朝、顔を見せるその瞬間が好きだった。
篤郎はいつものように駅のホームに立ちその人を待った。
彼はいつもぎりぎりにあがってくる。
雪風だ。
少し変わった、けれども美しい名を持つ友人が篤郎の自慢だった。
決して友達の数は多い方じゃない、それでもその数少ない出会いの中で、
雪風は今まで篤郎が出会ったどの出会いよりも素晴らしく輝いていた。
彼等兄弟はずば抜けている、と篤郎は毎朝雪風に会う度に思う。
彼等というのは雪風とその従兄の直哉のことだ。
そのままに云えば雪風の機嫌が悪くなるので口にしたことはなかったが、
雪風と直哉の二人は凄い美人だ。
男に美人という云い方も妙だがこの二人にはその言葉しか思いつかない。
さらさらとした藍の髪に少し青みがかった透明な眼、整った顔立ち、
控えめだけど洗練された装い、何もかも初めて見る美しさだった。
勿論その従兄である直哉も凄い、最初は日本人かどうか疑ったほどだ。
先天異常らしい、色素の薄い髪と赤い眼、雪風が静なら動の逆の
美しさを持つ天才、対照的な二人の美貌に圧倒されることにも
もう慣れた。
篤郎とて元々雪風と仲が良かったわけでは無い。
直哉ともネット上でしかやりとりはしたことが無かったし、
プログラム上の質問ならともかく家族の込み入った話などしたことも無かった。
だから雪風と直哉が従兄弟で、まして、雪風の家に直哉が引き取られて兄弟同然に
育ったことを知ったのはごく最近のことだ。

朽葉、は有名な極道の家系だ。
ちょっと調べればわかるくらい有名な家で、
だから同じクラスの雪風の名字を聞いた時、皆邪推したものだ。
けれども雪風は持ち前の人の良さであっという間にクラスに馴染んだ。
時々ちょっと怖い感じのひとが学校に迎えに来ること以外は普通の高校生だ。
普通に笑って、遊んで、普通に女の子と付き合って、イマドキの高校生、
そんなレッテルが似合う普通の高校生。
どうしたっておたく気質の篤郎とは正反対だけれどそんな雪風と
席が近くて話すうちにどんどん雪風と居るのが楽しくなった。
彼は時々危ないことに手を出しているようだったけれどそれに
彼の幼馴染の柚子とクラスメイトの篤郎を誘ったりすることは無かった。
雪風はそういった部分で誠実で真面目だった。
だから家がなんだろうと気にもしなかった。
雪風は篤郎が知る限りごく普通の男の子だ。

「雪風!」

聲をかければ手持ちの音楽プレイヤーを止め
篤郎に向かってくる、反対側のホームに電車が来てその風がふわりと
雪風の前髪を揺らした。前髪を治すその仕草に心臓が跳ねる。
時折見せる少女のような雪風の仕草はノンケである篤郎でさえどきりとするのだから
破壊力はすさまじい、雪風が気付いていないだけで、彼は非常に目立っているのだ。
(まあ、まわりに直哉さんがいるのだからそれが当たり前の
彼等にはわからないことなのかもしれない)
ホームで告白されるのを何度見たことか知れない。
(けれども雪風はいつも丁重にお断りした、当たり前といえば当たり前である)
「今日はどうするんだ?」
学校が終わってからのことだ。
「んー、カラオケとか」
「柚子、部活だってよ、」
「あー、じゃ、先に行っとく?」
「秋葉がいいと思うな、俺は!」
雪風は、ぷ、と笑って篤郎を小突く、
「それお前が行きたいんじゃんよ、」
「え?駄目?」
雪風は笑いながらホームに着いた電車に乗り込む。
「いーよ、今直哉居るから家に帰りたくないし」
直哉の話題を雪風が出すのは珍しい。
雪風の家は複雑だ。
雪風の実のお父さんはヤクザの組長で、雪風はその一人息子、
今のお母さんは後妻で愛人持ち。
子供の時に両親を失った直哉さんをお父さんが引き取って養子にして
直哉さんとは従兄弟同士で兄弟、そしてお父さんは直哉さんを
跡取りにした。
極道なんだから継がなくてよかったね、とも云えない。
雪風は難しい、普段は優しくて頭が良くていい奴で、
でも、直哉さんにだけは違う。
これは少しだけわかる。
自分のお気に入りの椅子を誰かに取られて仕舞う感じ、
雪風が継ぐ筈だった、まわりにそう期待されて育った。
器量だって悪くない、高校生の癖にまわりがよく見えるし
頭だっていい。けれども雪風を上回る天才が現れてしまった。
雪風より年上の従兄、直哉さん。
これで七つの時に直ぐ跡目を直哉さんに決めて仕舞っていたら雪風も
今より直哉さんを嫌いにならなかったかもしれない。
けれども決まったのは雪風が中学を卒業する頃、直哉さんが二十歳を過ぎた頃だ。
それまでそうあるように育っていた雪風の宛ては無くなって仕舞った。
雪風の座るべき場所に直哉さんが座っている。
直哉さんは辞退しなかった。雪風がそう思うとわかっていて跡目を継ぐと
決めたのだ。お父さんと同じように雪風を極道にしたくなかったのかも
しれない、或いは野心があったのかもしれない、直哉さんじゃないから
わからないけれど、雪風はそうして放りだされてどうしていいのかわからないまま
十七歳になった。だから雪風の前であまり直哉さんの話はしたことが無い。

多分ブラザーコンプレックスなんだと思う。
雪風は直哉さんが本当に嫌いなのでは無いと思う。
直哉さんの才能を誰より評価しているし、誰より憧れてもいる。
けれども自分はその場所に到達できないジレンマ、
直哉さんが当たり前のように立っている場所に決して行けないのだ。
篤郎から見ればそんなことは無い、雪風は十分魅力的で恰好いい。
けれども雪風にしてみればそれがコンプレックスなのだ。
憧憬と渇望、そして奪われたことによるやり場の無い思い、
それが雪風をこうしてしまった。
修復できないのだろうか、と篤郎は思う。
篤郎の知る限り雪風にその気はあっても直哉にその気が無いように見えた。
雪風が憎いわけでは無いと思う。むしろ兄として心配しているように
見えるのにいつもそれが裏目に出る。
雪風は直哉さんのお節介にいつも機嫌を悪くして喧嘩になる。
けれどもそれが時折、直哉自身がその溝を埋めようとしていないようにも
見えるのだ。

「じゃー帰りは秋葉」
「お、いいの?」
「メイド喫茶行ってみたい」
「そっちかー!」
あはは、と笑いながら歩く。
冬が終わって春が来て、もうじき夏にもなろうかという季節だ。
無性に蝉の聲が懐かしい気がする。
真っ青な空は高くて綺麗だった。
いつものように始まる少し退屈で楽しい当たり前の日常。
その時俺はそれが少なくともこの世界の最後の季節になるなんて思って無かった。
思って無かったんだ。



最後の季節
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