直哉はいつもそうだった。
兄貴ヅラして、言葉を返せば結局黙る。
何かを云いたそうなその赤い眼だけを残して、いつも見てる。
初めて会った時からそうだった。
あの赤い眼がまるで蛇のようだと思った。
薄ら寒いような悪寒と、そして少しの泣きたくなるような感覚、
だから子供の頃から直哉が嫌でよく家から逃げ出した。

その感覚は今でも同じらしい。
あれから十年経っても変わらない。
直哉が近くに立つとそれだけで直ぐにわかった。
実家の広いリビングのソファの隣に莫迦みたいに顔の整った
背の高い男が立っている。
「何」
「余所のクラブに出入りしているそうだな」
「別に、ただの付き合い」
「あそこはやめておけ、近い内に手入れがある」
警察のことだ。ちょっと違法なクスリもあるから
そんな手合いだろう。
「まさかやってるんじゃないだろうな」
「まさか、俺がそーゆーの嫌いなの知ってるでしょ」
「ならいい、しかし今後出入りするな、目をつけられる」
「直哉がメーワクするって云ってんの?」
「そう云っているんじゃない、雪風」
諭すように云う言葉にかちんと来た。
「お前さ、俺の兄貴でもないだろ」
「・・・戸籍上は兄になった」
「俺んちだよな、此処」
「お望みなら出ていく」
だが、聞け雪風、と直哉は云う。
「お前はまだ十七で、子供だ、お前の監督責任は俺に在る、
お前は学校へ行って友達と遊べばいい、クラブならウチの系列で
十分だろう」
「直哉が仕切ってるんだもんな」
全部、全部全部、直哉のものだ。
「お前のものでもあるだろう」
嘘だ、全部直哉のものだ。
「俺のものなんて一つもない、」
「雪風!」
直哉が腕をつかむ、それだけで全身が総毛だった。
恐怖、嫌悪、色んなものが入り混じって、ぞっとした、
こわい、こわい、この赤い眼の男が恐ろしい、
ずっと子供の頃から、

「触るな、俺に、、!全部お前が来た所為だろうが!」

怖かった。
最初はそうではなかったんだ。
違うんだ、憧れにも似た、懐かしい感覚、
会えた嬉しさ、輝きに満ちていた何か。
でもいつからだろう、直哉が怖かった。
云いようの無い恐怖が身体を襲い全てを無くした感覚に苛まれる。

「お前の所為だろ、直哉」

縋りつくように床に沈む、
ぐにゃりと意識が遠のく、
その時の直哉の顔を俺は見ていなかった。





ああ、また夢だ、
ぐにゃぐにゃと何かに呑みこまれる感覚、
雪風は嫌な感じに目を開けた。
否、開いてるのかどうか判断できない。
だって世界は真っ暗だ。
真っ暗で何も無い。
ただの暗闇、なのに此処がまるで演劇の舞台のようだと
漠然とそう思った。根拠も何も無いのにただそう思った。

男が居る。
誰かが、居る。
雪風は身を捩った。
けれども身体は動かない。
どうしても動かない、
噫、そういえばこの身体の指の先さえ動かないではないか、
指一本動かすことなどできないではないか、
だから人形の身体に入ったのだと思った。
この重たい身体、指一本さえ動かせないのは人形の身体に入った所為だと思ったのだ。

男が雪風を抱きしめる。
ぽつぽつと雪風に流れてくるのは涙だろうか、
人形の雪風の頬に男の涙が伝っていく。
その涙を感じた時、さっきまで感じていた恐怖も、
絶望も思い通りにならない苛立ちさえ嘘のように静まった。
雪風は突然、男が哀れになった。
怖い、怖いけれどそれ以上に男が哀れだ。
可哀想で、まるで世界にひとりみたいだ。
( 同じだ )
雪風と一緒、この世界でまるで一人みたいなひと、
だから一人じゃないと教えてやりたかったけれど身体は動かない、
( ごめんね )
あんたを慰めてやりたいけれど俺には抱きしめてやる腕さえ動かせない。
だからごめん、でも一緒に居てやるから、
いつまでも傍に居てやるからと、約束をした。
人形だから言葉にさえ出せない、けれどもまるで自分のような慟哭を叫ぶ男の為に
雪風は祈った、祈りはやはり男には届かず聲にならない約束は、雪風だけが知る
ものとなった。

闇の中、男が叫ぶ、
血まみれの死体を抱きしめながら、

「それが愛だと云ったらお前は信じただろうか」、と。



それが愛だと云ったら
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