『今から時間ある?』

突然そんな連絡が入った。
清夏が青山から帰路に着いた矢先のことだ。
駅に入る前だったので場所を告げると直ぐに電話が鳴って、迎えに来るからそのまま表参道で待っていてと云われた。
間口だ。ゴールデンウィークに一緒に出掛けた時にそういえば携帯の番号とメールアドレスを交換していた。
あれから間口は店に来なかったし、清夏も一度だけ申し訳なくて、具合どうですか?とメールをしたのだが、直哉が関わるなと云った所為か殴られたのが原因か間口からの連絡は無かった。
だから驚いたのだ。しかも唐突に、今このタイミングで。
それでも誰かに会いたい気分だった。
一人だと泣いてしまうかもしれなくて、そして本当にタイミング良く間口は清夏に連絡を寄越したのだ。

「久しぶり、清夏ちゃん」
今日は赤のマセラティでは無い。白のフェラーリだ。それに濃赤のスーツ。思わず清夏の腰が引けてしまうけれども逆にそんな間口の莫迦莫迦しさが清夏の気分を楽にさせた。
「お久しぶりです、間口さん」
清夏は薦められるままに助手席に座り、間口を見た。
久しぶりに会う間口の頬は勿論腫れていない。
あの時あれほどの衝撃で直哉に殴られたのだから、大丈夫だろうかと思っていたが間口の態度を見る限り本人は気にしていないようだった。
「ごめんね、急に清夏ちゃんに会いたくなってさ」
「いえ、俺もちょうど誰かに会いたい気分だったんで・・・」
「それは良かった、じゃあちょっと僕に付き合ってよ、それともバイト入ってる?」
「今日はお休みです」
良かった、と間口がもう一度呟き「じゃあ、」と言葉を付け足した。
「とびっきりのデートコースへ案内するよ、実はもうレストランは予約しててね」
「間口さんそれで俺が捉まらなかったらどうするんです?」
思わず清夏が問えば、間口は悪戯っぽく顔を歪めてアクセルを踏み込んだ。
「そりゃあ、寂しい独り身としては嘆きながら空いた席を見つめるくらいしかできないねぇ」
おどけて云う間口に清夏は思わず笑って仕舞った。
「その前に、服なんとかしないとね、制服じゃちょっと、現役男子高校生を連れまわすのは浪漫があるけど、まずいかなぁ・・・」
「あ、すみません、家に帰ります」
「いいよ」
いいよ、と間口は云う。
「折角、表参道に来たんだから買っちゃおう」
もし自分が女の子だったらぐらついて仕舞うような大人の男の誘い方だった。


「なんか、すみません・・・沢山買ってもらって・・・」
普段なら到底お世話になりそうにない店に清夏を連れた間口はどんどん入っていって、挙句の果てにこれもいいだの、あれもいいだのと店員の人と話しだして、何軒か行って終わるころには清夏の手には十個以上の袋があった。
値段を途中から見るのが怖くなって清夏は云われるままに間口の用意した服に着替えた。勿論黄色のスーツやラメのシャツは遠慮した。
「いいの、いいの気にしなくて、お金の心配はしないでよ、好きでやってるから」
「でも・・・」
「何度も云ったろう?遠慮されるとこっちが申し訳なくなっちゃう、もし悪いと思うなら今度清夏ちゃんが店でウイスキーでも奢ってくれたらそれで充分」
「じゃあボトル用意しときます」
清夏が云えば間口が笑った。
「清夏ちゃんって本当いい子だよねー同じ遺伝子とは思えないくらい」
「同じ遺伝子?」
「いやいや、まあこっちの話なんだけど、あ、此処予約したレストランだから」
車を駐車場に停めて降りてみれば如何にもという雰囲気の隠れ家のような日本家屋に小さく看板が出ている。
「和食は嫌い?此処は洋食も出すから大丈夫だよ」
「いえ、そういうわけではないんですけど、間口さんって色んなお店知ってますよね」
「まあ仕事柄詳しいね、そういうのも偶には役に立つよ」
「役に立つ?」
「そう、」
間口はバチン、と清夏にウインクをしてみせる。この業とらしい仕草も様になるからなんとなく清夏は笑って仕舞った。

「例えば可愛い男子高生とのデートとか、ね」

通された部屋は個室だ。
予めメニューも予約していたようで手際良く食事が運ばれてくる。間口の云う通り洋食も出してくれて、思ったよりも畏まっておらず清夏は料理に舌鼓を打ちながら間口との会話を楽しんだ。
「この間はすみません、兄があんな仕打ち・・・」
「ああ、殴られたこと?気にしないで、清夏ちゃんの所為じゃない」
清夏の所為では無いとあっさり云う間口に清夏は首を傾げる。
「あの、それどういう意味で・・・」
「それより、」
それよりと話題を区切られる。これ以上訊くのは駄目な気がして清夏は口を噤んだ。
「ごめんね、折角メールを送ってくれたのに返事もしないで・・・」
「いえ、気にしないでください、こちらこそすみませんでした」
「ちょうどね、出張でちょっと日本を離れていたから、それで昨日帰国したんだ」
「そうなんですか?お仕事ってインテリアの・・・」
「そう、君のお母さんと同じようなことをしてるから、」
「ああ、母も忙しくて滅多に会いませんから・・・」
そんな普通のことを間口と話す。話す合間にもどんどん料理が運ばれてきて、間口は時々ふざけたことを云って清夏を笑わせた。
あんなに落ち込んでいたのが嘘のように、清夏は笑った。
だから清夏は間口が少し羨ましい。そういうのって清夏が成りたい大人の男だ。
間口はそういう意味で、服装や持ち物こそ派手だったけれど、人に対して上手く距離を取れる大人だった。
少なくとも清夏から見ればずっと大人だ。
もし自分が大人だったら、大人だったら直哉のことももっと上手くできたのだろうかと清夏は思う。
こんな風に変な感じにならずに、もし清夏が直哉と同い年でなくてもせめて二十歳くらいだったらもっと上手くできたのだろうか。
駄目なのは自分がまだ子供で十七歳だからだろうか、それとも直哉は今度こそ清夏を見限ったのか。
そんなことをつらつら考えているうちに食事が終わり、間口は途中会計の時に仕事の連絡でもあるのか電話をしに席を外した。それからドライブしようと誘われ清夏は再び間口の車の助手席に座った。

「清夏ちゃんさ、なんか困ってるでしょ」
「え?」
信号は赤では無い。けれども間口は走っていた車を道端に停めて、突然問うた。
「困ってること、あるデショ」
間口はスーツの内ポケットから煙草を取出し窓を少し開けてライターで火を点けた。
「ごめん、煙草嫌い?」
「いえ、大丈夫です、バイトも吸う人ばっかりだし、直哉だって・・・」
そう直哉も煙草を吸う。思えば間口は清夏の間では一度も吸わなかった。
けれどもこうして車を停めてわざわざ煙草を吸ったのは清夏が云い出すのを待っているのだ。
そういうところも見透かされている。
「そんなに・・・わかりやすいですか、ね・・・」
「少し落ち込んでいるように見えたからね」
「間口さんって本当、そういうの凄いですよね、今日だって、凄いタイミングだし・・・俺女だったら惚れちゃいそう」
「寧ろ惚れて欲しいんだけど、まあそれは後で、それでどうしたの?お兄さんと何かあった?」
「まあ、有体に云えば・・・」
つい、零して仕舞った。誰にも云うつもりは無かった。
だってこんなの恥ずかしいし、変だ。
直哉がキスしてくる癖があって、それが酔った時限定で、だから酔っ払いの悪癖だと思っていた。けれどもあの日間口と食事に行った日、直哉が間口を殴った日に、直哉は素面でそれをした。凄く怒っていて、凄く怖くて、見たことも無いくらいこわくて、そして直哉はそれ以上をしようとした。
怖かった。とても怖かったし驚いた。
「なのに、それが嫌だとも思ってなくて、厭なのは無理にしようとしたことで、でも俺と直哉は従兄弟で兄弟で、それに男同士だ・・・そんなこと考えたこともないし、訊くのも怖い、どっちにしたって俺はこわいんだ・・・これって変ですよね」
ぽつりぽつりと漏らす清夏の言葉に間口は暑いのかジャケットを脱ぎ、少しだけネクタイを緩めて、それからシャツの袖を捲ってからクーラーの温度を少し下げた。
煙草の煙はゆっくりと少しだけ開いた窓に吸い込まれていく。
「変じゃない」
変じゃない、といつに無く真剣な声で間口が云う。
半分だけ降りた前髪を少しだけ手で上にあげる仕草がなんとも云えない雰囲気で恰好良かった。
「僕はそれがおかしいとは思わない、要するにさ、清夏ちゃんはお兄さんの直哉クンが好きなわけだ」
「それは・・・ちょっと・・・」
はっきり云われると困る。そんなの困る。
確かにそうだ。そうなのだ。清夏は直哉が好きだ。好きなのだろうと思う。
確かに女の子とも付き合った、それなりに好きになったつもりだし、そういうものだと思っていた。
でも直哉へのそれは違う。明らかにそれは兄弟のそれでは無い。云うなればこれは『恋』だ。
清夏は生まれて初めて恋を自覚した。そしてそれをどうしていいのかわからない。
困惑と絶望と不安。そればかりだ。
そして直哉は今清夏を拒絶している。何の説明も無しに捨て置かれて清夏は混乱するばかりで直哉がわからない。
どうしていいのか清夏には一つもわからないのだ。
「それでお兄さんが『何を思って』いるのか清夏ちゃんに冷たい態度を取って、そりゃあ清夏ちゃん落ち込むよ、僕だってそうされたら傷つくなぁ」
「・・・・・・直哉から離れた方がいいのかな」
「まあ、それを決めるのは清夏ちゃんだし、僕が口出すべきことじゃない。でも・・・そういう話に便乗するようで悪いんだけどさ、実は僕は結構そういう意味で君と付き合いたいと思ってるんだけど・・・どうかな?」
「え?」
思わぬ言葉に清夏が顔を上げた。間口は両手を上げて清夏に釈明する。
「誓っていうけれど君が望むなら不埒なことはしない」
「ええと・・・その・・・」
「正直ずっと『君』には興味があったからね、我慢できずに会いに行ったのが本音なんだ。でも正直悪くなかった。君は僕の好みだ。わりと普段はそれなりに遊んでいる方だからね、清夏ちゃんから見たら信用無い大人かもしれないけれど、結構本気なんだよ、君には誠実に接しているつもりだ」
間口の言葉に嘘は見えない。けれども清夏にとっては想像もしていなかったことだ。
こういうところが抜けていると時折篤郎や、柚子や直哉に云われる原因なのかもしれない。
「その・・・いろんなことが一気にあったんで、ちょっとそういうのまだ上手く考えられなくて・・・」
しどろもどろ清夏が云えば間口はあっさり、構わない、と云う。
考えてくれるだけでいいと。
「・・・待つよ、君が答えを出すまで。何年、『何百年』でもね。君にはフェアでありたいし、それなりに敬意もある。別に気が変わっても僕と君はこうして友人であるわけだし、そうだろう?」
友人だと云われると清夏は弱い。この年上の何を考えているかわからない間口という男が清夏は嫌いではないのだ。
もし自分が女だったら、間違いなく間口と付き合っただろうとも思う。でも現実はそうじゃない。清夏は男で、子供で、そしてそれでも清夏の頭に浮かぶのはいつだってあの年の離れた従兄であった。

「清夏!」
どん、と突然車の窓を叩かれて、清夏は顔を上げる。
そんな莫迦な、だって此処に居る筈が無い。
此処に居る筈が、無い。

「・・・直哉・・・」

嘘、思わず清夏がドアを開ければ直哉に腕を引っ張られた。
どういうことだと咄嗟に運転席の間口を振り返れば間口は携帯を手に運転席から外に出て手を上げて見せた。
「ヤッホー、ナオヤくん」
さも旧知の友に会ったという風な間口の態度に清夏は背後の直哉を見る。
「知り合いだったの?」
「もう二千年来くらいかなー(笑)」
「え?にせん・・・って、え?」
直哉は間口の言葉を無視して清夏を引き寄せる。有無を云わさない直哉のその動作に清夏は混乱した。
それも当然だ。どういうことだ?何故直哉が此処に?どうして?清夏には訳がわからない。けれども二人の遣り取りを見て間口と直哉はどうやら知り合いであるらしいということを漸く清夏は悟った。
道理であの時直哉は間口を殴った筈だ。そして間口はそれに怒らない筈なのだ。二人が知り合いであるとするならそれは頷ける。
「清夏、そいつから離れろ」
ぎゅう、と思わぬ強さで直哉に抱き締められて清夏は動揺した。
だって、こんなの変だ。おかしい。
直哉はさっき青山に行った時は忙しいから帰れと、冷たかったではないか。
なのに、今はこんな風に、急いで車で乗り付けて、清夏を抱き締めて、慌てて清夏が間口を見れば間口は笑みを洩らしながら直哉のアドレスに転送したらしい此処の地図を携帯に表示して見せた。
「これを教えるのは不本意だったんだけどね、まあ面倒だからさ、先のことを考えても君が仕出かしたミスの障害を取っ払ってあげたんだから感謝して欲しいくらいだよ。それに君達がどうするのか僕としては最大の興味であるわけだし、だからね、清夏ちゃんに冷たくするのは大人気ないだろう?流石にさぁ、『何年生きてる』つもりだい?ナオヤくん」
「煩い、ロキ」
ロキ、と直哉が云う。間口のことだろうかと清夏が問おうとするのに直哉の締め付けが強くて清夏は眉を顰めた。
鼻腔をくすぐる直哉の匂い。焦った様子で、こんな風に清夏の前に来て。まるで清夏を奪われまいとするように囲う直哉の強い腕に清夏はどきどきして仕舞う。そんなの、ある訳ない。直哉は来ない筈だ。
でも現実には直哉は来て、清夏を抱き締めて、思わず問わずにはいられない。いつもより少し上擦った聲で、いつもなら絶対訊けないようなことを訊かずにはいられなかった。

「心配・・・してくれたの?」
「当たり前だ」
直哉は不機嫌そうに云った。
それでも清夏を抱き締める腕の力は苦しいくらいで、弱められない。
「俺が間口さんとどうにかなっちゃうから?」
清夏が少し意地悪に問えば直哉は酷く不機嫌な聲で、当然のように云う。
「そうなったら俺があいつを殺す」
「・・・直哉って俺好きなんだ?」
「だからそうだと云っている!・・・っ」
云ってから仕舞ったという顔をして直哉は清夏から目を逸らした。これでは誘導だ。普段の直哉ならこんなの思ってたって絶対に云わない。そういう人だ。この兄は。なのに今は必死で、莫迦みたいに強く清夏を抱き締めて、だから、だからなのだろう。
清夏は笑って仕舞った。
「っ、今のはナシだ。清夏」
咄嗟に否定の言葉を云う直哉に清夏は頷いて見せた。
「うん、しっかり聞いた」
好きだと、直哉はそう云った。だからだ。
だから清夏も自分が直哉を好きなのだと初めて自覚できた。
なのに直哉は清夏から腕を離して仕舞う。
「忘れろ、俺はお前の望むような在り様ではいられない、今のは失言だ」
「直哉?」
常に無い直哉の物言いに清夏は首を傾げた。
「忘れてくれ」
直哉は手際良く間口が清夏の為に買った物を自分の車に移動させて、そして清夏を促す。
全ては戻ったのだとその時清夏は思った。
この二ヶ月のぎくしゃくした空気も、何もかも全部とはいかないけれど、少なくとも清夏の中にあった困惑は解消された。
それは新たに直哉が好きだという自覚をもたらしたけれども、それでも上手く行く筈だった。
ちゃんと直哉と向き合って話せばいいと思っていた。

思っていたのに、夏が来た。
直哉が消えた夏。
訳のわからないままCOMPを持って戦うあの夏が来た。


06:例えば
貴方を好きだとして
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