空間が慄えた。徐々に圧迫感が増す感覚に外部からの侵入者だと悟る。
護衛に用意した悪魔が警戒の体勢を取るが直哉はそれを手で遮った。
「君の弟ってさぁ、面白いよね」
突如現れた男に直哉は顔を顰めた。
此処に侵入出来る者は限られている。
ベル・デルの時も暗躍したのだから相手は容易に知れた。
「何の用だ」
「いや、だからさ、君の弟の話」
紫色の悪趣味なスーツに身を包んだ男は悪魔だ。
名を魔王ロキと云う。
此処は六本木に用意した直哉のセーフハウスだ。
今頃政府の人間は血眼で自分を探しているだろう。
ロキは我が物顔でソファに座り、機嫌が良さそうに煙草を取り出し火を点けた。

「真白ちゃん、可愛いよね」
一気に怒りが湧く。この悪魔は昔からそうだ。
長い時を渡る中で常に人間の間を生きるトリックスター。
人間の闇と欲望を食らう悪魔だ。
直哉の思いを見透かしたように云う悪魔を一瞬焼き払おうかと思う。
「ボクを殺すのはもう少し待った方がいいと思うよ、それなりに役に立つカードを
持ってるんだし」
ロキの云う通りであったが、それで納得するには癪だ。
明らかにロキはこの状況を愉しんでいる。
「お前無しでも進む計画だ」
「酷いなぁ、もう少しボクを評価しても損は無いと思うよ、カイン」
カイン、と業とらしく云う様に直哉は鼻で哂った。
「何の用だ、と訊いている。答えるつもりが無いのなら去れ」
「ああ、そうそう、真白ちゃんが可愛いよねって話、」
ロキは先程会っていたらしい弟の話しを得意気にした。
「凄く気があっちゃってさー、もうなんか仲良し?みたいな感じなんだけど、君の弟、
可愛くてちっちゃくて、お人形さんみたいだよねぇ、神話の時代なら神に愛される
魔性の美少年だ」
「だからなんだ」
ロキは少しの間を置いてそしてにやりと哂った。
「残るはイザ・ベル、ベル・ゼブブ、ベル・ベリト・・・彼、敵に回すと末恐ろしい子だね」
永田町で再会した時、真白は明らかに違っていた。
ベルの力で強化された彼の闇はまるで彼自身を中心として世界に広がっているようだった。
この閉じられた世界の全てを破壊しようと云わんばかりに膨れ上がっていた。
美しい少女のような容姿で悪魔のような所業を平気で行う真白に戦慄を覚えたのも事実だ。
「ほんと、怖いよねぇ、殺すのに躊躇いが無い、いいよねああいう子、ボク欲しくなっちゃった」
その言葉が発せられた瞬間ざわ、と空間が揺らめく、辺りが赤く酷く密集した空気になる。
その空気を発生させているのが目の前の色素の薄い、赤い眼の男だとわかって
ロキは更に口角を上げた。
「欲しいものを欲しいって云って悪いかな?あの子、君のだっけ?」
「あれはいつの時も、いついかなる時でも俺の物だ」
「君の『アベル』じゃないさ、ボクは真白だと云ってる」
「二度とその名を呼ぶな、真白は俺のものだ」
己だけの物だ。あの狂った子供を愛しているのは己だけであるように、
真白の一切の感情が例え憎悪であっても己に向けられているのならそれは己の物だ。
「愛憎渦巻く兄弟愛か、ほんと君達って創世の時代から飽くことなく泥仕合してるよね、
あの子だいぶおかしいけど、君も相当狂ってるよカイン」
そう云い残すとロキは空間を揺らして消えた。
狂っているのはわかっている。
もう自分でも抑えようが無いほど真白を愛している。
また真白も同じほど直哉を憎んでいる。
互いにどうしようもなかった。





「どう・・・するんだよ・・・」
沈黙が辛くなって篤郎は口を開いた。
今は休憩しようと、公園のベンチに空きを見つけたので座ったところだ。
本当は訊くのが怖い。
真白は時々怖い。
篤郎は柚子がいないのを見計らって真白に問うた。
真白は普段凄く、可愛い、それなりに優しくて気分屋で猫みたいだ。
けれども時々真白は凄く怖い。
誰かを傷つけるのを躊躇わない。
寧ろ誰かを傷つけることを楽しんでいる節があった。
山手線の内側に閉じ込められて、あと数日の内に内側の人間が皆死ぬ、という
話になった時でさえ真白は楽しそうだった。
恐怖心が薄いのだと思った、けれどもそうじゃない。
真白は率先して、見捨てるものとそうでないものをはっきりと見分けた。
それは嗅覚みたいなもので、ベルの王位争いに巻き込まれてからはそれは一層
研ぎ澄まされた感じだった。人の死を間近で見ても真白は一切変わらなかった。
最初は頼もしかったが、その状況に慣れるにつれ違和感を覚えた。
真白が、まるで今まで思っていた人間と別の人に見えた。
世界を手にしようと云うのだろうか、真白が?
従兄である直哉さんは真白に魔王になれと云った。
その言葉の意味がわかっているのか、どうなのか、真白はあの時顔を伏せていたから
わからなかったけれども後になって気が付いた。
真白はあの時、
( 哂っていた )
間違い無く哂っていた。
時々世界が終わればいい、なんて思うことは誰だってあるかもしれない、
けれども真白のそれはもっと暗い。暗い闇を覗いている気分になる。
じ、と真白を見ていてわかったことがある。真白は今、篤郎や柚子と行動を共にしていて、
そしてそれらを「見捨てない」に分類している。けれども出方次第でそれは簡単に
ひっくり返る気がした。真白は気分屋だ、だからずっとそんなことで片付けていたけれど
実際に生死が関わる状況になって初めてわかる。
真白はおかしい。
何がおかしいのか、ずっと引っかかっていた。
彼の中にあるのは虚ろなものだ。
あるのは憎悪だけだった。
永田町で直哉さんに再会した時に確信した。
真白はどういう理由かわからないけれど直哉さんを憎悪している。
直哉さんはそれを甘んじて受けている。
そんな気がした。
この兄弟にあった違和感はそれだったのだ。
だからこそ、篤郎はどうするべきか悩んだ。
「真白・・・お前魔王になるんだろ」
「うん」
躊躇なく真白は答える。
どうして、とは訊けなかった。
真白にとって世界はどうでもいいのだ。
世界をどうにかする力を得たのなら真白は世界を壊すだろう。
( 止めるべきだ )
止めるべきだと思うのに、身体は動かない。
喉がからからで言葉が上手く出ない。
真白を止めることなど出来はしないのだともはや悟ってもいる。
「俺さ、真白のこと友達として好きなんだ」
「篤郎?」
「多分、真白にはどうでもいいことなんだと思うけど、俺は好きなんだ」
真白は少し楽しそうにこちらを見た。
「だから、俺は真白に付いていく、」
「どうして?」
どうしてと、無邪気に問う真白に涙が出そうになる。
教えてあげることはできないのだろうか、真白に、
大切な何かを教えてはあげられないのだろうか、
自分にはできなくても、直哉さんなら、貴方なら出来る筈なのに、と篤郎は
項垂れる。それでも、真白を突き離すことは出来なかった。
今、自分さえも真白から離れたら、多分、真白に残った正常な何かが
完全に失われる気がしたからだ。
「篤郎は変わってるね、」と真白が残した言葉だけが救いだったのかもしれない。

世界は未だ変わることなく閉じている。


07:クローズドワールド
prev / next / menu /