大和がその日訪れたのは絶対に赴かない場所である筈だった。
「非常に不愉快だが志島、貴様に訊きたいことがある」
突如現れたジプス局長に唖然としたのは大地だ。一瞬頭が真っ白になったが我に返り逃げようとしたところで肩を掴まれた。
「や、その、俺は何も無いっつーか、」
「貴様に無くとも私にはある、付き合え」
痛いほどに肩を掴まれて大地は青褪めた。もう殺されるんじゃないかとさえ思う。本妻怖い。
肩を掴まれ振り返ればグーパンチ、これは基本である。
こんな時に限って組員は傍にいないし、大地はゴミ袋を抱えたままという情けない恰好だ。
思わず大地は目を閉じて衝撃を待つ。けれども予想した痛みも無く、恐々目を開ければ目の前の男は黒い大層なコートのポケットに手を突っ込んだままで大地を殴るつもりは無いようだった。
「何をしている、志島、来い」
「へ、あ、うん」
カツカツとブーツを鳴らし歩き始める大和の後ろを付いていく。確実に死亡フラグな気もしたが、結果的に大地は大和の後に続いた。何故あの時大和に着いて行ったのか、大地は後々随分悩んだものだが、云って仕舞えば大和のその背中が酷く孤独に見えて華弥を思い出したからなのかもしれなかった。

少し歩いて、廃ビルが見えなくなった場所で大和は止まった。
見れば煙草に火を点けている。
灰色の空に煙が昇って行くのを眺めていると大和が大地に一本勧めてきた。
「あ、ども」
とりあえず煙草を受け取り大地が自分のライターで火を点ける。
一頻り二人で吸った後、徐に大和が口を開いた。
「華弥のことだ」
「そりゃ、ヤマトが此処に来るなんて華弥絡み以外で無いだろうけど」
「最もだ、さて志島、お前は華弥逃亡に手を貸しているな」
「うわっ、直球できたヨ!」
やっぱりキた!と大地は思う。そう、都度華弥のSOSコールに応じて大和の眼を掻い潜り華弥を脱出させていたのは大地である。いつかバレるんじゃないかと云うか、つかもうバレバレと思いながらも、幼馴染を見捨てることは出来ずに華弥の望むようにさせてきた。思えば大和も大地も華弥には甘い。
「別に咎めるつもりは無い、どういうカラクリだ?」
「どうって、云っちゃっていいのかな、つかもう俺ってバレてたら一緒か」
大地はポケットから携帯を取り出して大和に見せた。
「それは華弥の携帯・・・・・・あれは私が預かっている筈だが・・・・・・」
「二個持ちしてんですあいつ、前に買って直ぐ失くして、気に入ってたから買い直したんだけど、そしたら失くした方も見つかっちゃって、それで解約したと思ってたら二個持ちしてたみたいで」
中のデータも殆ど同期されているから、アドレスか番号を確認しないと一見しただけでは華弥の携帯が一つに見えるというカラクリだと説明すれば大和は納得したように喉を鳴らした。
「そうか、それは盲点だったな、契約主が違うのなら私には関与できない、気付かないとあれは知っていたのか」
油断ならない男だと大和は笑う。それがあまりにも楽しそうなので、大地は何とも云えない心地になった。
「この携帯は・・・・・・」
「華弥が貴様に預けたのだろう、持っていていい」
「華弥また逃亡するカモ・・・・・・」
「それもいいさ、」
何処か達観したような大和に大地は首を傾げた。何というか今の大和にはいつもの覇気が無い。どちらかと云うと浮気を繰り返す夫に疲れた本妻のような感じである。逆でもいいけれど。逆なら浮気を繰り返す妻に疲れた夫か・・・もうどっちでもいいや、という気分になりながらも大地は大和の言葉を待った。
「あれはどういう育ち方をした、辿れる過去は辿ったが世界がこうなっては旧世界での華弥の生い立ちは知らん」
成程、だから大和は大地の元へ来たのだ。
本音では嫌っている筈の大地の元へわざわざ、不器用に大地に煙草なんて勧めたりしてわざわざあの峰津院大和が大地の元を訪れたのだ。それを思うと大地は笑みが零れそうになった。まさかあの大和に人生相談されるとは思ってもみなかったのだから一大事である。
「華弥何も話さないでしょ」
「噫、だから貴様に訊いている」
さっさと答えろと大和に促されて大地は乞われるままに華弥のことを話した。
「あいつ片親なんです」
「それは知っている、調査済みだ」
「すげぇ美人のお母さんで、小学校から華弥とは一緒だったけど俺にも優しかった。いっぱい遊んでくれて、芯の強い大人の女って感じで、ずっと夜の仕事をして、女手一つで華弥を育てて小さくて古いアパートに華弥と住んでた」
大和は大地の言葉に口を挟まず煙草の灰をアスファルトに落として話の続きを促す。端折ってもよかったが全部話した方が大和の為にも華弥の為にもなる気がして大地は結局「長くなるけど」と断りを入れた。
「俺んち極道で、ヤマトのとこみたいに凄くは無いけどまあ一般人って枠の中では浮いてて、その中で華弥だけが友達だった。ずっと仲良くて、華弥って気難しいし気分屋だけどなんだかんだいい奴で、結構充実してたし、あんたにはわかんないかもしれないけど華弥は生活が苦しくても幸せそうだった」
大地は煙草を一息吸って、それからゆっくりと吐いた。空は灰色で、そのうち雪でも降りそうな空模様だ。こうなっても世界に季節があるのかどうか大地にはわからなかったが冬はまだ始まったばかりのように思う。
「変わったのは中学一年の終わりくらいかな、今更取り繕っても仕方ないけど上手くいっていたと思う。傍から見ても華弥はお母さんを大事にしていたし、彼女も華弥を可愛がっていた、自慢の息子だって、恥ずかしがる華弥を抱きしめてさ、見てるこっちが楽しくなるような感じだった。でも何があったのか、俺にはわからない、親父達はもしかしたら原因も知っていたのかもしれないけれど、彼女、薬に手を出した。ウチのシマじゃ絶対そんなの無い筈だから何処で入手したのか誰かが持ってきたのか、その頃から華弥が殴られたみたいな傷がいっぱい出来て、華弥は転んだとか無理な誤魔化し方をしてたんだけど、気付いた時には彼女は重度の薬物依存になってた。その後三年ちょっとくらい入退院を繰り返して、華弥ん家、お金も無いから生活もガタガタでさ、俺達が高一の時に入院していた病院で、ガリガリに痩せて死んだんだ」
最期には「愛している」と「産まなければ良かった」の両方を華弥に訴えたと云うのだからそれを考えると随分恐ろしい話だと大地は思う。
「それから二年経って今でこそ華弥は孤高の一匹狼とか俺様女王様みたいな感じに見えるけど、彼女が死んでから暫くは本当に大変で、華弥も荒れてて、うちがいろいろ面倒を見て、親父達もガキの頃から知ってる華弥が可愛かったみたいで、俺はまあ極道向きじゃないし、そんな家族みたいな感じで、うちで引き取るって話も上がったんだけど、華弥はもう高校生だったし、あのアパートに住んでいたいって華弥が云ったから、華弥は堅気の人間だったし、それを助けるだけにした」
「天涯孤独と資料にあったのはその為か」
「あいつ何も云わないから、」
「華弥は母親を愛していたか?」
「さあ、それこそ華弥に訊かないと、でも今にして思うと、華弥はそれからずっと年上の女の人を追いかけていたな」
「母性を求めたか、」
大和は煙草をアスファルトに落として踏んだ。それから新しい煙草を取出し、一本を矢張り大地に勧めた。大地もまだ少し残っていたが地面に捨て、新しく差し出されたそれを有り難く受け取る。大地も大和も各々に煙草に火を点けて吸い込んだ。ゆっくり息を吐いてから大和が言葉を紡ぐ。
「あれが逃げて私が追いかける、その繰り返し、このままずっとこの繰り返しかと思うと、どう考えてもこれは健常では無い」
大和の言葉を聴いて驚いたのは大地だ。
「あれ、好きでやってるのかと、SMみたいに」
「そう見えたか?」
ふふ、と困ったような、微笑のような笑みを大和が浮かべる。こういう時、美形は得だ。こんなこと一つでも絵になると大地は場違いな感心をした。そして改めて大和を見る。疲れたように煙草を燻らせる男はジプスの局長であり世界の王であり、そして十七歳の青年にしかすぎない。
大和は思ったよりもずっとまともでそして華弥を愛している。
男同士でどうとか、正直大地にはよくわからない、けれども華弥は大和を必要としている。それだけはわかった。
壊れているのは華弥なのだ。ずっと孤独で誰も寄せ付けず、それでも誰かが追いかけてくれるのを待っている。
「怒りであれを支配しようとしたこともあった。実際逃げられた際は怒りしか無いしな、けれども私は華弥を手放すことは出来ない、逃亡した華弥を連れ戻して監禁するその繰り返しだ。逃亡幇助は志島、貴様の役目だったな、」
「あはは、」
大地は乾いた哂いを上げるしかない。大和は灰を少し落として空を見上げた。
「そのうちこれが当たり前になっている事に気付いた。この繰り返しに疑問を覚えない。華弥が逃げたら私が追いかけ、捕えて我が物にしていくことが歪んでいるとわかっていても止まらなくなる、この関係が良い筈が無いのだと私も理解しているつもりだ」
自由にしてやるべきだろうか、とぽつりと漏らす大和に思わず大地が聲を上げた。
「ヤマトさ、期待されてるんだよ」
「期待だと?華弥は私を嫌っている」
「華弥がヤマトを嫌ってるようには見えないけど」
「何故そう思う」
大和は心底不思議そうな顔を大地に向けた。華弥の言葉だけを信じていれば確かにそうなのだろうが、それだけが全てでは無いと大地は長い付き合いで知っている。
「そりゃ性格の合う合わないで云ったら華弥とヤマトって紙一重だけど、華弥がヤマトを選んでこの世界にしたんだろ」
「それはただ目的が合致したからだと」
「嘘だよそれ、華弥はいつもなら俺に着いて来る、絶対」
「確かに、そうだが・・・・・・」
「それでも華弥はヤマトを取った、ヤマトに付いて世界を変えた、これは俺も予想できなかったことだった」
「私が華弥の好みでは無いのは確かだろう?年上でも無ければ女でも無い」
「そうだけどさ、せめて年上だったら華弥はこんなに難しくならなかったんだろうけれど」
大地は煙草の灰を落とし、大和に向き直った。
「あんたが女だったら俺ももっと安心できたんだけど、」と失礼な言葉を付け足して大地は云う。
「華弥は間違いなくあんたに惚れてる、だから振り回す、ヤマトなら・・・・・・あ、俺そろそろ行くわ」
最後まで云わずに大地は、炊き出しの準備があるから、と手を上げて行って仕舞った。逃げ足だけは早いと無駄なことを思いながら大和は誰もいない廃墟の中に佇む。

「そうか、あれは子供の心理か、」
華弥は母親に捨てられた。だからこそ自分から相手を見捨てる。捨てられるのが嫌だからだ。
けれども追いかけて欲しいとずっと願っている。一度でも大和が追いかけるのを止めればそれは簡単に壊れる。
愛と憎しみを謳いながら死んだ母親に捨てられたように、捨てられたくないから華弥は捨てるのだ。
「私が年上であればこんな思いをさせなかったのだがな」
今大和は華弥の望み通りでは無い自身が一番歯痒かった。
華弥の求める存在にどうしても大和は慣れない。年上でも女でも無い。大和は華弥の母親にも父親にもなれない。
華弥にとって大地は庇護するべき存在であり家族であっても、共に歩む相手にはなれないのだ。
だからこそ大地は華弥を心配した。
そして華弥が唯一選んだという大和に期待をかけたのだ。
「ぬるま湯に浸かっていたのは私の方か」


08:空を見れば
雪が降ってきた
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