目を醒ました真白は何も語らなかった。
少し熱を出し、夏風邪を引いたと云って寝込んだ。
看病は直哉がした。
帰宅した母は少し心配したが真白は医者を嫌がった。
そして真白は壊れた。

がちゃん、と音がする。
真白だ。
直哉は立ち上がり斜め前の真白の部屋へと移動した。
見れば粥の入った皿が割れている。
直哉は黙ってそれを片付けた。
布団に横たわった真白は、随分回復してきたようだ。
まだ熱があるのか少しだけ顔が赤い。それを見ないように直哉は皿と床に飛び散った
具を片付けた。真白は直哉を見ると手にした匙を投げる。
匙は直哉に当たった。言葉なき真白の怒りに直哉は淡々と語った。
「顔も見たく無いだろう、安心しろ、時期に家を出る」
真白の綺麗な顔が歪む、その歪みすら美しいと思うのだから
もう共に居るべきでは無いのだろう。
触れたい、欲しいと願う貪欲さは人を狂わせる。
このまま真白の傍に居れば必ず直哉は再び真白に触れるだろう。
触れて今度こそ、全てを奪って仕舞う。そうすればいいのに、と思う己と
それは出来ないという己が居た。
壊したのなら最後まで壊せばいいという破壊的な自分と、もう二度と触れるなと云う
拒絶を恐れる己がいる。
馬鹿馬鹿しい、とさえ思う。この弟ひとつ上手く片付けられない己が歯痒い。
直哉にとって真白は只の駒である筈だ。
たかが駒にこれほどの動揺を覚えることに直哉は少し混乱した。
真白はあの夜のことを誰にも話さなかった。
否、真白も、当事者である直哉自身も言葉に出来なかった。
嵐のように訪れたそれを上手く片付けられなかった。
まるでそれがぽっかり空いて仕舞った空白のように、何も言葉にさえ
出来ずに、宙にぶら下がっていた。
真白も直哉も混乱の中にあった。互いに触れることさえもうしない。
当たり前のようにその小さな身体を抱き締めていたあの時間はもう夢のようだった。
それから三日後、真白が起き上がるようになって、大学から帰宅した直哉が
己の部屋で目にしたのは粉々に粉砕されたパソコン類だ。
真白は直哉を気にした風も無くただそれを壊す。
ぐちゃぐちゃに、粉々に、存在さえ無かったかのように何もかも壊す。
それさえも直哉は何も云わず受け入れた。
ただ真白が壊したものを片付ける。
義父や義母たちに気付かれないように、表向きは兄弟を装いながら、
円満な家庭を演じながら、お互いの中にある破壊の中の沈黙を受け入れた。
真白は愛情を理解しない子供だ。直哉は女の愛を憎悪している。
幾度も繰り返す転生の中で、母親という女の腹から生まれたことすら嫌悪する。
しかし真白は違う筈だ。ごく一般的に母親の愛情を受け、それなりに良い家庭で
育った筈であるのに、真白は歪んでいた。
真白は誰かを失っても悲しまない、愛さない、誰も真白には必要無い。
愛などと云う言葉を直哉に問うことが既に間違いだった。
これから先いつかそれを理解できるかもしれない、けれどもそれは己では無い。
直哉では絶対無い筈だ。
けれども直哉は真白を決定的に壊した。元々危ういバランスに立っていたこの
美しい弟を完全に闇に呑みこんで仕舞った。本来ならそれを喜んで利用すべきで
あるのに、今は真白を完全にそうして仕舞った己を責めるばかりで、到底それを
受け入れられそうに無かった。
この危うい存在が己の傍にあるだけで直哉の心をざわめかせた。
だからこそ直哉は真白を責めることも操ることも出来ずに、結局混乱した真白の
暴挙を贖罪として受け入れている。

ぐちゃぐちゃになった部屋の中で、暗がりの中で、真白は綺麗に微笑んだ。
「俺決めたよ」
純粋で無垢、優しげで、愛しいそれは醜悪な言葉を吐く。
少女のように優しい顔で、微笑みさえ浮かべながら、この上なく甘い甘い
小鳥のような聲で、直哉に囁いた。

「全部壊すことにした」
それは直哉が嫌だという全身での拒絶だった。
その一月後、直哉は家を出た。


04:拒絶
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