「あれ?高杉」
声をかけられたので驚いて視線を上げれば神威である。
それに少し驚いてから、高杉は「よお」と神威に言葉を返した。
学校からも家からも勿論、万斉のマンションからも少し離れた場所のカフェである。
いつもの店が酷い混雑で、座る場所も取れなかったことから高杉はそれならと、少し足を伸ばして同じチェーンで駅前に場所を構える店舗の方に寄ったのだ。
此処は神威の学校からも少し離れているのでこんな場所で会うのが意外だった。
「珍しー、こんなとこ高杉も来るんだ」
「そりゃ俺の台詞だ、てめぇがこんな場所に来るなんてな」
トレーを手にしたまま立っているのも野暮なので、なんとなく流れで同じテーブルに着くことになる。
普段喧嘩以外で会うことが無いだけに意外だった。喧嘩以外で会ったのは先週クラブハウスで寝たあの夜だけだ。
思えば神威とはこうして向かい合って飲食すらしたことが無い仲である。
偶然に驚きながらも高杉は席に着いた。
「あ、俺もそれだよ」
神威が指を指すので、見遣ればカップが同じだ。
「いつもはブラックなんだよねー、今日はこっちの気分だったんだ」
そう、ホットのカフェモカだ。いつもはブラックを注文するが今日はカフェモカの気分だった。
「へー」
意外である。
神威が美味しそうにカフェモカを飲むので高杉もつられて口に含めば、珈琲とホイップミルク、そしてチョコレートのビターな味わいが口に広がった。
高杉がこうした場所に来るのは一人に成りたい時と、寝る相手を探す時だ。今日は後者だった。
喧嘩も嫌いではなかったが、こうして時折誰かと肌を合わせて痛みに浸りたい時がある。そんな気分の波が高杉の中にある。
だから、だ。一人でこうした店に来て、無難そうな相手を誘う。男でも女でも、大丈夫そうな断らない相手を見つけるのが高杉は上手かった。寝た後、次の約束を強請られれば「一度寝た相手とは二度と寝ない」と示唆すればそれで納得するような後腐れの無い相手を選ぶのが高杉は上手いのだ。思えば神威にはそれを云っていなかったと高杉はカフェモカを口にしながら目の前の神威を見遣る。神威はそんな高杉の内心を知る由も無く、慣れたようにソファに深く座りながら携帯を弄っていた。
意外である。正直神威がこうした場所に来るのも意外だ。
互いに私服である。流石に高杉は学校がバレると面倒だというリスクの回避の為に私服に着替えていたが、神威はいつもの長ランでは無くごく普通の私服だった。
それが絵になるのだから性質が悪い。成程、高杉もそれなりに目立つという自覚はあったが神威は段違いである。
整った容姿に、王様然とした態度がそれを助長して、まるでこのカフェそのものが神威の城のようにさえ見える。
「よく来るんだよ」
「店に?」
そう、と神威が携帯を弄りながら答えた。
「俺香港出身なんだけど親父の都合で色んなとこ居てさぁ、前に西海岸の方に居た時に、あ、アメリカね。その時つるんでた奴がよくこういうとこに居る奴で、まあそいつの家がチェーン・・・フランチャイズっていうの?それで珈琲屋やってたんだけどさ、そういうのが時々懐かしくなって来るんだ」
成程、そういう理由なら納得である。
日本語が時々覚束ないのもその所為かと高杉は納得した。
「なら英語の方が話しやすいのか?」
思わず生じた疑問を問えば神威は頷いた。
「まあそうなるかな、中国語っていうか広東語が一番だけど」
母国語なのだからそうだろう。少なくとも神威は三ヶ国語は話せるのだ。意外な事実に高杉は僅かに神威に対する見方を変えた。
喧嘩ばかりする莫迦だと思っていたがそうでも無いらしい。
成績の如何は知らないが、それなら高杉とて人のことは云えまい。
高杉が手にした本に視線を落とせば神威は、「それ次に映画になるやつ?」と問うてきたので、また会話が弾んだのもいけない。
意外にも、神威との共通点は多かった。
珈琲然り、映画の好み然り、そうしたことに神威が興味があることも驚きだったが、思わぬ出遭いから神威のことを知ればその話やすさに驚いた。
「じゃ、映画公開したら観に行こーヨ」
「噫、いいぜ」
二つ返事で頷いてから高杉は席を立つ。そういえば携帯の番号さえ交換していなかった。一晩の相手を見つけることはできなかったが共通の好みを持った軽い付き合いの友人を一人得たと思えばそう悪くも無い。神威と連絡先を交換して、お開きにしようかと外に出たところでそれは起こった。

ばしゃん、と水が全身にかかる。
店を出た瞬間のことだ。あまりのことに茫然とするが、道行く人も茫然としているのだから当然だろう。
豪雨のように高杉と神威に水が降り注ぐ。地面から噴き出したところを見ると水道管の破裂事故だ。
周囲に人だかりができて、地面が破裂した場所が隔離されていく。
ぼたぼたと滴る水を拭いながら高杉は息を吐いた。
厄日だ。
「あー・・・濡れちった・・・俺今日ツいてなかったんだよネー」
髪を絞る神威に高杉も舌打ちする。
「俺もらしい」
しかしどうしろというのか、濡れた人に近くの店の人間がタオルを渡して呉れているが、何せ濡れた人数が多い。そうこう云っている間に警察と消防が出動して毛布を配り始めたが、これでは待っている間に風邪を引きそうだ。
「着替える?俺ん家近くだけど」
神威が指を指すので高杉は止む無く頷いた。このままではたまらない。
靴までびしょ濡れで気持ち悪い。
お言葉に甘えて近くの神威の家に足を向けることになった。

−…これまた意外である。
案内されたのは普通のマンションだ。中も想像したよりも綺麗だった。
神威がびしょ濡れのままタオルを手に戻ってくる。そしてシャワーを促すので高杉は云われるままに風呂場を借りることにした。
神威は非常にシンプルな生活をしているらしい。食器や家具も必要最低限、乱雑な部屋を想像していたが大違いだ。綺麗に整えられた内装はシンプルで機能的だ。家具も高杉の眼に適った。シャワーを浴びて、入れ替わりに神威がシャワーを浴びに風呂場に入っている間に適当に衣服を借りてどうにか無事だった未開封の煙草を上着から取出し、包装を剥がして煙草を燻らせる。
吸っていいのかわからなかったのでベランダの窓を少し空けて吸えば神威がシャワーから出てきた。
タオルで髪を拭きながら下着一枚でうろつくその姿に、少し刺激される。
( そうだった・・・ )
思えば今日は一晩の相手を捜しに遠くのカフェまで赴いたのだ。
しかし相手を見つけることはできず、こうして神威の部屋に転がり込んでいる。
今からまた相手を探しても良かったがどうにも気が逸れて仕舞った。
そして目の前には都合良く、綺麗な身体を隠しもしない男がその長い髪を拭いている。
こちらを向いた神威に、ふと手招きして、そして近寄ってきたところを高杉から口付ければ神威は酷く意外そうな顔をした。
( 意外なのはてめぇだっての・・・ )
まるでわかっていない風な神威に苦笑しながら高杉はもう一度口付ける。
「二回目はヤらないって聞いたけど・・・」
流石にそれは知っていたらしい。
けれども今日はそんな気分だ。ポリシーを曲げるのは初めてだったが、こういう気紛れも偶には悪く無い。
「今日は特別だ、次はねぇよ」
「ふうん」
ま、いいや、と神威は機嫌が良さそうに頷き、それからあとは飲まれるように神威と交わった。
口付けて、指を絡めて溺れるように、その熱に呑まれた。
悪く無い、映画に珈琲、共通の話、口付けは少し苦い、カフェモカの味だった。


02:カフェモカの味
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