ビルの上から地上を見る。
地上は凄惨たるもので火事なのか所々から煙が上がっていた。
暴動も時間の問題である。そしてこの閉じられた空間でベルの王位争いが
始まる。人間達の知らないところで悪魔の王位争いが始まるのだ。
直哉は黙ってそれを見つめていた。
入念に用意した。もう何年も前から計画を立て、それに着手した。
失敗も織り込み済みだ。しかしそんなことはどうでもいい。
直哉の関心は誘わなかった。
それよりも真白だ。
問題は真白だった。

真白という少年は直哉にとって駒だ。
千年に一度、神殺しに至れるかどうかの、駒だ。
常に近親者に転生し続け、弟の魂の欠片のひとつにしか過ぎない存在を
育て、導く。弟を殺した兄自身が、今度はその弟に神殺しの復讐をさせる為に
弟を育てる。それだけの駒だ。駒の筈だった。
なのにあの五年前の夜に魔がさした。
そうするつもりではなかった。
けれども結果として直哉はまだ幼い真白を犯した。
犯して仕舞った。そして己は真白を愛していると悟って仕舞った。
直哉の真白に対する愛情は日に日に増して行く。
まるで真白が愛を理解しない代わりに、兄である己の魂がそれを補おうとするように。
真白は今までのアベルの欠片とは明らかに違った。
この世界に於いてもはやアベルは一人では無い、いくつにも分断された
それらはアベルの残骸であり、無残に引き裂かれた可能性と云う名の塵だ。
それらはいつの時代も直哉の心を揺さぶることは無かった。
転生の中で最初こそあの衝動が、弟を刺したようなあの衝動があったものの、
しかしそれらがかつてのように己を慕う度に直哉の心は冷めていった。
もはやオリジナルの魂ですら無いそれらはただ己に利用されるだけの
存在に成り下がった。
それなのに、千年ぶりの好機だというのにこの有様はなんだろう、と
己に自問する。欠けて仕舞ったかつての弟の欠片、その只一つの真白という
従弟を直哉として生を受けた自分は確実に愛している。
真白が愛情を理解できぬ種の子供だということはわかった。
それが魂の不全というよりも人間としての不全であることも理解できる。
けれども己にはどうしようもできない。溢れ出るこの愛情をどうしたらいいのか
直哉にはわからなかった。人というのは儘ならぬものである。
愛情を理解しない真白と反対にそれを補うかのように真白を過剰に愛する自分、
これこそが神の采配というのならば今度こそ徹底的に滅ぼしてくれようと決意する。
しかし今は真白だ。この従弟として生まれた不完全な弟、
その弟をどうしても直哉は手にしたかった。
直哉は誰よりも真白を愛していた。
苦しいほど、気が狂いそうなほど、狂おしい愛情が真白に向く。
あの時から殆ど成長しない真白は矢張りあの日に云い放ったように、直哉に対しては
拒絶しかない。真白を犯し壊したのは直哉自身なのだ。
けれどもそれさえも直哉にはどうにも出来なかった。
最早抑えることは難しい。この感情の矛先をどうしていいのか直哉にはわからなかった。
狂おしいほど手にしたい。
真白という弟を、その過ぎた愛情がかつて弟を殺したようにどうにも出来ないほど、
その感情は直哉を蝕む。制御できないほどの感情に直哉は動揺していた。
しかし、と直哉は歯を噛みしめる。
( 為さねばならない )
制御しなければならない。
仮に真白がベルの王になったとしたら、真白は世界を確実に滅ぼすだろう。
あれのことだ、何の感情も無く破壊者となる。
そして己を殺す。それは間違い無かった。
だからこそ、直哉はそれを享受するつもりだ。
かつて弟を殺した己が今度は弟に殺される。
なんとも滑稽な構図だったが、それも良かった。
真白へのこれ以上どうしようもない愛情が膨れ続けていくよりは一度終わった方がいい。
一種の逃避であったがそうするしかないとさえ思える。
直哉にはそうするしか無かった。
「その為に俺はお前を王にする」
呟きは真白には届くことなく空に溶けた。





真白は苛立っていた。
この三日苛立ちが沸点を越している。
その点で悪魔を殺すということは真白にとって救いだった。
その憎悪をぶつけられる。
苛立ちのままに目の前の悪魔を殺せばCOMPを持っていた男が逃げ出す。
それを篤郎が確保して相手のCOMPを破壊して終わった。
ああ、もう少しやりたかったのに、と残念に思う。
柚子は疲れからかその場にへたり込んだ。
ベル・デルを倒してからどうにも変だ。
自分の力が何処までも増大した気がする。
真白は己の手をまじまじと見つめた。
人間の手だ。小さな掌、殆ど成長しなかった身体、それが真白だ。
けれども抑え難い力が身体から溢れる。
「真白、大丈夫か?」
「何が?」
「ほら、ベルのなんとかって・・・」
「わかんない、大丈夫なんじゃない」
「大丈夫って・・・真白・・・ほんとに・・・」
真白は傍らの篤郎に微笑んだ。いつものように、本性を隠しながら。
「柚子が心配だから、何処か休める場所を探そう」
ね、と微笑みながら、そして真白は確信する。
( 王だと云った )
唇から笑みが零れる。
( 俺を王にする気だな )
あははは、と笑いが止まらない。
突然笑いだした真白にぎょ、としたのは篤郎だ。
「いや、なんか疲れちゃって、」
そう云いながら、直哉の思惑をほくそ笑みながら真白は笑った。


ビルの下にいる真白は淡々と辺りに飛び散る死体を眺めている。
烏に啄ばまれるそれらをただ見つめている。
壊れたこの哀れな弟にどうしようも無い愛情を抱いている己も壊れていると直哉は思った。
いつかこの愛を知らぬ弟が愛を理解できればいいと思う。
神に見放された己がそう思う程、真白は壊れていた。


06:神の兄弟
prev / next / menu /