「撫子!調子どうだ?」 迫に導かれるままに病室を出て、撫子を救いに行ってジプスから逃げた大地達は落ち着き先を探して暫く彷徨った。 程無くして、少しはまともに機能するビルを見付け其処に落ち着いてから二週間になる。 撫子は連れ出した時にも体調を崩していたのか、寝たり起きたりを繰り返していた。 漸く三日ほど前から普通に動けるようになったところである。 「今日は具合がいいよ」 「うん、そうだな、お前こっち来た時よりもずっと顔色良くなった」 「有難う、先生も居るしね」 「そだな、まあラッキーだったよな」 迫に北西に行くように云われ、云われるままに先生と呼ばれる人物の所へ向かった。 五十代のひげもじゃの男性は迫の恩師だと云う。迫があの状況でジプスへ戻ると云った時は焦って引き留めたものだが律儀な彼女はジプスへ戻った。「私には責任を負う義務がある」と云って聞かなかった。 「真琴さん大丈夫かな」 「・・・大和がどうするか、だよな、粛清の噂は無いけれど、こればかりはわからない」 何処で再会したのかはわからなかったが、迫の名前を出せば、簡単に受け入れてくれた。 世界がこうなった今でも穏健派ばかりが集まっているコミュニティはあるらしく、この『先生』が率いるコミュニティもそうだ。迫は此処を心配して時折食糧や日用品を自分の分を切り詰めて渡していたらしい。 四六時中共にコミュニティの人間と居ることはなかったので適当な寝床を見つけて其々が必要な時に情報交換や物資の交換、専門の知識の公開や、治安の維持を行っている。幸いにも大地達はそれなりに力が強い方に分類されるので歓迎された。 「ご飯できたよ、食べよう」 維緒が遠慮がちに撫子の部屋に顔を出した。 「お米分けてもらったから、簡単だけど」 皿に乗せられているものは炒飯だ。一品しか無かったが暖かい出来立てを食べられるのは有り難かった。 「すげー!チャーハンなんてあったんだ!」 「卵、少しだけあったの、良かったら撫子くんも」 「有難う、頂くよ」 維緒の作ったチャーハンを受け取り撫子は微笑んだ。 その笑みを見る度に大地は胸が締め付けられそうになる。 あれから、大地達は死んだのだと、死ぬのだと思っていた。せめて維緒だけでも逃がそうとしたが出来なかった。朦朧とする意識の中で撫子の身を案じながら手術をされ、病室に閉じ込められて漸く動けるようになった頃に維緒に再会できた。 何度も医師に撫子のことを問うたが誰も答えてはくれなかった。大地が焦れて何度目かの逃亡を画策している時に迫が見舞いに来た。 漸く許可されたのだと、迫は云う。安堵したものの警戒はあった。撫子の様子も知りたかった。けれども撫子だけは迫にも手が出せない領域にあるらしく局長である大和の直轄になっていた。 撫子が閉じ込められていたのは最上階のフロアだ。 三ヶ月ぶりに再会した撫子は随分疲れた様子で具合も悪そうだった。当たり前だ。あんな窓も何も無い部屋に閉じ込めて、大地達の部屋ですら小さな窓はあった。その窓すら撫子には無い。幾重もの結界が張られ、撫子は其処から一歩も出ることも出来ずに大和に閉じ込められていた。大和に何をされていたのか想像に難しくないだけに胸が痛む。 撫子は大丈夫だと、有難うと微笑むけれど、次に大和に会う事があるのなら大地は大和を殺しにかかるかもしれないとさえ思った。 撫子を守ってやるつもりだった。いつも守りたかった。けれども叶わなかった。せめて維緒だけは、と此処まで共にしてきたが、撫子を守れなかったことを大地は自分の落ち度だと思っている。 だから今はジプスを徹底的に避けていた。 このジプスが支配する世界では難しいことではあったが今は西の方で大規模な衝突があるらしく大和もそれどころではなさそうだった。実力主義なのだからそれこそが本分と云えたがこの状況が大地達には有り難い。常ならばもう少し居るであろうジプスの人間と出会う確率が下がるからだ。 大和があれから直ぐに撫子を追ってくるものだとばかり思っていたが、不思議なことに追手は無かった。逃げている最中に一度だけ部隊に遭遇しかけたが、隠れている間に何事かあったのか彼等は去って仕舞った。 驚くほど順調に大地達はジプスの本拠地から逃げ遂せたのだ。 「美味しい」 「本当?良かった」 「夕飯は手伝うよ、大変だったでしょう?」 撫子の穏やかな物言いは周囲を安堵させる。 大地はそれを見ながら炒飯を口に運んだ。 「あ、と」 思わず取りこぼす。撫子はそれに敏感に反応して、大地を気遣った。 「手伝おうか?」 「大丈夫、ダイジョブ!これでもだいぶ動くようになったんだぜ!」 大和に抉られた大地の右腕の傷は思ったより深かった。維緒の足も大変なものだったが大地より早く完治し、リハビリを開始するのが早かったのだ。大地は未だリハビリが足りていない。ジプスで世話になった医師によるときちんとリハビリすれば前と殆ど変らない程に動くようになるらしかった。だからそれほど悲観的にもなっていない。 零さないように気を付けながら大地はスプーンで炒飯を口に運んだ。 「食べ終わったら見回りにでも行こうぜ、夕飯まで時間あるし」 大地が務めて気軽な口調で云えば撫子は頷いた。維緒は『先生』のところに用があるらしく、後で合流するという話になった。 「いい子だね」 「維緒が?」 「うん、此処の人皆、頑張ってる」 「そうだな、」 大地は少し寒くなってきた空気に身を震わせながら撫子を促した。 あまり外に出ていない撫子に長居させるのは可哀想だ。暗くなって冷える前に戻った方がいいだろう。 大地は念入りに巡回する場所の異常を確認しながら瓦礫の中を進んだ。 「世界がこうなっていたなんて知らなかった」 ぽつりと撫子が云う。 大地はその言葉に振り返った。 撫子は瓦礫の中で立ち尽くしている。それがまるで撫子が消えて仕舞うようで大地は切なくなった。 「そりゃ、ずっと窓も何も無いあんな場所に閉じ込められていたんだから当然だろ」 「うん、御免ね、俺勝てなかった」 「誰の所為でも無い、世界がこうなったのは俺たち皆の責任だろ」 「大地と維緒に怪我をさせて仕舞った」 「生きてただけ儲けもんだろ」 「真琴さんにも迷惑をかけた」 「心配だな、大丈夫だといいけれど」 「死んだと思っていたんだ」 「俺たちが?」 云、と撫子は頷く。 「大和は云わなかったのか」 「途中まで知らなかった。死んだのだと思っていた」 撫子は淡々と話す。その様に大地は胸が苦しくなった。 繊細な撫子、辛いことを辛いと云わない撫子、そんな撫子を助けられなかったことが大地には悔しい。 守ると、思っていた、ずっと小さな頃からそう思っていた。だって撫子は大地にとって親友でありたった一人の幼馴染だ。 大切な撫子だった。だからこそ悔しかった。大和に勝てなかったことが悔しかった。 撫子が『こわい』と云った男に連れていかれたと知って、どれほど歯痒い思いをしたかしれない。 撫子は大和に閉じ込められ、恐らく口では云えないような暴力を受けたのだと大地は思っている。 「でも、違ってた」 「うん、そうだな、大和はなんでか俺達を殺さなかったよ」 殺されると思った。確かにあの瞬間大地は死を感じた。 けれども助かった。どういう理由か大地には理解できなかったが、或いは未だそれなりに使える駒だと判断されたのか、言葉通り大和に首を斬られるかと思っていたが、助かった。医者に診せて手術までして軟禁されていたものの手厚い看護を受けてどうにか此処まで回復した。その点だけは大地も維緒も感謝している。 「大和は踏みとどまったんだ」 撫子の言葉に大地は今までに無い不安を覚えた。 何だ、何が違うのか、けれども撫子は何かが違う気がする。 「厭な予感がするから聴くけど、お前戻る気じゃないだろうな」 「大地って流石に俺の幼馴染だよね」 あっさりと撫子に頷かれて大地は総毛立つ。 「莫迦云うなよ!俺達がどれだけ苦労してお前の所に行ったのか!わからないわけじゃないだろ撫子!」 「うん、知ってる。だから俺は外を知ることが出来たし、皆に再会できた」 「じゃあなんで、嫌、何でかなんてどうでもいい、大和とは金輪際関わるな!お前は俺が何が何でも守る、大和が来たら勝てないかもしれないけれどお前を逃がすくらいの時間は稼いでみせる、だから大和とは関わるな、あいつ異常だよ、お前に対してだけおかしい、お前だってわかってるんだろ、あいつに何されたのか検討は付いてるんだ、お前、あいつに・・・」 其処まで云って大地の口は止まった。 撫子は困ったように微笑みながら大地を見る。 「心配してくれて有難う、大地」 「駄目だ!行かせない、あんな思いは真っ平だ、お前を行かせるわけにはいかない」 「俺ね、大和が怖かった」 「怖いんだろ、じゃあ尚更、行く必要なんて無いじゃないか、撫子、お前どうかしてる」 「うん、本当にそう思うよ、俺大和が怖かった、でも怖かった理由がわかった」 「撫子!」 撫子は真っ直ぐに大地を見た。その眼の真剣さに大地が止まる。 こんな、幼馴染のこんな顔は初めて見た。 撫子は迷っているようにも見えた。けれどもその目に決意があった。 「俺ね、大和に惹かれてたんだ、だから大和が怖かった、大和に近付いて自分が変わるのが怖かった」 「撫子、よく考えろ、お前が大和に抱く感情は間違いかもしれない。恐怖の中で生まれたものかもしれない。仮に今大和のことを想っていても本当じゃないかもしれない」 大地の指摘に撫子は頷いた。 「俺、多分、大和が最初から好きだったんだ」 撫子の告白に大地は言葉に詰まった。 わかっていた。そんなの最初からわかっていた。 怖いと撫子が大和をそう云った時、大地にはわかってしまった。 だからこそ撫子を案じた。あの強大な引力を持つ男が撫子を変えてしまう気がして大地もそれを恐れた。 「男同士だぞ、錯覚かもしれない」 「錯覚かもしれない、だから怖かった」 怖かったと、撫子は云う。その言葉に大地の言葉が震えた。 「じゃあなんだよ、怖いならいいだろ、大和はいない、俺達とこうしてやっていけばいい、お前がまた大和の元に戻るなんて何されるか・・・まるでお前が人身御供みたいで可哀想だ」 「大和に向き合って変わるのが怖かった、ねえ、大地、大和は未だ十七歳なんだ」 「十七が何だよ、そんなのわかってる」 「わかってないよ、十七歳の子供なんだ、何も知らない、強くあることを望まれて望まれるままに育ったのが大和だ。大和は沢山の物や感情を知らない。可哀想なのは大和なんだ、俺じゃないよ大地」 「撫子・・・・・・」 撫子は吹っ切れたように大地に振り返った。 夕日が反射して顔が上手く見えない。 けれども、大地は今まで見た中で一番、それが美しいと思った。 決意した撫子は凛と瓦礫の中に立った。 きらきらと光が反射して、綺麗だった。 「俺はそういうものを大和に教えたい」 奪われるのでなく教えたいと撫子は云う。 撫子は一度決めると折れない。どう云ったって駄目だ。そんなの大地が一番よくわかっていた。 だからどんなに大地が引き留めても撫子は行く。大地は、あー!と叫んでから頭を掻いた。 「お前、賢いけど馬鹿だよな」 「うん、そうみたい」 「でもまあ、」 大地は撫子の肩を叩いた。 「繊細で守んなきゃって思ってたけどお前って結構恰好良いよな」 「有難う」 微笑む撫子はいつだって穏やかで温かい。 「危なくなったら云えよ、俺迎えに行くから、」 「うん、電話もさせてくれないなら別れてくる」 撫子の言葉に今度こそ大地は声をあげて笑った。 09:貴方が居て わたしが居て |
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