※主人公設定違いです。

ある男の叫びが響く、それがいつのものなのか、
いつからその言葉は在り続けるのか、
それでも男は確かに其処で叫んだ。
嘆きとも哂いとも取れぬ絶叫を、泥にまみれ血の雨が降る其処で叫んだ。
「見よ、神よ、人は殺す生き物だ」

幕間から聲が漏れる。
聲は暗闇に響き、誰が話しているのかはわからない。
ただ其処にそれは在るように感じるし、
或いは其処に眼を凝らせば何も無いようにも感じた。

「昔の話をしよう、僕が存在するのと同じくらい、或いはそれより前から
続く昔の話だ、何千何万と時を渡りただ一つを追い求めた男の話をしよう」

男が一人其処に立つ、辺りは暗がりで何も無い。
ぐるりと見渡してみても其処には何も無かった。
文字通り何も無い世界の底に男は居た。
にたにたと笑いながら、或いは底冷えするような凍てつく眼を
しながらそれでも人の在り様を傍観者として見続けてきた男だ。

「ずっと、一つの恋を追いかける男か、」
少し思案するように頭を振った後、男は哂い、そして手を鳴らした。
拍手喝采が響きそうな手振りだった。
「悪くない、『ナオヤ君』君の生き様は称賛にすら値する、
君の初恋は汚れることなく創世の時代からずっと初恋のままなんだ」

「驚くことにね、これは創世の時代から続く恋の戯曲なんだよ」

幕が閉じる。





は、と目が醒める。
嫌な夢だった。何がどう、と覚えているわけでは無い、
けれども酷く居心地が悪い夢だった。
そっと身体を起こしそして辺りを確認する。
無機質な壁にごてごてと写真が飾ってある。
見飽きた光景でもあり、あまり自分にとって良い思い出は無い。
噫、どうりで嫌な夢を見るわけだ。
雪風は辺りをもう一度見廻し状況を確認した。
事務所だ。

はあ、とソファに手を付き身体を起こす。
そういえば今朝方、家に帰るのが億劫で事務所に滑りこんだのだ。
誰も起こさなかった処をみると気を遣って出て行ったのか、
或いは皆「仕事」で出払っているのかもしれない。
「起きたのか、雪風」
ゆきかぜ、と静かに響く上からの聲に雪風は顔を上げる。
直哉だ。
雪風は顔を顰めた。
「家には帰らなかったようだな」
「別に」
「義父さんが心配する」
「病院だろ」
「お前の監督責任は俺にある」
「それで?」
それで?と直哉を見た。
色素の薄い髪に赤い眼、女だったら、否、こいつに限っては
男にも有効だ、同じ人間かと疑うほど嫌みなくらい顔が整った美貌の
青年、朽葉 直哉、七つ年上の従兄だ。
「家に帰れ、俺も夜には帰る」
「・・・」
ゆっくり雪風は立ち上がる。
直哉が悪いわけじゃない。どちらに否があるかと言えば自分だ。
いつも否があるのは自分だった。それでも嫌だった。
こいつに何かを云われることは雪風には耐え難い。
「俺がいなくても世界は回るし親父も心配なんてしてない、だから直哉も余計なお世話だ」
後ろで直哉が何か云っていたけれどそれももう耳に入らなくなった。
事務所を出て外に出る。
冬の終わりの夕方はまだ寒かった。

朽葉 雪風(くちば ゆきかぜ)その名前も嫌いだった。
朽葉と云う名が嫌いだ。そして雪風という名も嫌い。
この名字と風変わりな名の所為で雪風は大抵の場所で目立った。
そっとしておいて欲しい、できれば世界との関わりは少ない方がいい、
幼い頃からずっとそう思っているのに世界の方が雪風を放っておいては呉れない。
それがいつも何か違うような気がして雪風はたまらなく嫌だった。
そして放っておいてくれない代表と云ってもいいあの従兄、
いつだって忌々しいあのお節介な義兄、
何より雪風は従兄であり兄とも云える直哉が嫌いだった。

「坊っちゃん!」
誰かが後ろから追いかけてくる。
直哉じゃない。だから立ち止った。
「何、」
「いえ、もう暗くなりますし車回しますんで」
「直哉がそう云った?」
「いえ、そんな、坊っちゃんのことはおやっさんからも云われてますし」
嘘だ、直哉の差し金に決まってる。
あの父が自分のことを気にかけることなど無い、
それでもこの少しばかり年上の青年が雪風は嫌いではない。
雪風の境遇をわかった上でいつも口にせず、ただよく送り迎えや
帰らない時に居場所の手配をしてくれた。
「わかった、じゃあ送って」
雪風の言葉に男は嬉しそうに、車回します、と走って行った。

「今日はご実家で?」
「・・・云・・・」
あまり気は進まないがどうせ義母はどこかの男の家だろう、
直哉に云われたからというのは癪だが、取りに戻らなければならないものが
あるのも確かだったし制服の替えも欲しい。
「おやっさんも早く退院できるといいですね」
「退院しても復帰はしないと思うよ、あのひと、」
父の話をするのは好きじゃない。
多分自分は世界にあるものの多くは好きではない。
好きと云えるものを少ししか持っていない。
父は好きじゃない、今の母は後妻で好きとか嫌いとかどうでもいい。
幼い頃死んでしまった実の母を好きだったかどうかもう憶えてもいなかった。
そして直哉は多分この世界で唯一嫌いだった。
それでも、上手くやっている方だと思ってる。
問題の無い家なんて少ないと思う。
何処にだってあるちょっと複雑なだけの話。
だからなんてことない。

父はヤクザだ。
今は落ち着いているけれど、代々続くヤクザの家系で
爺さんの代なんて玄関で「おひけえなすってぇ」なんてことを
やってたくらいの筋金入りのヤクザだ。
でも今ではそんなの儲からない、だから爺さんの代で転がしていた
土建関係を固めて其処から昔のヤクザみたいなやり方は辞めて
新しいヤクザのモデルを模索した。結局表向き真っ当に見えるだけで
中身は昔と代り映えはしないのだろう。
子供の頃からそんな大人達に囲まれて育ってきた。
別に父親がヤクザだから不満があるわけでも無い。
ただ父は俺が七歳の頃、直哉を連れてきた。
七つ年上の従兄だという直哉を。
直哉は天才だった。
直哉と少しでも話した人間ならわかるだろう。
直哉は天才だ。
自分がどんなに努力しても追い付けないほどの天才だった。
常に人の一歩も二歩も遥か先まで見通すような男だった。
父はそんな直哉を称賛し大事にした。
勉強をさせて、好きなことをさせて学費の一切を出して、
直哉の両親は死んで仕舞ってそれで直哉を父が引き取った。
直哉は俺の兄に成ったのだ。
そして俺はいらなくなった。
直哉は俺が座る場所だった父の隣を奪い、
そして組は自然に直哉が継ぐことになった。
父は俺に好きなことをすればいいと云った。
ヤクザになるな、と。
別にヤクザに成りたかったわけではない。
ヤクザなんて碌でもない生き方がしたいわけじゃない。
けれども俺は生まれてからずっと成るものだと思っていたものを
奪われた。何もせずただ其処に在るだけの天才に
どんなに努力しても届かない才能に、
俺は負けたのだ。

( だから直哉は嫌い )

わかりやすい話だ。
居場所の無くなった自分は未だどうすればいいか、
どう生きていいのかさえわからないまま、ずっと宙にぶらさがったまま
全部がどうでもいいとさえ思える。
組は直哉のことだ上手くやるのだろう、
なら自分は?
自分はどうすればいい?
大人達は皆好きなことをすればいいと云うけれど
好きなことが何なのかもわからなかった。
あるのは消失と焦燥、

( そしていつも )

いつも奪われた場所のことを考える。
くだらないそんな世界の話だ。
ありふれていて、ただ少しだけ複雑で、
でも多くの人が悩んだり答えを出したり、
生き方を決める選択の中のひとつ、
そんなありふれた世界のひとつで俺は生きている。



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