撫子がその希望の中に絶望を知ったのは程無くしてのことだった。
大和はいつも撫子に問う。
「好きか?」と、撫子は決まって答えた「好きだ」と。
けれども撫子がそう答える度に大和はそれを否定した。
「嘘だ」と「お前は私など愛してはいない」と否定した。
その否定が撫子に絶望を突きつけた。
何度も云った。
好きだと、愛していると。
大和に云った。けれども大和は応えない。撫子の愛に応えなかった。
大和は撫子の為に大地達を生かした、そうだと思っていた。少なくとも大和は誰も殺さなかった。
だからこそ撫子は大和を受け入れた。大和を許せた。
けれどもどうしたことだろうか、この問答の中で撫子が得た物は、撫子の望んだものでは無かった。
「・・・・・・」
撫子の目の前にあるのは豪勢な食事だ。撫子の体調も何もかも此処では管理されている。
厳選された食材は外を知らない撫子の推測でしかないが恐らく貴重なものなのだろう。それを惜し気もなく使い、撫子の為に撫子の好むもの、好みそうなもので彩られたそれは食べるのが勿体無いくらい整えられた食事だった。
大和の指示なのだろう。徹底的に教育された世話係が、撫子の世話を丁寧にする。
彼等は変わらず撫子に話しかけることはなかったがこの頃は漸く大和の許可が下りたのか当たり障りのない会話ならできるようになった。
食べなければいけない。恐らく彼等には食べられないものだろうとも撫子は推測できる。
けれども大和とのことを思うと撫子の食欲は落ちるばかりだ。
膳を前に一向に箸が進まない撫子を心配したのか控えていた世話係の女性が怪訝な顔をした。
撫子はそれに対して僅かに微笑み、一口だけそれを口にする。
けれどもそれ以上は喉を通らなかった。
撫子が再び体調を崩すのに時間はかからなかった。

「撫子が・・・?」
撫子の異変は三日前から連絡を受けている。
毎日大和も確認していた。確かに食欲が落ちていて、何も無い部屋に退屈しのぎにと本なども入れてやったが撫子の気分は一向に晴れる様子が無い。外にでも連れ出せば気分も晴れるかもしれなかったが大和はどうしてもそれが出来なかった。
外に出した途端、撫子が消えてしまうような気がして、窓のある部屋に移動させるのさえ拒んだのだ。
医師からはそれも云われているので承知のことであったが、無理強いをしているという自覚もあるので、ただ辛かった。
けれども撫子を手放すことも大和には出来ない。
「局長・・・撫子がどうしたのですか?」
迫だ。真面目な彼女は真剣な面持ちで大和の前に立つ。
「西の制圧に向かったと聴いたが」
「終了しました。報告にと思いまして」
優秀な彼女は明らかに望んだ筈では無い世界になったとしても大和に忠実だ。
大和は宜しい、と頷いて今日は下がるように指示する。けれども珍しく彼女は食い下がった。
「局長、差し出がましいこととはわかっています。・・・撫子を彼らに会わせることはできませんか」
「私にその気は無い」
「しかし、このままではあまりにも可哀想です。まだ十八の高校生だった彼等にあまりの仕打ちでは・・・」
既に三ヶ月、大和は撫子を監禁して一歩も部屋から出していない。これは有名な話だ。
大和の撫子への執着の凄まじさは皆知っているので誰も其処に異議を唱えなかった。
大和はたった一人でこの世界の理を変えた男だ。誰も異論を唱えられる筈も無い。
けれども迫は云った。大人として引けない部分もあった。
このまま監禁して撫子は大地達にすら会えないのではあんまりだ。迫にすら面会は許されていない。
大和は頑なに撫子を閉じ込めた。まるで子供がたったひとつ手にしたぬいぐるみを手放さないと云わんばかりに。
「くどい」
「撫子の具合が良くないのでしょう、そのくらい私にもわかります、志島達も大分回復しました。もう見ていられません、局長、お願いです」
大和は冷たい双眸で迫を見た。
必死に食い下がる彼女は正しい。正しいのはわかっている。
正しいのは迫や撫子で、間違っているのは大和だ。
けれどもそれを云われれば云われるほど大和は頑なになった。
「黙れ迫、私に指図するな」
馬鹿げているとわかっている。これがどれほど愚かなのかも大和は理解していた。
けれども、出来無い。
大和には撫子を手放す勇気が無かった。
だからこそ奪われまいと強固に撫子を閉じ込める。
彼が何処にも行かないとわかっていて、大地達を治療と称して軟禁したまま、撫子を閉じ込めるしか大和には出来なかった。



撫子が目を開けると大和が居た。
大和は此処最近自室には戻っていない。
今が何時なのか撫子にはわからない。この部屋には時計すら無い。
けれども規則正しく世話をする人間が部屋に訪れるので時間の予測は出来た。
撫子が咳き込むと大和が目を開ける。
「苦しいか?」
「大丈夫、っ」
けほ、と咳き込みながら大和を起こしたことを撫子は詫びる。
恐らく今は朝方だ。昨日は夕方から具合が悪化して医師に処方された薬を飲んだ。ずっと眠っていたので大和が来たことにも気付かなかったのだろう。
大和が水差しからグラスに水を注いだ。それを受け取り撫子は水を飲み干す。
冷たい水が少し火照った撫子の身体にはちょうど良かった。
撫子の熱を確認する大和を改めて見る。
少し着崩しているが大和の服はワイシャツとスラックスのままだ。思えば大和が私服で寛いでいるところを撫子は見たことが無い。
それが撫子の心をより空虚にさせた。
まるで思い知らされているようだ。
ずっと思っていたことだ。あの問答の中で撫子が理解したのは一つだ。
大和は撫子の愛など必要としていない。
撫子の愛など大和には要らない。大和が撫子を手にしていることが重要なのだ。
故に大和は撫子に固執する。
撫子に好きか、と問う。自分の物であるという確認の為に、撫子の隷属を確認する為に大和は問うのだ。
「少し下がったか」
「うん、」
御免、と小さく撫子が云えば、大和の口付けが下りてくる。
昨夜はしなかったからその埋め合わせだろう。撫子はそれを受け入れる。
苦しさを感じながらも受け入れる。
大和が撫子に口付ける。歯列を割って舌で余すことなく舐めつくして、奪う。
それをされると撫子はどうしようもなく泣きたくなった。
好きだ。撫子は大和が好きだ。
思わず大和の背に腕を伸ばしそうになる。そのまま縋りたくなる。
けれども撫子はその手を止めた。何も掴むことなくその手は放置される。
掴むことが、出来ない。大和のその背に縋ることは出来なかった。
撫子が大和を想う気持ちはひとつも大和には伝わらない。大和は撫子を信じない。
大和は撫子の愛など必要では無い。
けれどもこうされると愛されているような錯覚を覚える。それが真実愛されているような気がして苦しくなる。
大和の指が撫子の中を暴いて、とかして、口付けて、求めるように大和を見れば大和は贖罪のように撫子の肩に顔を埋めた。
「・・・っ!」
そして突き入れられる。
痛みはある。未だに僅かだが痛みはあった。
けれどもそれ以上に歓びがある。大和を受け入れていると撫子はいつも涙が溢れる。
この行為は境界がわからなくなる。
大和と撫子を隔てる境界が曖昧になる。こうしてまるでひとつの生き物のように蠢いていると何もかもが溶ける気がした。
「大和、好きだよ」
大和は応えない。好きだと云っても撫子に応えない。
いつも苦しそうに顔を歪めて撫子を追い詰めた。
とける、とかされる、言葉も憎しみも愛も無く、とける。
それならばいっそ自分が大和に溶けられればいいのにと撫子は眼を閉じた。

起きたら大和がいる。撫子はそれにいつまでも慣れない。
大和に抱きしめられて息苦しい。寝入っているらしい大和は苦しそうだった。その顔を見て撫子も苦しくなる。詰まるようなそれが本当に息苦しさなのか、それとも別の何かなのか撫子にはわからなかった。
もうわからなかった。


07:ひとつもわからない
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