直哉の生活は基本的に仕事中心だ。表向きはそうで、勿論直哉も仕事を怠ったことは一度も無い。何より自分の明確な目的の為であるので迷いも無い。二十四という歳の青年にしては確りしているだの天才だの云われるがそれこそ直哉の知った事では無い。長い年月を生きるとこうなるというものだ。それに今回、直哉には清夏が居る。大事な『清夏』だ。だからこそ直哉の生活の中心は実際の所、清夏である。清夏が居なければ何も始まらないのだからそれこそ当然と云えた。
故に定期的に直哉は清夏の生活の管理とリサーチを行う。共に生活をしていた方が直哉にとっては都合が良かったがそうもいかない事情が出来た。翔門会絡みの仕事が増えたことと、そして直哉の清夏に対しての手癖の問題だ。
直哉とて今生を生きるのに付き合いが全く無いわけでは無い。効率良く物事をこなすには、それなりの付き合いも必要だということも十分に分かっていた。故に年頃の青年らしく深酔いすることもある。
養父母である清夏の両親の手前社会的活動を楽にする為に大学の院に籍を置いてる以上断れない付き合いもあった。
そして深酔いすると直哉は無性に清夏に会いたくなる。
清夏のあの顔を見たくなる。
魂が分割された直哉の『弟』、清夏だ。
直哉にとって唯一必要な失えない駒だ。
最初にしたのは清夏が十四の時だった。夏で、暑くて、水が欲しくて、たまたま部屋に清夏が居た。
だから清夏に口付けた。清夏はそのことを何も訊かない。ただの酔っ払いだと思っている。直哉が覚えていないのだと思っている。
実際は違う。酔っていながらも直哉は自分が何をしているのかの自覚はある。歯止めがきかないだけで、何をしているのかは覚えているのだ。
罰の悪さから清夏にその後それとなくキスをしたことがあるかと直哉が遠回しに問えば、清夏は当たり前のように当時の彼女の写メを直哉に見せてごく自然に頷いた。だから安堵もあった。直哉が全て奪ったのでは意味が無いのだ。清夏を操作することに関して直哉は細心の注意を払っている。全ては来たるべき夏の為に。直哉は清夏を大事にして愛してもいるがそれは駒として失えないからだ。それ以外の感情があるとするのなら兄弟としての情でしかない。自分のような男を兄に持った清夏には同情する。けれども直哉は成さねばならない。だからこそ注意していた。清夏の交友関係をチェックして、木原篤郎という清夏と同い年の子供にプログラミングを教えて、谷川柚子という女の監視も怠らなかった。清夏はどちらかというと同年代から年上にモテるタイプだ。清夏の好みも基本的に年上の女である。だから心配はしていないが万一夏までに谷川柚子と付き合うなどの関係の進展があっても困るのだ。男女の関係はどう転ぶかわからないので見極める必要があった。逆に篤郎と不仲でも困る。適度に調整をして、直哉は夏までに清夏を含めたこの三人を『巻き込む』必要があった。
だから、清夏との冬の件は直哉にとって失敗だった。
いつもより深酔いしていた。激しく清夏に口付けて、それで終わればいいのに、その先へ進もうとした。
途中で直哉が我に返ってそのまま寝たふりをしたからいいものの、己の手癖の悪さに顔を顰めたものだ。
日に日に穏やかに成長する清夏に欲情を覚えるのは仕方ない。直哉とて男であるし、途方も無い時間を生きていると女というものは嫌悪の対象でしかない。永い時間の間に直哉が悟ったのは自分が最も欲情するのは自分で『殺した』弟なのだと悟った。
それが愛なのか、憎悪なのか直哉は未だにわからない。けれども直哉にとってそれが全てだ。それだけが直哉の真実だ。
だからこそ、直哉は清夏から離れなければならなかった。今清夏に手を出すのは得策では無い。
このままいくと近い内に直哉は必ず清夏に手を出すだろう。せっかく上手く行っていたものを台無しにするのも忍びない。
止む無く直哉は清夏から離れた。青山の仕事場に引っ越して、其処から清夏の生活を監視することにしたのだ。

「ゴールデンウィーク?」
「ああ、何処か行くのか?」
直哉が清夏の家に顔を出せば従弟はいつものように花の世話をしている。直哉が来て直ぐに清夏は二人分の珈琲を用意し始めた。
「うーん、大抵夜はシフト入ってるから、店が忙しいからね、あ、でも篤郎と出かける約束はしてるよ」
「何処に?」
車でも出してやろうか?と直哉が問えば清夏は笑いながら首を振った。
直哉より幾分か細い従弟は丁寧な仕草で直哉に珈琲を淹れる。店仕込みなのか、料理はしないがこういうことは清夏は上手かった。
「池袋の方で篤郎が行きたいイベントがあるんだって」
「池袋?」
「そ、アニメのなんとかだって云ってたけど」
「篤郎らしいな・・・」
はい珈琲、と清夏からカップを差し出され直哉は受け取り一口啜った。丁寧に淹れられた珈琲は香りが高く、美味しい。
その珈琲を啜りながら直哉は遠出するなら云えよ、と清夏に釘を刺した。
多少の過保護は保護者の範囲内だ。
「じゃあ、バイト行ってくるよ、直哉も下で食べる?」
「いや、俺はいい、仕事が立て込んでいる」
「わかった、じゃあお休み」
「ああ、」
清夏が階下に降りるのを見届けてから直哉はキッチンを片付けて的場家を後にした。


「清夏ちゃん、オーダー」
はい、と清夏が振り返れば奥のテーブルを指差された。
見ればいつもの人だ。
「間口さん」
如何にもという派手なスーツを着た男性はこの店の常連で、清夏の父の知り合いでもある。
訊けば父の取引先のインテリア関係の人らしくこの店の内装も一部手掛けたのだそうだ。
だから清夏も間口には気兼ねせずにフランクに接している。
「来ちゃった、今夜も忙しそうだねぇ」
紫色のスーツにストライプのグレーのシャツ、その上赤いスカーフなんてなかなか出来る格好では無いけれど、それが似合っているから何処から突っ込めばいいのか清夏はいつも困る。困るが、実際の所清夏の父も、仕事の会議でアルマーニの白のスーツを着るようなセンスの持ち主である。おまけに従兄の直哉の服のセンスは云わずもがな、だ。だからその手のファッションの奇抜さは清夏はあまり気にならない。ただ、ちょっと普通の仕事をしているようには見えないのでそっち系の人なのかなという認識はあった。そっち系がどっち系かというと堅気じゃない系という意味だ。
「ええ、まあ、まだ今日はマシな方ですけど、あ、注文はいつものでいいですか?」
「ウン、いつものでお願い」
「折角来てもらったのに・・・いつも従兄を紹介しようと思うのにタイミング悪いなぁ、直哉」
「お兄さん?ああ、気にしないで、清夏ちゃんに会えれば十分だから」
あはは、と笑う間口は掴み処が無い。だが清夏はそれが嫌いでは無かった。
清夏を「ちゃん」付けで呼ぶのは大人だけだ。清夏の父であったり母であったり、父や母の仕事関係の人は大抵幼いころから清夏に会う度に「さやか」という名前の所為か「清夏ちゃん」と呼んだ。普通は子供はそれを嫌がりそうなものだけれど不思議なことに清夏はそう呼ばれるのが嫌いでは無い。そこにある好意が見えた気がして嫌いでは無かった。
「今日もね、下で食べて行ったら?って誘ったんですけど、仕事忙しいみたいで帰っちゃった」
「まあ忙しいんだろうねぇ、そりゃあ・・・」
「?」
「いや、こっちの話、清夏ちゃん、手が空いたらオジサンに一杯付き合ってよ」
「ノンアルコールなら」
「奢らせてもらうよ」
ウインクをする間口に清夏は笑みを浮かべながらオーダーを厨房に通した。

「モヒートとか爽やかでいいよねぇ」
少し手が空いたので店長に行っていいと云われ、改めて清夏が間口の席に向かうと間口は心得ていたのか清夏の為にノンアルコールのモヒートを注文してくれていた。
「頂きます」
「大学にあがったらちゃんとアルコールも奢らせてよ」
「ふふ、楽しみにしてます」
「そういう素直さが清夏ちゃんのいいところだよねー」
機嫌が良さそうに云う間口は口が上手い。夜の仕事をしていてもおかしくない装いなだけに、納得も出来た。
そもそも間口という名前が本名なのかどうかも清夏は知らない。
けれども、間口は気配りの上手い男だった。
今もちゃんと清夏が食べやすいようにとデザートの盛り合わせも頼んでくれている。
「このミント、清夏ちゃんが育てたんだって?さっき店長が云ってたよ」
「まあ、趣味みたいなものですから」
「野菜も一部此処で出してるってきいたけど・・・?」
「それも趣味で、屋上に小さな菜園を作ってるから・・・それで。今年は豊作だから余っても困るし・・・」
「ふうん、君はそういう方向に育ったか、実に興味深いねぇ」
「育つ?」
「いい育ち方をしたってことだよ、ねぇ、ゴールデンウィーク空いてる?」
「昼間もカフェに入ってるんでお昼ならいますけど・・・?」
「そうじゃなくてさ、休みの日ってこと」
「明後日と明々後日なら・・・」
「じゃあどっちか時間くれないかな?」
「え?」
清夏が首を傾げると間口は機嫌が良さそうにウイスキーを煽った。
「千葉の方だけど、美味しいオーガニックのお店があってね、前に仕事で行ったんだけど・・・清夏ちゃん興味あるかなと思って」
「行きたいです!」
嬉々として清夏が云えば、間口は「じゃあ決まり」と嬉しそうに立ち上がり、迎えの日時を告げて会計を済ませた。
去り際に、間口は立ち止まり、「それと・・・」と言葉を足した。
「はい?」
「これ、お兄さんにはナイショね・・・」
後が面倒だから、と清夏にはわからないことを告げて間口は店を出る。
清夏は首を傾げ、それから、まあ夜には戻るしいいか、と直哉には伏せることにした。
勿論それがどう転ぶかなど知りもせずに。



そして来る翌々日の昼前に間口は清夏の家の前に訪れた。そしてそういう時決まって居そうな直哉が居ないのも妙な話である。思えば間口と直哉は一度もこの近距離に居て会った事が無いのだ。それを不思議に思いながらも単に偶然だと清夏は片付けて家のドアを開けた。目の前にある間口の車は案の定派手な車だった。
「赤のマセラティ・・・」
しかもオープンカー仕様なので目立つことこの上無い。
「はい、どうぞ、乗って」
今日の間口は黒ベースのスーツだ。ただしシャツが紫でネクタイが金色の。
その間口が助手席を開けて清夏を促す。促されるままに清夏は間口の隣に座った。
途中珈琲ショップに寄って来たらしくテイクアウトで用意された珈琲を出されて清夏は礼を述べる。
つくづく間口はそういうところで卒の無い気の利く男だ。大人の男という感じで、清夏はいつもそれに感心させられる。
「間口さんモテるでしょう?」
思わず思ったことを清夏が口にすれば間口が一瞬驚いたように清夏の方を向いてそれから楽しそうに聲を上げて笑った。
それからサングラスを取り出してかける。その一連の仕草も大人のそれだ。
「まあモテるのかなぁ、それなりにね、でもそんなにいいものでもないよ、そういう清夏ちゃんもモテるでしょ」
「モテるってほどでもないです」
モテると云う程でも無いという清夏のそれはあくまで清夏の私見である。清夏はどちらかというと人に好かれるタイプだ。同級生の間でも篤郎に云わせるとモテているらしいが、別に学校でトップ5に入るとか、そういうモテ方では無い。せいぜいバレンタインの時に知らない子からいくつかチョコをもらうくらいだ。直哉ほどでは無いと清夏は常々思っている。直哉というとびきり美形の兄と幼い頃から居た所為か清夏のモテるという感覚は他人が感じるものよりも評価が辛い。その上昔から年上に囲まれて育った所為で清夏の付き合う相手は店に来る常連の女性客などの概ね清夏より年上の女性ばかりだった。
「ふふ、じゃあ『それなり』と大差ないよ、別にモテたって嬉しくないしねぇ」
「直哉と同じこと云う・・・」
「そう?君の『お兄さん』と同じかぁ、まあ『それなり』にね生きてるからねぇ」
そう云って間口はアクセルを踏み込んだ。特有のエンジンの音がして、車は目的地へと軽快に走り出す。天気は快晴、淹れたての珈琲と持成し上手な大人の男、悪くないドライブだ。

「それで、どうかな、いい雰囲気でしょ」
案内されたお店は確かに洒落ていて内装も雰囲気も清夏好みだ。創作フレンチでオーガニック系の食材を中心に地元の野菜を扱うレストランだった。
「ええとても、入口のハーブが見事で、株分けしてもらいたいくらい」
「後で頼んでみるかい?」
いいんですか?と清夏が微笑むと間口も機嫌が良さそうに頷いた。清夏の笑顔は何処か人を安心させる。間口は清夏のそういった性質を気に入ってもいた。だからこそ間口はわざわざ清夏の兄である直哉と鉢合わせしない時間帯を狙って清夏の元にせっせと顔を出しているのだ。店にはコースの予約を入れておいたので手際よく料理が運ばれて来る。その一つ一つに歓声を上げる清夏を見ながら間口はワインを口にした。
「そう、そう、それでさ、清夏ちゃんに教えて欲しいことがあったんだ」
「何でしょう?」
「ええとね、身長、体重、生年月日、出来れば生まれた時間とか、あと趣味、好きな食べ物、嫌いな食べ物、あと今付き合ってる人とか・・・etc・・・」
悪戯に間口が問えば清夏は戸惑ったように声を上げた。
「身長は・・・175センチ・・・体重は六十キロ無いくらいで多分今五十八・・・かな?・・・えーと、付き合ってる彼女は今はいません・・・ってこれ全部答えるんですか?」
「そう、僕、占い結構好きなんだ、あ、付き合ってる人はいない、と、これは重要だねぇ・・・メモメモ・・・」
「占い・・・ですか」
「女の子ってそういうの好きだろう?これ知ってるとモテるよぉ」
笑いながら間口が云うので清夏も納得してしまう。確かに間口は会話の引き出しが多いのだ。清夏は間口と居て退屈したことが一度も無い。無愛想な直哉と違って話しやすいのも間口の特徴であった。
「まあ、そうですけど・・・そういう間口さんはどんな占いが好きなんですか?」
占いって沢山あるじゃないですか、と清夏が云えば、間口は楽しそうに口端を歪めてみせた。

「前世の記憶ってある?」

「前世?」思わず清夏は口にしたサラダを租借してから間口を見る。
前世ってあれだ。清夏の記憶では多分生まれる前の人生とかそういうののことだったと思う。
「ほら、前世占いってあるでしょ」
「・・・はあ」
云われても今一清夏にはピンと来ない。女子でも無いからそういう話に疎いのだ。
「君は前世の記憶があるかな?」
間口が楽しそうに問うので逆に清夏は申し訳なくなった。
「残念ながら、そういうのは全く、夢にもみたことがありません。そういう間口さんは?」
前世占いが好きだというのなら何かあるのだろうかと清夏が問うてみたら間口は肩を竦めて苦笑した。
「だよねぇ、僕も無い、生憎『まだ前世なんか無い』からねぇ」
「ですよね」
普通はそうだ。前世だのなんだのあったって別に今の生き方に関係が無い。
そういうものだと清夏自身思っている。
「でもさ、仮にだよ、前世・・・いや、前々世、もっとずっと前の人生、一番最初の自分の起点からずっと何千年も気の遠くなる時間その記憶が、生まれては死んで生まれては死んでそれを全部覚えている人間が居たらどうだろう?」
「・・・どうって・・・」
清夏は言葉に詰まる。間口は何を云いたいのだろうか。
「ずっとそうして記憶がある人間が居たら君はどう思う?」
「途方も無い、話ですね・・・」
「そう、途方も無いんだ。文字通り」
「ただ・・・」
「ただ?」
間口は楽しそうに清夏を見た。
清夏はゆっくり考えてから言葉を口にする。
「そういうの本人になってみないとわからないんじゃないんでしょうか、それが幸せだとか苦しいだとか、何千年も生まれて死んでを繰り返してみないと誰にもわからないと思います」
「・・・君は面白いね」
唐突に云われた言葉に今度は清夏が驚く。大人の男だと思う間口との会話は楽しいが時折突拍子もない話に飛ぶことがあった。今度もそれかと思ったが、大人とはそういうものなのかな、と清夏は流している。その間口に『面白い』と云われれば清夏も驚くというものだ。

「確かに君の云う通り、そういうのは本人しかわからないよねぇ、てっきり君は可哀想って云うかと思ったよ」
「可哀想?」
「そうだよ、前世の記憶が、そのまた前世の、更にその前世の記憶がずっとあるなんて本当に可哀想じゃないか!呪いだよ!僕ならそういう風にした運命を、或いは神を呪うかもしれない」
「呪う・・・」
その時清夏は直哉を思い出した。植物を枯らす直哉、まるで呪いのように直哉が触れた植物は枯れて仕舞う。
植物に詳しい直哉、なのに触れない直哉。それは枯らすのがわかっているからだ。はっきりと清夏が直哉に訊いたことは無いが、それが呪いというのならそうなのだろうとも清夏は思う。
清夏は口を開いた。
「なら、俺はもしそういう人に会うことがあったら・・・」
「あったら?」
「その人の呪いが少しでも癒されるように努力する、かな」
清夏の言葉に間口は改めて云った。目を見開いて、本当に驚いたように。

「君、本当に面白いね」


03:五月、快晴、
ドライブ日和
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