くらり、とした。
頭がぐらぐらするような感覚に稲葉は眩暈を覚える。
「・・・・・・っれ・・・・・・」
あれ、と思った時には時既に遅し、床にぶつかる瞬間大和の聲が聴こえた気がした。
それは突然だった。
息が切れて上手く立って居られない。
何が起ったのか稲葉にはわからなかった。
ただ足ががくがくと崩れ落ちる。
息が苦しい、涙が零れる。
そして気付いたらこうなっていた。
「何コレ・・・・・」
苦しい、息があがる、下にマットの感触があるから大和がベッドに運んだのだろうということは分かった。
医者でも呼んでくれたのだろうか、思えば此処は稲葉の部屋では無く大和の部屋だ。稲葉が食べたいと漏らしたことのあるたい焼きを用意させたからと大和の私室に呼ばれた。大和の部屋には和室が用意されている。時折稲葉が其処で寝ることもあった。勿論妙な意味では無く、仕事の打ち合わせがあったり、遅くまで大和の部屋に居て、向かいの自分の部屋に帰るのさえ億劫になった時にだ。
けれどもこれはその和室でも無い。入ったことは無いが黒いいつものコートが掛けてあるところを見ると大和の寝室であるらしかった。
稲葉が身体を動かそうにも身動きが取れない。
何故かと思って身体を捻ってみれば布か何かで両手をベッドヘッドに固定されているようだった。
故に稲葉からすれば何コレ?である。
「気付いたか」
「大和・・・何コレ・・・」
何かの冗談だろうか、或いは何か手を縛らなければいけない事情でもあるのだろうか?
もしや倒れた拍子にでも手を切って仕舞って出血量が多く腕を上げておかなければいけないのだろうか?ずきずきと頭が痛む今その判断はできそうになかった。
大和に説明を求めて声を出そうとしても聲が掠れて仕舞う。
「何・・・・・・」
その間も大和は稲葉を見下ろし動く気配が無い。
しんどいし苦しい、助けて欲しいと懇願するように大和を見れば大和が稲葉に乗りかかるような形で上に居た。
「大和?」
その時苦しくて喉が痛い稲葉よりもずっと掠れた聲で大和が「稲葉」と呟いた。
いなは、と空気を震わせたのだ。


「あっ、うあっ・・・・・・」
後は何が起っているのかよくわからない。否、わからないのでは無く稲葉の理解の範疇を超えていた。
「卑怯だとは分かっている」
大和が稲葉のわき腹を撫ぜながら云う。
卑怯、何が卑怯なのだろうかと稲葉は思う。こうして大和に肌を撫ぜられると聲を堪えることが出来ない。何故こんなことになっているのかこれからどうなるのか稲葉の重たい頭ではわからなかった。手が自由であれば或いは大和を諌めることが出来たのかもしれないが圧し掛かられて両手を固定されていればもう稲葉には何も出来なかった。
ふと稲葉が霞む目で大和の指を眺めればいつもは手袋をしているのに手袋が外されていて傷の無い白い指先が場違いに綺麗だと思った。
「何を・・・」
掠れる聲で朦朧とする頭で稲葉は大和に問う。感覚ばかりが鋭敏になっていて辛かった。
治せるのなら早く治して欲しい。ノルンでも呼べる状態ならとっくにそうしているが今は結界の守護に使っていて手元には居ない。
「薬を」
くすりを、と大和は云う。
何を云っているのか稲葉には矢張り理解できない。薬があるのなら欲しい。この状態が良くなるのなら早くして欲しい。
けれども稲葉の期待した言葉とそれは真逆だった。
―全くの逆だったのだ。
「サキュバスから貰った、今の状態は苦しいだろう?稲葉」
「・・・くるしい・・・」
早く何とかして欲しい。
早く楽にして欲しい。冷や汗さえ吹き出ているのに大和は何を云っているのだろうと思う。
「一種の媚薬だ、快楽だけを追う、頭が朦朧として意識が半ば混濁しているのに神経だけは過敏になる、昔から淫魔共が使ってきた手だ、人間もそれに近いドラッグを幾つか発見し開発したが、悪魔のそれはより合理的だ」
水に混ぜたのだと、大和は云う。
確か倒れる前に大和に渡された茶を飲んだ。それに入っていたのだろうか、ぼんやりと稲葉は霞む頭で思考する。
「下らないとは思ったんだがな、色々考察した結果、これが一番楽そうだった」
お前の負担が、と大和が言葉を足す。
何が楽なのか、何をするのか、先ほど大和は淫魔と云わなかっただろうか、さわり、と耳を擽られれば稲葉の口からは悲鳴があがるだけだ。
大和は一瞬迷うような顔をしてから意を決したように顔を近づけてきた。キスをされていると気付いた時に大和が何をする気なのか稲葉は確信した。遅い確信だった。もはや稲葉の力ではどうにも出来ない。此処に悪魔はいない。稲葉と大和しかいない空間で手を拘束され薬で頭が朦朧とすればもう何も稲葉には出来なかった。
ふざけるな、と云ってやりたい、けれども聲になるのは言葉にならない悲鳴だけだ。
暴れようとしても今の稲葉の力では大和に抑え込まれて終わる。
大和は容赦無く稲葉を暴いた。

「うあっ、、っいっ、」
厭だ、と掠れる聲で漏らしてももうどうにもならない。
大和は稲葉の反応を確かめるように皮膚をなぞった。
耳から首、首の裏、鎖骨、肩、腕、胸、指の先、そして下肢に大和の指が向かう。
「いや、だっ、大和・・・」
大和と懇願しても大和は止めない。少しの我慢だと勝手なことを呟いて稲葉を滅茶苦茶にする。
実際過敏になっている肌はぴりぴりとしていて、大和に触れられる度に身体が跳ねる。
みっともない自分の喘ぎ聲が聴こえて耳を塞ぎたくなるが縛られていては塞ぐことすら出来ない。
下肢が怠く熱っぽいまま触れられれば身じろぎする度に衣服と主張してきた稲葉自身が擦れてより強い刺激をもたらした。それが快楽だとは稲葉にはわからない。こんな風に突然予期しないことが起こったのだから心が追いつかないのは当たり前だった。
大和はじっくり稲葉の肌を隅々まで触れた後に、ジーンズのベルトに手をかけた。
カチャ、と金属が擦れる音がして稲葉が青褪める。
「っ、やめろ、、っ」
「止めない」
「厭だ、っあ、」
悔しくて涙が溢れる。こんなこと稲葉は望んでいない。大和が望んだにしてもこんなことを稲葉が望んだ訳では無い。
止めて欲しいと懇願しているのに大和は止めない。この男は屹度稲葉が思っていることを最後まですると思った。
大和は何も云わずジーンズのチャックを降ろし下着ごと脚から引き抜いた。
「っ、、、」
露になった下肢に稲葉の目から涙が零れる。吐き気がする。頭がぐらぐらして、この理解の範疇を超えた出来事に苛立ちと怒りと悲しみと色んな感情がごちゃ混ぜになって沸騰しそうになる。
大和は一瞬思巡した後に既に主張して硬く起立している稲葉の物に指を這わせた。
「うあっ、」
途端にびくりと稲葉の身体が跳ねる。
ただでさえもぴりぴりと刺激に慄えてるのに直に触れられればもう駄目だった。
止めて欲しいと思うのに何もかも頭が真っ白になる。
大和はそんな様子の稲葉を見つめてから内股に舌を這わせた。
身体の肉の柔らかいところに触れられれば駄目だ。
稲葉は聲を洩らす。もう我慢できなかった。
怒りも悲しみも、疑問も全てが流される。強烈な刺激だった。
「あっ、んっあ、、、ああっ、ッ」
びくりと稲葉が痙攣し堪えきれず吐き出せば己の出したものが稲葉の腹を汚す。
同時に稲葉の眼から涙が零れた。
何故大和がこんな暴挙に出たのか、何か自分は嫌われるようなことをしたのかとさえ思う。
大和の手付きは探るようであり楽しんでいるようにも見えなかった。
ただ淡々とセックスの手順をこなしているような感じだ。
いくら止めてくれと云っても大和はその願いを聞くつもりは無いらしい。
愛撫と呼べるのかもわからないそれを大和はただこなす。
「ふっぅ、あ、ッ」
出したばかりの稲葉のそれを指で撫ぞりながら大和は指の腹にそれを絡めて稲葉の下肢へと指を這わせる。
「い、っやだ、」
挿れるつもりなのだと分かった途端腕を捩るが息も絶え絶えの身体は思う通りには動かない。
その間に大和は稲葉の脚を割り入り、本来なら挿れるべきで無い場所へ指を宛がった。
「、うああああっ」
びり、と衝撃が走る。痛い筈であるのに痛みは無い。異物感があって異物である大和の指を押し出そうとする。
苦しさが増して稲葉は早く抜いて欲しいと願った。
それから丹念に中を掻き回すように大和に指を動かされれば何もかも吹き飛ぶ。
「いいか、稲葉」
いいも何も無い、何してるんだよ、お前と云いたいが口から出るのは喘ぎ聲だけで頭が酷く重い。
涙は止め処なく溢れて酷い状態だ。
稲葉はまるで陸にあがった魚のように無様だ。
沸々と稲葉は大和に怒りさえ沸いてくる。
「厭だ」と掠れる聲で稲葉が云えば、其処で大和の動きが止まった。
大和の指が中にあるのだと思うと稲葉は怒りに震える。
身体が自由であったのなら今きっと自分は大和を殺して仕舞えただろう。
「お前は」
そこで大和が初めて言葉らしい言葉を口にした。
殺してやりたいと思う程の怒りに呑まれる稲葉に、大和は苦笑する。
「お前は私が居なくても生きていけるのだろうな」
大和が何を云っているのか稲葉にはわからない。
ただ大和は言葉を続けた。自嘲気味に彼にしては珍しく曇った顔で言葉を紡ぐ。
「だが私は最早お前無しでは生きていけないのだ」
頼むから、と大和は掠れた聲で云う。
喘いで掠れた稲葉の聲よりずっと掠れた聲で、泣きそうな顔をして、稲葉を抱きしめる。
「欲しがって欲しい、稲葉」
いなは、と彼が懇願するように云う。
大和は何を云っているのか止めて欲しいと懇願しているのは稲葉の方であるというのに、泣きたいのは稲葉の方であるというのに大和の方がずっと辛そうで情けない顔をしていていつもの不遜な態度は其処には微塵も無く、みっともない醜態を晒した無様な十七歳が目の前に居るだけだった。
「頼むから、私を欲しがってくれ、必要だと云ってくれ」
頼むから、という大和の聲が一瞬、ほんの一瞬だけ稲葉の心を動かした。
何をしたいのかまるでわからない、そのくせ男を強姦しておいて、被害者は稲葉であるのに、大和の方が被害者のような顔をしている。
「情けない顔・・・」
「そうか」
「莫迦だろお前」
「そうかもしれない」
「俺、本当に頭きてて、終わったらお前を殴る」
「そうだな」
「いいよ」
とだけ稲葉は云った。
これは同情だ。無性にこの孤独な男が哀れに見えた。
いつも不遜な態度で君臨しているくせこういう時に莫迦みたいにみっともない顔を見せて稲葉を求めている。
それが可哀想になった。
欲しいというならすればいいと思う。
快楽に浮かされて、朦朧とする頭で、許してしまう自分もどうかと思うが、どちらにせよ付き合う以外で楽になる方法を思いつかなかった。
「腕、外せ、っよ」
稲葉の要求に大和は今度こそ頷き、腕を縛っていた器用に布を外す。
後はもうなし崩しだった。
「あっ、ああああっ、う、あ、」
内部にある大和の指が三本に増やされ内部を掻き回される。
それだけで意識が飛びそうだ。
大和の服もいつもの様ににきっちり着られておらずネクタイは外されて、シャツのボタンが外されているので首元が見える。
熱に浮かされている所為でそう見えるのかちらりと覗く大和の白い肌は官能的だった。
「挿れるぞ、」
指がずるりと抜かれ、いつの間に肌蹴たのか先ほどまで弄られていた場所に大和の灼熱を感じる。
大和のものだ。矢張り無理だと云う前に大和が押し入ってくる。
「っ、、、く、」
言葉にならない。舌を噛みそうな衝撃に稲葉は慄えた。
背筋が反って身体がのた打ち回るような感覚。
「きついな、」
苦しそうに大和が息を洩らすが、本当に苦しいのは稲葉の方だ。
溢れる涙をシーツに零しながら早くこれが終わればいいと思う。
「少し我慢しろ」
普通なら絶対良い筈が無い、男を受け入れた経験すら無い稲葉にそれが良いと思える筈が無い。
けれども朦朧として身体中の神経が過敏になっている今、まして痛みさえも快感だと錯覚してしまえるような感覚の今は違った。
「あぅ、」
大和が微かに動く度に息が詰まるように感じる。
ぐ、と内部に大和のそれを押し込められる度に、どうしようもない衝撃が稲葉の身体に走る。
大和は稲葉の様子を見ながらゆっくりと腰を掴んで動かした。
その瞬間弾ける。
「あああああっ、あっあっ、アッ、、」
悲鳴があがる。我慢などできる筈が無い。口端から涎が流れるのも気にならないほど稲葉は跳ねた。
大和が腰を動かす度に言葉には出来ないほどの衝撃が走る。
二度三度揺らされただけで稲葉は達した。
先ほど出したばかりだというのに、身体が慄える。今大和に内部を暴かれて突かれれば駄目だ。
「やっ、やめっ、、んんっ、アッ」
「稲葉、稲葉っ」
もっと欲しい、もっと突いて欲しい、いっそ殺して欲しいと思う程の快感。
大和が奥に吐き出した途端腹の底が熱くなって、堪らず稲葉が身体を反らせばそれに反応したのか大和は再び固さを取り戻した。
再び揺すられてまた注がれるのを感じる。
「も、もう、っあああ、アアッ、、」
ぞくぞくする、もう駄目だ、落ちる。そう思いながら稲葉はびくびくと慄え、ぴんと限界まで張り詰めたつま先を立たせてもう一度達した。大和の顔が近付いてくるのを確認したのを最後に其処でぷつん、と稲葉の意識は暗闇に沈んだ。


「何か・・・申し開きは・・・?」
稲葉の言葉に大和は「無い」と答えた。
いい根性である。
稲葉は大和のベッドに寝そべりながら時計を確認すれば朝の五時だ。
意識を無くしたのが何時なのかわからないが、己の指先ひとつ動かすのも億劫であるほどには疲労していたらしい。
稲葉は動かすには辛い手をちょいちょいと少し動かして大和に近くに寄れと態度で示した。
既に身形を整えている大和は神妙な顔で稲葉に近付いてくる。
「中出し、しただろ」
「中出し?」
「中にお前のものぶちまけただろ」
「ああ、そうだな」
頭はすっきりしたものの未だ稲葉の身体は悲鳴をあげている。ぎしぎしとして既に筋肉痛で疲労はピークだ。
どうにか稲葉は上半身を起こし大和を見据えた。
これが怒られるので無ければ大和も嬉しかったが状況を見ればそうはいかないだろう。
死ぬのは御免だったが殺される覚悟は大和にもあった。
力で捻じ伏せるのが正しい事となったこの世界なのだから襲われた方が負けなのだが、自分がこれと同じことをされたら大和は相手の全てを滅ぼす自信がある。それでも、と大和は思う。
それでも欲しかった。
それでも大和は稲葉を抱きたかったのだ。
「妙な薬を盛るは、お前本当に最低だ」
「わかっている」
「だいたいお前ゴムすらしないし、あんまりだろ俺が」
「ゴム?」
「コンドームだよ」
「避妊具か、何故だ?男同士なのに」
育ちが良い大和にはさぞ必要の無いものであったのだろう。
孕ませてなんぼの世界だ。
大和にその発想が無いのを稲葉は理解したが、だからと云ってこの暴挙も最中にゴムを使わなかったことも衛生面を考慮すればそれは許せるものでは無い。
稲葉は騙まし討ちのような形で大和に犯されたのだ。
最終的には同情で許したとはいえ、腹の虫が収まる筈も無い。
何でもする、と云うような殊勝な態度の大和に稲葉は微笑を浮かべながら、渾身の力でその整った顔を目掛けて拳を向けた。


03:朝、
出勤前、顔の痣
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