雪が降っていた。
大和はそれを踏みしめる。
夜の内に積もったらしい雪は重くはなくさらさらとしていたが、それでも寒さが身に染みるようだった。
目の前には埠頭の後だ。海は無い、海は無かったが、広大な砂地と荒野が広がっている。
かつて海だった場所に打ち捨てられたように船の残骸があった。
其処にぽつりと立つ人影を認めて大和はゆっくりと近付いた。

「何故君がこれを繰り返すのか、ずっと考えていた」
いつもの煙草も吸わず華弥はひとり其処に立っている。
朝とはいえまだ真っ暗だった。
夜のような朝のような境界の時間に華弥は立ち竦むように居る。
華弥は大和を見つめ、それから「何」と問うた。
「早かったね」
「君が逃亡を繰り返すので慣れてしまった」
まだ華弥が大和の元を出てから数時間しか経っていない。
何故わかったと視線で華弥が問うた。大和はそれを笑みで流す。
「監視カメラも結界も無かった筈だ、携帯も返すから俺はもう要らないのかと」
「捨てられたと思ったか」
「・・・・・・」
珍しく華弥は大和を見ない。罰が悪そうに顔を背ける。
手元にあるライターを弄っていたが華弥が煙草を吸う気配は無かった。
「何故、突然自由にした」
「それが君の疑問か?」
「質問に答えろよ、大和」
大和は一拍おいてから「そうだな」と呟いた。
「私にとって君は唯一であり、全てだ。本来なら会う筈の無い君と私がセプテントリオンの襲来による世界の終末で出遭って仕舞った」
華弥は動かない、雪がちらちらと華弥に積もるのが切なくて大和はそれを優しく払った。
さらさらと雪は華弥の頭や肩から零れ落ちる。華弥は黙って話の続きを促した。
「君にとっては瑣末な事であり、或いはただの気紛れだったのかもしれないが、私はこの終焉の賭けに勝ち新たな世界を手に入れた。けれども華弥、私はお前に出遭って仕舞ったんだ」
「そして俺は大和に力を貸した」
「そう、孤高で志島以外本当は誰も信じないお前が私を選んだ、我々は出遭うべくして出遭ったとも云える」
大和は自分の肩に積もった雪も少し払った。吐いた息は白い。
「君が私を変えた。君との出遭いが私の全てを変えた。あらゆるものを凌駕し、奇跡のように私の前に立つお前こそが私の全てだ」
「なのに捨てるのか」
華弥が出て行った理由は簡単だ。大地との会話の後、大和はジプスに戻り華弥の監禁を解いた。そして華弥を縛る全てを解放した。突然自由を告げたから華弥は大和に捨てられたのだと思ったのだ。
「捨てるつもりは無いさ、捨てるのはいつだって君だろう?」
華弥の頬に大和は触れる。まるで恋人にでも触れるような仕草で、触れる。
思えばこんな触れ合いを華弥と大和はしてこなかった。華弥は大和を拒絶し、大和は華弥を締め付けすぎた。
「恐らく私がいけないのだろう、華弥、お前を甘やかしすぎた」
大和の囁きに華弥がその青い眼を大和へ向けた。暗がりでもはっきりとわかるそれは宝石のように美しい。
「お前は私に会ってから年上の女では無く男に鞍替えしたんだろう?」
「・・・・・・大地が何か話したか」
「私の気を引いていけない子だ」
「年下のくせに生意気いってんなよ大和、」
此処で戦争してもいいんだぜ、と華弥が云う。
大和は華弥を見つめ、いっそ美しいほど歪んだ笑みを浮かべて華弥の髪を撫ぜた。
「私はお前を愛している、愛しているが故にお前が何をしようと許すしかできない、だがお前は、華弥、お前は」
大和は華弥を真っ直ぐに見つめた。
逸らさない。華弥は屹度一人にしては駄目なのだ。
大和が華弥失くしてはもはや生きていけないように、華弥も駄目なのだ。
天邪鬼で、大和に辛く当たり、或いは翻弄して振り回す、寂しがりの男だ。
だからこそ大和は華弥から目を逸らさない。取り繕いもしない。
真っ直ぐに、この男を手にする為に大和は云った。
「私に許されたくないんだろう、華弥」

驚いたのは華弥だ。
大和がそんなことを云うなんて思ってもみなかった。
突然自由を与えられついに大和が華弥を追いかけるのに飽きたのだと思っていた。
けれども大和は来た。こうして寒い朝に、雪降る中、一人で来た。
「・・・・・へぇ」
一人でも大丈夫だった筈だ。
華弥は一人でも生きていける。自分は要領が良い人間だと華弥は思っている。
何処でだって生きていける筈だ。華弥は大和と並びこの世界で唯一の力を手にしている。
けれども孤独は永遠に孤独のままだ。だから母は華弥を置いて逝って仕舞った。
華弥に残っているのは思い出と、大地達だけだ。
希望も何もないその暗闇の中ただ生きているだけだ。
華弥はその中で、その暗闇で大和に出遭って仕舞った。
まるで運命のように、強烈な引力を持って大和は華弥の前に立った。
その先に光も何も見えない。愚かな世界を作って、ただ暗闇が広がるだけで幸せなどある筈も無い。
幼いころには確かに在ったものが見つかることは無い筈だった。
けれども大和に出遭った。峰津院大和という強者に華弥は出遭って仕舞った。
だからこそ華弥は大和を選んだ。
まるでこの暗闇に共に沈む相手を探すように、大和の手を取った。
天上にも位置する力を持ち君臨する大和を翻弄して華弥はそれを振り回した。
愛されていると知って嫌悪し、大和を追い詰めた。
大和は華弥の予想通り、華弥を力で押さえつけ支配することを望んだ。
それで良かった筈だ。華弥は壊されたい。
今度こそ決定的に壊れてしまいたかった。けれども大和は華弥の思い通りにはならない。
壊せばそれを修復するかのように優しくする。華弥の生殺与奪権は未だに華弥が持ったままだ。
そうだ、最後の最後であと一押しなのに大和は手綱を緩める。華弥はそれが許せない。
欲しがるのなら最期まで欲しがって欲しいのだ。それが歪んでいると思われてもかまわない。
華弥は捨てられたく無い、母のように自分を捨てて逝ってしまうことに耐えられない。
だからこそ自分から捨てるのだ。けれどもどれほど手酷くしても大和は追いかけてきた。
ずっとずっとその繰り返し、いつか終わるのかと思っていたら自由にされた。
みっともない終わりだと思っていたのに大和は辿り着いた。華弥の深部に辿り着いて仕舞った。

言葉が慄える。
寒さなのか、他の何かなのか華弥にはわからない。
大和は華弥から視線を逸らさない。いつものように縋っても来ない。
ただ華弥の為に大和は今此処に居る。
「お前なんて年下で、揚句に男で、顔も何もかもちっとも俺好みじゃない」
「だがお前を愛してる」
「根性なしで、普段は何でもできるくせして俺の望むものは寄越さない」
「それは済まなかった」
息が震える。聲が透明に透き通った気がして、空気を震わせる。
捨てる、捨てられる、そんな関係だった筈だ。
それでもこの世界に大和しかいないのだ。
華弥を殺せるのは大和だけであり大和を殺せるのは最早華弥だけだ。
誰も及ばない力を手にしてしまった。
華弥にとって大和しかいない。もう大和しかいない。大和だけしか欲しく無い。
つまりそういうことなのだ。
最初から答えは在った。目の前に在った。
「ちゃんと最期まで面倒みろよ」
涙が零れそうになる。これは寒さの所為だ。
片側から光が射してきて、逆光で大和が見えない。
一瞬、眩しくなって華弥が目を細めた時に大和は、ぐ、と華弥に近付いて来た。
唇がふれそうな距離で、互いの目線を交わしながら、大和は華弥が望む言葉を告げた。

「私から離れれば殺す、」

噫、溶ける。
溶かされる。
そう、そうだ。
自分はずっと終わらしてくれる人が欲しかった。
どんなにしても見捨てない人を探していた。
そしてそんな華弥のガキみたいに我儘で莫迦みたいな願いを大和は見つけて仕舞った。
華弥は笑みを浮かべ大和に云う。

「優しく殺してよ」
悪戯っぽく目線を流せば、大和は華弥を抱きしめて耳元で囁いた。
「ああ、必ず私が殺してやる」
その言葉だけで華弥は生きていけると思う。
何があってもそれだけで生きていける。
死を宣告されて初めて生きていいのだと思える。
「愛している」と云った母、「産まなければ良かった」と云った母、そう云うのなら一緒に連れて逝って欲しかった。ずっとそれが欲しかった。けれども母は華弥を置いて逝って仕舞った。
散り際に彼女は何と云ったのか、愛だったのか憎しみだったのか、華弥にはずっとわからなかった。
けれども華弥は手にした、今、愛と死のどちらも手にした。
大和が、辿り着いて仕舞った。暗闇に沈む筈の華弥を救い上げて仕舞った。
朝の光が雪を溶かすように、何もかもを照らしていく。
まるで世界が生まれるように。
運命など信じているわけでも運命論者でも無かったが、それこそがまるで運命のように。
「風邪引くよ、大和」
「帰ろうか」
歩き出す大和の手を華弥は取る。指を絡め共に歩く。
其処に暗闇は無く、朝陽が全てを照らしていた。
選択の日に華弥は大和の手を取った。
迷いなく、それが当然であるというように、華弥は大和の手を取ったのだ。

「好きだよ、大和」


09:
運命論者じゃ
ないけれど
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