それから司は直哉を徹底的に避けた。
だってあんなことをされて更にこれ以上をされたら司は引き返せない。
従兄である直哉は残念ながら真剣に司の貞操を狙っている。司からすればたまったものではない。
かといってこのことを誰かに相談するのも躊躇われたし、深く考えるとまさか前の司と直哉はそういう関係だったのかとさえ邪推して仕舞うのも恐ろしい。とにかく司は一般の高校生男子らしく身の危険を感じ、直哉を避けることにしたのだ。
幸い外科の方の通院の回数は予後を診るだけで減ったし、流石に頭の方は定期的に行かなければいけなかったけれど、司は篤郎に頼んでマンションまで迎えに来てもらうようにして直哉の学校への送迎を断ればあっさり承諾されて拍子抜けした。
テスト休みが終わって夏休みが来る頃には直哉の仕事も忙しいのかあれほど司にべったりだったのが嘘みたいに直哉が司を放置したほどだ。勿論毎日予定の確認のメールはあったし、直哉がいない日は両親が司と同じく仕事の都合で日本にいない篤郎と一緒に過ごした。その頃には司も篤郎や柚子に慣れてきて、前の司のようにはいかないけれどそれなりに友情が築けるようにもなったのだ。

そして夏が来る。

熱風が、じわりとした特有の湿気が、うだるような暑さの中、それは来た。
直哉に珍しくというか初めてと云ってもいい、メールで外に呼び出されて行けば、会えず代わりに渡されたのはCOMPだ。
悪魔召喚プログラムを搭載したそれを駆使して闘うなんて誰も思いもしなかった。
そしてそれが思わぬ引き金になって直哉が絡んでいるのだと気付いた頃には泥沼だった。
「・・・もう一度整理していいかな、俺頭パンク寸前で・・・」
ぐったりとした様子の司に篤郎はぎょっとして司の頭だとか身体の心配を柚子と話合い、柚子が公園の水を取ってくると空に近いペットボトルを手に行って仕舞った。司はそれにさえ上手く反応できず、熱中症になるかもとぼんやりと思う。
勿論熱中症になる前に篤郎が司を近くの木陰にあるベンチに誘導した。
まだ午前中なのに本当に暑い。
「今わかっているのはナオヤさんは翔門会の依頼で悪魔召喚プログラムを完成させてサーバーをどっかにやったってこと、そして翔門会はベルベリトを神として崇めていて、山手線の内側で大量に血を流させて召喚しようとしてるってこと、そして司はベルの王位争いに巻き込まれたってこと・・・かな・・・多分・・・」
「・・・つまりあれだよな・・・篤郎・・・直哉は宗教絡みの何かを手伝って、挙句俺達には特別仕様のCOMPを寄越してサバイバルしろって云って、俺をベルの王位争いに巻き込んだってことだよな・・・」
「・・・うん・・・」
「・・・・・・」
沈黙が篤郎と司の間に横たわる。
もう頭がパンク寸前だ。
直哉も直哉だが司は司で記憶喪失で今の司になってまだ二ヶ月半なのだ。
こんなことに巻き込まれるなんて司の許容範囲を軽く十桁は越えている。
ぼんやりとする頭で司はどうするべきか考えあぐねていた。

原因は昨日の夕方にある。
既に封鎖でのサバイバル生活五日目を経過し、やっと議事堂前で直哉に再会したかと思えば、大変な爆弾を落とされた。
なんだか直哉の中ではシナリオがあったらしく、イチイチ細かく修正されたのが思い出される。
「違う!駄目だ司!そこは『ナオヤのおかげだ』と云うところだ!お兄ちゃんと呼んでもいいぞ!」
「・・・・・・」
イチイチかかる駄目出し。
都度あるそれに司は半ば遠い目をしながら直哉を見つめた。慈愛っていうか軽蔑の目で。
「いいか司、俺は今お前に好きな道を選べと云っているが、本心では違う!お前を愛しているんだ!俺と幸せになろう!というかお前が俺を幸せにすべきだ司!」
「・・・なあ、司・・・」
篤郎が司の肩を叩いた。
「ん?」
じっとりとした雰囲気が全員の間にはある。
「ナオヤさんってあんな人だったっけ・・・?」
「なんか引く・・・よね・・・」
篤郎と柚子の言葉にただただ司は頷くしかなかった。この従兄が必死過ぎて寧ろなんか泣ける。
そして言葉を足す。
「・・・少なくとも二ヶ月半前からあんな人だったよ・・・」と。
「つまり、『時間が無い』ってこういうことか・・・」
最初からわかっていたのだ。だから記憶が無くなって仕舞った司を懐柔にかかった。性的なことを仕掛けてきたのはその為だ。
直哉は確かに「路線変更」と云ったではないか。
故に司は今猛烈に頭を悩ませる羽目になっている。
司的には魔王になれだとか救世主になれだとか世界を戻そうだとか自分が誰かも正直わかっていないし、日常がどれかの実感もないのに選べるわけが無い。何せ司が意識を取り戻して今の司になってまだ二ヶ月半ほどなのだ。身体だってまだ痛いし、医者には無理するなと云われている。だからアマネや、ジン、カイドーなどいろんなところから聲をかけられても正直頭が痛いだけだった。
司からすれば未だに自分は『鷹司 司』だという実感も無い。周りがそう云っているからそうなだけで、実は壮大なドッキリでしたというオチすら期待しているというのに、事実はそうでは無く今日の夜にはどの道を取るのか司は選択せねばならず、直哉の事といい頭が痛いことこの上ない。
「どうするんだよ・・・司・・・」
「司、水飲む?」
タイミング良く戻ってきた柚子から司はペットボトルを受け取り、そして水を半分ほど一気に飲み干して、ベンチに身を沈めた。
どうする、どうするか、どうするべきなのか。
「ごめん、頭の中が混乱するから黙って・・・」
記憶喪失で、僅か二か月半で救世主だとか、魔王だとかそんなものに成れと云われる身にもなって欲しい。
世界は世界でも司は自分の世界だけで精一杯なのだ。出来れば何も選びたくないのが本音だった。
( つまり、前の司は『これ』を知っていたのか・・・ )
世界を壊すことを?魔王になることを?直哉と『司』は仲が良かった。
ならば最初からそのつもりだった?
『司』にしかできないことだった。
「・・・でも俺は『司』じゃない・・・」
司だ。鷹司司の筈だ。でも俺は『司』じゃない。
「『司』じゃないんだ・・・」


「成功するかなぁ・・・君の『弟』」
「ロキか」
不意に背後に現れた男に直哉は眼もくれず只管パソコンのモニタを眺めている。
複数のウインドウが展開される画面の中で一際大きい画像は公園であった。
ベンチに座る直哉の『弟』が映し出されている。
「あははっ!キオクソーシツだって!天界の連中も面白いことするよねぇ!」
「天界が干渉したとは限らない、どちらにせよ、不利にはなったがな」
ロキは至極楽しそうに手を打ち鳴らし、直哉に向いて見せた。
「あんなに君に懐いていたのに、事故のひとつでぜーんぶパアだ!どんな気分だい?ナオヤくん」
「・・・勝つさ」
「へえ、凄い自信、リセットされた彼とも寝たのかい?力づくでモノにするのは君のお得意だもんねぇ」
「お前に云われたくない」
「じゃあ、どうやって彼を誘導するんだい?」
口にニヤニヤと笑みを張り付ける悪魔に向かって直哉は云った。
別に云う必要は無いが、これは直哉の願いでもある。
願わくば、この手を取って欲しい。願わくば、共に生きて欲しい。
願わくば・・・記憶を取り戻して欲しい・・・。
司は、多分直哉が記憶を取り戻してほしいと知っているだろう。
何も云わなかったが、恐らく伝わって仕舞っている。直哉の不安が記憶のリセットされた司にもわかって仕舞う。それでも直哉は勝機を探した。このリセットされた司を如何にして操るのか。
この二ヶ月と少し直哉は吟味した。
司を試した。四六時中一緒に居て、司は嫌がったが直哉は司を観察していたのだ。
これがどういう人間になったのか、どういう思考をするのか、直哉はずっと測っていた。
司が勝てるかどうか、今の司が封鎖を生き残れるかどうか、見限るのは簡単だ。けれどもこのチャンスを、まして直哉が手塩にかけて育てた司だ。早々に捨てられる筈も無く、結局根気強く直哉は司と接し、記憶の無いことに軽い絶望感を覚えながらも、吟味した。

「あいつに時間を与えるな。考える時間を与えると司は迷う。そして時間がかかるが出した答えは決まって俺の思う方と違う方へ向く。だからこういうのは時間をかけずに畳み込むのが一番なんだ」

吟味した結果がこれだ。
これが一番最良だと直哉は判断したのだ。
司は迷いやすい。これは直哉の仮説だが以前の司と記憶を失った今の司ではあまりに違いすぎる。まるで別人なのだ。食の好みや好きな色、立ち居振る舞いまで何もかもが違う。食事の仕方や癖は以前と同じだったけれども矢張り細かいところで順番が違った。だからこそ直哉は仮説を立てた。今の司は直哉がもし司と出会わなければ・・・直哉が司を育てなければ本来は今の司が司の自然な姿なのだと。
以前の司は直哉が育てた、一から十まで直哉のものだった。けれども司自身は自分を閉じ込めて全て直哉に合わせた結果あの控えめな性格になったのだ。記憶を失った今、その制約が無くなり、奔放な本来の性格を取り戻したのだろうと推測できる。
逆行催眠なども考えたが事故のショックが強すぎて最悪司が自我を失う可能性も否定できなかった。
だからこそ直哉は司を今の司のまま敢えて野放しにしたのだ。
・・・記憶は戻らない。恐らく、もう絶望的なのだろうとも直哉は思っている。ある日突然なんて奇跡を今この瞬間に期待したって仕方ない。
ならば今の司のまま直哉は行くしかないのだ。
これが最良の筈だ。司を一気に追い込んで直哉の手を取らす。少なくとも司がベルの王にならなければ人類の被害は甚大なものになる。どんな結果になるにせよ直哉は司を王にしなければならない。
最良の方法。それが何にとっての最良なのか、直哉にとってなのか、司にとってなのか、勝敗は誰にもわからなかった。

そしてその時司は公園のベンチでもう一度記憶を失う方法を真剣に考えていた。
「・・・頭をこのゴミ箱の角に思いっきりぶつけたら何もかも終わる筈・・・!」
「やめて、司!死ぬから!やめたげて!」
やめたげてよお!と司に縋りつく篤郎。慌ててゴミ箱を退かす柚子。
記憶をもう一度失えば手っ取り早い。こうなったら前の司でも、ニュー司でもいいから、とにかく忘れたい。
今の司じゃない何かに司は成りたくて頭をゴミ箱にぶつけようとして・・・そして盛大にゴミ箱に頭から顔を突っ込んだ。

「あははははは!君の弟ゴミ箱に顔突っ込んでんだけど・・・!」
「・・・・・・」
その映像はリアルタイムで司の変態兄貴へと送信されている。


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