初めて終(つい)を見たとき、
直哉は「アベル、」と言葉を漏らした。
それ以外に言葉は見つからなかった。
終は非常に頭のいい子供だった。
直哉と一度でも対峙したことのある者なら
必ずと云っていいほど直哉に畏怖の念を覚えるか天才と称賛するかの
どちらかであったが、直哉は己が生まれながらにしての天才では無いと知っている。
己の知識は遥か昔から引き継いできたものであり、それが直哉を天才たらしめているの
だと理解している。しかし終は違った。
本当の意味での天才であると真っ先に終を理解したのは直哉の方だった。
終の状態が良い時に何かプログラムでも構築させれば終はまるで水を得た魚のように
活き活きと新しいものを作り出す、直哉ですら考えなかったものを
違った角度で示してみせる、終は直哉が初めて遭遇した種の天才であった。
故に直哉は弟の才能を愛したし、終に何かを作らせるという行為を好んでもいる。
健常な時の弟と突然死にたがる弟、この二つを内包しながらもなんとか
彼を地に足を立たせるのが直哉の仕事とも云えた。
完全な人間は残念ながら存在しない。
神が不完全であるように人も不完全だ。
故に終の才能とその真逆とも云える性質は仕方無いとも云えた。
最早これは何年も続く病故に、仕方無いと諦めている。
「夢を見るんだ」
「いつもの夢」
夢の中は決まって赤と黒、
胸を貫かれる夢、
もう何度と、物心付いた頃からずっと弟の夢はこの夢で始まり、この夢で終わっている。
何度も何度も刺され胸からどくどくと血が流れ、地面に倒れ臥す。
そしてひゅうひゅうと喉を鳴らしながら最期に決まって彼の大切だった誰かの
姿を見るのだと云う。
「生きていては不可(いけ)ない」
「・・・」
「俺は、生きてはいけないんだ」
強烈に残った記憶、兄に刺殺されるその瞬間をリピート再生し続ける魂は
悪夢では無いだろうか、夢の話に直哉はいつも何か言おうとして
結局口を閉じる。何も憶えてはいない弟に何を告げれるというのだろうか。
憶えていないのなら最初から全て忘れていればいいものを、
彼はこうして時に自分に、つまり直哉に都合の悪いことばかりを覚えている。
それはかつての『彼』とそっくりで、それが直哉を無意識に責めているようで
いつも居心地が悪い。
仲が良かった。愛していた。
何者にも替え難いほど自分たちはひとつであり、全てであった。
今でも愛している。愛する者の名を挙げるなら『彼』しか挙げられない。
何千何万とどれほど時を渡ろうとも『彼』の記憶はいつだって鮮明に
思い出せる。人の良さそうな曖昧な微笑み、何かに耐える時ですら笑っていた。
時折悪戯をする子供のような仕草、賢く才能に満ち、しなやかに伸びた体躯、
朗々と響かせる優しく静かな聲と囁き、少し癖のある髪、決して色褪せない青い瞳、
その死は己自身がもたらしたものであり、それを後悔してはいない。
してはいない筈だ。『彼』は己のみのものである筈だ。
そうでなければならない。神にも誰にも奪わせない。愛も、それと同等の憎しみも
『彼』は負うべきであったのだ。例えそれで『罰』を受け、永劫を彷徨うことになっても、
それでも『彼』を神から奪った事実だけは変えられない。
何度も死に、何度も生まれ、何度もその魂の欠片を持つ『彼』では無い、
もはや神によって切り刻まれ分断された『彼』は彼ですらない。
時に発狂しそうな程の飢餓感を覚えながらも直哉はそれでも時を渡り、
『彼』の魂の欠片に囲まれながら時にそれらを愛し、時にまた殺し、
幾度かの神への復讐の好機を逃しながらも生きてきた。
全てが替わりの道具であり、オリジナルである『彼』以外は直哉にとって只の人形である。
しかし、今度は違った。
終だ。
終だけは違った。
終は恐らく今までの誰よりも『彼』に似ている。
容姿も、聲も、その性質も『彼』そのものと云えた。
最初見た時は何かの冗談かと我が目を疑ったほどだ。
或いは悪趣味な神のジョーク、そんな風にさえ見えた。
だからこそ終は直哉の精神を酷く揺さぶる。
その都度、直哉は苦い何かを噛みしめながらこの何も知らぬ可哀相な弟を
見守るしか無かった。
死ななければならないのだと弟は云った。
それはお前の魂の最期の記憶なのだとは云えなかった。
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