あの一件以降、高杉の遊びは形を顰めた。 ホテルの一室に籠りきりな高杉を心配してか高杉が気に入らないと云う態度の阿伏兎まで何処かへ連れ出そうとするくらいだ。 神威も無理に高杉を外へ連れ出そうとしたが、高杉は頑なに拒絶した。 犯されるのはいい。 もう慣れた。 己の所業ひとつで他人が死ぬのも理解した。 そして神威は高杉が思っているよりもずっと傲慢で、簡単に命を奪う人間だということもわかった。 別に他人が死ぬのが厭なわけでは無い。自分の所為で誰かが死ぬのももう平気だ。良心などどぶに捨てた。 神威の折檻の後、三日ほど経って漸く頭と身体がまともになってきた高杉は部屋を出ることも無く、あの後仕事で留守にしているという神威達がいない間、いつものように高杉の監視をする云業に用意してほしいものがあると伝えた。 そして今、高杉は一週間ぶりに仕事から帰った神威を無視して、矢張りホテルのお気に入りのテラスの部屋で必死にある作業を行っている。 「ねぇ、高杉、俺飽きちゃったよ、外行こーヨ」 「一人で行け」 煙管に葉を詰めるのも時間も惜しい。高杉は適当に阿伏兎がテーブルに置いて行った煙草の残りを吸った。 飲み物は酒では無く珈琲だ。 「ねー、俺高杉の旦那様だよ、ちょっとは構ってよ」 「うるせぇ、セックスしねぇなら寝てるかどっかその辺で暇でも潰しとけ」 「酷!俺の方がゴシュジンサマなのになんて愛人だろう」 「この発音なんて云うんだ?」 「もー言葉なんていいじゃん、俺日本語できるし、俺と遊ぼうヨ」 そう、高杉は今必死に言語を習得をしている。 都合良く神威が目の前に居るので練習台にしているのだ。 「さっさとって何て云う?」 「もー、仕方無いな・・・」 神威はソファに寝そべりながら言葉を話す。その発音を的確に受け取りながら、高杉は言葉を続けた。 「死ねは?」 「はいはい、死ねはねー・・・」 神威はこう見えて言葉が達者だ。日本語は多少の違和感もあるが殆ど流暢だと云って差し支えないものだったし契約書の類の難解な読み書きも出来るようだった。その上中国語に英語、恐らく時々携帯で話している感じからロシア語もできるのだろう。阿伏兎もそうだったが任務の上で必要があるのかとにかく何ヶ国語か出来るらしい。たかがシンジケートだと甘く見ていたが、神威達はあなどれない。一度そのことについて訊いてみたら、師匠と呼べる男が居てその男に幼い頃から教育されたのだと云った。 「よし、わかった『さっさと死ね、クソ餓鬼』」 覚えたての言語で高杉が云えば、神威はその少女のような顔をきょとん、とさせて高杉を見る。綺麗な青い眼をぱちぱちとさせ、伝わらなかったか、と高杉が思ったところで手を叩いて歓声を上げた。 「うわー!凄い高杉!やり始めて一週間とちょっとなんて思えない程綺麗な発音だね!俺吃驚したよ」 『そりゃどうも』 無邪気に喜ぶ神威に高杉はどうにでもなれという心地になる。 そう、高杉は決意したのだ。 このままではいけない。一生神威の飼い殺しになる。 そして女を抱いて金を使って、神威に抱かれて、そして神威が飽きるか神威が死ぬかすれば確実に高杉の命は無い。 無傷で元の生活に戻れるなんて夢のようなことは奇跡が起きても不可能だ。 高杉とて今更命に未練は無かったが、こんな生活は無意味だ。 そう無意味だと悟ったのだ。 だからこそ高杉が最初に取り掛かったのは言語の習得だった。 どうせ逃げられない。今神威から逃げるだけの力は高杉には無い。そしてもう二度と普通の生活は出来無いのだろう。 ならば、覚悟を決めた。 此処で生きていくためには少なくとも神威達が話している言葉を全て理解する必要がある。 でなければいつまでも高杉の立場は軽んじられるままだ。 ―春雨第七師団、団長神威の我儘な男の愛人。 これ以上屈辱的な肩書があろうか。 事実だとしても高杉にはそれが我慢ならない。 好きで成ったわけでも無い上に、高杉は此処から逃げられないのだ。 だから高杉は考え方を変えた。誰かに強制されるのでは無く、己の意思で此処に居るのだと、そう思うことにした。 その為に高杉は勉強を始めた。一刻も早くこの最悪の状況から脱する為に。 「頼みがある」 「何?」 何でも云って、と機嫌が良さそうに高杉を見る神威の髪に触れながら高杉は望みを口にした。 「ノートパソコンが欲しい、小型で高性能でできるだけ丈夫そうな外装のものを一つ。それから殆ど世界中をカバーできそうないくつかのネット回線」 「いいよ、他には?」 「あとは、お前の仕事に可能な限り同行させろ」 此処で生きる決意をした。 もう今更戻れない。 高杉の居場所は此処だ。 代金替わりに神威に口付ければ神威は高杉が要望したものを二時間後には持ってこさせた。 同行については神威の腹心である阿伏兎に大反対されたが、結局、出張先でも好きなだけセックスができると、神威が押し切った。 そして以降、高杉の生活は激変した。 まず、高杉は言語を習得しながら神威達の遣り方を学習した。 スピードが必要になる仕事には同行出来なかったがそれ以外の仕事には現場にも着いて行く。 そして殺しの仕方と彼らの中にあるルールについて学習し、その裏社会の仕組みを理解した。 その過程で神威達第七師団というのがどれほど恐れられているのかも知る。 彼等は其処が紛争地域だろうと、何だろうと平然と行った。 そして相手が何処に逃げようとも必ず追い詰める。 成程、追いかけっこが得意なわけだ。高杉が逃げても勝機は無いのだと既にわかった。 彼等はそのプロだ。逃げられないし、逃がしはしない。 相手がどれほど臆病者だろうと狡猾で幾重にも予防線を張ろうとも神威達は必ず仕事を遂行する。 依頼があればあらゆる場所に赴いて殺しをした。 或いは制裁を加える。其処には一点の曇りも無く、必要であれば子供でも皆殺しにする。 あらゆる憎しみと恨みを買い、その中で悠々と立つ男、それが神威だ。 多数の言語を操り、陥れようとする相手を力で叩き潰し、追い詰めそして殺し、略奪する。 高杉を攫ったように、神威達の手口は鮮やかだった。 ただのチンピラでは無い。一種の統率された軍隊の様な動きをする。 仮に味方が不注意で死んでも彼等は振り返らない。 墓も作らない。役立たずはただ道端で野垂れ死ぬだけ。裏社会の人間らしく惨めに消える。 けれども其処にルールがある。彼等は無秩序に見えてルールの上で行動していた。どんな小さな裏切りでも相応の制裁を加え、組織に反すれば何処までも追う。どれほど味方が死んでも振り返らない神威ではあったが、味方が裏切りや陰謀によって死んだ場合は必ず制裁を行った。 だから高杉にもルールだと行動の自由と制限を加えたのだ。 其処に何の情も無い。ただのルールだ。 けれどもこのルールが彼らの中にあるからこそ、組織は機能している。 無秩序は頂点を作らない。秩序が頂点を作るのだ。 その中でいくつかの身の守り方や殺しの方法、隠蔽の手口を高杉は神威から教わり、そしてその半年後、休暇だと寄った場所は最初に神威に連れられた場所だった。 半年前にはわからなかったこの土地も言葉も今の高杉にはだいたい理解できる。 監視も外された今、逃げようと思えば逃げられるかもしれない。 けれども一度追えば猟犬のように何処までも追ってくる神威を相手に逃げる気ももう無かった。 「カジノは行かなくていいの?」 「ああ、もうしねぇ、俺は忙しい」 高杉はパソコンを弄りながら答えた。 今は屋台で食事をしている。 ホテルで満漢全席を食べるような贅沢をすることもあれば神威達はこんな道端の汚い路地裏でやっているような屋台で食事することも多かった。椅子代わりの木箱に座り、汚い机の上で雑多な食事を美味そうに口に運んでいる。これも神威達の仕事に同行するようになってから知ったことだ。彼等の仕事は贅沢と過酷が隣り合わせだ。豪奢なホテルで殺しをすることもあれば汚い掃き溜めのような場所で殺しをすることもある。だからこそ何処ででも彼等はくつろげる。高杉は同行してから自分がどれほど大事にされていたのかを理解した。 彼等は自分達の欲求に正直だ。何処ででも己のペースで振る舞い、何処ででも己のルールに生きている。 かといって路地裏で阿伏兎の言葉を借りれば『莫迦団長』に盛られた時はどう諌めようか頭を抱えたものだが、今となってはそれも懐かしい。 すっかり神威達の雰囲気に馴染んだ高杉はキーを叩きながら、麺を啜った。 「頼みがある」 神威が饅頭を食べていた顔を上げた。はむはむと頬張って飲み込んでから欠けた茶碗に注がれたジャスミン茶を啜る。 「いいよ、でも高杉の頼みなんていつぶりだろう?半年ぶりくらい?」 そう、このパソコンを強請って以来だ。 あれから神威には何も頼んでいない。護身術は頼まなくても勝手に教えられたし、仕事の様はこの眼で覚えた。 今では阿伏兎も高杉を認めたのか、神威のストッパーとして助けを呼ばれることもあるほどだ。 「仕事がしたい」 「仕事?俺の愛人でショ」 神威は確かに甲斐性はあった。神威自身から用意したのだと渡された高杉の銀行口座には毎月きっちりと神威が最初に出遭った時に日本で云ったように高杉が務めていた時の給料の倍の金額が日本円のレートで振り込まれている。 高杉は神威の仕事に付き添いながら、その金を使って、残高を増やし続けたのだ。 そして今独立に見合うだけの目標額で貯まった。高杉はトレーダーとしては既にちょっとしたものになっている。 口座の金をパソコン画面から神威に見せれば、傍に居た阿伏兎が口笛をあげた。 「こりゃすげぇや、よくもまあこれだけ増やしたもンだ」 才能あるんじゃねぇ?と云われて高杉は頷く。 そう、この手のことに強いと気付いたのは神威に連れられてからだ。 あの賭博場で高杉は己は経理のような金の計算をするのでは無く金を増やす方が向いているのだと気付いた。 神威は少し考えてから、携帯を操作して答える。 「うーん、まあ俺もちょっと忙しいし、俺が仕事で出ている間だけならイイヨ、何人かつけてあげる」 心当たりあるから、ちょっと待って、と云われ、神威は電話した先の相手に意外なことに日本語で話した。 「うん、じゃあそれで、寄越してよ」 神威が短い言葉で電話を切った。 この男は何をするにも行動が早い。 殺すのも高杉の願いを叶えるのも同じ速度だ。 そのうち高杉が世界が欲しいと云えば次の瞬間には神威は「あげる」と云い出すんじゃないかとさえ思う。 「でも今のままでいいのに、なんで突然仕事なんか?」 「前から考えてた」 「こっちに馴染んだと思ったのに会社員でも懐かしくなった?」 悪戯に笑みを向ける神威の顔に高杉は煙草の煙を吹きかける。 「俺ぁ、てめぇの愛人じゃなくて社員がいいんだよ」 そう、男の沽券の問題だ。 いつまでも愛人では高杉の我慢がならない。こんな餓鬼にいい様にされてたまるか。 それに、愛人だけでは無い価値を己に見出したかった。 神威の相手をする以外で暇なのも事実だ。どうせやるのならデカいことをしたい。 「えーつれないなぁ、じゃあ社員兼愛人ね、秘書もいいかもネ」 『ふざけろ、この餓鬼が』 すっかり日常的に使うようになった言葉で云ってやる。 神威は矢張りその青い眼をぱちりと瞬かせ、そして、年相応の餓鬼の顔で笑った。 07:起業 |
prev / next / menu / |