夏休みに入り、旅行の日にちが近づく度に尊は焦りを覚えた。
大和は以前と何ら変わりも無く尊に接する。議事堂で過ごしていても、外回りで悪魔を封印したり結界の強化作業をしている時も至って普通だった。時折大学の話をしたりレポートやゼミの話、そして飲み会の話もする。けれども大和の態度は一向に崩れることは無く
その度に尊はその話題をすることが出来ずに過ごした。まるであれは夢だったんじゃないかと錯覚を覚えるほどだ。
けれども大和が渡したメモは確かに尊の手にあって、忘れようとした矢先に、大和に帰り際に「明日、待ってる」と云われて仕舞ってやっぱりあれは夢じゃなかったんだと、尊は再確認して、それでどうしようかと今ベッドの中でもがもがするに至る。
「あー・・・もー・・・」
どうしよう、どうしよう、ぐるぐるぐるぐる、先程から尊の頭はそればかりだ。
鞄はある。用意もしている。ご丁寧に携帯の充電器まで用意した。けれど、踏ん切りがつかない。
大和にキスされた。そういう意味だと大和は云った。
そういう意味と云われても矢張り尊には上手く想像できない。
男同士で付き合うとか付き合わないとかも上手く理解できないし、想像をしたことすら無い。尊とは別世界だと思っていた。
だから正直なところよくわからないというのが尊の回答だ。
わからない、どうすればいいのかわからない。大和は尊にとって大切な友達であり、大事な人であることは確かだ。互いだけが記憶を共有している所為もある。尊は大和から目が離せない。だからといってそれがどういう種類の好意なのか尊にはわからなかった。
何度考えてもわからない。
わからないままぐるぐるしているうちに、朝が来て仕舞った。

「結局・・・来てしまった・・・」
ああ、と尊は鞄を手に頭を抱える。
断ればいい。メールなり電話なりで伝えれば大和は簡単に引き下がるだろう。こと大和は尊とのことに対しては尊を尊重する傾向にある。別にそれで大和は尊を嫌ったりもしないだろう。それがわかるだけに、尊は断りを入れることもできなかった。
そして指定された場所に立つに至るのだ。
「来たか、尊」
やっぱり帰ろうか、でも、と踏ん切りがつかずに尊が埠頭をうろうろしていると向こうから尊を見つけて仕舞った。明らかに尊の挙動がおかしかったので見つかって当然と云えばそうであったが、そういうところを見られるのも恥ずかしくて「ぎゃ!」と尊は妙な聲をあげる。恥ずかしいことこの上ない。
「おはよ・・・大和」
「おはよう、尊」
大和はいつもよりラフな服装で黒の上着に、白のシャツ、それに黒いボトムスを履いている。洒落た形の上着に、質の良い素材の服装は大和によく似合っていた。思えば尊が大和の私服を見たことなどこれが初めてではないだろうか。尊がまじまじと大和を見つめていると、大和が気付いたように笑みを浮かべた。
「ああ、私服などあまり着ないからな、家で着るような着物を着て行こうとしたら、田代に止められた」
田代とは大和が一番重用している峰津院専属の侍従の男性だ。代々峰津院に仕えている家系らしく、尊も何度か会った事がある。
「似合ってるよ」
「そうか、尊と出掛けると云えば、こういう服装の方がいいと云われてな、良かった。似合っているか」
心なしか嬉しそうな大和に尊は笑って仕舞う。
ああ、なんだ。つまらないことで悩んでいた。
そうだ。大和と出掛けたかったのは尊ではないか。
船で出かけられたら、と。莫迦みたいな夢物語。無邪気に尊が口にした言葉を大和は実行した。そこにあるのは大和の好意だ。掛け値無しの大和の優しさに他ならない。それが尊にはわかっているからこれが莫迦げているとも、時間とお金の無駄だとも云えない。
大和がわざわざ尊の為に時間を割いてくれたのだ。楽しまなければいけない。この貴重な時間を尊は大和と過ごす為に来たのだから。
尊は一頻り笑った後、もう一度大和に似合っていると告げた。
「うん、いいよ、大和、そういうの俺好き」
「そうか」
「あ、船は?」
埠頭には様々な船がある。世界一周できそうなくらい大きな船や、個人で所有する船まで様々だ。
尊はぐるりと辺りを見回し、どれが大和の船かと問うた。
「あれだ」
指し示された船は、その世界一周できそうなくらい大きな、豪華客船だった・・・。


「ウン、大和を普通の尺度で考えた俺が間違いだった」
尊は云った。シャンパングラスを片手に動き出す船の上で云った。
「ヨーロッパにあった船を呼び戻すと云っただろう?」
それにしたって、一生尊がお目にがかれそうにないクラスの船だ。
船では無い、これは一つの都市のようなものである。
中に入ってみれば尊の開いた口が塞がらない。中には映画館からプールからジムからカジノまである。巨大な都市だった。
「尊が乗りたいと云った船はこんなだったと思うが・・・」
確かに尊はヨーロッパへ行く豪華客船の番組を観て乗りたいとは云った。云ったが尊の想像の限界はちょっと豪華なクルージングが出来る船だった筈だ。こんな馬鹿でかい船ではなかったし、こんなに設備もいらない。だって豪華客船の番組では沢山の人が居たけれど、此処には尊と大和しかいないのだ。二人しかいないのにこんな馬鹿でかい船を呼び寄せる大和も大和だし、それで熱海に行く莫迦も恐らく尊達ぐらいではないかと尊は思い始めている。
「大和って本当になんでも持ってるよね・・・まさかこれから行く温泉も大和の家のひとつとか?」
「いや」
違う、と大和は首を振る。流石にそれは無いらしい。だいたいこんな船で行ったら熱海は直ぐだろう。何処に留めるのか不安になったが、それもついでに訊いてみれば沖合に停泊させて、其処からは小型の船で移動なんだそうだ。少し安心した。
「熱海の付近には手のかかった家は無いのでな、だから峰津院の分家が所有する別邸に行く」
「ああ、やっぱり・・・ホテルとか旅館じゃないんだ・・・」
「だが安心しろ、尊。卓球はできるように工事させたぞ」
うん、やっぱり大和はただの世間知らずだと尊が確信した瞬間だった。
「さて、ゆっくり移動しても直ぐだからな、暫く沖合で停泊してから夕方前に向こうへ行こう。それまでは此処で遊ぶと良い。ランチも用意してある。こっちだ尊」
大和に手招きされるままに尊は中へ移動する。お洒落なテラスに昼食が用意されていた。
給仕の人も横に控えていて、この休暇の為だけに此処に駆り出されたのかと思うと改めて尊は申し訳ないような気持ちになる。逆に酷く機嫌が良さそうな大和が目の前に座るので、結局尊は、大和が楽しそうだからいいか、と思って仕舞った。そのあたり尊は大和に甘いのだ。本人にその自覚が全く無かったが。
大和が用意したランチが美味しくないわけが無く、ただたこ焼きのバリエーションが最早たこ焼きでは無いところまで行っていたけれど、尊はツッコミを放棄して目の前のたこ焼きを美味しく頂いた。たこ焼きでは無いが美味しいことに変わりは無い。
一通り大和に船内の施設を紹介してもらったり、写真を撮ったりして、それから宿にと大和が用意した家に着いたのは夕方だ。

「凄い・・・」
「狭くて済まないが・・・来年また来るのなら、もっと良い家を用意しよう」
さらりと大和に家を建てるようなことを云われて尊はそれを黙殺し、目の前の家を見る。
敷地だけでも尊の家が何軒入るのかわからない。古い日本家屋はただ古いだけでは無く格式があるようなそんな佇まいだった。
「これで狭いって・・・」
「峰津院本家はこんなものでは無いぞ、尊。今度冬にでも遊びに来るといい」
「凄そうだね」
「何、ただ古いだけだ」
案内された部屋は整えられていて綺麗だ。事前に大和が手配していた所為か、分家の別邸だという其処は細部まで手を入れられていた。
「此処、いいの使っても?誰か住んでたんじゃないの?」
「元々別邸だから問題無い、此処には私と尊しかいない、暫く使っていないようだったから手入れだけはさせておいたが、尊、先に風呂に入るか?」
「いいの?」
「勿論」
大和に導かれるままに尊は荷物を置いて、風呂場に向かった。
矢張り其処でも感嘆の溜息しか出ない。内風呂と露天風呂の両方が贅沢にもお湯を湛えていた。
「広い・・・」
「そうか?まあジプスの宿舎に比べれば広いか」
「広いよ、こういうの贅沢だよね」
尊は躊躇することなく衣服を脱ぐ。大和は一瞬それに驚いたようだったが結局尊に倣った。
大和からすればこういった尊の警戒心のなさは不安になる。そして改めて全く意識されていないのだと思い知らされるのだが、それも仕方の無いことだろう。こと尊に関しては大和は長期戦で構えている。尊を手放すつもりも無い。檻ならばいくらでも広げられる。この世界は自分が思い描いた世界では無い、腐った世界のままではあったが、それでも大和は尊の為に割く力を多く持っているつもりだ。尊を手放せないからこそ、想いに応えて欲しいわけでも無い。尊のそういった善良さを大和は愛してもいる。
尊が普通に暮らしたいと云うのならそれもいい。誰かと何処かの女と婚姻して子を成すのもいい。けれども大和は尊から離れることは出来ない。それならばせめて少しでも尊が居心地良く、過ごしやすい環境を作るまでだ。この思想は支配者の考えではあったが、全く以て大和は尊に対してその力を行使することに躊躇いが無かった。
それほどに尊は大和にとって得難い男なのだ。
「気持ちいいか?尊」
「うん、いいお湯、思えば大和とこんな風に過ごすのも初めてだよな」
「そうだな、仕事抜きは初めてだ」
「嘘、昼間ちょっとしてた」
「あれは定時報告だ。仕事では無い」
ふうん、と尊は云いながら改めて大和を見る。
大和を意識していないわけでは無いが、尊はそれ以上にこの旅行を楽しみたい。大和と楽しみたかった。そういう感情を、好意や愛情といった恋愛のような感情が大和にあっても尊は大和が好きだ。
「大和ちょっと働きすぎだよ、そりゃ若い時の苦労は買ってでもしろって云うけどさ」
「そうか?私にはこれが普通だからな、わからない」
「休みの日何してんだよ・・・」
「休みなど無いな」
「子供の時から?」
「子供の時から」
尊は大和を見た。
湯に浸かって気付いたことだが大和の身体は均整が取れていて、計算され尽くされて造られた身体なのだと一目でわかる。
有事の際に役立つようにと、実際それがセプテントリオン襲来の際には結果が出た訳だけれど、大和はその為に育った。身体を鍛え、知識を詰め込み、国の為に学校も行かずに特別な環境で育った。大和達の一族はその為だけに生きている。国の影として命を捧げ続けている。それを想えば、尊は大和に何も云えなくなった。
「俺がさ、教えてやるよ」
「尊?」
ばっ、と尊が顔を上げた。そして真っ直ぐにその青い眼を大和に向ける。
「遊び方!休みの日の!」
「温泉での過ごし方もか?」
機嫌が良さそうに云う大和に尊は笑顔で答えた。
「そう、例えば卓球の仕方とかね」
「それは頼もしいな」

温泉の後の食事はとても美味しかった。懐石料理で作法は気にしなくていいと云われたので尊も気にせず食べた。そして食後の腹ごなしにと卓球場に来たわけだが、本格的過ぎて尊の開いた口が・・・(以下略)
であったのだが・・・。
「此処まで強いって聞いてないよ・・・」
「済まない、今日初めてやったのだが」
「うん、大和って本当何でも嫌味なくらいできるよね・・・」
改めて済まないという大和に尊は十連敗している。
卓球は少し自信があっただけに、もう泣きたい。
よよよ、と崩れる尊を無視して大和は云った。

「しかし尊、何故温泉で卓球なんだ?」


07:とにかくggrばいい。
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