六日目の夜に直哉に対峙した時に司は云った。
「俺は魔王にはならない」
「そうか」
「魔王になって時間を戻せるかもとも思った」
「何故?」
何故、と直哉が問う。
だって、そうだろう?直哉。
「俺は『司』じゃない、もう直哉の司はいないんだ」
だから訊いた、天使と悪魔、あのチャラ男の両方に、問うた。
もし世界を戻して時間を巻き戻したらどうなるのか。
『結局何を回避しようとも同じ事故が起こって『司』は消える』と、どう時間を操っても同じことが繰り返されるのだと、わかった。
だから司は決めた。

夢で司は直哉のことを深く愛していた。
そしてとても心配していた。
直哉の危うさに、刹那的な在り方に、その憎悪に。
前の司が懸念したように、直哉は駄目だ。
だから司が・・・まだ三ヶ月近くしか世界のことを知らない今の司が選んでやらなければだめだ。
直哉に提示できる未来を選択しなければ『司』の心残りになって仕舞う。
司が選択してやらなければ駄目なのだ。
直哉は司からすれば破天荒な人に見えるのに夢の中ではちっともそうじゃなくて、無口で無愛想で、不器用に優しい兄貴みたいな人だった。司は・・・司は少し寂しそうで、いつも遠くを見てた。
まるで将来孤独になるのがわかっているみたいに、寂しそうだった。
でも直哉を心配していた。ずっとずっと直哉を按じていた。
だから、だ。
だから選んだ。世界がどうとか本当は司には選ぶ権利は無い。
その筈だ。
だって今の司には何も無い。信念も生き方の指針さえない。真っ白で、迷うばかりだ。
でも司は選択した。本当ならやる筈だった前の司の為にそれを選択した。

「俺は俺の世界を作る、魔王なんてものじゃない、俺はどちらにも付かない」

結局魔王になるということは変わらないのだけれど、それでも司は直哉の云うように神を滅ぼすつもりも無ければ天使に着いて世界を統制するつもりも無い、世界を元に戻しても結局『司』は消える。そして今の司になればきっと同じことが繰り返される、それなら前へ進むしかない。ベルの王になっても世界をどうこうしようなんて司は思っていない。
ただ、前へ進むだけだ。
天使と争うつもりも無い。ただ直哉との話は付けたい。あの夢が過去の夢だというのなら、直哉はカインなのだろう。
人類最初の弟殺し、永遠の罪人カイン。
でもこのままでいいわけがない。
このままでいいわけがないんだ。
だから神様と話をして、直哉を許してもらう。
都合の良いことばかりだけれど、それでいい、それがいい。
「そもそも一度過ちを犯したくらいで、赦されないなんて、俺は思わない」
直哉がその重さをわからないから罰は続いていると云うけれど、創世の時代から永遠の暗闇を往く直哉の罰は本当に許されないのだろうか?もう充分ではないか、直哉は充分孤独を生きた。罰を受けた。
永遠に暗闇でいい、なんて悲しいことを云う駄目な人だ。
駄目な俺の兄だ。
だから、もう、赦してやって欲しい。
「そもそも殺された俺がイイって云ってるんだからいいよ」

その日世界は別の結末へと向かったのだ。



「なんか司、変わったけどさ、前より良く成ったよな」
「まあね、私もこんな風になるなんて思ってもみなかったけど・・・」

あれから三ヶ月余り。
世界は変わった。人が行き交うカフェで篤郎と柚子はアフタヌーンティーを洒落こんでいる。
悪魔はこの世界に居るし、そしてまた天使も上空に居る。
依然膠着状態ではあったが今のところ戦いは起こっていない。
あの七日間で色んな悲劇はあったし未だに火種はいくつもあるけれどその多くは収まりつつあった。
人々の傷は癒えない。けれどもそれ以上に世界に悪魔と天使、そして神が存在することがわかって、あらゆる場所で波紋を呼んでいる。いい意味でも悪い意味でも。そして悪魔を統制できる能力がある司は今や悪魔の代表としてこの新たな資源をどう活かすかで直哉と飛び回っているのだ。どうしても人側の理解が得られなければ魔界の門を閉じて魔界に行くと云っていたが、世間はこの新たなフロンティアを少しでも人類の資源にしようと躍起になっている。天使側は『墜ちた人の子』と司を卑下したが、神との談話も何処まで進んでいるのか、気長にやるとのことなので今のところ人類側に被害は無かった。
結局司がしたことは悪魔同士の争いを締結し、悪魔に人を襲わせず人の助けになるように指示し、そして秘匿されていた世界の秘密をオープンにしてしまったということだ。最初こそ皆この光景にぎょっとしたが、次第に慣れていくものだ。
最初は悪魔のことを大仰に報道していたテレビ番組でも今では可愛い系の妖精なんかがウケて世間を賑わしている。
彼等に邪悪な面があろうとも、それに命令できる司が居る限り安全だとわかったので、日常に悪魔がいる光景に皆慣れつつあった。
空に待機している天使軍に至っては膠着状態で動く気配が無いので人類側からするともはやアートという認識である。
おかげで宗教の本質が変わって仕舞ったし、世界には八百万の神々悪魔が存在することがわかって研究者達が一斉に湧いている。人類の起源まで変わりかねないのだからそれも止む無いことではあったが、今のところ司が魔界の殆どを掌握していて、上位の悪魔との話もついているらしい。良くはわからないが『魔界のあのお方』って人もこの状況を愉しんでいるらしい。らしいという話ばかりだったがそれもその筈、当の司は魔界に人間界に天界にと世界中どころかあらゆる場所を飛び回っているのでこうして携帯に送られてくるメールでしか近況がわからないのだ。
天才である直哉がついているので大丈夫だとは思うが、あの七日間が嘘のように、今は瓦礫が片付けられ壊れた場所は綺麗に直されて何も無かったかのように普通の生活が戻ってきた。
流石に都内の学校はまだ再開されていないが、来月にも再開するようだ。今のところ長い夏休みが続いている。

奇妙な形で日常が戻った事に篤郎も柚子も拍子抜けしている。
勿論COMPの悪魔はもう使えない。命令系統が司になったので司が指示したこと以外聞かないのだ。ただ篤郎と柚子にだけ特別に護衛として以前行使していた悪魔を置いていてくれるので、COMPからの呼び出しはいつでも可能だった。
篤郎は柚子が美味しそうにケーキを口に運ぶのを眺めながら司のメールを確認した。
「まあ、司ってさ、前はずっと儚い感じで俺心配だったんだけど、今なら・・・」
「今なら?」
「なんか今ならきっと大丈夫って思える」
「あ、それわかる、前は時々遠くを見ているようで、胸が痛い時があったよね」
「記憶失くしたって云われた時は吃驚したけどさ、司はよく俺は『司』じゃないって云うけど、俺はやっぱり司は司だって思うよ」
「優しくて、何でも器用にこなして、皆の為に色々考えて、でも確かに儚いのは無くなったっていうか強くなったっていうか、それに今はちょっと抜けてるところもあるよね」
あはは、と笑う柚子に釣られて篤郎も笑った。
そう、ゴミ箱に頭を突っ込んだ時なんか傑作だった。あの時は驚いたけれど今なら笑い話だ。
「多分ね、誰かの為にとか、いつも我慢して自分を置いてけぼりにしてたところがね、ちゃんと自分がどうしたいか云えるようになったんじゃないかな、優しくて、本当に司は優しくていつも何処か寂しそうだったけれど、駄目なところは駄目って云えるようになったんだよ、だから直哉さんの手綱も握れるんじゃない?」
その通りだ。
きっと司は記憶があれば従兄である直哉の為に自分を犠牲にして、魔王になって、何を犠牲にしても神を殺しただろう。
けれども今の司は違う。『司』と同じ選択をしたのに全く違う結果を呼んだ。
直哉は間違ってると、そして神も間違ってると、だから魔王にならない、新しい世界を作ると、自分の世界を作ると。
「自分のことはちゃんと自分で決めて誰の所為にもしない、そう司が決めたんだな」
「難しいね、わたし未だに迷っちゃうなぁ、でもそれでいいんだよね、迷いながらちゃんと自分で生き方を決めれるそんな人になりたい」
「俺も、なりたい」
そう、世界は新しい結果に向かっている。
それは誰も想像したことが無い場所だ。司が決断した結果だ。
三ヶ月と少ししか世界のことを知らない司が決めた。誰の為でも無く自分の為に、一人でも多くの未来の為に。
重い決断だ、それでも俺達は此処に生きている。
生きている限り、ちゃんと前を向いて行きたい。
「あ、司からメールだ、今国連会議に出席する為に移動中だって」



だからってこういうことをする為に俺は王になったんじゃない・・・!

現在の状況を鑑みて司は胸の内で痛烈に叫んだ。
直哉の云う通りにするのは間違っている、けれども天使の云う通りにするのも違う気がして、魔王にならないなんて云ったけれど悪魔からするとベルの王になった司は魔王に違いなく、司がどちらにも付かないと云った時に全てが決まった。
司には世界をこうした責任がある。選びたくて選んだわけでは無い。既にあの七日間で亡くなった人には取り返しがつかない。現に司を暗殺なんてことも既にいくつもある。勿論既存の兵器で司を傷付けるなど不可能なのだが。
けれども司は決めたのだ。誰にも寄らない。力があるのなら、その力を自分の思う少しでも良い方向に使いたい。
神様だってそのぐらい逞しい人間が居たって許してくれる筈だ。人は既に神の手を離れている。
だからこうして司は世界中を飛び回っている。
流石に疲れたので国連側が用意したホテルで一息ついているわけだが、けれども司は今ベッドの上で、少し休みたいと直哉に告げたことを心底後悔していた。

ぎりぎりぎり、と襲い掛かってくる兄を必死で司は押し返している。

「いや、久しぶりだからな、それに前回抜いたまでで俺は不発だ」
「いや、久しぶりも何も俺ははじめてです!」
ぎりぎり、と司は直哉を押し返そうとするが直哉の方が力は強い。
そもそもスキル類を魔王権限で外すこともできたが暗殺などの手前、直哉のCOMPは直哉が管理できるように司が悪魔に命令しているので直哉は強力なスキルをいくつももっているのだ。その強力なスキルをベッドの上で行使しようとしている駄目兄だけれども!
「莫迦をいうなお前が十四の時には・・・いやまてよ・・・」
「十四ってなんだよ嫌なこときいたよ!なんてことしてくれるんだ莫迦兄貴!」
「ふははははは、ならば俺はお前の処女を二回奪ったことになるのか!」
「まだ奪ってないからね!だいたい男相手に処女ってなんだよ!意味わかんないよ!」
「意味は今から知ることになる。」
「ぎゃーーー!!」
やめれ、と兄を押し返すがこの兄大真面目に司に覆い被さって微動だにしない。
その上云い放った。いけしゃあしゃあと、したり顔で。
「インセストタブーは元より承知だ」
しれっとどの口がいうか。お前は創世の時代から筋金入りか!?

「俺はお前のそういうところが無理だJK(常識的に考えて)」
「俺はお前以外と添い遂げる気はない」

その時俺はやっぱりベルの王になったことを後悔した。


06:魔王になる
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