「俺、バイトしようかな・・・」
不意に尊が呟いた言葉に大和が顔を上げた。
既にいつもの定位置となっている大学構内のカフェテラスでのことだ。
大和は雑誌をめくる尊を見つめ、少なくとも味だけは改善させた(文字通りさせたのである)珈琲を飲み、優雅に何処から用意したのか峰津院の家紋が入ったカップを机に置いて、それから口を開いた。
「ならばジプスでアルバイトするか?尊」
「え?いいの?」
次の瞬間、大和に提示された金額に一も二も無く頷いた尊だった。



朝、大和はリムジンで登校する。
既に恒例となった風景であるが、最初は生徒も騒然としたものだ。それなりの階級の人間であったりいわゆる金持ちも生徒の中には居たが、矢張り大和のそれは別格であった。報告や決済の必要な書類を持って迫や秘書らしき美人の女性達が度々大学に来る上、SPらしき人間も大和と一緒に居るとああ、待機しているんだと云うのがわかる。大和は授業中始終パソコンに向かって、仕事をしている。勿論授業は聴いていない。大和だけは免除されているらしく、博士号を持っている上、恐らく峰津院が裏から圧力をかけたのだろう。故に当然とも云えたが、教師も大和はいないものとして振る舞うのが常だった。以前そんな大和の態度に納得がいかなかった教師が大和に授業中質問を投げかけたが、ものの見事に論破され、教師は不可侵を破ったとのことで別の場所に飛ばされた。それほどに峰津院の力は強力であった。大和の言を取ると「職場が変わっただけでやることは変わらない」とのことであるが、落ち着かないのは確かである。今も授業中であるのにもかかわらず大和は電話に出ている。基本的に電話は回さないように大和が指示しているので電話がかかってくるというのは余程の事態であるのだろう。どうも億単位でお金が動いているらしく、武田がどうのと大和が話している。ちなみにその武田さんは今現在の総理大臣であると尊は知っていた。
そうなると大和の存在はもう異質な上に教師も何も言えないほどの大物である。生徒の間では『王様』とあだ名されるほど、大和の俺様っぷりは大学に浸透していた。
けれども慣れとは恐ろしいものでそんな大和にも、もう六月半ばにもなれば皆それが普通として受け止めている。
そして再びいつものテラス。
昼休みとその次の時間を挟んで授業が無いので尊は大和の前でレポートを作成しながら、大和が用意させた重箱をつついていた。
食事については大和は過干渉しないということで市井の文化を尊重したらしく食堂の改善は行わなかった。代わりにいつも昼になると大和専属の侍従の人がこうして出来立ての食事を運んでくるのだ。勿論尊の分も。最初は断っていたが大和が食べているのを見るとあまりにも美味しそうなので誘惑に負けた尊だった。時間がある時はフルコースを用意されたが流石にそれを出された時は悪目立ちしたので以降丁重にお断りさせて頂いている。
「お、うまそー!」
聲をかけてきたのは同じゼミの東堂という男である。
「やらないぞ」
尊は重箱にあった大きな車海老をぱくりと口に含んで威嚇した。大和はそれに微笑みながら只管キーボードを叩いている。
「けち、そーいや小鳩ってさ、何かバイトとかしてんの?」
「え?あ、うん、お前辞めたって云ってたっけ?」
「そ、なんか割に合わなくてさー、近いと思って行ったら遠くの支店行かされるし・・・何かいいのない?つか、何処でバイトしてんの?」
尊はその言葉に言い淀んだ。思わず大和を見るが、大和は電話で誰かに指示を出しているらしくどうしていいのか迷う。少し迷ったが、結局尊は真実を口にした。
「うん、国会議事堂でバイトしてる」
「は?何、清掃とか?派遣関係?」
「いや違うけど・・・」
「お前何のバイトしてんの?」
問われて尊は首をかしげる。何と云っていいのか、実はそれほど大したことはしていないのだ。
「え?ええと・・・外回りとかもあるけど基本、上司の隣に座っていらない書類をシュレッダーにかける係、かな?」
上司とは勿論大和である。尊は大和に云われるままに決済された書類を秘書の人に渡したり要らない書類を処分したり、処分したり、処分する。時折やる事が無ければ大和に許可を取って授業のレポートを作ったりもした。バイトであるのでそれ程気にしていなかったがよくよく考えれば尊の仕事はいわゆる閑職である。ちなみにレポートを作っている最中大和に何度も教えて貰ったりしているのでどちらかというと大和の方が損している気もした。
「なにそれ楽ジャン!自給いくらでんの!?」
「二千円、休日は三千円・・・後、外回り付くと特別手当が出る」
そう、尊がこのバイトに頷いたのはこの自給の良さである。
何と云っても大和のところであるし、時給が良いのはわかっていたがこの待遇は悪くなかった。ちなみに尊はバイトとして一時的に入室カードを発行してもらっていると思っているが実際尊に発行されているのは正規の局員、しかも大和と同じクラスの部屋を自由に行き来できる特別仕様の局員証である。
「すげー!紹介してよそのバイト!」
確かに訊けば夢のようなバイトではある。外回りが無ければ・・・。外回りはあれである。妖怪退治とか悪霊退散系のあれである。こういうのを見るとジプスって本当にそういう組織なんだなと尊は実感する。まだ外回りは二度ほどしか着いて行ったことは無かったが、非常に特殊なアルバイトではあった。
「うーん、無理だと思うよ、大和のとこだし・・・」
そもそもジプスは霊力が無ければアウトだ。施設に入ることすら拒否される。全国から選りすぐりのエリートが集められた組織であるのだ。才能が無ければ並大抵の努力では不可能である。尊はたまたまあの七日間で偶然適性を見せたから運が良かっただけなのだと思っている。実際はそうでは無い。大和が尊の為に大学へ通うという驚天動地な事象を起こしているのだが、それを尊が知る筈も無かった。
「峰津院の?」
尊の後ろにいる大和を見れば電話は終わったらしく、再びパソコンへ視線を戻していた。
「おーい、峰津院、俺もお前のとこで働きたいから紹介してよ!」
軽く云って仕舞う東堂にも恐れ入ったが、大和の反応は予想した通り絶対零度のものだった。
「何故私が貴様のようなクズを雇わねばならん」
あっさり学友をクズと云って仕舞う大和に尊は青褪めたものだが、既に皆鍛えられたのか東堂は至って平気らしい。慣れとは恐ろしいものである。
「は?雇う?峰津院が?どゆこと?」
「私が局長だからな」
はっきり云われて、東堂が尊に耳打ちした。
「峰津院って何者?」
「何者って云われても、ほら・・・王様なんじゃない?」
あだ名の通り彼は君臨する男なのだ。尊が真実を説明するわけにもいかず、そこは濁した。
納得したのか納得していないのかけれどもバイトは無理だと理解した東堂は、残念と呟いてひらひらと手を振りながら、来週の合コン開けといてーという言葉を残して行って仕舞った。
残った尊は再びレポートに目線を戻す。
大和も仕事に集中しているようだ。
不意に尊は大和を見た。
「どうした?尊」
視線でわかったのか、大和は尊の動きには敏感に反応する。
気の利く男ではあったが、それが尊にしか発露しないのは喜んでいいのか悪いのか正直悩むところだ。
「うん、峰津院って隠されてるんだよね」
「そうだな」
「じゃあ、峰津院って名乗ったり此処で仕事して大丈夫なの?」
そこで大和が顔を上げた。
尊と視線を合わせ、それから笑みを浮かべる。
「隠されていると云っても知っている者は知っているしな、峰津院の障害になるようなら排除するが、別段問題も無い」
「そういうもの?」
「ああ、害意ある者が近づけば霊力の無い者は記憶が混濁するように結界を張ってある、逆に害意があって霊力のある者が私に近付けば式神に食い殺されるのでな、他は護衛の仕事だろう。いざとなれば記憶の操作など造作も無いことだ」
「霊力って便利だね・・・」
ふむ、と大和が頷く。指が、たんたんとキーボードを操作して、それから大和はにやりと笑った。

「インターネットほどでは無いな」
その言葉に尊はつい笑って仕舞った。


04:新緑から
初夏に向けて
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