ローションプレイの後、さっさと大和を浴室から追い出して、なんとか身体を綺麗にし、疲労と憤りを感じながらも結局すっきりはしてしまった青少年である己に嫌気を感じつつ、どうにかそんな自分の気持ちを立て直し、稲葉がリビングで映画でも観ようと身体を拭きながら顔を上げればまだ大和は其処にいた。
「帰ってなかったんだ」
大和は水を口にしながら映画のディスクが納まった棚を見ている。服装も誰かに持って越させたのか、或いは自分の部屋に一度戻ったのか随分ラフな格好で稲葉は別の意味で目の遣り場に困った。確かに大和の服も稲葉の服もローションと水と互いの物に塗れていたので当然着れる筈は無いのだが、どこで調達したのか、大和の服装は稲葉が普段着ているようなものだ。これがどういう心境の変化なのか稲葉にはわからない。けれども大和のそういうところが嫌いでは無かった。
これに変な意味は無い筈だ。多分。もしあるとするのなら大和があまりに性的なことを稲葉に要求する所為である絶対。
「別にかまわないだろう」
机の上にあった沢山のローションはいつの間にか片付けられていて、大和は何も云わないまま、ソファに座り稲葉が先日観ていた映画の続きを再生した。何て事はない普通の仕草だ。
それに飲まれてしまって結局稲葉は抗議らしい抗議もないままその日は普通に映画を観てお開きとなった。

その次の日も、その次の日も、滞り無くごく普通だ。
大和と昼食を共にし、夕食も暇があれば共にして、ごく普通の仕事に従事するだけの日々だ。暴動や略奪の仲裁として力を揮うことはあってもそれはこの実力社会の常であったし、理不尽だと思っても最早創世は成されて仕舞った。どうにもできることでは無いと、そう言い訳をする自分に渇いたものを感じることはあってもそれもわかりきったことだ。
だからこそ、その時、外で制圧に赴いていた稲葉は知る由も無かった。
「ムードとピロートークについて、状況と考察を私に説明せよ」
大和がふざけた事を抜かしているとは稲葉は毛ほども知らなかったのだ。
一方大和は大和で大変真剣であった。
真剣であったが故に、その場に居た大和の腹心とも云える人間達は背筋を凍らせた。
この問いに間違えると死ぬ、文字通り抹殺されると全員が覚悟したのである。
「一般的なものでしょうか、個人的なものでしょうか?」
そう質問した原田に間違いは無かった。

大和は一瞬思巡してから、両方を、と短く答える。
考えたくは無いがあの大和がこれほど心を砕くからには、稲葉のことに他ならない。その場の全員がそれを理解していたがそれを口に出来る者は居なかった。非常に残念なことであるが、実力主義社会にとって、迂闊なことは云えない。力はあれど相手はそれを容易く奪うだけの力があるのだ。
しかし、考え様によってはと、原田は少し感心もした。あれほど他者に意識を向け、まして心を砕くことなど無かった大和は創世の七日間で出逢った稲葉に対してだけは違った行動を見せた。たこ焼きを食したり、彼を友だと公言したり、現に稲葉は確かに力では最高であり最強の青年であったが中身は至って普通の高校生だった。だからこそ、大和が不要だと云って憚らない市井の中から現れた彼を、塵クズだと云う連中の中から見出した稲葉を知りたいと云う大和なりの努力は少なからず良い傾向だと思えた。まさかそれが同性愛的なものに向かうとは思ってもみなかったが大和の情緒を引き出すという点では原田にとって大和のこの変化は好ましく思えた。長年仕えていたが、一心に仕事と義務の為にだけ働く十七歳の優秀な局長を心配もしていたのだ。誰一人彼と同列になれなかった、その孤独を心配していた。其処に稲葉が現れたのだ。
「セックスの際に、ムードを作って、相手をその気にさせ、事後に心のケアをすることでより親密になることと推察しますが」
無難である。大変無難な回答であったが、大和は僅かに顔をしかめた。
勿論大和はムードは愚かピロートークでさえしたことが無い。子作りに不要であった。少なくとも大和の子作りにはそんなものはいらない。ムードも無く、事後の会話も無く終わるのがセックスである。ちなみに愛も無かった。
この恋愛朴念仁とも云える大和は大和なりに精一杯稲葉を良くしようと努力はしているがその都度稲葉には全否定され、挙句拒絶され、寝技に持ち込めば稲葉のガードがゆるくなるのは既に学習済みであったが、どうにも上手くいかない。この三度のセックスで大和が理解したのは無理矢理してはいけない、しかし隙があればやっても多分許してくれるの二点である。どうしようもないことこの上なかった。
しかしこの場においてそれを知る人間は無く、また知ったとしても大和を叱れる人間はいない。稲葉以外そんなことが出来る筈もなかった。稲葉のことがなければこの局長は非常に優秀で聡明であったのだ。冷徹ではあったが。
故に大和は先日のローションプレイの後も稲葉の事後処理を手伝うこともしないし、ソファでセックスした際も稲葉をベッドに運ぶことも無かった。ただ不器用にどうしていいのかわからず、しかし離れ難く、ソファで眠る稲葉の前で坦々と仕事をこなしたのである。そもそも大和に相手を労わるという発想が無いのが問題であった。大和なりに精一杯の限界であるのだ。だからこそ稲葉とのセックスは大和に常に課題を残してくれるので大変挑み甲斐があった。稲葉は気付いていないが、大和は稲葉の事後に漏らす言葉でコンドームを用意したりローションを用意したりしている。稲葉は我知らずして大変な墓穴を掘っていたのだが、今回稲葉の掘った墓穴は深かった。
「それは流石に分かっている、事例としての例をあげろ、いくつかの傾向も交えて、そうだな、いっそ局員全員から訊くか・・・・・・」
「・・・・・・恐れながら局長、それは流石に、内容が内容で非常にプライベートなことですので、此処にいる人間だけでまず傾向と考察を纏めては如何でしょうか」
大和の周囲に実力ともに認められた、側近とも云える情報統括部長や、戦略、治安流通、医療開発などの各部部長が集まる蕭々たる面子が揃う中、それは慎重に議論される運びとなった。多分これを全局員で実施すれば稲葉以外の全てが知ることとなり、あの青年は死にたいほどの羞恥を味合うであろうという原田の精一杯の優しさであった。ちなみに個人的な事例を挙げるのは誰だって恥ずかしい。まるで修学旅行の夜のような気持ちをこの場に居た全員が大和以外味合うことになるのだが、それも絶対者である大和の知る由では無かった。
彼等は非常に迅速かつ的確に、自らの職務を全うしながらも、この十七歳の青年の為に、レポートを作り上げた。実際にまとめてみると、ほう、と感心するようなパターンから奥手なパターンまで様々である。匿名は許可されたのでその点だけは救いであったが矢張り居た堪れない。上司に自分の性事情を報告するというのは大変に恥ずかしいものである。
しかし、其処で一点に気が付いた。
「局長、これではあまり意味が無いのでは無いでしょうか?」
「何故だ?」
「パターンの考察などをしてみましても肝心のお相手の立場になってみないとわからないこともあります」
お相手とは誰と云うでもなく稲葉であったが彼の名誉の為にも伏せておく。
「ふむ、そうだな、ではどうすればいい、何か妙案でもあるか?」
「女性の視点というものが必要では無いでしょうか?」
相手が男性であっても、と原田は付け加えた。稲葉が大和にされる側であるのは大和の口ぶりからして明白である。それを思うと矢張り原田は稲葉が可哀想になったが、それならせめて少しでも良い方向に向かうように手を貸すのが大人というものである。大和を諌めるという考えはこの面子には無い。
「そうか、そうだな、では原田、この件はお前に任せる」
そう云って、話題を打ち切られ、原田は黙って頷き己の仕事を進めながら女性にどうやって訊くべきかを思案した。
そしてその一日後に、彼が出した結論はこうである。信用できる口外しない医療部の女性に、問うてみたのだ。
彼女は瞬く間に医療チームの女子を集め、その女子達は思い思いのことを述べ、そして彼女達は何冊かの雑誌を寄越した。
女性向けのファッション雑誌である。成る程、と原田は思った。女性向けのファッション誌には確かに男性向けのファッション誌がそうであるようにそういった話題も載っているのだ。その中で、彼氏とのセックスについての話題も当然ある。
これならば大和の満足の行く回答があるだろうと、原田は雑誌にドッグイヤーを付け、大和に提出した。

結果。
その日稲葉はこの世で最高と最悪を経験した。
外での作業を終え、部屋に戻ってみると何故かお洒落な照明が部屋を照らして、まあ夜景が綺麗、と云いたくなるようなセッティングで、挙句、食事はフランス料理のフルコース、音楽は何故か生演奏、そして今日は大和の誕生日であっただろうか、と一瞬疑ったくらい華麗な夕食であった。
そしてその後、二人で映画を観て、何故か距離が近くなり、気付いた時には大和の手の内に持ち込まれ、嫌だと拒否しようが何だろうが、何故か甘いようなむず痒いような雰囲気で、好きだと囁かれれば稲葉の頭が真っ白になり、抵抗らしい抵抗もできないまま、毅然といつものように拒否できないまま、この大和は果たして本物だろうか?と稲葉は疑いさえ抱いたまま、ベッドに連れ込まれ、云いたくも無いことを再び体験し、きっちり気持ち良いと云わされて、事後に稲葉は死にたくなった。
「良かった、稲葉」
「最高だった」
髪を撫ぜられながら云われ、稲葉はもう顔面を隠して泣くしかない。
「泣くほど良かったか」
「良かねぇよ!全然良かねぇよ!」
うっうっ、と稲葉は泣いた。
正直に云って仕舞えば雰囲気に呑まれた。うっかり気持ち良く食事なんてしちゃって、気持ち良く映画なんて観ちゃって、思えばデザートに出された菓子に強めのお酒が入っていたのもいけない、ふわふわとした感覚のまま、気付いたら大和の顔が近付いて「いいか?」と問われれば否定する前にまた口付けをされてとろけて仕舞った稲葉も悪いのだ。
その後もベッドに入った時に拒絶するべきであったのに、稲葉と優しく云われて、好きだの何だの云われれば流されて仕舞って、挙句に事後にピロートークだ。最中にあられもしないことを口走って仕舞った気恥ずかしさもあって、そして大和の数々の稲葉を賞賛する台詞に虫唾が奔るはもう死にたいは、大変であった。
「胃が痛い・・・・・・」
顔が赤い、死にたい、恥ずかしい、死にたい、なのに目の前で大和は酷く楽しそうだ。
身体はきっちり洗われて、そう、意識が朦朧としている中、大和が稲葉の中に放ったものを掻き出されて、それを思い出して稲葉は羞恥で身悶えた。大和が丁寧に優しく稲葉を扱う度に死にたくなる。まるで女性のような扱いだ。
紳士的な態度で、浴室でも二度目を致すこともなく、あのまま掻き出される刺激に、痛い筈なのにもう一度と強請ってしまいそうになった自分を滅したい。適うなら末代まで滅したい。
ふかふかのシーツに酷く紳士的な大和、その悔しいくらい整った顔を稲葉はえいや、と抓りながら、もう一度恥ずかしさで死ねると思った。
「痛い、稲葉、」
「好き勝手しやがって馬鹿野郎・・・・・・」
「稲葉がいいと云ったんだろう?」
「良かねぇよ!」
ばかー!と頬を摩る大和に稲葉は枕を投げた。
心地良い旋律のような時間、君しかいないと云われれば悪い気はしない。あれ程に求められれば折れて仕舞う。
けれども認めるわけにもいかなかった。
「顔が赤いぞ、稲葉」
「ムードもピロートークも禁止!絶対するなよ!」
このままではいけない。何がいけないのかはわからなかったが、このままでいい筈が無いのだ。
男の沽券にかけて良い訳が無い。
「あれ程欲しいと善がっておきながら・・・・・・照れているのか?稲葉」
駄目だ、こいつ早くなんとかしないと、という台詞を稲葉はなんとか飲み込んで、そして心地良い布団に潜り込んだ。
願わくば、この傍らの温もりがもう少しだけあればいいと願いながら目を閉じた。


07:それは反則です
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