「真白、床に寝ころぶな、行儀が悪い」
風呂から上がれば真白は既にパジャマで床に寝ころんでいる。
こうして直哉の部屋に入り浸るのは常のことであるのでお互い各々に好きなことを
するのだが、今日は二人だけであるので一緒に寝ることにした。
真白の部屋から布団を運んでやりそれを直哉の布団の隣に敷いてやる。
義母達がいない所為かこの広い旧い家屋はしんとした静寂に包まれていた。
明日になれば手伝いの者が掃除と食事の下拵えをしに来るが夜は誰も来ない。
真白は父母がいないことも気にならないようで、直哉の隣に敷かれた布団の上で
大人しくゲームをしていた。
真白という名の通り、白く細い足がふらふらと揺れる様が酷く直哉を
居心地の悪い気分にさせた。深く意味を識る前に思考を別へ追いやる。
スリープモードにしていたパソコンのキーを直哉はその長い指で叩いた。
「愛ってなんなのかな」
唐突に呟かれた言葉に手が止まった。
「難しい質問だな」
「直哉でも難しいことってあるの?」
「ある」
ふうん、と真白は気の無い返事をする。
「直哉は誰かを愛しているの?」
胸を抉られるような問いだった。
真白のこうした無邪気な質問は直哉を追いたてた。
「お前は母さんが好きだろう、両親を好きだろう、愛とはそういうものだ」
ふうん、と真白が言葉を返す。
そして一拍の沈黙の後、彼は云った。
「わからないや」
「わからない?」
「だって俺、別に好きじゃないもん」
言葉に詰まった。
この目の前の子どもを見る。子供は無邪気な顔をしてゲームに没頭する。
「好きなものは無いのか」
「わかんない、そういうの」
「嫌いなものは?」
「いっぱいあるよ」
「そういう時どう思う?」

出来るならその先は聴きたくなかった。
だが訊かねばならない、自分は彼の従兄でありまた兄であった。
先の為にも彼を識らねばならない。
彼の口がまるでスローモーションのように動く、何を云っているのか
理解したくないとさえ思う。己が歪んでいる所為なのか、せめてこの弟には
子供の間だけでも幸福であって欲しかった。無垢で愛らしい唇から洩れた言葉は
望んだ回答とは別のものだ。

「全部壊してぐちゃぐちゃにしてやりたい」
少女のように無垢で、否これは無垢ではあるのだ。
残酷なだけで、限りなく残酷な純粋さで、その名前とは正反対の
暗闇を持って、それは此処にあった。
嫌な汗が流れる。唇が渇く。
真白は真っ黒だ。そしてこの子供はおよそ愛情の類を理解できない種の子供だと
気がついた。彼は生まれる前に愛情を理解する器官とはぐれて仕舞ったのだ。
家族の前では大人しい少年であるが、外ではどうなのか知れたものではない。
彼は恐ろしく冷徹であり悪辣な少年だった。
「直哉は誰かを愛しているの?」
「誰も」
誰かと云うのならもう、答えは一つだ。
答えたくないだけで、答えは最初から一つしかない。
目の前でゆらゆらと白い足が揺れる。
無垢な瞳の少女のように幼い弟が愛らしく微笑む、微笑みとは裏腹の言葉を紡ぐ
残酷なそれはまるで蝶の翅を毟るようでもあった。
「直哉は誰も愛していないの?」
その言葉で直哉の中の何かが沸点に到達した。
無言でその足を掴む、白い足は簡単に直哉の手に収まった。
真白が次の言葉を紡ぐ前にその口を己の口で塞ぐ。

純粋で無垢な弟、危うい少女のように誘う、それが何を示すかも知らない癖に
知った振りをして暗闇を抉る。
「傲慢だな、お前は」
その傲慢さは己のそれに恐ろしく近い。
直哉は確信した。
これは間違いなく己と血を同じくする兄弟であると。
強く掴んだ所為か痛みで身を捩る真白を捩じ伏せ覆いかぶさる。
「何」
流石の真白も予想していなかったのか聲に焦りが見えた。
しかし遅い。もう己にそれが止められそうになかった。
「俺が嫌なら全て壊せ」
だってこれは己と同じ物だ。純粋で美しく無垢な者、それだけなら見守るだけだった。
けれども違った。これは己と同じ暗闇の中に居る。それを知った今、最早衝動は抑えられ
なかった。白い足、細い身体、青みがかった透明な目、漆黒の髪、全てが直哉を誘って
いるのに、触れまいとしていた全てが直哉の中で崩れ去る。
唇をこじ開け舌を絡ませ、薄い服を脱がせ、思い描いた妄想を現実にする。
触れることなど無いと思っていたものに触れる。
触れて己のものにする。
「いやだ」
慄える聲で真白が云う。何をされるかわからない恐怖に真白は怯えた。
けれども直哉はいっそ美しい笑みを浮かべてそれを貪った。
略奪者のように、抵抗を力で捩じ伏せ全てを壊した。
後は弟の悲鳴と血と白濁、それらは夜の闇と共に彼を襲い、そして最後には啜り泣きで
終わった。
意識を失った弟を見て呆然とする。
目の前の弟には誰がどう見ても凌辱された跡だ。
最後に真白はもう一度問うた。
「直哉は誰も愛していないのか」と、それに答えることは無く、
彼の中に精を放った。

充足感は無い。
ただ奪っただけだ。
無理矢理、この子供の身体を貪っただけだ。
痛みにより泣き叫ぶ弟を食らっただけだ。
嵐のように激しい感情に呑まれて仕舞ったことに後悔した。
或いは弟を殺した時のように激しい何かだった。
そして直哉は確信した。
愛無き行為である筈なのに、愛を理解しないこの幼い弟を直哉は確実に
愛している。けれどもどうしても愛を理解しない彼に愛してるとは云えなかった。
愛してると云って拒絶されるのに耐えれる自信が無かった。
それだけは云えなかった。
そっと青白い頬に触れる。身体を抱き抱えれば驚く程軽く、下肢は血と精がこびり付いて
酷い有様だ。
このまま放っておける筈も無く、どうにか彼の身体を清め、裂傷に薬を塗り、
彼の部屋へ運んだ。

( 莫迦なことを・・・ )
後悔しても遅い、時間は巻き戻らない。
一時の感情に呑まれ取り返しのつかないことをして仕舞った。
千年に一度の好機を無駄にしたかもしれなかった。
けれども抗えなかった。どうしても抗えなかった。
触れたかったのだ、どうしても自分の物にしたかった。
激しい後悔が己を襲う。直哉は歯を噛み締め、そして眼を閉じた。
「直哉は誰も愛していないのか」という彼の問いだけが響いた気がした。


03:悪辣な子ども
prev / next / menu /