誰かが胸を刺す。
哂いながら或いは悲痛な顔をしながら
誰かはわからないけれど、刺し続けるのだ。
( だから俺は生きていてはいけない )
その夢がある限り、罪の意識が、
痛烈に自分は生きていてはいけないと思うのだ。
自分が生きていることは罪である。
でなければ幼いころからこれほどリアルに、
これほど痛烈に、こんな夢を見たりはしない。
夢だとわかっていても酷くリアルなそれは
終(つい)にとって現実だった。
刺したのが誰かはわからない。
でも自分は刺されている。
多分そう、とても大切だったひとなのだ。
大切だった誰かに刺され殺される。
何百回と刺され自分が死ぬ夢ばかりを見た。
だから自分が死ぬことは当然だと思えるのだ。

( 生きていることの方が不自然だ、 )

生きていてはいけない。
終はそう毎日思い乍らそれでも、兄であり、終を引き取り育てた
唯一の家族である直哉と、篤郎や柚子という優しい友人たちに生かされてきた。
死なせて欲しいとは云えなかった。彼等はいつも懸命に終に
生きることの素晴らしさを説いてみせた。
花が美しく咲くことの素晴らしさ、生きることに対しての
優しいけれども強い姿勢を、終には理解できないことだったけれどそれでも
それが好意に満ちていて、彼等はそんな終を、
死にたがるどうしようもない己をそれでも愛していてくれるのだと
わかっているから、終は辛うじて此処に立っている。
けれどももう限界だった。
日に日に世界は疲弊し、色褪せ、終を死に誘う。
直哉だ。
直哉は終をベルの王位争いに立てた。
ベル・デルを倒した段階でベルの王位争いは避けられない事態になった。
( この為に直哉は俺を生かした )
これは確信だ。朧だった輪郭が克明に姿を現す。
直哉はあの三日目の晩、終の傍に立った。
熱に浮かされながらもそれが直哉であると終は悟った。
終に死なれて困るのは直哉なのだ。
終の思っている通りなら、終がベルの王になることが大事なのだろう。
利用されている、篤郎は時折そんな言葉を漏らした。
直哉が何を考えているのかわからないと、信用していいのかどうか
躊躇している風にも見えた。
けれども終はどちらでも構わないと思う。
直哉が終をベルの王にして何かを成したいというならそれもいいと思う。
元々直哉が見つけなければ無かった命だ。
あの冬の薄暗いアパートの畳の上で餓死する筈の終を見つけ、
生きる場所を与えたのは直哉だ。
だから直哉の好きにすればいい。
直哉はこの五年と少し、可能な限り終を生かすための環境を整え、
壊れた時計を根気よく治すように、懸命に終という人間を世話した。
その代償がこれならそれでもいいと思う。
眼の前には直哉だ。
この何日か探し続けて逃げるように、或いは導くように姿を見せた直哉だった。
七日目を迎えそれが審判であると終は悟った。
息をゆっくり吸ってから吐き出す。
そして言葉を出す。
ずっと云おうと思っていたその言葉を。
( 噫、これでやっと )
云えなかったその言葉を紡ぎ出す。
( やっと終われる )

「多分、俺は最初から知っていたんだ」
直哉が自分を、あの昔住んでいたアパートで、
あの畳の部屋で、微かに息をして死を待つだけの終を
「アベル、と呼んだ」
終が聴いていると、まして死にかけでまだ子供だ、
直哉は幼い終が覚えているわけが無いと思ってる。
でも覚えてる、直哉の言葉は皆覚えてる。
何一つ忘れることなんて出来るわけがない。
( この世で直哉だけが俺を必要としてくれたから )
本当は多分最初からそんな気がしていた。
「ベルの王、アベル、そういうことなんだろう」


「制すれば終わると思うから」
直哉に伝えれば直哉は意外そうな顔をした。
「何故だ」
直哉の綺麗な顔は一瞬顰められ、そして難しく考え込むような仕草をした。
耐えれるかどうか直哉にとっても賭けだったのだろうと思う。
だからこそ、だ。
終はこの賭けにどうにか王手をかけたのだ。
なのに直哉は素直に喜ぶような表情を見せなかった。
それが意外だった。
柚子は去って仕舞った。
終は、それでいいのだと思う。
せめて優しい柚子が生き残れる世界にはなればいいと思う。
そして
「終わりにしたいんだ、直哉」

これで終わる、
そうだろう?直哉、
俺はアベルになり全部終わらせられるんだ。
そう思うと胸が少し軽くなった。


08:君が苦痛と云うのなら

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