数日後、ミツルは繁華街を歩いていた。
繁華街といっても此処は神無伎町だ。ラブホテルやキャバクラ、風俗店が多い界隈である。
別に興味があってとか、誰かとセックスする為でも無くて今日のは真っ当な仕事でだ。
ミツルはあまり家に長居しない。実家だと一人があまりにも多くて、父や母は熱心にミツルに連絡を寄越したが、直哉が出て行って仕舞ってからミツルは家で一人で過ごすことが多い。元々忙しい父母だからミツルにとっての家族の形の中で一番近しいのは矢張り直哉だった。一人になりたい時以外は、だいたい人恋しさに外へ出るかそうでなければもう一つのミツルの家とでも云うべき直哉の家に帰るしかない。
けれども直哉とあまり長く居ると互いにどうしても性的な欲求が高まってくる。
直哉かミツルどちらか一方だけならまだしも双方に欲求が溜まっている時は危険だった。だからミツルはそういう時は大概誰かと寝るかバイトに精を出すことにしている。今日もそうだった。キャバクラの界隈にある花屋の配達のバイトだ。
何軒か回って、如何にもという感じの花を中に運び入れてセッティングする仕事だ。
その仕事も次で最後だ。終わったら直帰していいと云われていたので今日はどうしようかなとミツルは茎や葉の要らない部分をゴミ袋に入れながら考える。


今日はミツルが学校から夕方帰宅してシャワーを浴びていたら直哉が帰って来た。
今日のは誰かと寝る為でなく本当に仕事だったらしい。最近の直哉は仕事に忙殺されているのか家と依頼人のところとの往復が多いようだった。
もう直ぐ本格的に夏が来る。何故かミツルはこの年の夏はいつもと違う感じがした。
直哉の様子が少し違うのだ。ピリピリしていると思えば逆に深く考え込むように水底の静けさを湛えていることもある。いつものように余裕を見せている癖に何かが違う気がした。これは長年ミツルが培ってきた勘であったが直哉は何かを試みようとしている気がした。
その所為もあってミツルはいつも以上に直哉とのことに気を遣っている。
けれどもどうしても直哉とセックスをすることを考える時がある。
例えばミツルが帰宅して直哉が居なかった時、居ない癖に直哉の匂いを感じる時どうしてもやりたくなる。そういう時ミツルは自分が本当に直哉のことを性的な意味で好きなのだと思い知る。そして苦い息苦しいような感覚に呑まれた。
だからシャワーを浴びて散らせようとしたのに、直哉が帰宅した。
足音からして直哉が帰って来たのだと知る。そう思うとたまらなくなって、ミツルは結局シャワーを浴びながら自身に触れた。
自慰など久し振りだ。けれども今したい。シャワーの音で掻き消すように性急に自身を高める。
高めるのは簡単だ。直哉の事を考えればいい。
あの従兄が知ればさぞ己を罵りそうだな、と思いながらミツルは気付かれないように少し急いで己を掻いた。
「・・・っ」
高めれば簡単に破裂する自身に息を呑みながら吐き出した白濁をミツルは急いでシャワーで流す。
はあ、と溜息を洩らしたところで直哉が入ってきた。まるで見計らったようなタイミングだ。
互いに裸など気にしない関係であったがあと一分直哉が早ければ見られていたかと思うとミツルは内心ヒヤリとした。
「直哉も入るの?」
「ああ、昨日入っていないからな、風呂に入って寝る」
「徹夜?」
直哉が何も云わないのを見るとそうらしい。今まで徹夜で仕事をしていたということだろう。
此処最近、直哉は碌に寝ていなさそうだった。元々眠りが浅い人であったが、それでも矢張り普段に比べると直哉は格段に眠っていない。ミツルは直哉が入るスペースを開ける為にやや壁際に寄った。直哉の家の風呂は常にお湯が張られているタイプの物だ。
時間操作の設定は出来たが面倒なのか溜めておきたいのか直哉は掃除する時以外、常に湯を張ったままにしていた。だからミツルがシャワーしか使わなくても湯は適温である。
直哉はミツルからシャワーを借りて身体を流すと何も云わずにさっさと湯船に浸かった。
けれどもミツルがシャワーヘッドを渡す瞬間、直哉は一瞬動きを止めた。
それにミツルはひやりとする。
一瞬の何かを云いそうな沈黙の後、結局直哉は何も云わずに風呂に入った。
( 気付かれただろうか・・・ )
直哉は目敏い。ミツルが一人で直哉の事を考えて抜いた後、急いで流したが
矢張り直哉に気付かれたかもしれなかった。
直に見なくても空気でわかったかもしれない。けれども直哉は何も云わない。
( 云わないならそれでいいか )
どちらでもミツルには構わないことだ。知れたところでどうということは無い。
男の生理現象で済む話だ。直哉が欲しいという欲望にミツルが流されない限り問題無い。
「今日はどうするんだ?」
「バイトが入ってる、神無伎町の花屋の」
割のいいバイトだ。それに矢張りミツルは大抵の接客業で歓迎された。
雇用主曰くミツルが居ると売上が上がるのだそうだ。
だから少し仕事の上がり時間が遅くなる代わりに時給に上乗せもしてもらっている。
免許くらいしか特に欲しいものは無かったがミツルは働くことは嫌いでは無かった。
「帰るのか?」
「わからない、多分帰るとは思うけど」
「遅くなるなら連絡しろ、俺も保護者としての責任がある」
母さんにどやされると直哉が洩らして湯船で目を閉じる。
眉間に指を当てて解しているところを見ると直哉は相当疲れているらしかった。
ミツルはそれを見て少し申し訳ない気分になる。先程までのセックスへの高揚も一度抜いたことで散って仕舞ったことから、今度は家族らしく少しはこの従兄を労ってやろうかという気持ちになった。
「この後寝るんでしょう?俺、バイトまで時間あるから何かご飯作ってから出るよ」
ミツルはシャワーを止め直哉に告げる。直哉は分かったと云う返事の代わりに手を挙げた。
「ん、じゃあ出るね」
直哉はそれを黙って見送り、少し息を吐いた。
ぐらりと頭を上に向ける。
( 不味いな )と思う。直哉にしては苦虫を噛み潰したような感じだ。
帰宅して直ぐ風呂場に直行したのはミツルがシャワーを浴びていると知ったからだ。
学校の鞄がソファに投げられていたし、ミツルの制服が洗濯籠の中に入れられている。
昨夜は翔門会の悪魔召喚プログラムのサーバーの詰め作業をしていたところで、風呂にも入っていなかったことからついでに流して仕舞おうという惰性に任せたい気分でもあった。
直哉自身の今の肉体は若くても矢張り此処最近の激務では疲れもする。
だからあの弟の居る場所へ行きたくなった。今までも何度か風呂こそ一緒に入らなかったが、(ミツルはシャワー派だ)風呂場で一緒になったこともある。そういう気安さだ。
男同士で同じ風呂に入ることにミツルも直哉も抵抗が無い。
けれども直哉が服を脱ぎ捨て風呂への扉を開け、ミツルの顔を見た時に気付いた。
ミツルの様子が少し違う。だから直ぐに分かった。

―恐らくミツルは今此処で抜いた。
自身を己の手で持って掻き欲望の残滓を吐き出した。
直哉は何でも無い風を装って湯船に浸かったもののそれを思うとたまらない。
ミツルは平静を装っていたが、もう少し早く風呂場に直哉が入れば達した瞬間のミツルを目の当たりにしたかと思うと身体は疲れている筈なのに直哉は確かな欲望を感じた。
ミツルには気付かれなかった様だったが、直哉は湯船に浸かってミツルと会話している間中ずっと勃起していた。達した直後だというのに普通の会話を装うミツルがたまらない。
手を出しても良かったがいつものようにミツルは直哉をかわすだろう。
ミツルのスルースキルは非常に高度で的確だ。直哉の欲望を曲げさせるのでは無く呆気に取られるような方法で直哉の欲望を逸らして仕舞う。
それでもミツルを押し倒して無理矢理に犯してもよかった。
けれどもそれはそれで後が面倒だ。それなら、と直哉はミツルをまじまじと観察することにした。
普通の会話をしながらずっとミツルの身体を熱の籠った視線で視つめた。
すらりと伸びたミツルの手足は綺麗だ。制服も夏服になり、肘が見えるようになってから目の毒である。そういう妙な色気がミツルにはあった。ミツルにある以上面立ちが似ていると云われる直哉にもそれはある筈だが生憎直哉には自分に欲情する趣味は無い。
他人の目線などどうでもいい。今はこの従弟であり最愛の弟であるミツルだった。
ミツルの扱いは難しい。直哉は自分がミツルに嫌われているとは微塵も感じないことから恐らくミツルに好かれてはいるのだろうと思う。
ミツルは人懐っこい性格の癖に実際は極度の人見知りだ。
誰にでもいい顔をする癖に自分の本音を洩らすのはごく一部で直哉はその中でも自分が最もミツルの深い部分に居ると確信していた。
そしてミツルの性格からしていつかミツルは自分の物になるのだと思っていた。
そもそも最初から直哉にとってミツルは自分の物だ。その魂は確実に直哉の弟なのだ。当然である。
直哉の価値観からすればそうあるべきものだった。なのにミツルは精神は直哉の物である癖に決して肉体を許さなかった。どういう理由か直哉にはわからなかったがミツルはそうと決めたら梃子でも動かない強情さがあった。だから焦ることなく放置して様子を見ている。
本来なら自然に肉体関係を結んだ流れになった筈であるのに二人の関係ががらりと変わったのは二年前だ。
二年前、当時十五歳だったミツルは直哉の通っていた大学の男と付き合っていた。
直哉からすれば取るに足らない男だ。けれどもミツルはその男と寝た。
女ならまだしも男と寝た。その事実を知った時、直哉は全身に怒りが奔るのを感じた。
自分以外の、女なら仕方ないと思ったものの相手は男だ。
まして直哉からすれば下賤である男に身体を赦した。
それを知った時、いっそミツルを最初に弟を殺した時のように殺そうかとさえ思った。
けれどもミツルを見た時に考えが変わった。直哉は冷静に、尚且つ情欲に身を焦がしながらそれに対処した。男と寝た所為でミツルの妙な色気が増した。
それならそれで自分好みにしてやろうと思ったのだ。
だから代わりにミツルと寝た男の方を処分した。
ミツルは気付いた筈だ。直哉が事故を起こすように細工したのだと気付いた筈だ。
けれどもミツルは全く取り乱さなかった。自分の情人が事故で意識不明になっても平然としていた。それを見た時に直哉は、その男がミツルにとってどうでもいい存在であるのだと理解した。寧ろ哂いが止まらなかったと云ってもいい。
ミツルのその無関心が愛しい。それに罪悪感を覚えないミツルが直哉は愛しかった。
手に入れたい罪深い弟、その魂も肉体も全て直哉の物である筈だ。
以降度々手を出そうとしてもミツルの中で直哉と寝ないことが決定しているのか未だに直哉はミツルとのセックスを果たせていない。
時間はいくらでもあるのだから焦ることは無かったが時としてこうして突然訪れるミツルに対しての衝動が抑えられないことがあった。
( 欲しい )ミツルが欲しいと心の底から直哉は思う。
多分もし先程ミツルが抜いている最中に直哉が風呂の扉を開けていたら、あと少し直哉が早ければ確実に直哉は風呂場でミツルを犯していた。
どんな抵抗があろうとも必ずそうしただろうと直哉は思う。
ミツルを前に欲情するなという方が不可能だ。これはもう直哉の性癖であったがミツルがミツルである以上直哉の弟であることに代わりは無い。
愛憎が隣り合わせのブラザーコンプレックスだ。直哉は弟にしか欲情しない。
あの長い真っ直ぐに伸びたすらりとした身体も、大人しい癖に噛み付くミツルの
奔放な気質も思慮深さも意思の固い目線も全て直哉好みだ。
想像の内でなら直哉はミツルをあらゆる方法で犯した。
外でも家でもありとあらゆるシチュエーションでミツルを犯し尽くした。
ベッドに縛り付けて、或いは道具を使って攻め立てて、魂だけでなく肉体の服従と奉仕を要求して、そして最後に己が欲しいと強請らせる。
厭らしくその綺麗な身体を開いて直哉を受け入れさせ、嬌声をあげ、直哉の名前だけを呼ぶ。
謝罪と愛と服従を直哉はミツルにいくらでも要求できた。勿論これは直哉の妄想だ。
妄想の内ではいくらでも出来たが、現実にはそうはいかない。
ミツルはミツルで性欲を他所で発散させたし直哉も直哉で他の誰かでその欲求を補った。
「くそ・・・」
今すぐしたい。あのミツルが此処で抜いたのかと思うともう我慢出来ない。
冷静な仮面を張り付けるミツルの表情の下にそんな欲望があるかと思うとたまらなかった。
しかし、実際はその機を逃して仕舞った。直哉はミツルと普通の会話を装い、ミツルもミツルで抜いたことなど微塵も感じさせず風呂場を出た。
直哉はミツルが脱衣所を出たことを確認してから結局、先程のミツルと同じく自分で処理することにした。ついさっきミツルは此処で自身を抜いたのだ。
―誰を想ってお前は抜いたんだ?と意地悪く胸の内で罵れば簡単に直哉も昇りつめた。


家を出る時にミツルは直哉の食事を簡単に用意した。
篤郎にも好評だったが喫茶店でバイトしていた時に習ったオムライスだ。
直哉も月に一度はミツルにリクエストをする。
ミツルは冷蔵庫の中を確認して、なんとか作れそうな具材を取り出すと手際良く手を動かした。
一連のミツルの動作は自然で無駄な物は一つも無い。
玉葱を刻みながら、直哉は気付いただろうか、とミツルは考える。
先程シャワーでミツルが直哉を想って抜いたことを気付いただろうか。
「あれは不味かったかな・・・」早計だったと、一人ごちながらミツルは器用に炒めた具を卵で包み手早く丸めた。
出来上がったオムライスを皿に盛って、あとは直哉の為に珈琲サーバーにドリッパーをセットしておく。それから風呂をあがったらしい直哉に一声かけバイトに向かったのだ。
そして冒頭に至る。バイトを終え、クラブの女性に聲をかけられながらもミツルは直哉のことを考えた。
「今日はどうしようかな・・・」
矢張り今夜も帰れそうになかった。


05:やりたいさせない
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