タワーのエントランスを抜け不審な顔でこちらを見る局員を尻目に華弥と共にジプスを後にした大地は居心地が悪そうに口を開いた。
「いいのか、華弥、本当に・・・・・・」
「何が」
「いや・・・・・・ほら真琴さんにも挨拶してないし」
「別に辞めたわけじゃないんだし、いいんじゃね、連絡来たら取るし」
大和の電話は取らなかった癖にという言葉をどうにか大地は呑みこんで華弥の後に続いた。
道の角に志島の組が手配した車が止まっている。
「春間、ちょーどよかった」
「坊ちゃん、華弥さん、どうぞ」
春間は幼い頃から大地と華弥にとって馴染みの男だ。四十後半の大男で強面だがよく気が付く男である。子供の時分からプールやら遊園地やらと散々遊びに連れて行ってもらっているので今更気負う必要も無かった。
春間が迎えにと用意したのは何処から調達したのか軍用の車両だ。ドアを開けられ車高の高いそれに乗るように促される。
「親父は」
「おやっさんなら、縄張りの協定会議です、坊ちゃんが戻る頃には戻っているかと」
「縄張りなんてあるんだ」
「だいたいは坊っちゃんがおったジプスの物ですがね、その下では色んな勢力がごっちゃになって戦国状態ですねん」
この前は小学生のガキがリーダーのグループも見ましたわ、と云う春間はすっかりこの世界に馴染んだのか、それともこの状態は極道の社会と大差無いのか落ち着いたものだった。
ジプスが直轄している場所は車も通り易かったがジプスから離れれば離れるほど道の状態が悪くなる。成程、それで軍用車両なのかと大地は納得した。隣に座る華弥はただぼんやりと煙草を燻らせている。先程煙草を切らした筈だったが、春間が抜かりなく車に用意していたらしい。好ましい習慣では無かったが、大地も結局何も云わずに一本拝借した。大和を置いていった後味の悪さから吸いたい気分だった。
走り始めて一時間もすれば目的地だ。「そろそろです」と春間が云って、バリケードのように瓦礫や壁のようなものが積み上げられている前で止まる。降りてみれば壁にでかでかと『志島組』と書かれていた。何処の傘下でも無くそれなりの規模があった志島組は祖父の代で関東に出てきた組織だ。元は関西であるので横の繋がりが深い組織である。『志島組』と書かれたその隣には生き残った他の組の名がいくつか羅列されていた。
「おかえりなさい坊ちゃん、華弥さん」
ずらりと組員が並んで、一斉に大地と華弥に頭を下げる。見知った顔も何人かいて大地は安堵の息を洩らした。これだけ残っていればなんとかなるだろうと思う。この中でどれだけの人間が悪魔召喚プログラムを使えるかにもよるが。壁の内側を見れば思ったより中は広いらしく、一般人らしい人達が何事かとこちらを覗いていた。今更なので大地も華弥も気負わなかったが、少し煩わしいのは事実だ。出迎えは親父だけにして自分達にはやめてほしいと以前訴えたことがあったがけじめは通さなければならないらしく丁重に断られ世界が変わった今もヤクザは通常営業である。
「おやっさんがお待ちです」
「うん、ご苦労さん」
「華弥さん荷物はこちらでお預かりします」
華弥と大地が持っていた荷物を組員の一人に渡しそのまま維緒に渡すものは渡してくれと言付ける。案内された場所は奇跡的に残ったらしい比較的綺麗なビルの中だ。
「おう、大地、悪運強いなぁ」
幾重にもある扉の奥に志島組最高幹部である大地の父の姿がある。といっても父が組を継いだのは最近だ。それまでは祖父が仕切っていた。その祖父は流石に駄目かと思ったがなんと祖父も健在で元気に携帯で悪魔召喚プログラムを駆使しているというのだから大地は開いた口が塞がらない。祖父は今、懇意にしていたホステスのお姉ちゃん達と一緒に女神パーティーを作って老後を満喫しているらしい。
「華弥ちゃんもよお来た、相変わらず美人やのぉ、ほんま女やったら良かったのに」
これは大地の父の口癖である。小学生の頃、大地が初めて出来た友達だと家に連れていけば、一目見て華弥を女と思い大地の嫁にすると云い張ったのだ。確かに当時の華弥は美少女と見紛うほどの容姿であったが男である。後に誤解を訂正したが父と祖父には未だに惜しがられる。確かに華弥は極道向きの性格であったので大地としては変わって欲しいくらいであった。大地の家の門構えと出迎える組員に動じなかったのは未だに華弥だけである。ちなみに養子説も出てはいるが今のところそれは華弥が保留している。親父達が華弥を『華弥ちゃん』と呼ぶのはその名残であった。華弥に以前嫌なんじゃないかと大地が問うてみたら、別に気にしてないと云われたのでそのまま修正していない。そもそも華弥は自分の名前がハナビであろうとカヤと呼ばれようとカイヤと呼ばれようと気にしない。
「それか大地が女やったらの、大地には勿体無いけど何としてでも婿にしてんけどなぁ、」
「婿も嫁もまだ考えてねぇよ、俺等男同士だし、つか華弥も何とか云えよな」
大地が父のぼやきにツッコみを入れれば華弥はそれに対して僅かに頭を下げた。
「お久しぶりです」
普通だし。華弥が煙草を口にすれば傍らに控えた組員がさっとライターを取出し火を点けた。これに平然としている華弥はヤクザもびっくりの貫録があるから親父が欲しがるのも無理は無いと大地は思う。最も小学生の頃ヤクザの息子だと、クラスで遠巻きにされていた大地と美少女と見紛うほどの美少年で頭も良く何でも出来た人気者の華弥とは何もかも正反対だった。大地のことを知っている一部の大人達は子供が大地と仲良くするのに当然良い顔はしなかった。同じクラスでも人気者の華弥とつまはじきにあった大地とでは立場がまるで違う。けれども華弥はその他全てを一蹴して大地に聲をかけた。何故と問う大地に「お前、一人だろ」と華弥は綺麗な聲で云ったのだ。今にして思えば華弥は大地を華弥の周りに群がる人間避けに使ったのだろうが、それでも嬉しかった。華弥だけが大地の傍に居てくれて嬉しかった。だからこそ今でも大地はこの不思議で綺麗で少し暴力的な華弥の傍に居る。それは友人というより家族の感覚に近い。
華弥は一人だ。二年前に母親を亡くしてから孤独だった。彼の自立に志島家が少し力を貸しているのもあって組員も皆、華弥のことは知っている。もう組全体が大地と華弥の家族のようなものであった。だから大和には申し訳無いが正直結果がこうなって当然と云えば当然でもあったのだ。セプテントリオンが襲来して世界が終わり、あの時は必死で目の前のものに縋りついて戦うのが精一杯で、そして世界は創世を成し、新しく生まれ実力主義の世界になった。一応ジプスに身を置いたものの今後の身の振り方を考えていた大地としては今此処で家族と再会し、またその家族が大地達の保護の必要が無い程度に頑張って生きていたのだから其処に合流するのは大地としてもまた華弥としても自然であった。
「家やけど、あかんかったわ、持ち出せるもんも少のうてな」
「それでこのビルかよ、この辺り一体って聞いたけど縄張りってどのくらいあんの?」
「だいたい確実に保持してんのは二、三十キロってとこやわ、正味五十キロくらいまでが限界やな、高良組と四代目花田んとこもおるからなんとかなっとるけど」
広さもそやけど人間も堅気も入れたら結構おるから見てこい、と云われ、それに大地は頷く。
「わかった、悪魔使いじゃない人も居るの?」
「そやの、まだガキもおるさかい、正直悪魔使いの人数の方が心配やな、人間やったらどうとでもできるけど悪魔は無理やからな、まあ、お前と華弥ちゃんおったらなんとかなるんやろうけど、」
華弥は確かに人類最強である。ジプスの頂点に居る大和と同列なのは誰もが知っている事実だ。
大地の父はお茶を啜りながら改めて大地と華弥を見据えた。
「儂はな、華弥ちゃんに別に此処で頭になれとは云うとらん、あんたは今や世界の王やしな、こんな世の中や、大地かて才能と力が無かったら志島を継がすわけにもいかん、儂が守れる限りは志島は守るけどほんまに強い奴が残ったらええと思うとる、だから好きにしいや」
それとな、と大地の父は言葉を足した。
「華弥ちゃんの家、あれから若いもんに行かせたんや、殆ど燃えるか潰れるかしとったけど、持ってこれるもんは持って来させといた、お母さんの写真とかや、大地の部屋に置いといたから見てや」
その言葉に初めて華弥が反応した。
「在ったの・・・・・・」
「少し焦げとるけど写真、あれしかないやろ」
華弥は其処で一瞬慄え、それから眼を閉じ、静かに頭を下げた。
「有難う、御座います」
華弥に良かったとも、どうとも大地には云うことが出来ない、事情を知っている大地には何も云えない。けれども華弥にとっては大事な物なのだ。流石にあの混乱の中で其処まで気が回った父には頭が下がる。
道理で本部には映画でしか見たことも無いような武器が大量に置かれているわけである。
ただのヤクザの盆暗親父だと思っていたが、大地の父は予想以上の傑物であったようだ。
「ほんで二人、今から手伝うてや」
「へ、何を?」
思わず問い返した大地に、大地の父は「阿呆」と言葉を発した。
「タダ飯食らう奴なんぞいらんのじゃ、暇やったら炊き出しでも手伝うて来い」
働かず者食うべからずである。

「大和よかったのかよ」
炊き出しを手伝いながら大地は傍らの華弥に問うた。インフラがジプス周囲ほど整備されているわけでは無いので屋外で発電機を回し明かりを確保してプロパンガスを繋いだコンロで火を起こし食事の用意をしている。一部悪魔を使って補っている部分もあったがジプスほどその整備が進んでいるわけでも無い。結局あれこれ苦心しながら今の形態で炊き出しをしていた。シノギの一部である屋台なども出していることから避難生活っぽいのを連想したがどちらかというと縁日のような感じである。ちなみに今大地達が作業しているテントには『たこ焼き』と書かれていた。見れば大地達の本部ビルの少し向こうでも同じような光景が広がっている、シュールではあったが現実には生き残った人たちが苦心して此処で生活しているのだ。食糧事情もジプスよりは悪いが、極道が取り仕切っているからこそ、比較的強固な防壁の中で生活が出来ている。何処から集めたのかなんとか食事は全員分行き渡るようだった。勿論この食糧だって実力主義なのだから出所はなんとなくわかる。けれども皆生きるのに必死なのが伝わってきた。
大地のところは偶々大地にも素養があったように父にも祖父にも悪魔使いとしての適性があったらしく、それなりに強力な悪魔を使っているが、余所の組では組員同士で潰しあったり、下克上も多くあったらしい。そしてばらばらに散った他所の組も含めて再び纏めあげ、一般人も助けて此処まで来たと云うのだから大地の父には恐れ入った。
大地は豚汁の味見をしながら傍らで米を炊いている華弥に問う。
華弥は作業を嫌がることなく手伝っている。作業量は多いが、平和だった頃は大地の家に三日と開かず来ていても華弥は元々一人暮らしであるし料理はお手の物だ。
「別に」
華弥は淡々と大地の問いに答え、炊きあがった米をかき混ぜ蒸らす為に蓋をした。
思えばジプスでは頂点に居る華弥にこんなことをさせる筈も無く、大和は華弥を非常に優遇していた。だからこそ華弥も退屈を感じたのかもしれない。こうしている華弥は少なくともやることがあって安堵しているようにも見えた。
「好きだろ、大和のこと」
ずっと云いたかったことだ。いい機会だから大地はそれを言葉にした。
大地の言葉に華弥は珍しくその整った顔に皺を寄せる。何を云っている、冗談じゃないというような顔だ。
勿論この場合の好みは恋愛では無い。人間として好みと云う意味だ。華弥も大地もヘテロである。
けれども男にだって男の好みはある。
「好みじゃない、顔もカラダも、飽きたっつったろ」
「大和が年上でもないし女性でもないから?」
「正解」
華弥の好みは年上の女だ。恋愛対象でもそうでなくても、いつだって華弥はそうだった。
ひとりで生きていかなくてはいけなかった華弥はバイトをしていなくてもいつも何処からかお金を調達してきた。
志島家は華弥の母が駄目になった時に、大地との交流も深かった華弥を見兼ねて彼が自立出来るように少し協力した。
華弥は最初それを断ったが大地がどうにか頼みこんで、高校も行かず就職するという華弥を説得して今に至る。
元々華弥は頭が良いので特待生であったし、才能を潰すのも忍びない、出世払いでいいと、そうでなければいつでもうちに就職してね、と冗談めいた声をかけながら華弥と志島家の付き合いがあった。彼の慎ましやかな生活を維持するのにそれほどお金はかからない。アパートの家賃と、学費と生活費、それだけだ。足りない分は志島が出す前に華弥が何処からか調達してきた。
それを援けたのは華弥の云う年上の彼女たちだ。何処で掴まえて来るのか華弥の作る『友達』や『彼女』達は皆、綺麗で大人で自立した包容力のある女だった。中には既婚者もいた。
でも華弥は、と大地は思う。おそらく華弥は大和に惹かれている。
でなければこんなことをする筈が無いのだ。
「あれは相当お冠だったぜ、大和、どうすんだよ」
「知るか」
「大和が居なかったらお前、世界をこうしようって思わなかっただろ」
「してたさ」
嘘だ。華弥は必ず大地に付く。華弥は実力主義が当たり前と云いながらも大地に付いた筈なのだ。
けれども華弥は大和に付いた。大地と華弥がこの程度で決別することは考えられなかったが、大地は華弥が自分以外の相手に目的が同じだったという理由だけで付いたことに酷く驚いたのだ。
華弥は何でも出来る、要領よくこなす、頭の回転が速くて優秀だ。確かに世の中理不尽は沢山ある。華弥はこの年で感じなくてもいいような苦労や苦しみを知っている。それでも華弥は普通の生活を享受できる人間なのだ。不満があっても大和のように憤りはしない。力がある者が上に立てばいいと云いながらも自分で立つ気などさらさら無いのだ。
なのに華弥は大和を取った。あの華弥が初めて、家族のようにしている大地以外を取ったのだ。
友人として或いは家族として華弥の生き方に大地は不安があった。自分の将来や漠然とした不安と一緒にそれはあった。だからこそ大地は自分を取らなかった華弥に驚きはしたものの、大和の手を取ったことに少し安堵もしたのだ。
華弥は一人にしてはいけない人間だと大地は思っている。
束縛を嫌がるくせして、人一倍寂しがりのこの幼馴染が心配でならない。
本音など見せない、身の内にある人間以外、華弥は誰も信じない。
けれども華弥は大和に付き、そして今、飽きたと大和を捨てた。
いつもの気紛れ、そう見える。
しかしそれは違うのだと大地は確信している。古い付き合いの勘のようなものだ。
十年以上華弥と居るのだから分かるに決まっている。
華弥は間違いなく大和に惹かれている。
だから手酷く扱う。
大和を試している、そんな風にも見えた。
傍らの華弥はぼんやりと煙草を燻らせ、それから大地の用意した豚汁を味見して、しょっぱいと云った。


03:
炊き出しと嘘吐き
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