前回は散々だった。
あの後意識を失った明楽を直哉はベッドに放置して翌朝気付いてみれば殆ど裸のまま明楽は目を覚ましたのだ。
絶叫した後、直哉に大声を出すなと叱られて明楽としては散々である。
結局その後明楽の口から紡がれるあらゆる罵詈雑言を直哉は受け流し、引き籠りの明楽に直哉は学校へ行くことを承諾させて尚且つ来週から明楽は直哉のところでバイトをすることになった。決まるや否や直哉の行動は早い。さっさと明楽の両親に報告して確定させて仕舞う。その日の岬家の夕飯は寿司であった。父も母も優しかったのが余計に泣ける。父や母には云えなかったが明楽はあの後直ぐとにかくバイトの件だけは断った。でも昨夜のあれを・・・あの恥ずかしい出来事を盾にされると明楽は折れるしかない。脱引き籠りを祝う両親には悪いが直哉だけは明楽の鬼門である。
けれども駄目だ。直哉に周囲をがっちり固められて言質まで取られている。状況がどうであれ一度は行くと云ったのだし、また断ってあんなことをされたらたまったものでは無い。そういうところが直哉は陰険なのである。
それに明楽からすればあれは自分が直哉に火を点けたのだという自覚も無かった。
まったくその気が無かった直哉を明楽がその気にさせて仕舞ったとは思いもしなかったのである。
あれは明楽の感覚ではあれは、あの行為は直哉の嫌がらせである。マウンティングの問題だ。明楽はそれに負けた。
だから従うしかない。元より勝てる筈も無い従兄に挑んだ明楽も愚かだった。愚かだったがそれで再び、のこのこと直哉のところへやってくる明楽の学習能力と危機管理能力に直哉は内心喜びつつもやきもきもしていることには明楽はまったく気付かない。この天然で残念な頭の従弟がどうすれば来年の夏、封鎖で生き残れるように鍛えるか、が目下直哉の悩みの種であった。
とりあえず引き籠りがバイトの為に家から出るようになっただけでもまだマシと云えばそうだ。
両親は諸手を上げて喜んだし、明楽の学校には別でテストも受けさせた。とにかく明楽の社会復帰への道は繋がったのである。
元々明楽の行動パターンを把握する為に直哉はTDSというオンラインゲームを作った。明楽は知らないことだが、そもそも明楽の高校合格祝いにと明楽に贈られたパソコンを用意したのは直哉である。パソコンなら直哉の方が詳しいからと明楽の両親が直哉に頼んだのだ。そのくらい少し考えれば気付きそうなものなのに、全く明楽の頭はお気楽である。その明楽のパソコンだけに直哉は試験運用中のオンラインゲーム『トーキョーデビルサバイヴ』のヴァージョン1.1.2を仕込んだのだ。明楽がそれをプレイするかはわからなかったがとにかく直哉はそれを仕込んだ。そして明楽はゲームを起動した。だから名前の入力画面で『アベル』としか入力できなかった。元よりヴァージョン1.1.2は明楽の為に直哉が用意したものなのだ。それもこれも未来の為、そのシミュレーションの為であったが、まさか自分の作ったゲームで従弟がネトゲ廃人になるとは流石の直哉も想定外の事態であった。
つまりこの件は直哉なりに一応責任を取ろうとしているのである。明楽の嫌がり様を考えると限りなく報われない兄心であった。

「時給千二百円、昼から夜八時まで・・・」
うん、悪くない。
悪くないと明楽は思う。直哉のことだからタダ働きをさせられるかと思ったけれど意外にきっちりとした時給を示してきた。
千二百円だ。破格のバイト代である。
あの直哉のところに行くのかと思うと明楽は少々気が重くなったが、それでも魅力的な金額だ。
それにお小遣いはやっぱり欲しい。引き籠りでもお金はかかるのだ。主にネット通販とかで。
だから明楽は渋々ながらも青山の直哉の家でTDS運営のアルバイトをすることになった。
直哉は確かに鼻持ちならない陰険で嫌味で性悪な悪魔だ。考えただけで腹が立つことが多すぎて明楽の危機感が鈍っているのが最大の問題であったが、明楽としてはあんな変なことをされなければ実はちょっと楽しみだったりする。
何せバイトをするのは初めてだし、それもTDSの運営のアルバイトだ。
傍らで煙草に火を点けている直哉を無視して明楽は感嘆の息を漏らした。
「・・・ついに俺も運営側に・・・」
はあー!と明楽は息を漏らしいそいそと鞄から携帯電話を取り出した。
そしてカメラモードにして周囲を撮る。パシャと、明楽は部屋の真ん中にあるパソコンを撮影した。勿論TDSのロゴの撮影も忘れない。それからその写真をメールで添付した。

『件名:バイト先
本文:今日から俺の職場!』

宛先は勿論カインである。ちなみにここはカイン本人の家だ。
程無くして直哉の携帯が鳴った。もう直哉は何も言わない。
他に全く友達がいない明楽であった。やっていることがとても空しい。挙句そのカインこと直哉に前回酷いことをされたのをすっかり忘れて少々浮かれている大変おめでたい頭の持ち主である。
「・・・気は済んだか・・・」
やや呆れ気味に云う直哉を気にした風も無く明楽は頷いた。無邪気といえば無邪気、残念と云えば残念な従弟を叩き直す為に直哉は業務内容を説明する。
内容はこうだ。主に買い出しである。直哉が引き籠って仕事をしている間必要なものを買い出しに行ったり、届けに行ったり、ダイレクトメールを整理したり、珈琲を淹れたり、直哉の煙草の灰を棄てたり、だ。つまり雑用係である。
引き籠りの直哉の為だ仕方ないのである。しかし誓って云うが直哉は仕事の為に引き籠っているのであってネトゲ廃人だった明楽に『引き籠り』だと云われたくない。
内容は簡単であったが、これが意外に量が多い。暇な時はオンラインでTDSをしてもいいと云われていたが、案外休憩時間以外は暇が無かった。直哉に送られてくるメールや物理的な書類の量は多かったし、契約関係のものは疎かに出来ない。直哉の指示を仰がないといけないものも多いが直哉の手が空かないので適当に分類することになる。が、後であれはどうしただとかこれは何処へやったとか聞かれるので明楽は直ぐ様文房具屋に行って分類用のフォルダを用意する羽目になった。今までどうしていたのかの方が不思議である。それから買い出しやお遣いも多い。プログラマーと云うからには全部データで転送するものという印象があったがそうでも無いらしい。機密の都合や様々な理由で物理的に届ける物もあるのだ。そのお遣いがてら明楽は更に直哉の食事まで買い出しに行かなければいけなかった。といってもコンビニで冷麺買って来いだとかそういうことだから気にはならないが、慣れるころにはすっかり明楽はコンビニやスーパーの場所を覚えて仕舞った。最も煙草だけは明楽には買えないので直哉はカートンで大量に買っている。
それから直哉の雑多な部屋の掃除も明楽の仕事だ。
成程、時給千二百円なわけである。コンビニに寄れば明楽の好きなものも勝手に買っても良いと云われていたので職場環境は良かったが、それなりにハードなバイトであった。
直哉にしてみればダメ元で明楽の社会復帰の為に働かせてみれば、意外に明楽は頑張っている。
だから下手にからかって臍を曲げられても困るので、明楽の判断でさせることを優先した。失敗も多かったが致命的と云うほどでも無い。残念なのは明楽のお気楽なその頭の中身であって、頭の出来は悪くないことに直哉はやや安堵した。
そんなわけで、バイトは次の段階にシフトする。

「サーバーメンテナンス?」
「ああ、明後日実施する」
「知ってるけど・・・」
手が空いたので直哉は明楽に買って来させた冷麺を啜りながら説明をする。
「明後日の深夜二時から朝の八時まで全サーバーをメンテナンスする。その手伝いだ」
「へえ、なんか凄い・・・」
「外部サーバーも向こうの人間が常駐して一気にやるからな、お前もウチのサーバーの監視をしろ」

お泊りである。
しかもサーバーメンテナンスだ。深夜料金で時給を上乗せすると云われれば明楽は頷くしかない。
それに夜型の明楽にとってはそちらの方が都合が良い。
どうせ家に帰ってもTDSは出来ないし、それならサーバーメンテナンスに付き合った方が面白そうである。
危機感ゼロの明楽はそれにあっさり頷いた。お泊りの用意をいそいそとしたりしてパジャマを詰めたりとかしてちょっと楽しみにしたのだ。夏休み、余所の家で(直哉だけど)お泊り(バイトだけど)、ちょっと特別な気がして楽しみでならない。
それが自分の従兄の家なのが残念でならないが、友達のいない明楽にとってそれは一大イベントだった。
正に人生の一大イベントになるわけだけども、少なくともその時明楽は浮かれていたのだ。
直哉から支給されたバイト代で買った新しい鞄に荷物を詰めて下手すれば旅のしおりなんて作っちゃいそうな勢いで明楽は浮かれていた。
そして来る当日、明楽は終電で直哉の家に向かった。オフ会でこの性悪従兄に騙されたことをすっかり忘れて直哉のところに顔を出した。だってこれはバイトだし、仕事だ。妙なことがあるわけないと自信があった。
このバイトを始めてから直哉は明楽が居ても只管仕事に打ち込むだけであったし、そんなそぶりさえ無い。
あれが幻だったかと思えるくらいだ。
だから明楽は油断していた。
相手が肉食獣であることをすっかり失念していたのだ。

「サーバーメンテナンスって何するの?」
「特に大したことはしない。定期的にしていることだしな」
システムを走らせるだけだから簡単だと直哉が明楽に解説をする。
「エラーがあれば対処する、今回は監視強化のコマンドを入れる」
「ふうん・・・で、俺達何するの」
「何するって、決まってるだろ、続きだ」
「続きって?」
「わかってるだろ」
其処で明楽は嫌な予感がした。予感がしたので後ずさった。
後ずさった先は壁である。
「わかってるだろ?」
わかってるだろ?と直哉は云う。一体何をわかっているのか。じりじりと後ずさりして漸く明楽は嫌な予感が何なのか思い当った。この従兄と居ると嫌なことが多すぎて何が嫌な予感なのかが呆けてしまうのが最大の難点であり、危機管理能力の低い明楽であるから成せる技である。つまり直哉から云わせるとちょろい。
「いや・・・何が?」
「わからない振りをするか、案外誘い上手だな」
「さ、さそ・・・っ」
誘ってるわけが無い、そう云おうとするのに、明楽の口は直哉に塞がれた。
それはもうがっちりと塞がれた。
「んんーーー!」
もがく明楽をモノともせずに直哉は器用に舌で明楽の咥内を撫でまわす。
ねっとりとしたそれに明楽は目の奥がちかちかする気がした。
ぬるんとした舌が明楽の咥内をたっぷり動いて、明楽の舌が逃げれば直哉が追いかける。それに夢中になって明楽が逃げれば直哉が一層明楽を追い詰める。
傍から見ればまるで明楽と直哉が熱心にキスしているようにさえ見える構図だが当の明楽は必死で逃げていた。無駄だけど。
息が苦しくなって、直哉の肩を必死で叩いて、膝ががくがくとして下半身が重くなった頃にやっと直哉は明楽を解放した。
「・・・っぷは!なに・・・すんだよ・・・!」
「何って続きだろ」
「いやしないから!無いから!そういうの無しだから!」
仕事しろよと明楽が直哉を押し返せば直哉はやっぱり勝ち誇った顔で明楽を見下ろしている。
「問題ない、俺を誰だと思ってる?岬 直哉だぞ」
偉そうに云うのがこの従兄だ。
ドヤ顔で云う癖に様になるのが直哉だ。
だから明楽はこの従兄が嫌いだ。
嫌いなのに今明楽はその従兄に、直哉に壁際で両手を押さえられて、足の間に直哉が入ってきて、その吃驚するほど腹の立つ綺麗な顔が明楽に近付いて・・・。
もう一度キスされた頃にやっと明楽はこのサーバーメンテナンスの目的が、これだったと知るのだった。


05:メンテナンスは
深夜二時から
朝の八時まで。
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