煙草の匂いが香ってきた。
メンソールだからこれは羅刹だ。
庭園へと続く廊下で篤郎は羅刹の姿を確認した。
魔王になった友人はいつも漢らしい。
正直結構漢前だ。
意思がはっきりしている、そりゃ直ぐ喧嘩をするし
問題も起こすけれど仲間を絶対傷付けない。
仲間が困ってると全力で助けてくれようとする。
今時仁義なんて言葉が似合いそうな17歳だった。
それなりに気さくで、少し気分屋で、
まるで猫みたいにすり寄ってきたと思えば離れる、
羅刹が其処にいるだけで辺りは居心地の良い場所になった。
だから篤郎はそんな羅刹が好きだったし、
支えになりたいとも思っている。

けれども時々こうして遠くを見つめて
煙草を燻らせている時がある。
いつもだったら気軽に聲をかけて、
帰りにマックでも寄っていくか?なんて
話をして、カノジョの話とか(あ、別れたらしいけど)
をして他愛もない会話で篤郎と盛り上がってくれる筈だ。
けれどもこうして遠くを見つめている時だけは違った。
羅刹の心には壁みたいなものがあって
そっから一歩も入れなかった。

( 違う )
でも違った。
今日のは違うと思った。
これはもう二年、付き合いのある友人としての勘だった。
( 一歩も入れないんじゃない )
違うのだ。
( 一歩も動けないんだ )
羅刹は酷く憔悴しているようだった。
とてもとてもとても辛くて悲しそうだった。
忘れたいことがあるのにどうしても忘れられない、
そんな顔だった。
吹けば今にも消えそうな羅刹の姿に篤郎は居た堪れない気持ちになる。
並の人間なら死ぬだろうけれど羅刹は魔王だ、
この高層ビルから飛び降りたって死なないだろう、
けれども今にも死にそうだった。
飛び降りて死んでしまいそうなくらい儚かった。
だから篤郎は羅刹の肩を叩いた。
できるだけ気軽に、自然に、精一杯声をかけた。
「よ、」
羅刹は篤郎を目線に捉えそしてまた煙草を口に含んだ。
ゆっくりと息が吐き出される。
そんな様さえも整った顔だからサマになる。
魔王なんだからそのぐらいの貫録は必要だろう。
その点では悪魔達も高評価だ。
人間も悪魔もみんな整っていてうつくしいものに惹かれる。
篤郎は黙って廊下の壁を背に座った。
この友人がこうなるのは決まって彼の従兄のことだった。
一年の最初の頃はそうでもなかったように思う。
途中から突然こうなった。
何かあったのだと、薄々察してはいた。
そうしてこの酷く不安定な状態を時折見つけては、
黙ってその背をみつめ、そして次の日には大抵
カラオケとか馬鹿騒ぎに誘った。
羅刹は優しい、篤郎や柚子にそんな気分じゃない癖に
無理して付き合って一緒に馬鹿やってくれた。
そしてそれが終った頃にはすっきりした顔になった。
だからそれなりに上手くやっているのだと、思っていた。

「ナオヤさんだろ」
今にも羅刹が死にそうな顔をしている原因は直哉だ。
それは間違い無い。
「上手くいってないのか」
賢くて天才、誰よりも尊敬しているひととその従兄弟で
一番の親友、どちらも好きだ、どちらも大切だ。
なのにどうしてふたりはこうなるのだろう、
とてつもなく遠くへ流されて仕舞うようで
それが辛かった。
「吐きだせよ、ここには誰もいない、独り言だと思えばいい」
吐きだして少しでも羅刹が楽になってくれれば
それでいい、そうしてほしい、
これ以上こんな羅刹を見ていられなかった。
羅刹はもう一度ゆっくりと煙草を吸いこみ、
ぽつぽつと言葉を零していった。

「元々上手くいってない」
「良い人なのに・・・」
「あいつが『いい奴』なのは俺以外だけだ」
羅刹は煙草の灰を落とした。
そして座る篤郎に振りむく。
「何で夏場に俺がこんな暑苦しい格好してると思う?」
その長い指でシャツを捲る。
「酷い・・・」
身体中蚯蚓腫れが奔っている。
ひっかいて血を出して、酷い、これをしたのが直哉だというのなら
これはもう虐待だ。
酷い暴力だった。
「直哉だ、あの変態野郎」
「・・・」
言葉も無い、これが本当なら羅刹の直哉に対する態度は
至極当然と云えるだろう。
だって、こんなの酷い、あんまりだ。
なのに羅刹は切なそうに顔を歪めた。
唇を噛み締める様に察して仕舞った。
篤郎は自分の察しの良さに舌打ちしたい気分に駆られた。
ひどい、こんなのひどすぎるのに、でも、
( 好きなんだ )
( 羅刹は直哉さんが好きなんだ )
( こんな酷い暴力が赦せるくらい好きなんだ )

煙草を吸う羅刹はきれいだ。
男なのに時折そう想わせない、驚くほど
清廉な表情を魅せた。
「やることやるクセ、キスもしたことねぇんだぜ」
「本当に要るのは俺じゃなかった、俺の魔王の力でアベルなんだってさ」
「振られちまった」
莫迦だな、俺、と
ぽつりと呟いた友人の言葉が耳に残った。


09:酷く清廉な懺悔
prev / next / menu /