昼に戻った高杉に昼食を差し入れられ不足しているものは夕方買いに行くと伝えられた。
それまでは家に居るようにときつく云われたので神威は遠慮なく他人の家で寛ぐことにする。
警察署内で提供された不味い珈琲について思うところがあったのか、手渡された珈琲はわざわざ有名チェーン店で買い求められたものだ。高杉の分はグランデサイズで用意されているところから百パーセント神威の為では無いだろうが、有り難く受け取ってついでにいくつか惣菜も渡されたので食事を啄みながら神威はテレビのリモコンを押した。
他にすることも無いし、高杉の寝室やバスルーム、ベランダも確認したが不審な点も不審な物も無い。
高杉のベッドの脇のサイドテーブルに鍵付きの引き出しがあったので試しに鍵を外して中を確認したが、中にはオートマチックの銃と弾倉のカートリッジがそれぞれ一つづつあるのみで大したものは無かった。財産の類の書類も見つからないことからそういったものは何処か別の銀行などにでも預けているのだろうと推測できる。
要するにこの家に武器となりそうなものは鍵付きの引き出しの中にある銃と台所に申し訳程度にある包丁だけだ。
勿論神威に武器など必要無いが、安全確認はしなければならない。それは神威の身に染み着いた習性のようなものだ。
あの暗がりで高杉に銃を向けられた時一瞬殺すか迷ったが殺さなくて正解だったと神威は思う。
でなければ『奴』が尻尾を出すまでもう少しかかるし、それにこうして神威は休暇を堪能できない。
今回のターゲットは巧妙だ。同業だけあって用心深い、神威からみればやや慎重すぎる性格にもとれた。神威ならもっと鮮やかにやる。
見つけて殺すのは簡単だ。場所さえわかれば一瞬で勝敗は付く。
さっさと終わらせても良かったが神威とてわざわざイギリスまで来たのだ。偶にはこうして普通のフリをして遊びたいのも本音である。それに高杉という男は警官だ。これは『神威にとって』好都合の隠れ蓑である。
酷く機嫌が良いまま神威は夕方言葉通り帰ってきた高杉に着いて『ごく普通』の買い物をした。
スーパーで当分の生活必需品を買い求め、自分用のカップを主張したりしてみる。『ごく普通』の十七歳らしく、望むであろう子供らしささえ潜ませれば高杉は面倒な顔をしながらも神威の望むものを買って寄越した。
つまり、こうして神威は高杉の生活に馴染んだのである。
一見、言葉の覚束ない外国人として、高杉という身元引受人を隠れ蓑に己の目的を果たす為に。
まどろっこしいがこれは中々の妙案だと神威は思っている。
何せ神威が楽しい。
確かに擬態する為に役割を演じることの多い神威であったし、何も知らない相手を騙して始末するという手口も非常に多いが、こうして真実無関係の高杉を巻き込んだのは初めてである。最初からターゲットは決まっていて偶然巻き込まれた相手を始末することはあっても、神威が相手を選んだのは初めてだ。あの時高杉を始末できたのに神威はしなかった。
それはタイミングの問題でもあったが高杉を殺しても問題無かった筈だ。けれども神威はそれをせずこの生活を楽しんでいる。
ただの『十七歳』の外国人の餓鬼を監視という名目で高杉が留めおこうとしたその事実が愉快だ。
( 高杉は絶対に俺が関わってると思ってる・・・ )
神威が限りなく黒に近いグレーだから『監視』、その癖面倒見が良い所為か神威を束縛することも無く距離感が適度だ。
最初の内は神威こそ寛いだ風を装っていたが警戒は常にしている。それとわからないだけで。高杉も警戒していた。けれども徐々に互いに慣れてきたのかこの共同生活にも緩みというのは出来るものだ。

それは不意に来た。
基本的に高杉の仕事は不規則だ。まして今は連続殺人事件とマフィアの抗争で神経を張りつめなければいけないので常に緊張している。高杉が己の自宅に監視として住まわせている少年、神威も気掛かりである。常に何処にいるか気を配っているが、神威はいつもへらへらしながら大抵高杉の家のリビングでテレビを観ている。
その日高杉は深夜に帰宅した。残業に次ぐ残業で高杉も疲れていたし、仕事から解放されて早く目を閉じたかった。
だから自宅、つまりアパートの五階の角部屋に戻った時に神威がソファで休んでいないのにも気にならなかった。
何故なら寝室のドアを開けた先に神威が寝ていたのだ。
確かにソファより高杉のベッドはさぞかし寝心地が良いだろう。時折昼寝に使っている形跡もあったので気にはしていなかったが夜は別だった。だがその日、高杉は非常に疲れていた。疲れていたのだ。
だから神威を蹴落とすのすら面倒で結局神威が眠っている隣で寝入って仕舞った。
気付けば朝方がっちりと神威にホールドされている時には流石にぎょっとしたが、暖かかったし色々面倒だったしサイドテーブルのデジタル時計は朝の五時だったので結局、二度寝した。
それがいけなかった。
朝起きて無言で歯を磨いて互いに全く何事も無かったように過ごして仕舞ったのが失敗だった。
その日から神威は高杉の寝室に当たり前のように入ってくるようになったのだ。

「おい、いい加減てめぇの寝床で寝やがれ」
「俺も、こっちがイイ」

片言で云われれば仕方ない。
だが癪なので高杉は常に神威をベッドから蹴落とすことにしている。
家主は高杉なのだから当然である。
しかしめげないのは神威だ。
神威はにこにこと笑いながら何度蹴落とされても最終的にベッドに居座るので高杉が折れる形で最近就寝しているのだった。


04:就寝前の十五分の攻防


さて、神威は一応語学留学を目的として入国している。
故に学校を探す素振りくらいはしないと罰が悪い。こればかりは監視である高杉の手前仕方の無いことだ。
だからこそ神威は昼間どうでもいい観光ガイドを手にいくつかの学校のパンフレットを手にし、そして高杉の前でそれらしく探していますよアピールをしなければならない。
その日も神威は「学校を探ス」と片言で高杉に話したことから高杉に移民街で昼食に誘われたのだ。
高杉の管轄の署にほど近い其処は連続殺人やマフィア抗争で騒がしい場所であったが中に住んでいる移民にしてみれば多少の動揺はあれどもいつもと変わらぬ賑わいを見せている。
神威はその中で高杉や警察の人間がよく利用するらしい小ざっぱりした中華料理店でランチと洒落こんでいた。
高杉の奢りなので神威も遠慮なく軽く五人前を注文し、食べる。
その食べっぷりに慣れた高杉でさえも溜息を漏らしながらも自分の分のジャージャー麺を高杉は口に運んだ。
甘辛い肉味噌がこの中華料理店のウリなのである。
「今日は遅くなる、先に寝とけ」
「ワカッタ」
さっさと食べ終わった高杉に手を振りながら仕事に戻るその姿を見届けた後、神威は店主に向かって中国語で『特別メニュー』を『注文』したのである。

程無くして『特別メニュー』の繋ぎがついたのを確認してから神威は移民街の裏路地で目当ての人物に手を挙げた。
「やあ、阿伏兎」
にこやかに手を挙げた神威に対して挙げられた方は堪ったものでは無い。
口をぱくぱくさせしばし何かを怒鳴ろうとして躊躇して、でも結局口から出たのは怒鳴り声だった。
「てめっ!何処ほっついてやがったこの莫迦団長ーーーーーー!」
彼の名は阿伏兎、そして団長と呼ばれた少年こそ春雨第七師団団長神威その人である。
春雨という組織はこの英国に於いてというよりも世界的な面で非常に有名な組織である。
中国は香港を本拠地として手広く裏社会に根付くアジア最大のシンジケート春雨、その第七師団という殺しと荒事専門の部隊の団長であるのがこの少年であった。
「だから連絡してあげたじゃん、『特別メニュー』で、本土の連中よりも使えないかと思ったけど、まあ中々こっちの連中もよく働いてくれるよ」
高杉が知らないだけでこの移民街というのは血族や組織の横の繋がりが深い。
警察の人間が知らずに普段気兼ねなく使っているだけで実際の所あの店は春雨の息がかかっている場所だ。或いは観光ガイドに載っているという気兼ねさからの信用なのかもしれないが、甘い、甘い、と神威は思う。
何処も平和ボケしていけない。世界とういうのはもう少し複雑だ。一見繋がっていなくてもちゃんと繋がっているのである。
そう、その点でたった一つ神威に気付いた高杉を神威は高く評価している。
「いつもの手順で別々にこっちに来てみりゃ、携帯は通じねぇし!散々探させやがって・・・!繋ぎにも定時連絡入れてねぇしよ、俺に連絡きたのがついさっきだぜ」
どういうつもりだ、団長、と声をあらげる阿伏兎に神威はにこやかに笑みを浮かべながら路地の奥へ足を進める。
「しょうがないじゃん、他の携帯はヤバいからデータごと破壊したし、プリペイドの方も今は無理だし」
「どういうことだ?」
訝しげに問う阿伏兎に神威はにっこりと笑って、云った。
「俺に気付いた奴がいる」
「嘘だろ・・・」
茫然と口を開ける阿伏兎に神威は「本当」と言葉を足した。
「地元警察の移民街担当の殺人課の刑事だよ、高杉って男、そいつがさ、俺に気付いたんだ、しかもまだ疑ってる、仕方無いから監視って云って俺を手元に置きたいみたいだから従ってる」
神威はいつも気配を消している。美青年であったが神威は不思議なほど他人の印象に残らない。
印象付けようと思えば簡単だったが神威はその場に合わせて自分の存在を出したり消したりできる。
それが出来るからこそ神威はこの若さにして現在の地位にいるとも云えた。
神威にとって殺しは天職であると思っている。この若さで第七師団団長という裏社会ではあり得ないほどの出世を果たしているのだ。勿論それには神威の系譜や師匠筋の関係もあったが、それも神威にとってはどうでも良いこと。利用できるうちは利用するのが神威の信条であるので今の地位に不満は無い。
だからこそ神威は己に気付いた高杉に興味を抱いた。
何故、あの場で遠巻きに野次馬として現場に居た神威に高杉だけが気付いたのか・・・それが知りたくて神威はこの監視と云う名の共同生活を受け入れている。
それに首を傾げたのは阿伏兎である。確かに神威に気付いたというのは酷く驚くべきことだったが、例外が無いわけでもない。
勘の鋭いターゲットも今までに何人か居た。確かに一般人の警察如きに神威を認識できたというのは驚くべきことだったが神威がそれ程興味を抱くものかという疑問はある。
「団長が?」
何故だ?見つかったのなら殺せばいい。不審死だろうと事故死だろうといくらでもでっち上げることができる。
それに腹心である阿伏兎に連絡を寄越さないのも不自然だ。仕事には既に取りかかっているようだったので阿伏兎もそれとなく殺人事件の全容は確認しているが、それにしても今回のことは神威にしては随分慎重である。
「ネット経由でもここいらの『繋ぎ』にでも言伝すりゃよかっただろうが・・・」
そう、いつもの神威なら阿伏兎にそれとわかるような連絡なり合図なりをした筈なのだ。
その為に幾通りもの連絡方法を最新のものから古い方法まで神威達は熟知していたし、監視がついて連絡できない状況になっても手段などいくらでもある。だからもうとっくにこの『仕事』も終えて本国に帰っている筈だった。
どうもおかしい、あの団長が?あの神威が?殺しもそこそこに、任務にも慎重で?未だ完遂しない?
・・・それで合点がいった。
「厭な予感がするんだがよ・・・団長・・・まさかその警察の男って奴が・・・」
「そう、面白いしまあこれも結構悪くないっていうか、有体に云うと気に入っちゃったんだよネ」
・・・気に入っちゃったらしい。
「だからさー俺もう少し此処で遊ぶから適当にバックアップしてよ、ターゲットは隠れるのは上手いけど予想外に面倒なことしてくれちゃったよネ、紅旗相手に喧嘩を勝手にふっかけちゃったし、おかげでそっちにも手を打たないといけなくなっちゃったわけだし、まあその内尻尾出すでショ、それ探しといてよ、あと一応高杉の過去も全部洗っといて、知っておきたいから」
頼んだよといっそ清々しい笑顔で云う上司に阿伏兎は堪らず息を吐く。
「勘弁してくれよー・・・」
はああああああ、と阿伏兎は盛大な溜息を漏らしながら天を仰いだ。
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