兄が事故死したという話を聞いたのは随分後になってからだった。
己が六つの時に死んだと云う兄の記憶は薄い。よく遊んで貰っていた
と母から聞くがその記憶すら怪しかった。
何故ならそれから直ぐ新しい兄が出来たからだ。
これも後になって聞いたことだが、あの日兄は用事で従兄の家族と
出掛けていた。具合が悪かった従兄を置いて、兄と従兄の両親だけが
出掛けてそして帰らぬ人になった。それから直ぐだ、従兄が家にやってきた。
兄と同じ歳だったという従兄、従兄はもうずっと前から本当の兄であるかのように
家に馴染んだ。両親も亡くなった兄の代わりと云わんばかりに従兄を
可愛がった。だからそれが己にとっての家族の在り方となった。
従兄の名は直哉。
そして己の名は真白、真に白と書いてましろと云った。

「直哉、ごはんだって」
直哉の部屋を覗けば相変わらずパソコンの画面と睨み合いを続けている。
学校にも行ったり行かなかったりで直哉は気紛れだ。
直哉が真白の家に来てもう六年になる。真白は突然兄を失い、そして直哉を得た。
逆に直哉は、失った両親の代わりに真白の両親を得た。そういうものだと真白は
思っている。
少し変わり者の兄は時折両親の前では見せないような姿を真白に見せる。
直哉は今年で十九歳だ。真白にしてみればずっと大人で大学という学校に通っていて、
頭が良く、そして気難しい従兄は凄く物知りだった。
「今行く」
直哉は大きい。立ち上がると真白の倍ほどはあるんじゃないかと思うくらい背が高い。
真白の頭にそっと手をやり、直哉はいつも真白を子供のように抱きあげる。
小さい頃からもうずっと癖のようなもので真白も特に異議は無かった。
よく直哉のことを学校の同級生に羨ましがられるが、それさえも真白にはよくわからない。
そういうものだとずっと思っている。
「お前は背が伸びないな」
小さい、小さい、と直哉や両親にも云われるがこればかりはどうしようも無い。
真白の偏食の所為でもあったが、真白は嫌なことは誰に云われても絶対しない性格であるので
既に家族は諦めている。それに別に背が欲しいとも思わなかった。
なんとなく真白はそれでいいと思った。もしかしたら直哉の手に触れられる瞬間に
そう思うのかもしれない。それがどういう意味なのかまだ十二の真白にはよくわからない。
直哉に抱きあげられながら旧いこの広さだけはある木造の家の廊下を移動する。
居間に顔を出せば母が笑った。直哉と真白のこの背の高さに大きな開きがある
二人を母は「巨人さんと小人さん」と時々揶揄する。従兄弟なのだから当然だけれど、
まるで似ていない癖に母は一番近い兄弟のよう、と云うこともあった。
昼食は簡単に素麺だ。もうそろそろ初夏なのでこのくらいの方がいいだろう。
「降ろして」
「沢山食べろよ」
直哉に降ろされてから席に着く。お小言はいつものことだ。真白は気にせず好きな具だけを
乗せて素麺を食べた。直哉がしかめっ面をして素揚げした茄子を真白の皿に乗せようとしたが
真白は小さな体で皿を覆い拒否する。
「やだ」
「好き嫌いするな」
「いらない」
「真白」
真白は頬を膨らませ直哉を睨む。直哉はその眼に弱い。
その青みがかった不思議な美しさを持つ眼で見られると己の全てを見透かされている
ようで居心地が悪かった。
否、正直なところこの家では真白が絶対的に強い。
溜息を吐いて直哉がその行き場を失くした茄子を自分の皿に取り分けたところで母が顔を出した。
母、正確には真白からみれば実母で、直哉からすれば義理の母で叔母である。
「なあに?また好き嫌い?」
麦茶を注ぎ真白と直哉に手渡す。控えめで如何にも良妻賢母といった義母だ。
「真白ちゃん駄目よ、お父さんも云ってたでしょう?」
ましろちゃん、と母は真白を呼ぶ。女の子が欲しかったそうだから無理も無い。
真白は母親の思惑通り、未だに少女で通りそうな細い身体と、不安定なその年頃特有の
バランスがあった。外に出せば不躾な視線に晒されることも多い。
それを危惧してか、母親や直哉の過保護とも云える育て方の所為か
真白自身あまり外が好きではない子供になった。
真白は少女のように小さく幼い。
「やだ」
こうなっては真白は強情だ。梃子でも動きそうにない。結局この真白の強情な性格が
この家のルールになっている。直哉としてもこの年の離れた小さな従弟を無下には出来なかった。
あらかた素麺を片付けたところで再び義母がスイカを切って持ってきた。
スイカは真白の好物だ。一番美味しそうで大きいところをその小さい手で取ろうとするので
直哉は皿に取り分けてやった。
義母は大きめの旅行鞄を用意して忙しなく荷造りをしている。
「明後日には帰りますから、お願いね、直哉さん」
食事はあらかた冷蔵庫と冷凍庫に用意してくれている。気のきく義母のことだ。
はい、と直哉は頷き、真白が頬張っているスイカの種を取ってやった。
親族会議だ。旧い家であるし、未だに一族経営の企業を運営している為にこうして定期的に
会合がある。直哉も時機に参加せねばならなかったが、まだ成人していないし、法要などは今回
含まれないことから学生を理由にこうして真白と留守番だった。
真白もそういった場所にはあまり行きたがらない。明後日までは二人きりだ。

「明後日まで母さん達帰ってこないからな」
真白の口元をタオルで拭ってやれば真白は未だスイカをもぐもぐと頬張りながら頷いた。
嫌な事は嫌だと主張するくせにどうも真白ははっきりしない。
恐らくはどうでもいいのだ。真白は与えられることに慣れすぎていて
あまり人を気遣わない。それはまだ子供だからと云える範囲であるのだが
どこか釈然としない感じがある。この違和感が何なのか、恐らく心の奥底では気付いていた筈
なのに、その時は気付けなかった。確信には至らなかったのだ。


02:真白
prev / next / menu /