・」
これは本心である。神威の世話はさぞ骨が折れることだろう。未だに神威が高杉の骨をリアルに折っていないことが奇跡である。食事の世話からシモの世話まで、だ。全く神威の趣味には時々物申したいが、云っても訊かないのでこの様である。ちなみに用件の緊急度合で云うと、そろそろ移動したいというレベルだ。阿伏兎にとって移動したいということは、神威からすればあと二、三日はいけると思っていることだろう。目の前ですやすや眠る上司を見れば、もう半ば諦め気味で二、三日上を誤魔化して自分も休暇を取ろうかなという方向性で阿伏兎の腹も決まって仕舞った。小言を云うのも莫迦らしい。匙は投げるものである。
「別に世話ってほどじゃねぇよ」
簡単に云って退ける高杉に感心すら覚える。
神威はそもそも気紛れな性質だ。本能に忠実で、自分の遣りたいことしか優先させない。任務で護衛対象をうっかり殺して仕舞うことや、奪取すべき最重要機密を破壊なんてことも頻繁にある。その神威が高杉から割り振られた仕事だけは細心の注意を払ってやるのだから驚きだ。
阿伏兎がどれ程、口を酸っぱくして云っても訊かなかったこと高杉は簡単に遣って退ける。
神威の手綱を簡単に握って仕舞った高杉に正直阿伏兎は尊敬すらしていた。
リスペクトしているのでそのあたりどうしているのか高杉の近くに居る時は微細な動きも観察するようにしているが、高杉の神威の扱いは巧みであった。
とにかく場を転がす、焦らす、神威に興味を与え続ける。
勝負と云っては、何かを賭け、神威の意識を場に向けさせる。敵の動向を観察させて、そして勝負に勝つために神威は対象を壊さない。殺さない。神威が飽きてきた頃には的確な戦場を高杉は神威に与えた。
此処までは駄目という線をきっちり引いた後に、あらかた片付いたところで好きなだけ暴れていいという。
その塩梅が上手いのだ。
( 正直、手玉に取られてるのは癪だが・・・ )
( あんだけ居心地良けりゃ俺だってそーなるわ・・・ )
高杉の膝で心地良さそうに寝入る神威を見れば毒気も抜かれる。
高杉は何でもなさそうに書類を認め文入れに丁寧に片付けた後、傍らの火鉢に置いた茶瓶を手際良く引き上げた。

「飲むか?」
作法のわからない阿伏兎でも洗練されると感じる程、卒の無い仕草で淹れられたのは茶だ。
侍が飲む類の緑茶では無く中国茶である。
傍らに用意してあった茶器は阿伏兎にも馴染みのあるものだ。
薫る独特の匂いに、この茶は神威が好んでいるものだと察した。
ゆっくりと茶を注ぐその仕草は申し分ない。何かの教本で見たような仕草だ。どれ程記憶を辿っても夜兎の誰にもこんな風に美しく淹れることは不可能だろう。
( ったく・・・嫌味なくらい絵になる男だよ・・・ )
生来の育ちの良さが滲み出ているような完璧な所作で茶を渡され阿伏兎は受け取った。
「悪いな」
「いや」
小皿に盛った菓子まで出てくるのだから全く、この男には敵わない。
「こいつがよぉ、食いてぇっつーから取り寄せたんだが、寝てりゃ世話はねぇな」
珍しく笑みを含んだ様子で高杉が云うのでつい、こちらも笑って仕舞う。
出で立ちだけなら隙のない男が、隙さえ見せないような地獄に立つ男が、こうして不意に隙を見せる瞬間、それがこの男の艶気になる。わかってやっているのか、果てまた本当に隙なのか、悩むほどの色気だ。女の色気とはまた違った男の色気、力が全ての夜兎でさえ、惹かれて仕舞うような何かがこの男にはある。毒があるとわかっているのに、まるでそれは酷く甘い菓子のようにじわりと痺れる感覚を阿伏兎にもたらした。
( 団長がイカれるわけだぜ・・・ )
高杉の目線は愉快そうに阿伏兎に向いている。
この男の目線が己に向くだけでぞくぞくした何かが奔る。
成程、神威はこれに嵌ったのだ。

何処かしら特別な男、その男の目線をひとり占めしたいという願望。
全てを棄てて此岸の彼方に居る癖に、こうして時折、誘う様に隙を見せる。
それがいけない。手を伸ばせそうだと錯覚してしまう。
この男がどれ程危険かわかっていても、本能的に手を伸ばしたくなる。
阿伏兎でさえ、この男の価値がわかれば欲しくなる。
「一局付き合えよ、暇してんだ、この通り動けねぇんでな」
酒でも付けようか、と冗談交じりに云う高杉に阿伏兎は眼を閉じる。
「まぁ、団長の世話の礼にゃ安すぎるが俺で良けりゃ付き合うぜ、総督さんよ」
勝てるわけがない、神威があれ程挑んでも頭脳戦はてんで駄目だ。
けれども高杉は時折貸し出している師団の連中にもこうして卓上ゲームを挑むらしい。
あらゆる可能性を模索して思案しているような、時々夜兎という種族の根底さえ見透かしているようなぞっとする感覚さえある。
けれども阿伏兎とて莫迦では無い、高杉の手を掠め取ろうとこうして挑まれれば受ける。
そして高杉という男を知ろうとその頭脳を探るのだ。
( 成程、上手い男だ )
気付けば阿伏兎でさえ、この男と居ると飽きるということを忘れる。
( でもよ、タカスギ、夜兎舐めてると、手痛いしっぺ返しを喰うぞ・・・ )
夜兎は所詮夜兎だ。どれほど頭の中で夜兎という種族を測ろうとも、夜兎はそれを凌駕する。
懐いている、愛している、そういったものでさえ、夜兎は次の瞬間奪う種族だ。
甘い交わりも、家族の絆でさえも夜兎は次の瞬間には牙を立てる。
そういう種だ。
高杉達地球種には理解できまい。
そして夜兎の種に最も忠実な神威が高杉を欲したのだ。
それが最後何処に行き着くのか、ぞっとする反面、その底が見たい気もする。
殺し合いか、果てまた別の結果に成るのか・・・。
( まあ、そこがいいのか、どうだか・・・ )
( いまんとこ、奴さんの方が、一枚も二枚も上手か・・・ )
既に敗けが見えてきた盤面をどう引っくり返すか、阿伏兎が思案しながら目の前の酷く魅力的な男をただ見遣った。
その膝で眠る虎児は幸せそうにその幸福に浸る。
その上の盤面で、こうした駆け引きがある。

( どっちが喰うか、喰われるか、こりゃ見物だぜ・・・ )

いざ危なくなったら団長を抱えてケツまくって逃げるがな、と腹を決めながら、次の一手をどうすべきか阿伏兎は思案した。
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