全てがいつも通りだった。
いつも通りの筈だった。
順調に生活する。ミツルは直哉とのセックスを想像しながら他の誰かと交わり、学校へ行って普通に友達やクラスメイトと話をしてバイトに行く。
そして時々実家に帰ったり直哉の家に帰ったりして当たり前の様に直哉と二人でベッドに入る。
夏休みに入ってもそれは同じだった。学校が無い分バイトや誰かと逢う時間が増えただけ、
それだけだった。
家には人を連れ込まないのが二人の暗黙のルールだ。
直哉もミツルも他人が自分のテリトリーに入るのを好まない。
互いしかテリトリーには入れなかった。
けれども突然その生活が終わった。ミツルが二日ほど直哉の家に帰らなかった。
直哉は最近忙しいのか家に帰っていなかった様だし、直哉のいない部屋に帰ってもミツルはまた一人で処理できない欲情に煽られるだけだ。直哉の匂いのある部屋にミツルは寄りたく無かった。
だから直哉からその日ミツルの携帯へメールが届いた時、何か不自然な物を感じたのも確かだ。
そして世界は変わった。

―封鎖だ。
山手線の内側全てが自衛隊によって封鎖され封鎖内に居たミツル達も勿論閉じ込められた。
封鎖の直前に直哉に会った。その時にミツルは悟った。
直哉が何かをするのだとわかった。
だから柚子や篤郎よりもミツルの混乱は少ない。むしろごく自然にこの封鎖をミツルは受け入れた。
不思議と怖さは感じなかった。どちらかというと山手線の内側全てが直哉のテリトリーになったような感覚だ。夏前にミツルが感じた直哉への違和感がこれなのだとミツルにはわかった。
それほどに精神的にミツルと直哉は近かった。同じベッドで呼吸して眠るように傍に居るだけで互いに何も云わなくても良かった。だから怖くは無い。
死と隣り合わせになっても直哉がミツルを直哉以外者の手にかかって死なすようなことを許す筈も無い。それは確信だった。だからミツルは冷静にこの封鎖を受け入れた。
そして同時に自分が恐ろしく冷たい人間なのだともミツルは思う。
二年前に「彼」が事故を起こして意識不明になった時もそうだ。ミツルは何も思わない。
直哉が起こしたこの封鎖で困る人もあるだろう。暴力や事件で死ぬ人も居るかもしれない。
けれどもそれよりもミツルは直哉を選ぶ。非情な云い方だがミツルは自分が抱えられる物の数を知っていた。全部は守れない。封鎖されていようがされていなかろうがそれは同じだ。
だからミツルは自分の手で守れるものを守る。それだけだ。それは柚子や篤郎といった友人達でありミツルにとっての直哉でもある。
そして逆に直哉が守るものの数にミツルは確実に入っている。
どれだけ残酷で過酷な状況であろうとそれだけは疑う余地は無かった。
怖くは無い、もし怖いものがあるとするのなら直哉との関係の変化くらいだった。

「ミツル、あったよ」
「やっぱり合った、良かった此処の鍵があって」
今ミツルは幼馴染の柚子と友人の篤郎と行動している。
元々三人で直哉に呼び出されたのだから当然と云えば当然だった。
此処二日程封鎖の出口を探したが恐らく出口は無い。柚子の手前ミツルは云わなかったが内心わかってもいた。直哉が仕組んだのなら出口などある筈が無いのだ。
初日は直哉の部屋で過ごした。鍵は勿論ミツルが持っていたし、直哉の姿が無いだけで別段代わりは無い。真正面の部屋で(恐らく悪魔による)殺人事件があったので柚子は居心地が悪そうだったが、湯船にいつも湯が張ってあったおかげで生活用水は助かった。
しかしいつまでも直哉の部屋に留まるのも物騒だし、食料の買い置きも無い。
結局出口を探して、山手線の内側を歩く羽目になった。もう三日目になる。
あたりでは既に暴動の噂もあり、不穏な空気が増していた。
今は直哉が倉庫として借りていたトランクルームに来ている。
不要な物を置いていたのだが、其処に箱で買ったインスタント食品を置いていたことをミツルが思い出して取りに来たのだ。
二箱ほどある大き目の段ボールは軽い。インスタント食品だから当然だったがそれを運び出して自分達の分以外の残りを避難していた人達にも配った。
ついでにペットボトルに入った水も矢張り二ダースほど見つかった。それも配る。
「こういうのって買っておくものね、良かったぁ」
柚子がほ、と息を吐きながら微笑む。柚子はこの封鎖になってから元気が無かったのでミツルは安堵した。できるならこの幼馴染を無事家に帰してやりたい。
「あ、俺とんこつにする、お湯貰ってくるけどミツルは?同じでいい?」
ごそごそと段ボールの中からインスタントラーメンを見つけ篤郎はそれを二つほど取り出した。
ミツルは篤郎に頷きながらも黙々と箱の中の残りを一般の人に配って回った。

―これを用意したのは直哉だ。
その理由も考えなくてもわかる。今使う為なのだ。
用意周到な直哉だ。もうずっと前からこれを計画していた。
改造COMPを作り悪魔召喚プログラムを使ってミツルに何かをさせようとしている。
幸い封鎖内はミツルの活動範囲で、ダイモンズのカイドーにも顔が効いたし、バイトの関係で知り合いも多い。ライブハウスの店長や神無伎町にも知り合いが多かったことからミツル達は食糧の不足や暴力といったことに巻き込まれることは無かった。
それぞれにミツルを助けてくれる人達を見て篤郎と柚子は感心したものだ。
ミツルは与えられる好意を笑顔で受け取りながら、余剰分を他の人たちに配った。

「ベル・デルだよ、ミツル君」
「間口さん」
突然現れた紫のスーツに身を包んだ如何にもという男にミツルは驚きもせず応えた。
間口という偽名を使っているがロキである。
柚子や篤郎はそのヤクザ然とした装いの男に引いたのだがミツルは平然としたものだ。
つい最近ミツルはロキのペントハウスを訪れ其処でセックスしたのだから当然であった。
「君がさ、ナオヤ君の弟って知らなかったからさ、ごめんね、」
「直哉を知ってるんですか?」
「勿論!旧い付き合いだからねぇ、でもナオヤ君の弟って知ってたら・・・いや、まあいいか、愛人の話考えてくれた?」
柚子や篤郎の前で隠しもせずに云うロキにミツルは微笑で受け流す。
ミツルのスルースキルのレベルは高い。或いはもうフラグクラッシャーと云えるレベルだった。
曖昧に返事を保留するというスキルに於いてミツルは相手を微笑み一つで保留に誘導できる。
「それで?ベル・デルがどうしたんですか?」
「ああ、不死なんだけどね、一つだけ弱点があるんだ、まあボクが色々手を回したんだけど、いやまさか本当に君が彼の弟なんてね、凄い偶然だよね、ボク運命感じてるんだけど、ほんとこの前は最高の夜だったよね、それでね、まあヤドリギが、あ、これどっかその辺にあるから探してね、食糧とか大丈夫?なんか手を回そうか?」
ミツルとロキの会話の内容に篤郎は付いていけない。一体何の話をしているのか、果たしてそれがベル・デルのことなのかミツルのことなのかこんがらがってくる。
篤郎と柚子には会話の内容はさっぱりだったがとにかくミツル様様であると思った。
( 良かった、ミツルがタラシで・・・ )
まさか男の相手もいるとは思わなかったが、それがこんなヤクザっぽいチャラ男だと思わなかったがもうこの際なんでもいい、ミツルが居れば全部が解決する気がした。そしてこの篤郎の勘は正しい。
「今のところ大丈夫です。困ったら来ます」
「泊まるところも必要なら提供するよ、でもあんまりやるとナオヤ君怒るかなぁ」
「多分怒ると思いますよ」
「ボク、バレたら殺されそうだよねぇ、でもまあどうしても困ったらおいで、快適な場所を提供するから」
提供するとロキが自信満々に云うからには其処は恐らくこの真夏に電気の無い山手線の内側であるのにクーラーが効いていて、電気があって、食糧もあって本当に快適なのだろう。
多分その快適だという寝場所を提供されるならミツルとしてもロキに身体を提供しないわけにはいかなくなる。だからミツルはそれをやんわり流してから、言葉を発するタイミングを失っている柚子や篤郎の代わりにロキから必要な情報を訊いた。
COMPを手にした今ならわかる。間口と名乗る男―実際はロキだ。この男は悪魔なのだろう。
だから余命表示が無い。
ああ、ついに悪魔とも寝ちゃったのか、とミツルは冷静に思いながら状況を整理した。
おまけにロキは直哉の知人だという、多分これバレたら後で厄介だろうな、とも思った。


ロキの云うことを要約するとベルの王位争いが勃発したのだという。
何故山手線の内側でないと駄目なのかミツルにはわからなかったがとにかくこの閉ざされた空間の中で人間以外にも争いの種がまかれているわけだ。
そしてミツル達はその王位争いに巻き込まれた。
ベル・デルを倒してしまったことからミツルは王位争いに強制的に組み込まれることになった。
そしてこれこそが直哉の仕組んだことであるとミツルは逸早く理解したしまた諦めもしていた。
直哉が仕組んだのならミツルはそうするしかない。他に選択肢が無い。
生き残れと直哉がメールを送ってきている以上、ミツルはやるしかないのだ。
こうなるなら柚子と篤郎の二人、せめて女の子である柚子だけでも安全だと思う場所に預けてくれば良かったとさえ思うが、今更遅い。柚子を巻き込んだのも直哉だ。
恐らくしがらみの少ない篤郎とミツルだけではこの封鎖の中で奇妙に順応してしまうと危惧したのかもしれない。だからこそ柚子には酷だったが現実への回帰を望む柚子をあえて入れたのだ。
そして様々な選択肢が存在することもわかった。天音サイドから、つまり天使からの勧誘もある。
逆に世界を元に戻す方法を探す手もあった。
けれどもミツルの答えは決まっている。ミツルには最初から直哉しか選択肢に無い。
山手線の内側が崩壊すると云われても尚、直哉のしたことを酷いとも思わなかった。
直哉が必要だからそうしたのだろう。
善悪を問われれば確かにそれは悪なのだろうと思うがミツルはそういった全てを善と悪にわける思想は無い。
それはミツル自身が確固たる意志を持って己のルールと生き方を定めているからだ。
そういう意味でミツルは冷静で現実的だった。
自分が犠牲になるつもりも無いし全てを見捨てる気も無い。ミツルが出来ることはするが、出来ないことを望みもしない。そしてミツルが選ぶのは直哉だ。
当たり前のように共にある男をミツルは想う。
目の前には直哉だ。封鎖も五日目に突入して既に略奪や暴動も起こっている。
そんな中でミツルはやっと直哉に追いついた。
そう時間は経っていない筈なのに、こうして直哉に会うのは随分久し振りな気がする。
封鎖初日以降、直哉の部屋にも帰っていない。思えばこれほど直哉と離れたのはミツルは初めてかもしれなかった。幼い時から当たり前に直哉と一緒に居て、ミツルが家に帰らなくても三日に一度は同じベッドで二人で眠った。それはミツルにとってまるで直哉を充電するような感じだ。
それを想うとざわざわとミツルの心は揺れる。
しかしそれは直哉も同じだった。
着々となんとか生き残る方法を模索するミツルを遠くから監視し導いた。
それでもこれほど離れたことは無かったから本当は今すぐにでもその身体を引きよせて叶うものならミツルに口付けたいと思う。
口付けてその身体を弄って思う儘にめちゃくちゃにしてやりたいと思う。
直哉がミツルに感じるのは偏執的な愛情とそれに伴う肉欲だ。
わざわざこんなまどろっこしいやり方で直哉がミツルを巻き込んだのはそれが最良だと判断したからだ。
直哉には他に多くのやる事があったし、自衛隊や翔門会からも身を隠さなければならない。
最初から直哉がミツルの傍に居てやれたら話は早かったがベルの王位争いに関しては直哉ではなくベルの資格を人間で唯一所持しているミツルでなければ為せなかった。
ミツルはアベルだ。ア・ベル。人間で唯一ベルの資格を持つベルの王。
カインたる直哉が殺した弟であるアベルの魂をミツルは持っている。
現世の名をミツル。創世の時代ミツルはアベルであった。直哉がカインであったようにミツルはアベルであった。最もミツルのそれは欠片であったが、神はカインがアベルを殺害した後、アベルの魂を分断して人の因子に組み込んだ。
だからミツル以外にもアベルの魂の欠片を持つものは複数存在する。
しかしミツルは直哉にとってアベルである。ミツルと従兄弟同士に生まれ、この好機に恵まれた。
カインは罰を受け追放され今でもその罰として全ての記憶を、アベルを殺した創世の時代の記憶を持ったまま転生する。つまりカインたる直哉にとって死は過程であり、神に与えられた罰は永遠の生であった。
復讐といえばそうなのかもしれない。自分をこうした神を直哉は確かに憎んでいる。
しかしそれ以上に直哉はミツルが欲しい。
ミツルを永遠に己の物にする為に世界を創り変える。だからこそ巻き込む形で計画を実行したのだ。
己が狂っているのを充分に直哉は承知している。しかしそれ以上に直哉は神が狂っていると確信していた。
狂うように人間を創ったのは神だ。罪を犯すように人を創ったのは神だ。
そして直哉は狂おしいほどにミツルを求めている。
( 俺はお前を愛している )
愛しているよ、と直哉は思う。哂いさえ零れそうだった。既に崩壊の始まったこの死都で、日常が壊れ、当たり前が当たり前でなくなったこの封鎖の中で、たまらないほど弟に欲情する。
そして同時にミツルが、この愛しい弟が直哉以外を選ぶということを直哉は考えられなかった。
多くある筈の選択肢の中でミツルが自分を選ぶと直哉は確信している。
そういう意味で精神的にはミツルは直哉の物であった。
空気のように当たり前に共にあるから、簡単に離れる。しかし、選択を迫られた時、他の選択をすればその空気がミツルから無くなるのだ。それは息が出来なくなるのと同じことだ。
だからミツルは必ず直哉を選ぶ。
それはテストなどしなくても最初から決まっていた。

燃えるように都市が死ぬ。暴力と略奪と死が覆うこの封鎖の中で燃え上がるのは互いに歪んだ肉欲と愛情だった。
「ミツル」その名を直哉が呼べば、ミツルは当然のように直哉に付く。
全ては決定された未来だった。
「俺を選べよ」
直哉が見下すようにミツルに云う。その視線にミツルはぞくり、とした。
云われなくても、とミツルは目を閉じる。云われなくてもそんなのとっくに決まっている。


07:あなたしかいない
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