高杉の事業は軌道に乗った。危ない場面もいくつかあったが、その修羅場をくぐり高杉の事業は順調に金を増やし春雨の懐を潤わせた。
阿呆提督と云われる男が高杉に別で仕切っている春雨の裏帳簿の管理を依頼してきたのもその頃だった。
高杉は己の作った事業名を「鬼兵隊」と名付け、更に事業を拡げた。
腹心である万斉は高杉と馬が合ったのか、今やプライベートでも欠かせない相手だ。
それを神威は一度不服そうに高杉に云ったが、手前にとっての阿伏兎みたいなものだと云えば納得したのか殺気を引っ込め渋々であるが認めるに至る。最も情事の最中に万斉から幾度となく仕事の連絡がかかってきた日には流石に殺そうとしていたが。
そういう理想的な腹心にも恵まれ、高杉は春雨との関係を深めていった。
「万斉、あれぇどうなってる?」
「あれでござるか?順調でござるよ」
「どんくれぇになった?」
男が二人こうして顔を突き合わせていれば自然と悪いことを思い付くものだ。
高杉はこの事業を起こしたことによって既に誘拐同然でマフィアの愛人にされた被害者では無く加害者になって仕舞っている。
高杉が今頃こんな生活をしているとは幼馴染達も思うまい。高杉自身も数年前までは想像もしなかったことだ。
仮に摘発されれば高杉はいくつもの罪に問われるだろう。
問われたところで春雨の影響力が強い国ではそれも大した問題では無かった。
それよりも一番恐ろしいのは組織に盾突く時だ。
組織に盾突けば忽ち高杉は何処に逃げようとも組織の番犬である第七師団に狩られることになる。
国家も何も怖くは無いが、第七師団だけは怖い。此処はそういう世界だ。

阿呆提督との会食に赴き、高杉は赤いワインを喉に滑らせながらその下卑た男を見た。
この男が神威の上に居るというのだから世の中わからないものである。
神威の愛人として有名な高杉は勿論そういう眼で見られた。誰にでもそういう眼で見られる。高杉だって仮にそういうことで有名な男が居ればそんな物かと矢張り色眼鏡で見るだろう。いい加減慣れたものだが以前神威は高杉に手を出した幹部の一人を殺して仕舞っている。その有名な話が、皆高杉を眺めるだけに留めている。
しかし阿呆は違った。どうも高杉を手にしたいと考えているようだ。だからあの手この手で媚びてくる。高杉の好みそうなものを用意し、そして己と組めば甘い汁が吸えると見え透いたカードをちらつかせる。
( 面倒な男だ )
御しやすいが、如何せん外見も酷い上に中身がより醜悪だ。見られたものでは無い。腐った溝を見ている気分になる。
よくもまあこんな男が春雨の中で幅を利かせられるものだと驚くが、少なくとも此処に立つだけの後ろ盾か、運のような才覚がこの男にはあるのだろう。
高杉は阿呆に頼まれていた裏帳簿を渡してやり、ビジネス用の笑みを浮かべてやった。
「流石は高杉殿だ、鬼兵隊は本当に良い仕事をする」
「大したことはねぇよ、ただの金の計算だ、多少頭は使うがな」
まるでこれではお主も悪よの、と云っている悪代官と商人の会話であったが内容がまるっきりそれなので、時代劇もあなどれないものだと高杉はどうでもいいことを思う。
そんなことを高杉が考えているとは露とも知らず、阿呆はべらべらと高杉には話すべき内容では無いことまで話した。
余程信用されたのか、裏帳簿の金を少し弄って手数料分を引いても尚、それが阿呆には魅力的に映ったのか。それとも最早切っても切れぬ関係だと安堵しているのか。どちらにせよ阿呆は今裏社会が己の思い通りに全て動いていると思っているのだろう。
「時に高杉殿、神威殿は今長期で出張に行っているとか」
「知らねぇよ、俺ぁ、あいつの御守りじゃねぇ」
「それは失礼した。なんでも雪国だとか、凍死でもしていなければ良いですな、」
業とらしいその物言いに阿呆が神威の第七師団に何か罠を張ったのか、無駄な事をと思うがこの男のことだ周到に己がやったとはわからないようにしているのだろう。死ねば万々歳、死ななければ何食わぬ顔でまた神威を使う。成程、この男はそういった周到な狡猾さで今の地位を築いたのだ。
そしてその上で阿呆は高杉のグラスにワインを注いで云った。
「何、高杉殿、心配はいらない、儂と組めば今よりもっと楽になりますぞ、今宵は部屋を用意したのでゆっくりとくつろがれよ」
その意味がわからない高杉では無い。翻訳すると我々は最早一蓮托生。ついでに褥でしっぽり温まろうって腹か。
このエロジジイ。内心高杉はそう思いながらワインを口に運んだ。
いかれてやがる。男が男にどうこうという段階で趣味の悪さが伺える。
男である神威の愛人である高杉が云えることでは無かったが全く悪趣味だ。
高杉は悠然と笑みを浮かべ、色気が増したと云われる眼で、阿呆を見下した。
誰が貴様などと組むか、と内心せせら笑っている。
「悪ぃが仕事が残ってるんでな、帰らせてもらう」
立ち上がり、扉へ向かう、名残惜しそうに高杉を労う聲がかかるが、おぞましいだけだ。
またそのうち、と男に期待させるような言葉を残して、部屋の扉を開けた。
どうせこの男は近い内に破滅する。
神威は裏切りを許さない。暗殺を計画したというのなら、そのうちボロが出るに違いなかった。

部屋を出れば待機していた万斉が高杉の後に続く。
優秀な男は高杉の望む一歩先を見据えるのが上手かった。
「守備は」
「抜かりなく、いつでも」
「なら、今夜やるぜ」
「了解でござる」
豪奢な玄関を出て車の前に立てば待機していた運転手にドアを恭しく開けられる。
最初はこれにも緊張したっけなぁ、と高杉はそんな己の過去を哂いながら、車に乗り込んだ。
「派手な花火を上げようや」

その日の内に高杉は姿を消した。
春雨の情報網を使っても見つからない場所へ消えた。
阿呆が管理していた春雨という巨大な組織の資金をごっそり持って、高杉は鬼兵隊と共に裏社会から姿を消したのだ。





「やってくれたよね高杉、ちょっと甘やかしすぎちゃったかな」
「三ヶ月たぁ、お前さんにしては随分時間がかかったな」
神威だ。今高杉の前に、組織の番犬が立っている。
神威は張り付けたような笑みを高杉に向けたまま、其処に立っていた。
「ちょっとこっちも損害を受けたし、それに阿呆元提督の制裁もあったからね」
「終わったのか」
「勿論、全員皆殺しにしたよ」
三ヶ月経って漸く神威が第七師団を連れて姿を見せた。余程捜したのだろう。
勿論高杉も綿密に隠れる場所を用意した。ルートも限定し、およそ春雨が辿れない方法で雲隠れしたのだ。
高杉は今春雨の手があまり伸びていない小国で鬼兵隊を構えている。それでも、いつか神威は此処に辿り着くと思っていた。
何せ、アジア最大のシンジケート春雨の大スキャンダルだ。元老の直ぐ下の提督の地位に居た男が組織の金を横領し、その横領した金を更に第七師団団長の愛人が根こそぎ持って行ったのだから組織が高杉達を血眼になって捜すのも当然である。
その上、神威が逃げた高杉を諦めるなんてことは絶対に無い。神威は必ず高杉を捜し出す。そして今互いに此処に居る。
「阿呆の奴、裏帳簿で春雨の資金を横領してたらしいね、全くやる事が小さくていけないや」
「云えてらぁ」
神威は銃を高杉に向けて構えたままだ。
高杉はその神威の前に一人で立っている。
高杉が出なければ共に逃げてきた鬼兵隊の連中は皆殺しにされる。故に高杉は一人でこの空の倉庫に立った。
神威を見れば背後に阿伏兎の姿はあったが云業の姿は無い。何人か野垂れ死んだか、と思いながらもその少なくない春雨最強の殺しの部隊を高杉は見据えた。
「そしてその資金をあなたが奪った」
「そうなるな」
「裏切りは許さないって云ったよね、俺はあんたのこと結構気に入ってるし、今でも愛人だと思ってる。でもこの裏切りはデカすぎて俺にはどうにもできないなぁ、本当おいたが過ぎるよね高杉は」
銃がいい?ナイフがいい?と無邪気に問うてくる神威に高杉は哂った。
全く大した餓鬼だ。
「阿呆に嵌められたんだろう?」
「叩き潰したけどね、寒い場所だったから帰ってくるのに苦労したよ、何人か死んでしまったし、当分寒い所には行きたくないね」
その茶化したような神威の物言いに高杉は笑みを零す。全く大した餓鬼だ。こいつが居れば裏社会は万々歳だ。
「神威、」
「何?どうやって死ぬか決めた?できるだけ優しく殺してあげる、あんたを抱けないのは残念だけど殺したら一発やらせてね」
くくく、とその強烈な告白に高杉は喉の奥を震わせる。楽しくていけない。
こいつと居ると飽きることが無い。そのうち本当に世界でも強請ってやろうかとさえ思う。
そして高杉は手にした一枚の紙を神威に向かって投げた。
神威は高杉から目を逸らさない。殺しが専門だけあって、安易に行動しない。
神威が確認するようにと顎をしゃくれば傍らの阿伏兎がその紙を拾った。
「これは・・・」
阿伏兎がその内容を見て聲を上げた。

「愛人にしとくにゃもったいねぇ才能だぜ、団長ぉ」

阿伏兎が上げた場違いな聲に神威もついにその紙を覗き込む。
「・・・」
一瞬の沈黙、そして神威が爆笑した。
「あははははははは!やっぱりほら、高杉は普通じゃないって云っただろ!俺は化け物を育てた気分だ!」
その紙にはいくつかの銀行に分けた口座の残高が記載されている。
阿呆からごっそり奪った春雨の資金を元手に高杉達鬼兵隊は、世界中のネットワークを駆使して、奪った金額を倍にしたのだ。
間に合って良かった。丁度昨日の取引で倍になったのだ。それから更に億単位で資金を分割して、今も尚、金額は増え続けている。
正に金の成る樹。常に使える儲け方では無かったが、調整する限り、プログラムは延々と金儲けをし続ける。
高杉が作ったのはそういうものだ。
こうなってはもう高杉をただの愛人だとは誰も云えまい。
「あんた、やっぱり普通に収まるタマじゃなかった、こんなに楽しいのは久しぶりだよ。いいよ、高杉。組織には俺が口添えしてあげる。鬼兵隊は別で動いていたと。地位には興味が無いけど、阿呆を制裁した今、これがあれば俺は元老に次ぐ地位を手に入れることになるだろう」
何か望みは?と神威が高杉に問うた。
高杉はスーツの内ポケットから煙草を取り出す。神威も寄越せと云うので一本渡して己の煙草にライターで火を点けた。
他人に点けさせるのもこの生活で馴染んだが己で灯す火も悪くない。
「内容は今まで通りでかまわねぇが、俺は独立したい」
春雨という組織に与するのではなく、友好的な関係を築いたまま高杉は独立したいと告げれば神威は頷いた。
「わかった独立してもいいよ、俺が許す」
これで高杉は自由だ。二年前にあれほど求めていた自由がこの手に戻った。
もう高杉は何処へ行くのも自由だ。誰に憚ることも無く、この裏社会の中ではあるが、何処ででも生きていける。
何処ででも、何処へでも高杉は行ける。
何者にも拘束されず、己の法でのみ生きることが出来る。
そしてこの餓鬼から離れるのも、繋ぐのも高杉の自由。
これは二年かかって高杉自身が勝ち取った自由だ。
けれども神威は云う。高杉に向かってその真っ直ぐな視線のまま、その言葉を云った。

「でも俺と別れるのは許さない。」

高杉は哂った。懐かしいその言葉に。
始まりの言葉だった。
この関係の全ての始まり。
最初にあのマンションの一室で別れることを許さないと、念書を書かされたことを思い出す。
高杉はその時普通のサラリーマンで、携帯も服も奪われて、全裸でそれを書かされたのだ。
全く莫迦げてる。笑えない。なのに笑いたい気分だ。
晴れ晴れとした気分に高杉は聲を上げて笑った。
この関係はなんだろう。まるで身体に火を灯されたような、片側からじりじりと焦げ付くような感覚。
そして何処までも貪欲に互いを欲すこの醜い感情。それなのにいつまでもそれは真っ直ぐで歪みが無い。
己を真っ直ぐに見つめる餓鬼を見据えながら高杉はその片目を細めた。
そして神威が今度は高杉の煙草の火から己の煙草に火を点ける。
まるで神威に依ってこの身に火を点けられ、今度はその神威に高杉が火を点けているようだ。
飛び移った火は一体何なのか。
これは恋だの愛だのそんな単純な物じゃない。
もっと激しい何か、身を焦がす酷い情欲。
飢えて渇くようなこの衝動。
純粋で最も醜く激しいこの身に沸く限り無い情熱に眩暈がする。
別れるのは許さない。
始まりの言葉、ならこれは終わりか、と高杉は思う。
最初に遭った時に云われたその言葉、その言葉が高杉を此処に導いた。
全く世の中は愉快だ。
よく出来てやがる。
だから云ってやる。
認めたくないがこれだけは云っといてやる。
高杉は珍しく愉快そうな笑みを浮かべ、クソ餓鬼に云い放った。


「そりゃあ、こっちの台詞だ」


09:恋だの愛だの

読了有難う御座いました。

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