直哉に一言云ってやろうと思った。
だってあんなの酷過ぎる。
今にも消えそうな羅刹に心が痛んだ。
自分がどうなろうと、(殺されるかもしれないという覚悟はある)
羅刹を救えるのは直哉だけだった。
だから篤郎は憤りのまま廊下を歩いた。
羅刹、俺の大事な親友。
お前が死んだら俺はきっと悲しいよ、
哀しくてどうやって生きていったらいいのか屹度わからなくなる。
だから、お前の憂いを晴らせればそれでいいんだ、と
篤郎は直哉の部屋の扉を開けた。

文句の一つも云ってやろうと思った。
でも言葉は出なかった。
用意していた言葉は皆宙に浮いて消えて仕舞った。
「ナオヤさん・・・?」
部屋は滅茶苦茶だ。
直哉の部屋はいつもそれなりに片付いていて
こんな荒らされたような部屋ではなかった。
そんなことするひとじゃなかった。
絶対にそんな無駄なことはしないひとだった。
冷たいと云えばそうだけれど、直哉は徹底した現実主義者で
合理主義者だった。
その現実主義者で合理主義者な筈の直哉がベッドにただ座っている。
なんだ、これ、どっちも酷い憔悴だ。
こんなに酷いふたりを篤郎は見たことが無い。
かける言葉を見失って茫然と立っていたら
直哉が口を開いた。
「何だ、俺は今それどころじゃない、急用以外は回すな」
「あの・・・」
意を決して口を開く、
「羅刹の傷、見ました」
「そうか」
直哉は枕元の煙草を手にして火を点けた。
点け方や加え方は兄弟揃って同じだ。
こういうとき二人は本当に兄弟なんだなぁと実感できた。
「羅刹、今にも死にそうだった」
「そうか」
そうか、という直哉の態度にかちんと来る。
「何処まで冷たいんだ!あんたは!」
思わず思ったことを口にして仕舞う。
直哉は無表情のまま煙草を手に篤郎を見た。
真っ直ぐ射抜くような赤い目は怖い、けれども篤郎は逸らさなかった。
じゃないと羅刹が死んでしまう。このまま直哉に捨てられたまま
羅刹の心は静かに崩壊して仕舞う、羅刹はそれでいいと
云ったけれどそんなのいい筈が無い、そんなのがいい筈が無いんだ。
殺されると思ったけれど返ってきたのは意外な言葉だった。

「こんな時、」
ゆっくりと、直哉にしては珍しくゆっくりと語った。
ゆっくりと言葉が語られた。
「どうしていいのか俺は知らない、わからないんだ」

( ああ、なんだ )

( このふたり似たもの同士だ )

( どっちも不器用で強情っぱりでひとりでなんとかしようとする )


ひとはひとりでは生きていけない、誰かの手がないと生きていけない、
篤郎はそれを知っている。でもこの二人は二人ともそうして生きていくことを
屹度まだ知らないのだ。
「だったら、」
と篤郎は口を開いた。
「思ってることちゃんと云って下さい。それで後悔しても辛い結果になっても
しないよりずっといい、ただ隣に居るだけで、ただその手があれば
それでいいことだってあるんだ、俺はそう思います」
「羅刹、庭園の方の廊下に居たんで」
俺は失礼します、と云ってから篤郎は扉を閉めた。
来た方向とは逆の方向へ向かう。
背後で扉が開いて庭園の方へ向かう足音をバックミュージックに
篤郎は歩きだした。



廊下の隅に佇む弟の姿に直哉は息を呑む、
確かに篤郎の云う通り羅刹は今にも死にそうだった。
煙草の灰が衣服に落ちても気にならないようだった。
焦点の合わない眼で直哉を見つめる。
直哉が近づいて来るのが解ると咄嗟に立ち上がり、
踵を返した。
その手を掴み、直哉は羅刹を振り向かせる。
「今更だ、何もかも今更だが、」
「ナンだよ」
お前などどうでもいい、と云い放った時と同じ眼で羅刹が云う。
けれども今度は怒りなど湧かない、
もう悟った、何千年と時を渡って辿り着いた。
腹は括った。
「お前は凄いよ、羅刹、俺が、この俺がカインとして
アベルを求めるのでは無く、初めて、俺は気の遠くなるような
時間と記憶を継承し続けて初めて感じた」
「だから何が」
掴んだ手から煙草が落ちる。
そんなこともう気にならない。
もう決めた。
「これが恋情だと気付いた時、愕然とした」
もう決めた。
掴んだこの手を今度こそ離すまい、
羅刹の手を俺は決して離さない。

「だから羅刹、俺は俺として、
カインでもアベルでも無く」

羅刹が俺を見る。
青い綺麗な眼で俺を見る。
見ていて欲しい、その真っ直ぐな清廉な眼で、
愚かな兄を、大事なことひとつ気付けない自分を、
それでも決して
この手を二度と離さないと誓うから

「羅刹、俺はお前と始まりたい」

眼を見開いたのは羅刹だ。
今この男はなんて云った?
自分になんて云ったんだ?
一拍置いてから羅刹はくだらなさそうに鼻を鳴らした。
そして直哉を見る。
視線を逸らさずに真っ直ぐに見た。
「やっと俺を見たな」
直哉の手を叩く、叩き落とされた手にざまあみろと哂う。
そして次の瞬間、直哉の背に腕を回した。
「遅せぇよ、莫迦」
「それは悪かった」

初めてのキスは不器用でぎこちないキスだった。
がちん、と歯がかち合うようなみっともないキスだ。
でもそれが嬉しくて、酷く嬉しくて泣きそうになった。
二度三度と繰り返す、徐々に深くする。
直哉、俺の直哉、
その手があればそれでよかった。
そうしたら何処へだっていつだって行けると信じてる。
繋いだこの手が楽園なのだと知っているから、
なあ、直哉、いつか辿りつけるんだ。
望む場所に人間は少しづつ前進して生きていけるんだ。

「俺、直哉好みになるよ、」
だから、と付け足した。
触れる手は今までで一番優しい。
涙が溢れる。
「直哉も俺好みになってよ」
瞼に落とされるキスも優しい。
「俺達、レンアイ初心者じゃん、
俺と直哉、腹立ったり、喧嘩したり、間違えることだって
沢山あると思う、いろいろあるけどさ、
俺、直哉のどうしようもないとこも好きだよ」
絡められる指が腕がこんなにも暖かくて優しい。
「だからさ」
まるで最初のふたりのように口付けた。
額をくっつけ合って、繋いだ手を離さずに、


「二人でそうして生きていこうよ」


その言葉に直哉は
今度こそ本当に笑った。




ハロー
ハローハロー、

俺のこえは届いていますか?
貴方の心に届いていますか?

繋いだ手を離さずに生きてくれますか?





読了有難う御座いました。
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