高杉との共同生活は悪くなかった。 有体に云えば酷く心地の良いものだった。 『仕事』であらゆる場所に行く機会のある神威であったが、こうして民間人の警察官である男と生活するのは初めてである。 神威にとって『普通のふり』をして誰かと生活するのは本当に初めてのことだった。 勿論『仕事』で『普通のふり』をすることは神威も多い。けれどもそれは大抵ターゲットに近付く為であったり、待機の為に仲間と『普通のふり』をするので真実一般人の警察官である普通の、組織のターゲットでも無い人間と生活するのは神威にとって生まれて初めてのことであった。最初は気紛れだった。気紛れ、己に気付いたから、何故気付いたのか知りたかったから。 だから神威は普通のふりをして高杉に接した。何も知らない、たまたま現場に野次馬に来た外国人の子供として。 無論高杉の勘は正しい、神威は事件の関係者である。恐らく高杉が今一番欲しい『事件の全容』を知る人物だ。 疑いは晴れず、それでも高杉は神威と生活を続けた。神威を手放せば真実に辿りつけないと思っているのか、限りなく黒に近いグレーである神威を見定めるように。 それがどんな高級ホテルに滞在するよりも刺激的で楽しいものだから神威はつい高杉との距離を縮めたくなって仕舞った。 だから戯れにベッドに入り込めば毎度蹴落とすという儀式があるものの最終的には高杉が折れる形で目出度く同衾にまで持ち込めたのだ。 日々の努力の賜物である。 最も神威が一番苦労したのは言葉が不自由なフリを未だに高杉の前で続けなければならないというこれ一点に尽きたが。 そもそも己は一体全体この男の何故気に入ったのか、という疑問が神威にはある。 それはもうずっと、この男を一目見たときから思っていたことだ。 高杉晋助という男は日系人である。男の眼から見ても男にも女にも惚れられそうな妙に他人を引き寄せる色気のある男だった。 独身の警官で、しかも年上である。確かに外見的に神威の好みではあったが、阿伏兎が云うようにそれほど執着する相手かと問われれば言葉に詰まる。けれども神威は高杉に惹かれた。 一目見た時から、何処にでもいて何処にでもいない、気配を自在に操れる神威に気付いた男から神威は眼を離せない。 その気になれば神威は高杉をいつでも殺せる、いつでもこの男の監視など神威には抜けられる。 なのに未だに神威はこの警察官である高杉を隠れ蓑と称してこの監視されている同居生活に甘んじているのだ。 高杉の何処がこれほど神威を惹きつけるのか。 この十日以上、神威がずっと想っていることだ。 何故高杉に拘るのか。 ( 甘いところ、とか? ) こうして疑っている相手でも神威が少し怪我をしたら丁寧に手当するところ、だろうか? 神威が皮の固いオレンジを切っていてうっかり手を滑らせた。 いつものように簡単に避けてもよかったが、咄嗟に『普通のひと』のフリをしなければいけないことを思い出して重力に任せたら指先を切ったのだ。痛みは無い。別に神威はこの程度のこと傷にすらならない。 けれどもそれを見た高杉は何処からか絆創膏を取り出して、懇切丁寧に神威の指を止血した。 「痛むか?」 「ぜんぜん」 平気、と伝えれば高杉が剥きかけのオレンジを手にし神威の代わりにそれを剥く。食べやすいように一つづつ皿に盛る様は普段気付かないが案外この男の育ちは良いんじゃないかと思わせる仕草だった。 そして神威の口に高杉の指が伸びる。神威が「なに」と口を開く前に口に入れられた物はオレンジだ。 「甘い」 そう神威がぽつりと呟けば高杉もオレンジを口に含む。 「酸っぱいじゃねぇか・・・」 酸っぱさに顔を顰める高杉に、神威は笑みを洩らした。 そう確かに酸っぱいがこれは甘い。 あまいのだ。 それは神威が今までに感じたことの無いものだった。 この男の寝室に毎夜潜むのも、或いはその所為なのかもしれない。 この男には神威が今まで感じたことの無い、正体不明の暖かさが、あった。 * 一方高杉の方はそれどころでは無い。 紅旗の幹部が殺されたことにより小競り合いが移民街の中で起こっており、マフィア同士の銃の撃ち合いも頻繁である。 その上犯人が特定できない。何せ僅かな手がかりも無いのだ。目撃情報は皆無で現場の証拠は無い。 あるのは死体だけだ。 鮮やかな犯行の手口と殺しの技術を持ち合わせたプロの犯行。 「やっぱり何も出ねぇな・・・参った・・・」 こりゃ迷宮入りかと呟く同僚の言葉に高杉も眉を顰める。 このままではいい加減組織の圧力もあり、有耶無耶になるだろう。一刻も早くこの六人が死んだ連続殺人事件に幕を引きたいのは警察上層部も同じだった。 ( しかし妙だ・・・ ) 妙である。時系列順に並べられた被害者のリストではこうだ。 一人目=白人、不動産実業家(刺殺) 二人目=スペイン人、花屋(刺殺) 三人目=チャイニーズ、娼婦(銃殺) 四人目=チャイニーズハーフ、トム・アンダーソン、郵便配達員(刺殺) 五人目=チャイニーズ、マフィア幹部(刺殺) 六人目=チャイニーズ系 身元不明(刺殺) 改めて被害者のリストを眺める。 不味いと評判の署内の珈琲を啜りながら高杉はモニタに表示された被害者の顔を眺めた。 ( 三人目の被害者がただ一人、女・・・ ) そう、女の被害者は彼女だけである。 そして・・・ ( 何故こいつだけ銃殺なんだ・・・? ) 銃殺されたのは彼女だけなのである。 これが奇妙だった。他は全て刺殺である。ナイフで一突き、いずれも即死なのには変わりなかったが、一人だけ銃というのも妙な話だ。 ならばこれは連続殺人ではなく、彼女だけは別の事件なのか、或いはたまたまタイミング悪く彼女は何かを目撃したのか? 考えれば考えるほど疑問は尽きない。 高杉は今日も遅くなると胸の内でごちながら、止む無く監視の為に同居させている、同居人・・・即ち神威の携帯に電話をかけるのだった。 「遅くなル?ワカッタ」 『大人しくしてろよ、あと物騒だから戸締りはきっちりしろ』 シャワーから出たら高杉からのコールである。もののワンコールで神威は電話に出て高杉が今日も遅くなると連絡を受けた。 『飯はあるか?』 「冷凍のピザある」 片言で神威が返せば高杉が電話口で頷き、くれぐれも出歩くなと釘を刺して電話を切った。 それに笑みを浮かべたのは神威である。 冷凍庫のピザをレンジに投げ込み、頭を拭きながら携帯に別のSIMカードを差し込んで待機させている阿伏兎に連絡した。 「俺だ、奴は?」 名前は名乗らない、それがルールだ。一言俺だと告げればそれで済む。心得たように阿伏兎が神威に状況を告げる。 チームで移動するときはもっと楽だったが今回は二人で入国したので何をするにも自力で調達しなければならない。 春雨のバックアップも勿論あるが、それでも精鋭部隊というには程遠い。 けれどもこうして個々の能力を確かめるような『狩り』も神威は嫌いではなかった。 今回は特に楽しい。最も今回は獲物を狩るのではなく民間人に擬態するのが楽しいのだが・・・。 『見つかった、・・・ったく奴さん、随分逃げ回ってくれちゃって、人海戦術でなんとかなったが、さっさと殺らねぇとまた逃げられちまうぜ』 「・・・ふうん、どんな様子?」 『酷く怯えてらぁ、そりゃそうだろうよ、イロも殺されて、唯一の味方も自分で殺っちまった』 「だろうね、莫迦な奴だなぁ」 これは警察も知らない事実だ。 確かに高杉の睨んだ通り、神威は事件の全貌を遥か高みから見下ろしている。 恐らく今事件の全てを握っているのは神威なのだ。 神威にしてみればくだらないいつもの殺しであったが警察である高杉からすると一大事であろう。 けれどもこれを高杉に知られるのも面白くない。高杉にまだ神威が何者であるか知られたくはなかった。 何故そう思うのか、いまだに神威の中では整理がついていない。 ( 多分、この生活が面白いんだろう、きっと ) そう胸の内で己に言い聞かせてそれから解凍されたピザを摘みながら神威はまるで今から遊びに行くかのように阿伏兎に言い放った。 「じゃ、これ食べて髪の毛乾かしたらそっち行くから、ちょっと見張っててよ」 『っておい、団長!髪の毛って・・・』 呆れた聲で不満を述べる部下に神威は整然と言い放つ。 「だって高杉が髪の毛乾かせって煩いからさぁ」 これも高杉との生活で神威が覚えたことの一つだ。 今まで髪の毛など乾かしたことも無かったが高杉が毎日口を酸っぱくして神威に云うものだから板についてしまった。それに高杉が居る時にシャワーを浴びて出ると存外面倒見の良い男が神威の髪をドライヤーで乾かしてくれるのだ、それが悪く無くて神威はわざと面倒臭がって高杉に髪を乾かしてもらうのが気に入りだった。 思えば面倒臭がりの高杉がそうして神威の髪の手入れをするのは高杉がよく神威の髪に指を入れる所為なのであるが、まあそれも悪くない。 ( 悪くないんだよなぁ・・・ ) 撫でられていると己がまるで猫だか何かのような気分になるが、高杉を前にするとそれも良いと思えるから不思議なのである。 『いーからさっさと来いよ莫迦団・・・』 途中でぷつりと通話を切り神威は冷蔵庫からコーラを取出し口に運ぶ、少し気が抜けていたがまあ飲めない程では無い。 ピザの方は冷凍なので味はあまり期待できない。冷凍独特の味がするそれだ。 一度だけ高杉がピザを焼いてくれたことがあったが、あれは美味かった。チーズにも高杉なりの拘りがあるのか凝っていたし、上にのった生ハムとアスパラが絶妙だった。生のトマトも程よく焼けていて美味い。器用な男だと感心したので正直に感想を述べれば、「これしか作れねぇ」と高杉が云うので神威も笑って仕舞った。できるならもう一度高杉のあのピザが食べたいものである。しかし今は無いものであるので諦める。神威は淡々と業務用冷凍食品を口に運び、髪を丁寧に乾かして、それから携帯のSIMカードを元に戻す。 そして黒いフードのパーカーを羽織り、そっとその部屋から抜け出した。 音も無く、気配も無く・・・。 05:まるで暗殺者のように |
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