「最初はね、囲われているんだと思ってたんだ」
終(つい)の言葉に篤郎は聲を挙げた。
「へ?」
今日は篤郎がいつも通り泊まりだ。
週の半分以上この来島の家に居るのだから当たり前の光景だった。
「何だって?」と、もう一度篤郎は聲を挙げる。
後ろでパスタを茹でていた直哉がその遣り取りに顔を顰めた。
「酷いな、それ」
怒っていると云うよりはどちらかというと直哉が終を
揶揄っているという風な表情だった。
「だって七つも歳が違った従兄だって云ってもわからないでしょう?」
「母は行方不明だし、父は蒸発した後どうも亡くなったみたいだし、」
組織内の抗争で、と終は物騒な言葉を続けた。
あまり雄弁な方では無かったがこうして時折過去の話をする時、
終は饒舌になった。
「それでね、直哉のあの容姿でしょう?」
確かに直哉の容姿は特殊だ。
篤郎でさえ、最初は何処か外国の人だと思ったくらいだ。
けれども終と直哉が従兄弟というのは頷ける。
どちらも人並み外れて美形だからだ。
否、美形というのは少し違うかもしれない。
二人ともとても綺麗な造作をしていた。
男に綺麗という言葉は変だけれどそれ以外の言葉が篤郎には
見つからないほど恐ろしく整った容姿をしている。
「突然現れて、従兄弟だって云われて、信じられる?」
終は楽しそうに話す。
直哉は呆れたようにパスタを寄りわけ、篤郎に愚痴を零した。
「酷い話だろ、本当に云ったんだ、」
「云ったって何をですか?」
篤郎が直哉に問えば、終が噴き出した。
「俺を囲ってどうするんですか?って、」
失礼な話だ、従兄が助けに来たっていうのに、
と茶化すように直哉が云えばいよいよ終は笑いだした。
それがあまりにも穏やかで、幸せな風景に在って、篤郎は嬉しくなる。
胸が熱くなった。
終、優しい、終、
終に直哉という従兄が居て良かったと思う。
本当に、でなければ終は死んでいた、
失われて仕舞っていた。
たった十二歳で死ぬなんて、終のような存在が失われるなんて、
そんなのとてもじゃないけれど耐えれない。
そんなの悲しすぎる。
「囲ってなくてよかったじゃん」
直哉は終を引き取って育てたのだ。
十九で引き取ったと云うのだからその苦労は並々ならぬものであると思う。
篤郎がそう云えば、終はいやいや、と言葉を続ける。
「今だって対して変わらないよ、」
「俺がお前を囲ってるのか?」
そう、と終は笑った。
「だって世話をして、ご飯を作って、バイクで送り迎えして、」
「どっちかっていうと母親だな」
「云えてる」
思わず篤郎も笑って仕舞った。終も楽しそうに微笑んでいる。
「でも働いて俺を食べさせて学校にも行かせてる」
「じゃあお父さんだ」
「直哉はどっちがいい?」
「それは何か?母と呼ばれるのがいいのか父と呼ばれたいのか、ということか?」
そう、と笑いながら云えば、直哉はトングを持っていた手を止めて、
それからにやりと笑った。
「じゃあ囲ってるでもいいさ、母親や父親と呼ばれるよりはマシだな」
茶化せば、終は「嘘、うそ、」と言葉を足した。
「直哉は俺の優しい兄さんだよ」
直哉はふう、と息を吐いてから人当たりの良い笑みを浮かべ、
添え付けの棚から皿を取り出した。
「床を片付けろ、優しい兄が夕飯を食べさせてやる」
はあい、と篤郎と終が返事をして直哉を手伝った。
夕食はイカとアスパラのパスタと海藻のサラダ、簡単に出来るものばかりだが
直哉の作るものは美味しい。今もパスタに入っているニンニクとバターの香りが
ほどよく篤郎の胃袋を刺激した。
器用なひとだ、と思う。
直哉はこうして男の料理みたいな手早くできるものをさっと作れる。
そういったさり気無い仕草のひとつひとつが、篤郎にとって憧れであった。
普段は少食の終もその日は機嫌が良かったのかいつもよりよく食べた。

しかし安定した状態は長くは続かない。
状態が良ければ終は非常に安定しているのだ。
けれども一度それが崩れれば一気に駄目になる。
週明け、篤郎が家に帰り、直哉と二人だけの生活に戻り直ぐのことだった。
がた、と背後で音がする。
慌てて振り返れば終が床に倒れていた。
ベッドから慌てて起き上ったのだろう、
辛いのか床に頭を伏せている。
「終、」
咄嗟に駆け寄って背中を支えれば終は苦しそうに
ひゅうひゅうと浅い呼吸を繰り返す。
触れた背中にはびっしょりと寝汗がついていた。
「また夢か」
まともに答えることも出来ないであろう終がどうにか微かに頷いた。
夢だ。
また、あの夢。
最近は頻度が上がっている。
以前までなら精々月に一、二度だった。
先月に入ってからそれが週一回になり、
先週には週の半分以上、そして今週になってからはもう毎日だった。
約束の日は、審判が開始するのは目前だ。
それに反応してアベルの死の夢が頻繁に出ているのかもしれない。
ペットボトルの水を与えて漸く終の意識がはっきりしてきた。
「生きていてはいけない」
繰り返すように云う。
まるで呪いのように、
かつてお前を刺し殺し、土に埋めたのは己だとは云えない。
終はアベルに恐ろしく似ていた。
アベルに成れるのは終しかいないと確信させる程に
終はアベルであった。

焦る、直哉は焦りを感じていた。
終は駄目かもしれない、無理なのかもしれない。
彼は来る七日間を越えられないかもしれない。
しかし、と直哉は手に力を込めた。
これだけは、どうしても果たさなければならない。
アベルを手にする。
アベルを手にするのだ。
もう一度、失ってしまったあの弟を、
カインであった己が神から奪った筈なのに神は
アベルを己の手の届かぬ場所へと、アベルの魂を引き裂いて
愚かにも人の因子に加えて仕舞った。
振り返れば無数のアベル、アベル、アベルの記憶すら持たない出来損ない達、
けれどもかつての弟と同じアベルの魂に囲まれ、己は時に発狂しそうなほど弟を求めた。
手にした筈なのだ。
なのに奪われた。
だからこそ神に復讐する。
アベルの魂を持つ者のひとりをベルの王にし、今度こそ世界中に散らばった
アベルの魂をひとつにして本当のアベルを造り出す。
そしてそのアベルが神を打ち滅ぼすのだ。
それこそが己の望みであった。
数多の時を経て機会を伺っていた悲願とも云える。
もう一度、
もう一度失った本当の弟をこの手にするのだと疑っていなかった。

終は特別だ。
終はカインである直哉がこの何千何万という時間で
初めて遭遇したアベルそのものだった。
容姿も、聲もそしてその仕草でさえ、アベルそのものかと疑うほどに
限りなくアベルに近い。それ故に、アベルの死の記憶に苛まれる哀れな弟だった。
だからこそ直哉は必死に終を生かし、終はその都度終わらせたがる、
しかしアベルになればそんな柵から解放されるのだ。
苦しみから解放される筈だ。
そして彼は完全にアベルに成る。アベルに成った終は
もう一度、この兄を、兄である直哉を、否、カインをその静かで穏やかな聲で呼ぶのだ。
その為の大事な終だった。

「大丈夫だ、心配無い、直ぐに憂いは晴れる」

終を抱きしめ、直哉は云う。
終は苦しそうに眉を顰めた。
それでも腕に閉じ込めた弟を直哉は離さない。
終の為にも彼を、彼こそをベルの王にしなければならない。
その為に翔門会を利用し、悪魔召喚プログラムを完成させた。
全ては終をアベルにする為なのだ。
「俺がお前を解放してやる」
それがアベルにとって、終にとって枷かどうかなどどうでも良かったのだ。


05:貴方の為だと
縋りつく

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