雪だった。
初雪が降って数日経って、その日はやたら寒かった。
神威が常になく高杉の動向を問うので半ば口喧嘩になりながらも仕事だとアパートを出たのは高杉だ。
「待って、高杉」
「ンだよ、学校は休みだろうが」
「そうじゃなくて、」
パン、と何かが破裂したような音を聴いたのはその時だった。

「!」
銃声だと気付いた時には遅い、咄嗟に己を庇う為に腕を出すが直後に突き飛ばされる。
突き飛ばしたのが神威だとわかったが、あとはスローモーションでどうにもならなかった。
神威が一瞬足をあげ、それから高杉の前に踊り出て、高杉を突き飛ばした。
これがどういうことになるのか、我に返った時には何もかも手遅れだ。
「神威!」
血塗れで倒れる神威を抱え起こし、一連の狙撃事件は警察の預かりとなった。



神威はグレーだ。グレーには違いないが高杉は疑っている。
限りなく黒に近いグレー。
けれども高杉は神威の確信的な尾を掴めていない。掴めていないが神威を責めるわけにもいかなかった。
此処は救急病院だ。
何故病院かというと、原因は高杉自身にあった。
神威は黒に近い、黒に近いが、目の前でにこにこと笑みを浮かべながら包帯に巻かれていては高杉も言葉も出ない。
しかも原因は自分である。
常ならぬ様子で神威が高杉の職場への道を着いてきて、それに焦れて振り返ったところでの狙撃だった。
以前あった紅旗絡みの抗争か、高杉も目を付けられたらしい、あ、と思った時には神威が高杉の前に躍り出て盾になった。
事実関係を高杉の手で明らかにすることも神威が盾になって血塗れになっていた為に叶わない。まして当事者として高杉は捜査から外されて仕舞った。納得はできないが自分も同僚が同じ状況で狙撃にあえば前後関係を洗い出す為に同僚に状況の詳細を確認したうえで捜査からは外すだろう。公平さを保つ為と、同僚の安全のためだ。
現に神威が運び込まれた病室にも署の人間が派遣されている。
傷は大事なかったが神威が自分を庇って撃たれるなど流石の高杉でも肝が冷えた。
故に今高杉は神威が限りなく黒に近いのに神威を責めることもできずこうして看病する羽目になっている。

「なんで前にでやがった・・・」
「嫌な予感がしてさ、なんか咄嗟に」
罰が悪そうに神威が答えるが、高杉はそれを悔いているようだ。
けれども悔いるのは神威の方だった。
事前にそんな素振りがあった。だから警戒もしていたし情報収集にも余念はなかった。今回のことは高杉が自分の所為だと思っているがこれは神威の落ち度である。情報があったのに、事が起こる前に始末できなかった。
神威が相手を殺すよりも先に相手の動きの方が早かった。高杉にはちょうど死角になる場所で見えていないだろうが、神威は高杉が狙撃されたあの瞬間撃った相手をナイフで殺している。神威が投げたナイフは相手の喉笛を掻っ切ったが弾は放たれて仕舞った。弾を避けることもできたが神威の背後に居るのは高杉だ、退くわけにもいかず負傷した。
生身に弾を撃ち込まれたのは初めてであるのでこれはこれで神威としては良い経験になった。だがこれを高杉にそのまま云うわけにもいかないので、厭な予感がしたと、高杉に告げるに留まる。目下のところ高杉の心中もこの狙撃で穏やかでは無いが、神威の腸こそ煮え繰り返っているのだ。
「知ってただろ」
神威のあからさまな行動は高杉を驚愕させた。何よりタイミングが良すぎる。高杉が疑うのも無理の無いことなのだ。
「えー、俺全部高杉に見せてるじゃん、携帯も何も、何なら通話記録見てくれたっていーよー」
林檎を傍らで向く高杉に神威はしゃあしゃあと答える。
「てめぇの携帯や連絡手段がひとつじゃなけりゃな、普通俺が渡した携帯で連絡しねぇだろが莫迦」
莫迦と神威を小突くものの、常よりは弱い。
自分の為に怪我を負った神威に対して分が悪いからだ。
( 甘いなぁ、高杉は )
そもそもこれは神威からすれば神威の落ち度なのだ。春雨と他所の組織との交戦の関係で神威が後始末をすることになっていたが、其処に運悪く別の組織が地元警察に目を付けて仕舞った。組織抗争の中では警察も白では無い。上層部なんて特に黒いものばかりだ。だからこそ高杉に目をつけられた。殺人課の刑事を一人殺したところで大した問題では無いが、高杉は以前から上層部に疑問を抱いていたし、目障りだったのだろう。この機に乗じてと云ったところか。或いは既に何処かの筋が神威が高杉と同居しているのを掴んで・・・かもしれない。狙撃された瞬間神威は、咄嗟に護身用にブーツに仕込んでいたナイフを使って仕舞ったので足が着く前に犯人ごと証拠を消さなければいけない。状況に気付いた阿伏兎が後が付かないように片付けてはいるだろうが、この状況は神威も歓迎できない。師団のネットワークを使って背後のあらゆる線を洗わせている。どちらにせよ高杉を狙った落とし前は着けさせる腹積もりだ。
それに怪我と云っても左腕だ。幸いにも弾は貫通したし、大した痛みも無い。高杉を庇う際に派手に転んだのでその際に負った打撲の方が酷かったが、見た目が満身創痍なだけに高杉も今回の件に不信感を抱いているがいつものような追及は無い。
神威もバレればその時かと思っていたが、この様子だとまだ当分誤魔化せそうである。
そもそも警察と同居する暗殺者が何処にいるという話だ。此処に居るけど。
「ほら、口開け」
「はーい」
あーん、と口を開けば高杉が林檎を口に入れてくれる。
口の中が切れているので甘酸っぱい林檎は染みるが、それも神威は気にならない。
痛みには慣れている。
それに高杉とのこういう行為は何故だかいつも甘く感じた。

一方始末を付けた阿伏兎の方は冷や汗ものである。
情報を一から洗い直し、上の階の電気工事技師という設定の為に神威が搬送された病院に行ける筈も無く止む無く一番近い位置に居た数名の第七師団の手練れを呼び戻し病院へ神威と高杉の護衛として潜入させ、ターゲットとして列挙された名前を上から順に消していってる最中である。当の団長はと云えば怪我は大したことも無く、常ならば何食わぬ顔で任務を続行しているような傷であるので一般人のふりを続行中で高杉と病室で乳繰り合っているのだ。それははっきりしている。何せ病院にも団長の指示を仰ぐ為に盗聴器を仕掛けたので中の遣り取りが筒抜けなのである。
「あーあ・・・やってくれちゃって・・・」
眼の前には血の海だ。
移民街の一角で、数か月前連続殺人事件を機に春雨に吸収された紅旗の造反者の仕業だった。
粛清の為に久しぶりに第七師団を動かしたので数日のうちに状況は片付くだろう。
「さて、そろそろお見舞いのフリでもしますかね」
阿伏兎は手に着いた血を払い、それから証拠隠滅の指示を出し、そのまままるで仕事帰りの一般人の様に何食わぬ顔で大通りに出、そして花より団子の我らが上司の為にフルーツの詰め合わせを用意し、病院へと足を向けた。

( やっぱり・・・ )
病室に入れば案の定ふたりで乳繰り合っている。
高杉が林檎を剥いたナイフを手にしながら、だが。
「さっさと吐けよ」
「えー怖い、オマワリサーン」
「警察は俺だ」
「・・・乳繰り合ってるとこ悪ぃんだがよ」
そこで漸く阿伏兎に気付いたのか神威が声をあげた。
「あ、阿伏兎」
「阿伏兎サン、だろ、訊いたのか?」
すかさず神威の無礼を(無礼には当たらないが設定上、上の階の赤の他人だから仕方ないのである。)高杉が侘び、それから阿伏兎が持ってきたフルーツの詰め合わせに礼を述べた。
「大家さんに聴いてよ、俺が代表して見舞いに、なんか事件だって?災難だったなぁ」
「本当、『物騒』だよね」
物騒だよね、と云う神威は目線を阿伏兎に動かす。
阿伏兎は咄嗟に頷きながら答えた。
「まあそのうち『全部片付く』だろうよ、不運ってのはそう続くもんじゃねぇさ」
「詳細は云えねぇが、わざわざすまねぇな、神威も礼を云えよ」
「ウン、有難う、『阿伏兎サン』」
普通の会話に暗に数日中に片付くと潜ませて阿伏兎が神威に告げれば神威もそれに答える。
有難う、とわざわざ阿伏兎に述べるということは相当腹が立っているということだ。
数日中では無く今日にでも決着を付けなければこれは当分機嫌が悪いな、と阿伏兎は病院の天井を仰ぎながら溜息を漏らしたくなる。
廊下に居る数名の病院スタッフも春雨の第七師団の護衛である。この場は安全であるが、早々に決着を付けなければならない。
「ま、しっかり養生するこった、それじゃ俺ぁ残業があるんで」

そう云って病室を辞する。神威のあの様子だと当分はあの張り付いた笑みだろう。
精々高杉が神威の機嫌を取ってくれるように祈りながらも阿伏兎は『後始末』をつけるために暗くなってきた外へと足を向ける。
「まぁ、俺も相当腹は立ってんだ、精々頑張ってお仕事しますかねぇ」
何も腹を立てているのは神威だけでは無い。第七師団に喧嘩を売りたくて売ったのか、それとも高杉だけを狙ったのかは知らないが、己の領分に手を出されるのは阿伏兎とて好きでは無い。
明日にでも移民街から数十名に渡る行方不明者が出るだろう。全てが血の海に沈み、そして真相は闇の中だ。

雪が降る。
阿伏兎の上にも暗がりを生きるものの上にも雪が降る。
神威の黒に近いグレーを塗りつぶすように、鮮烈な赤を塗りつぶすように真っ白な雪が辺りを埋め尽くした。


黒を白にする
prev / next / menu /