でも独立は駄目、と神威は条件を出してきた。
資金はあくまで春雨が持つ。「これは愛人に店を持たせるのとは訳が違うからね」と神威が高杉に釘を刺した。
所謂春雨のフロント企業としての会社の設立の容認と裏社会をよく知る高杉だからこそ出来ることをしろ、と云われたのだ。
それが飲めるのなら何をしてもいいし、裏切り以外の行為なら、容認すると。
そして、その次の日には、高杉の下に付けると、幾人かの男に引き合わされた。
その中に河上万斉という日本人が居たのも驚きだ。
音楽関係の事業にパイプがあるという男は驚くほど優秀だった。
高杉はその会社の設立に夢中になり、以前のようにきちんとしたスーツを身に纏い、事務所として用意した一室で儲かることは薬物以外あらゆることに手を付けた。どのみち裏社会に居る身だ。今更まっとうな仕事など出来る筈も無い。
汚いこともしたし、法律の裏を掻い潜る様な方法で、悪質な儲け方もした。
けれどもそれも悪くない。
何も無いよりずっとマシだ。
既に高杉は神威の愛人ではなく、春雨の中で頭角を現した切れる男になっている。
完全なブラック企業ではあったが、高杉は自分の事業に漸く遣り甲斐を見つけた。
その仕事に忙殺されて、高杉は各地を飛び回っているので神威を最優先と云うわけにはいかなくなってきたのが問題だ。
電話口でそろそろ団長が限界だと、阿伏兎に告げられ、高杉は痺れを切らした神威に仕事を辞めさせられる前に、どうにか一週間の長期休暇を確保して、今は神威の用意した静かなリゾートのスパが併設されたロッジに滞在している。

「忙しいみたいだね」
「ああ、まあな」
「パソコン閉じてよ」
「これが終わったら」
むくれる神威はこうして見ると年相応の餓鬼だ。
ソファに寝そべってTVのチャンネルを回していると余計にそう思う。
確かに神威は出会った頃より身長も伸びた。今では高杉を抜いて仕舞っているし、顔も精悍な顔つきになってきて、美少年と云うより美青年になってきた。けれどもまだまだ中身は餓鬼だ。
我儘で、高杉がいいとしがみ付く餓鬼。女にすればいいのに、神威は相変わらず高杉を欲した。
最初はそれに腹も立ったが、いつの間にかそれに腹が立たなくなった。
いつからだろうか、この子供があまりにも真っ直ぐに高杉を求めるからか、男同士の不毛な肉体関係のみの間柄である筈なのに、高杉は神威を憎めない。思えば最初から腹は立ったが憎みきらなかった。殺してやろうとは思ったが、それでも自分がこの男から逃れる為に死のうとは思わなかった。高杉は泥に塗れても此処で生き続けた。
この裏社会で生き続けた。
そして今の地位についた。
逃げられないからこそ居場所が欲しかったのか、それとも単なる暇つぶしなのか、明確な答えは高杉には無い。
けれどもいつもその中心は神威だ。
高杉の中心は神威だった。
無理矢理高杉をこんなところまで連れてきたクソ餓鬼。
怖ろしく凶暴で獣のような餓鬼。
高杉は今はスーツでは無く、チャイナ服を纏っている。黒の布地に神威が好む蝶の刺繍、白のズボンに、煙管煙草。
休暇中くらい神威の好む服装で居てやろうという高杉なりのサービスだ。
仕事も最初は舐められたが、半年経ってやっと事業が軌道にのってからはそういう態度をされることも少なくなった。
皆高杉を神威の愛人だという目で見たが高杉もそれを最大限利用した。今や神威と高杉は切っても切れない関係になっている。
高杉はパソコンの電源を落とし、神威に口付けてやる。
そうすれば嬉しそうに神威は高杉に手を伸ばした。

「少しはマシになったか餓鬼」
「酷いなぁ、本当、あんた前の方がよっぽど従順だったよ」
「従順な俺の方がイイか?」
「別にどっちでも高杉だから、いいよ」
足を割って神威が圧し掛かってくる。
以前もそうだったが今なら尚の事、神威に力で責められれば高杉は呆気無く屈するしかない。
けれども以前と違う点がある。
神威の手付きだ。
口付けながら衣服を脱がされ、高杉も神威のその留め具の多い服を脱がしてやる。
散々神威の手管を下手糞と罵ったお蔭か神威は高杉のイイところを探るようになった。
己の快感だけでなく高杉の快感を追うようになったのだ。
一度教えれば今度は神威がそれに夢中になり高杉は失敗したと思いながら啼かされたものだが、それも悪くは無い。
快楽を追及する相手だと思えば、楽だった。
情など無い筈だ。こうして舌を絡め、脚を開き相手を求めても、其処に情は無い。
けれども神威に揺らされれば時々高杉は泣きたくなった。
これほどまでに一心に己を求めるこの子供が高杉は嫌いでは無い。
その美しい珊瑚色の髪に指を絡め、「好きだ」とさえ云いそうになる。
そう云いそうになる己を内心叱咤しながら、高杉はこれは房事の睦言だと流す。
高杉の在った普通から何もかも遠い今の普通。元の世界には戻れず、己をこうした神威に裏社会の生き方を乞い、そして今度はその神威に劣情の交わらし方を高杉が教えた。この獣のような生き方しか知らない男に、己は何を与えているのだろうと時々思う。
優しい仕草、熱の籠った指先、与えられる唇から漏れる情、それら全てに高杉は手を伸ばしたくなる。
こんな仕事をしていても神威の身体には傷痕一つ無い。それほどに強い獣。
神威の仕事は過酷だ。一瞬の油断が死を招く。そうして死んだ神威の同胞を何人も見たし、打ち捨てられていく様を高杉は見届けた。
春雨の元老とて神威を遊ばせているわけでは無い、高杉を飼って遊ばせても尚余るほどの莫大な金額を元老は神威達第七師団に金銭的にも装備的にも寄越したが、その分神威は無茶を要求される。不可能を可能にしろと要求されるのだ。神威はそれを成せるだけの男だ。肉体としてはまだ最盛期さえ迎えていないのに此処に立つだけの才能と力が高杉の腕の中の餓鬼にはある。
それがどれほどのことなのか高杉は今なら理解できる。そしてその男に見いだされ高杉は今こうしている。
神威を受け入れながら高杉はその綺麗な子供の髪を撫ぜた。
口付けながら、何度も何度も受け入れる。揺さぶられ、達し、また求める。
その中に、暖かい優しい何かを見つけた気がして高杉は眩しさのあまり、その片方しか無い眼を細めた。

「いい加減飽きろよ」
仕事が終わってこのロッジに直行した神威の髪からは硝煙の匂いがする。雨が降っているので、外のスパは使えなかったが、後で風呂に入れてやらなければならない。
散々精を漏らして満足したのか、神威は高杉の膝の上で甘えるように寝転んでいた。
その神威の頭を撫ぜてやりながら高杉は煙管を吹かす。
「いやだよ、俺あんたがいいんだ」
己がいいと云う神威は少し顔を上に向けて高杉を見た。
そのまま手を伸ばすように高杉の頬に神威の指が触れる。
子供っぽい仕草に高杉は口端を上にあげた。
「餓鬼が」
「餓鬼でいいよ、俺はあんたの前ではただの餓鬼だ」
ただの餓鬼なのだと神威は云う。
その時高杉は神威が己に求めているものが何なのか不意にわかった気がした。
アジア最大のシンジケートが抱える第七師団の団長、それが神威だ。
今やその勢力は世界のあらゆる裏側にも通じている。それほど強大な組織であるのに、非日常に隠れて表には決して上がらない裏社会。その頂点にほど近い位置に立つ神威を誰も軽んじない。恐れ、媚へつらい、皆神威を遠巻きにする。力が必要な時は媚び、そしてその力が邪魔になれば神威を殺しに来る。神威はそれらの全てを叩き潰し、己の地位を築いてきた。
あらゆる陰謀も力も神威は潰しルールに従って組織に秩序をもたらしている。
それが神威。
この子供。
高杉に云わせれば何でも無いただのクソ餓鬼だ。
あの時日本で初めて神威に遭った時のまま、強引なただの餓鬼。
神威が求めたのはひょっとしてこの関係そのものなのでは無いだろうか。
高杉が神威に引き摺られるまま、クソ餓鬼だと罵りながらも、高杉は神威を知らなかった。
組織を知らなかった。有りの儘の神威を見続けた。
ベッドでテクニックがなければ下手糞と罵り、我儘が過ぎればクソ餓鬼と云った。
そして言葉を習い、神威と生き、今此処に居る。それが答えなのでは無いだろうか。
「・・・仕方あるめぇ」
仕方無い。
情など無い筈だ。無かった筈だ。
けれども絆されそうになる。この餓鬼に
手を握り返してやりたくなる。お前の所為でこうなったんだと云いながらもこのただの餓鬼でしかないその白い手を繋いでやりたくなる。
惹かれたと認めるのは癪だ。それでも神威は真っ直ぐだった。
歪んだ場所で生きながら、ルールを順守しながらも神威は高杉に対してのみ酷く誠実だった。
神威は傲慢であったが決して高杉の自尊心を傷つけることだけはしなかった。
高杉はそのままでいいのだと云う。
こんな子供が、こんな子供に攫われるようにこんなところまで来てしまって。
なのに向けられる感情の純粋さに眩暈がする。
「全く、仕方のねぇ餓鬼だよ」
その手を握り、口付けを落してやる。
もう一度とこの貪欲な餓鬼は云うだろうが、高杉は応じてやろうと思った。
抱き合って、足を絡めて、決して云ってはやらないが、今だけなら繋いでやろうと思う。


「来いよ、神威」


08:雨の間だけ
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