忘れたいと思っても忘れられないことも多くあるがそれ以上に尊には現実が迫っていた。 受験である。大和のことを気にしつつ、結局別の世界の住人なのだと己に言い聞かせながらも尊は目の前の受験勉強にのめり込んだ。 ただただ毎日が忙しなく過ぎていく。大地はてっきり同じ大学を受けるのだと尊は思っていたが、意外にもやりたいことがあるからと別の大学を受けて仕舞った。維緒も、皆別々の進路だ。けれども尊も専門的に学びたいこともあった。あれから多くのことを今は知りたいと思う。だからそれぞれの進路に向かって歩き出し、卒業し、そして今、尊は晴れて志望校である大学の門を潜っている。 自宅から小一時間ほどの距離にある大学は広く、矢張り高校とは違うのだと思い知る。 これから四年間此処で勉強をしてそれから就職するか専門的に勉強するか決めることになるが、今は訪れたこの新しい生活に慣れることから尊は始めなければいけない。 授業の予定を携帯で確認してから尊は講義に向かった。敷地が広い上に建物が多くて、何処にどの教室があるのか未だに把握できていない。知り合いもいないこの状況で尊は少し緊張しながら教科書を持って教室に向かった。 今日が授業初日であるので、顔合わせ程度に終わればいいが、単位の心配だってある。ゼミをどうするか等考えることは山積みで、尊は遅刻しないように、足早に教室に入って、適当な席に座った。 授業が始まるまであと三分。チャイムが鳴れば初めての講義だ。ノートを取り出そうと尊が鞄を開けていると背後から声がかかった。 「隣いいですか?」 授業が始まるので学生が一杯になってきたのだろう。 尊は「どうぞ」と頷きながら目当てのノートを取出し顔を上げた。しかし顔を上げた瞬間、尊の全てがフリーズした。 「・・・大和・・・」 目の前には大和だ。あの黒いコートは着ていないけれど確かに大和だ。 薄い銀色に光る髪に整った顔、薄い瞳にすらりと伸びた手足、目の前の男は間違いなく彼だ。 スーツ姿で尊の目の前に立つのは峰津院大和その人だった。 「ちょ・・・え?え?」 「済まないが、少し詰めてくれ」 大和に促されるままに尊は席を詰める。 何でも無い顔で座った大和は半年ぶりくらいだというのに相変わらず何を考えているのかわからない。 尊に分かる筈も無い。涼しい顔で綺麗な顔を晒しながら大和はノートパソコンを取り出した。 接続状況を確認し、それから業務連絡なのかメールを開いている。 「大和、なんで・・・!」 何故こんなところに大和が居るのか、何故尊の隣に座るのか。 どういうことか問い正したいが、尊が口を開けば大和はしぃ、と唇に指を当てた。 「授業が始まる。私には毛ほどもどうでもいい内容だが、此処は大学構内だ。詳しくは授業が終わった後で」 確かにそうである。此処は勉強をするところであって同窓会をするところでは無い。 大和に云われては尊は返す言葉も無く、尊は初めての授業であるのに全く集中できず隣の大和を始終見るばかりで終わった。 そして授業が終わるチャイムを聴いた瞬間、尊は隣に座る大和に詰め寄った。 元々近かったのだから詰め寄る必要は無いわけだが、そうせずにはいられない。 だって、おかしい、この大和は尊のことを覚えている。 確かに覚えているのだ。 「どういうことか説明してよ」 「ふむ、此処は他の授業で使われるだろう、尊、次は第二外国語だったか」 「そうだけど、ってなんでそんなことまで大和が知ってるんだよ!」 「面倒だな、サボタージュしても良いのならテラスにあるカフェで説明しよう」 暗に来るか?と大和に問われて、尊は一瞬、躊躇してから結局先を歩く大和に続いた。 「で?どういうことか説明してもらうからな」 「ああ」 大和はテラスの一番良い席に座り、尊が買ってきた珈琲を遠慮なく口にした。 テーブルの上には矢張りノートパソコンが置かれていて、大和は常に画面から目を逸らさずに何事かを打ち込んでいる。 「最初は私も違和感程度にしか感じてはいなかった、君はどうだ?」 「俺?俺は・・・覚えてはいたよ、世界がセプテントリオンに襲撃されたことは覚えてた。仲間とかを思い出したのは結構後だったけど・・・」 「志島達はどうだ?」 「全然、前よりもしっかりはしたけれど、思い出した様子は無かった」 その言葉に矢張りな、と大和は頷いた。何が矢張りなのか尊にはさっぱり理解できない。 そんな尊に得心したように大和は答える。 「どうも霊力が高い者ほど記憶に残っているらしい、最初は違和感から始まり、白昼夢のように記憶がフラッシュバックしてきた」 「俺と同じだ・・・」 「局員達も念の為調べたが記憶の兆候すらない。迫や菅野はそれぞれ違いはあるものの、矢張り夢を見たような感覚らしい。今でもそれが現実にあったとは理解し難いようだな、菅野はそれがあったこととした上で理論を構築する研究に着手すると云っていたが・・・」 「あはは、史ならなんかわかる気がする・・・」 「君の霊力は以前なら然程強くもなかったのだろう、だがセプテントリオンを退け、ポラリスに対峙した君は違う、もう以前とは違う君だ。過去に戻っても能力は上書きされるようだな、まして君は全ての事象の中心に居た、だから覚えていたのだろう」 「じゃあ大和も最近思い出したの?」 大和は其処で初めてノートパソコンを操作する手を止めた。そして顔を上げ、尊を揺らぎの無い眼で見つめる。 「大和?」 少しの沈黙があって、大和は尊に笑みを浮かべた。意味深な笑みだ。まるで嬉しそうに、大和は云う。 「一度、検索しただろう?」 「検索?」 「ジプスや私について」 「あ!」 確かにした。尊は自宅のパソコンから調べた。もう何ヶ月も前の話だ。 「でもヒットしなかった。ジプスも大和の、峰津院についても何もなかったよ?どうして・・・」 「私は国家機密だからな、ジプスや峰津院に関することをインターネットなどを介して検索すれば即座に逆探知される、無論電話でその名を上げてもチェックリストにあがる」 「すげー・・・というか盗聴ってまかり通るんだ・・・」 「個人情報も国家権力の前では皆無というわけだ」 別世界である。成程だから大和についての情報の一切が無かったのかと納得も出来た。 改めて尊は大和が別世界の人間なのだと思い知った。 「リストを調べれば君の名前だ。それで私もはっきりと何があったのか、我々が何を成したのか思い出した」 「それで大学に?何か用でもあった?」 「ふふ、尊に会いたくてと云ったら?」 「へ?」 まぬけな聲をあげたのは尊だ。 大和は悪戯が成功した子供のように楽しそうに目を細めた。 「直ぐに会いたかったが、色々仕事が立て込んでいたのでな、五ヶ月も待ったんだ。驚いただろう?」 「驚いたよ・・・」 ずるずると椅子に深く沈む尊に大和は今度こそ聲を上げて笑う。 「それは良かった。ならば尊此処はひとつ宜しく頼む」 「頼むって何を?授業あるからそれまでに出来ることでお願いするよ」 「云、簡単なことだ」 「はあ、」 腑抜けた返事をする尊に大和は尊大に、けれども優雅に笑みを漏らしながらこう云った。 「ではこれから最低四年は君と共に過ごすことになるな」 大和の言葉に目が点になったのは尊である。 「ちょ、おまっ、四年って、まさか大学に通う気か!?」 「そのつもりだが」 「大学レベルなら子供の時に習得したって・・・!」 「正確には博士号は取っている」 「峰津院は学校に行かないって・・・!」 「まあ市井の生活を知るのにも有効かと思ってな」 「だいたい大和、まだ高校三年の筈だろ!どうやって大学に・・・!」 「私は峰津院だぞ」 「ジプスの仕事は!?」 「何、仕事場がジプスの支局から此処に移っただけで別に問題は無い」 大和が操作しているパソコンを見せた。 常にオンラインであるらしいそれは会議の様子を写しだし、こうして画面を見せられている間にもひっきりなしに大和のパソコンに報告書や様々なメールが送られている。 「道理で朝から騒がしかったわけだよ・・・」 今もちらちらと色んな生徒がこちらの様子を伺っている。先程廊下に出た時もそうだ。 大和は、違う。他の一般の生徒や教師とも明らかに違う雰囲気で容姿やその存在感からして別世界の住人である。 どうせ朝もそんな風に(下手したら道に絨毯まで敷かれたんじゃないかと危惧するくらい)大学に来たのだろう。 尊は呆れた。 呆れたと同時に安堵もしていた。 覚えていたこと、忘れないでいたこと、そして大和が会いに来てくれたこと。 正直に嬉しかった。 「まあわかったよ、飽きるまで市井の勉強すればいいよ、とりあえずアドレスと電話番号教えてよ」 「ああ、私に直通の番号を教えよう」 大和とそんな遣り取りをしながら尊は半ば自棄になる。もういいや、というような気持ちだ。 平凡な生活に戻ったと思ったけれど、どうもそうはさせてくれないらしい。平凡で普通の人生を全うしようと思っていた。けれどもこの展開は予想外だ。尊は困惑すると同時にこれからどうなるんだろうと気分が高揚した。 「ランチ食べよ、」 「それなら私も何か貰おう。・・・しかし尊」 「何?」 立ち上がる尊に大和は深刻な様子で眉を顰めた。 「この飲み物が珈琲だとは私は到底思えないのだが・・・」 「良い物飲みすぎなんだよ、市井の者はこれで普通なの!」 「これが珈琲か・・・いや矢張り無理だな、これは改善させるべきだろう・・・」 後日、本当に美味しい珈琲サーバーが大学のテラスに設置されることになるのだが、尊はそんな大和に溜息を漏らしながらランチに何を食べようか頭を捻らせた。 そして背後の大和をそっと窺う。 大和は覚えていた。来てくれた。嬉しかった。けれども、少し困ったことがある。 訊けない、訊けるわけがない。 でも意識すればするほど思い出す。 03:そういえば俺 こいつとキス したんだった。 |
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