倉田真白、くらたましろ、ましろと云う不思議な響きは篤郎を
ざわめかせた。十七になるというのに真白は少女のような美少年だった。
この不思議な少年は篤郎と縁がある。篤郎の尊敬するプログラマー
NAOYAの従弟で、兄弟のように育ったと聴いた時には驚いた。
驚いたが不思議と納得出来た。彼等は時折本当の兄弟のように見える
ことがあったのだ。勿論顔の美しさもそうだったがもっと根本的な
ところで時折似た雰囲気があった。
篤郎は真白を一気に好きになった。真白は気紛れで、猫みたいな少年だ。
大抵は幼馴染の柚子と同じクラスになった篤郎との三人で行動している。
柚子はよく真白のことを美少女、と称した。クラスの女の子達は率先して
新しい髪留めを買ってきたと云っては真白に着けたり、真白自身が
アクセサリーのように真白を女の子のように扱う。
真白自身は笑いながらそれに付き合うのが常だった。
しかし実際美少女のような真白のそれは男子にとっては心臓に悪い。
顔だけならそこらの女の子より全然可愛いのだ。
故に真白は男に呼び出されることも多い。大抵は真白に笑顔でお断りされるのだが
そのお断りの仕方も心臓に悪かった。
「死ねよカス」とあの綺麗な顔から洩らされるのは胸に痛い。
酷い時はもっと罵詈雑言が飛んで、相手が再起不能になる。
力づくで来ようものなら、その細く小さい身体からは考えられないほどの力で
相手をぶちのめした。真白は男が嫌いだ。
真白は背が低い、柚子が云うには子供の時から殆ど変わらないと云うくらいに
低い、今でこそ少し伸びたらしいがそれでも柚子と同じくらいだった。
だからズボンを着て男の制服を着ていても、真白は女の子みたいだ。
時間が止まったみたいに、真白は成長を拒むみたいに、細く小さかった。

「此処も駄目かぁ・・・」
はあ、と篤郎は溜息を吐く。
昨夜、直哉さんに呼び出されて出てきたはいいけれど、山手線の内側が封鎖されて
仕舞って帰宅難民状態だ。いつ帰れるのかもわからない不安がよぎる。
傍らの真白を見れば、ダイモンズのリーダーだという二階堂と話していた。
真白は昨日から不機嫌だ。
彼の従兄である直哉さんの呼び出しに応じて出て来てみればCOMPを渡されこの状態
なのだから無理も無い。
昨日は真白が直哉さんの家を無理矢理こじ開けて中のものを物色していたけれど
当の直哉さんの痕跡は無かった。真白もごく稀に此処に訪れていたらしいけれど、
それほど仲の良い関係では無いのか直哉さんのことを真白はあまり語らなかった。
柚子が云うには小学校まではべったりだったそうだ。あの二人がべったりというのも
想像出来ないが男兄弟なんてそんなものなのかもしれないと兄弟のいない篤郎は想像する。
真白と直哉さん、この二人が揃って会ったのを見たことがあるのは一度だけだ。
プログラムのことでNAOYAに質問したらちょうど近くに居るからと
いつもならチャットで済むことが直接会うことになった。忙しい人だから本当に運が良かった。
そしたら近くに真白が居たらしく、電話がかかってきて、そして数分後に真白が来た。
真白は直哉さんに何事かを云ってそして直哉さんが誰かとやりとりをして数分後、
帰って来た。真白は何も云わず、ごく普通に篤郎と会話をして、帰って来た直哉さんを見つめ、
それから財布にお金が無かったのか、直哉さんからお金を降ろして貰ってその場を去った。
歳の離れた兄弟だからあまり気にしなかったけれど、不思議とあの直哉さんが云いなりだった
から妙に引っかかった。直哉さん自身もその事を一切語らなかったので結局立ち入ることが
出来ずにそれは終わった。ただやたら人目を引く二人だったので篤郎が居たたまれない気持ちに
なったのは確かだ。
「真白、爪」
柚子が注意をする。
真白は機嫌が悪いと爪を噛む癖がある。
酷い時は血が出るので口から指を離させれば案の定爪が剥がれかかっていた。
「もー!駄目って云ってるでしょ」
真白は答えない、どうでもいいと云わんばかりに此処を見ていない。
柚子は仕方なく鞄から絆創膏を取り出し指に少しきつめに巻いた。
真白に手がかかる分、柚子は少し落ち着きを取り戻している。
当然だ、悪魔だのなんだのわけのわからないことに巻き込まれて挙句、此処から出られずにいる。
混乱する頭でも尚、日常へ戻ろうとするのは当然のことだ。
その日泊まるところや食糧ですら手に入りにくくなっている。
不安なのは皆同じだった。





苛々する。
真白はじん、と痛む指先を見遣りながら歯を噛み締めた。
直哉の所為だ。
巻き込まれたと確信する。
あの直哉が何も考えずにこんなものを寄越すとは思えない。
COMPを見ながら爪で反対の手の甲を引っ掻いた。蚯蚓腫れになるがそれも気にならなかった。
このCOMPでさえも真白を苛つかせる原因だ。
直哉とはこの五年で数回しか会っていない。その都度真白が直哉を傷つけ、直哉は黙って
それを受け入れている関係だ。あの夜から全てが変わって仕舞った。それが悪かったとも思わない。
真白にはそれがわからない。何故あの時直哉があんなことをしたのか、未だに真白は理解できなかった。
その癖、真白の怒りをただ受け入れる直哉にも嫌悪した。まるで贖罪のように、或いはどうでも
いいかのように振舞う直哉が真白は許せない。床に這いつくばって媚びればいいものを
直哉はそれさえも受け入れる。だからこそ真白は直哉を理解できない。
全て壊すと宣言した十二の時から真白の虚ろな感情の矛先は憎悪となって直哉に向いていた。
どうでもいい存在である筈だ。与えられるばかりの真白は誰を失っても何も感じない。
誰を傷つけても真白にはどうでもいい。それだけだ。けれども直哉には憎悪している。
いっそ何も感じなければ良かった。あの夜の前のように、誰にも何も思わなかったように、
真白は真白であった。真に白かった。直哉が変えて仕舞った。当たり前のように直哉に抱きあげられ
母が揶揄するように「巨人さんと小人さん」と笑ったその光景を真白は時折思い出す。
全てがどうでもいい筈であるのに、あの直哉の大きな手が、思い出された。
その感情の在り処が真白にはわからない。だからそれはもしかしたら「愛」なのかと直哉に
問うたら全てが壊れた。壊したのは直哉で自分じゃない。
だからこそ真白は直哉を嫌悪し憎悪した。
なのに、真白の知らないところで直哉が勝手に何かをしているこの現実に真白は酷く苛立った。
直哉が不干渉であればそれで済む筈なのに、真白の知らないところで何かをしている直哉が嫌だ。
それが嫉妬だとは真白にはわからない。感じたことの無い感情に突き動かされるまま
破壊的な衝動が全身に奔る。
世界が閉じられたのならいっそ壊れればいい。全て更地に返ればいい。
直哉も皆死ねばいいと、そう思って真白は爪を噛んだ。


05:鉄錆の味
prev / next / menu /