家は慎重に選んだ。
終(つい)からは目が離せない。
ずっと直哉の手元に置いていては終はベルの王に成る前に死ぬだろう。
だからこそ篤郎や柚子が必要だった。
エレベーターは無いが二階にちょうど良い物件を見つけそこに住んだ。
黒いドアを開けるとコンクリートの打ちっぱなしの部屋、
部屋の半分以上を占める大きな窓、外は一階の植え込みの竹で隠されていて適度に光が入り
それがちょうど良いブラインドになっている。
広い部屋が一部屋だけでキッチンもベッドもみんな同じ場所、
バスルームでさえ付いていた筈のドアを取り払い、見渡せる。
流石にトイレのドアだけは一応来客のことも考えて外さなかったが
それでも鍵は外した。
玄関のドアを開ければほとんど部屋の全てを見渡せる部屋だった。
部屋中のいたるところに監視カメラを設置したのは直哉だ。
プライバシーも何も無いといえばそうだが、それも仕方無い。
基本的に終だけを追うシステムにしたので篤郎や柚子にもその点は了承して貰っている。
それを青山の仕事場にリアルタイムで流して、終の状態を確認するのが直哉の日常だった。
それが異常であるというのは理解している。
しかし終という特殊な存在を損なわない為にどうしても必要だった。
一番良いのは家で仕事をすることだったがそれは出来ない。

仕事場を分けたのは終の所為だ。
直哉とて家で仕事が出来るのならそれに越したことは無い。
今は篤郎や柚子がついていてくれるが
目を離したら終はもう何度目になるのか、
飽くほど繰り返しなんとか未遂に終わらせていた
自殺を果たしてしまうだろう。
それだけは避けなければならない。
かつてなく『彼』の死の記憶を色濃く受け継いだ弟は死にたがるだろう。
生が苦痛でしかないと、肩を慄わせ、何故自分が死ななければ
いけないのかわからないまま死のうとするのだ。
だからこそ離れられなかった。
しかし、終は賢すぎる、直哉が仕事を家に持ち込んで
作業をすればそれにロックをかけていたとしても
たちどころにパスワードを突破し、直哉の成そうとしていることを
悟って仕舞う。だからこそ家に翔門会絡みの仕事は持ち込めなかった。

「終、食事は?」
「いらない」
「作るから食べろ」

これでも機嫌がいい時は一緒にパスタくらい作るのだが今日は駄目らしかった。
包丁や鋏の類は家に無い。
刃物の一切は直哉が必要な時に持ち込むようにしている。
終の自傷癖の所為だ。
フォークや箸でさえ直哉が同席した時で無い限り使わせなかった。
簡単に冷凍していたご飯を解凍し手早くお握りを作る。
炙った海苔を巻き、皿に乗せる。
卵を溶き出汁を混ぜてフライパンに薄く油を引いた上に流し込む。
くるくると器用に丸めれば綺麗に出汁巻き卵になった。
後は簡単に味噌汁を作り、買ってきた鯵の干物を焼く、
質素で簡単であったが食の細い弟には多いだろう。
弟は普通の一食すら食べきらない。
反面直哉はよく食べる方だ。
篤郎から見れば常に何か食べているらしいのだがそれもあながち否定は出来ない。
篤郎はパソコンの画面にキーを打ち込んでプログラミングをしている直哉しか
見ていないから、直哉が常に食べっ放しで仕事をしている風に見えるらしかった。
しかし篤郎のいないところで直哉は己に適度な筋肉トレーニングを課している。
来るべき日の為にいざ体力が無くては始まらない。
己を鍛えることを直哉は決して怠らなかった。
無駄な脂肪はつけない。計算した通りの筋肉をつける。
バランスの良い食事と可能な限り規則正しい生活、これが己に課したルールだ。
出来あがった食事を床に並べ、(来島家には食卓は置かなかった。床に直に座って
食事をするのが習慣である。)胡坐をかいて食事をする。
終を促し、どうしても食べたくないと云うので
お握りをひとつ完食することを約束させた。
もそもそと終が直哉の握ったお握りをゆっくり口に運ぶ。
それを確認してから直哉は己の食事を進めた。

程なくして眠った終を見遣りながら今後のことを考える。
後三ヶ月も無い。
この弟は果たして生き残れるのだろうか。
千年に一度、折角の好機だというのに、
今回ばかりは駄目かもしれない、
直哉は眠る弟を前に漠然と思った。
自殺未遂を繰り返す賢い弟。
その都度薬を飲ませ、或いは点滴を打ち、
それでも駄目な時は伝手の医師の元へ連れて行く。
その繰り返しだ。
弟を操るどころか、どうすれば生かせるのか、そればかりで
今度ばかりはもう駄目かもしれない。
半ば諦めにも似た苦い感情に呑まれながらも
僅かでも望みがあるのなら賭けないわけにはいかないのも事実だった。

不意に終と寝ることを考える。
薄く呼吸する終の瞼は固く閉じられたままだ。
まるで ― 形容するのも腹立たしいが ― 神の造った造形の如く美しい。
悪くない。出来ないことは無い。
寧ろ己は弟と性的な交わりを望んでいる節がある。
しかし、と直哉は頭を振った。
今、終と交われば、終は死ぬだろう。
羽を毟られた蝶のように醜く地面に墜落して死んで仕舞う。
他と交わって生きていけるほど終は強くない。
今にも折れて消えてしまいそうな儚い弟に歯がゆささえ覚える。
傍らの終は死んでいるように目を閉じていた。


04:まるで清浄な場所でしか生きられないように

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