予感はあった。
漠然としたものだったが焦燥のようなものがあった。
恐らくそれは華弥が大和の手を取った瞬間からあったのだ。
それに気付かない振りをしていたのは大和で、大和はその時、酷く大和らしくなく、まるで普通の人間の感覚と感情の起伏で、見ない振りをしていただけに過ぎなかった。峰津院大和にしてはあるまじき失態であったが、それほどに真実からは眼を背けたかった。気付かない振りをして自分に都合の良い現実を見ていたのは大和の方だったのだ。

全てのセプテントリオンを倒し、ポラリスに謁見を果たして世界を変えたのは一月前のことだ。
既に世界の頂点となった大和と華弥はジプスの本局として定めたタワーの頂上に座していた。大和が望んだ実力主義、真に力のある者が支配する世界。だからこそ片時も油断は出来ないが、この弱肉強食の世界において常にトップで有り続ける自信が大和にはあった。
事実大和は組織内を整理し各部から優秀な者を集め再編成し統率した。効率的で無駄の無い世界と組織体系を構築したのだ。
仕事は忙しかったが充実していた。華弥という強者が大和には居た。唯一同列であると定めた華弥もまたこの世界の王である。だからこそ大和は満たされていた。華弥が居て、望んだ世界があり、そしてその世界で頂点なのだ。これを絶頂と云わずして何を絶頂と云うのか。
故に、大和は今焦りを覚えていた。
最初は連絡にミスがあったのか何かの手違いがあったのか、或いは華弥の気が向かなかったのか、そう考えていた。
しかし、時間が経ちそれが増えてきたように感じる。そして苛立ちを感じながらも過ごしていた違和感がついに現実になった。
幾度となく頭の中で打ち消そうとしたそれが現実になったのだ。
大和は携帯を手に取り、苛立ちを隠すこともせずに電話口の局員に問う。
「華弥は何処か」
電話口からは只管大和に恐縮する聲ばかりがある。「申し訳ありません、総力をあげてお探ししておりますが・・・・・・」と繰り返し謝る通り一遍の返事だけだ。予想は出来たが、腹立たしい回答ばかりで大和の望む答えは無い。
思わず舌打ちをして電話を切り、それから登録の一番上にある番号を呼び出し再び電話を鳴らす。
電話の宛先は華弥だ。
発信から呼び出し中に画面が切り替わり、何度もコール、そして留守番電話に切り替わる。
「矢張り出ないか、」
華弥との連絡が絶たれて二日になる。
大和がメールを送ったのもコールしたのもこれで何度目か知れない。
いっそ妄執的であった。コールした数を考えると少し怖いくらいだ。大和ならば自分がこんな相手から連絡があろうものなら着信拒否する勢いであったが、しかしせずにはおれない。
やや冷静さを欠いていることに歯止めが効かないほど大和は焦っていた。
違和感を感じたのは先週からだ。徐々に華弥は電話に出なくなり、探させて追及すれば「用事があった」「携帯を忘れていた」など曖昧な理由を付けた。メールの返事も当然無い。元より華弥は少し連絡無精であったが、これは有り得ない。セプテントリオンと対峙していた時の華弥は迅速に大和に対応したしメールにも応じた。事故は考えられない。華弥程の力があれば事故や死は考えられない。だからこそ、大和は焦る。

まさかとは思う。
あの華弥が、自分の手を迷い無く取った筈の華弥が。
せめて部屋に戻っていないかと、局長権限で華弥の部屋の扉を乱暴に開ければ意外なことに其処に大和が求めていた人物が居た。
優雅に、煙草を燻らせて、彼は居た。
立っている華弥の傍らには志島大地が居る。
大和の頭に血が昇る。怒りの全てを志島に向けて仕舞いそうになったが堪えた。
世界の頂点に君臨する者としてのプライドがそれを許さなかった。
ぐ、と腹に力を入れて殊更冷静に大和は華弥に問うた。
「連絡はした筈だが」
「あったね」
「何故出なかった」
「見つかったから」
見つかったと華弥は云った。
「何が見つかった?」
華弥は大和の問いに彼にしては珍しく機嫌が良さそうに微笑んだ。
「大地のとこの親父がさ、見つかったんだ、何人か死んだらしいけど殆ど大丈夫だった」
ヤクザだからさぁ、悪魔召喚プログラム使ってなんとか凌いだらしいよ、と華弥は云う。
「今は外で適当な場所見つけて極道一家やってるらしいよ、そうだろ、大地」
其処で話を振られた大地は堪ったものでは無い。
確かに大地の家は古い極道の家系であったので正直あまり家族の心配はしていなかったし死んでいたらそれまでだと思ってもいた。極道なんていくら普通の企業や生活を装っても、裏ではぎりぎりのことをやっているのだ。いつ死んでもおかしくは無いし、何故極道に不向きな自分がこの家に生まれたのかと思いこそすれ、それなりに割り切ってもいる。だから一昨日、ジプスの命令で赴いた悪魔の掃討作戦中に組の春間という男に偶然再会した時には驚いたものだ。一家の大黒柱である父は志島組を守り通したらしい。堅気の人間も相当保護したらしいので実力主義となった今では一大勢力であるらしい。未だインフラの整備も十分で無い今、知己の男に出会えたのは幸運だった。
その日の内に大地は志島の拠点の一つに移動して、親子の再会を果たした。
「ああ、まあ、親父たちも元気いっぱいで・・・・・・ね、」
ね、じゃない。大地が恐々目の前の大和を見ると明らかに怒り狂っている。
それもそうだこの二日間、華弥は大和から携帯に散々連絡が入っているのにその全てを無視したのだ。
大地は一度ならず、「いいのか?」とも「出てやれよ」とも云った。云ったのだが華弥は僅かに鼻を鳴らしただけで、電話を取らなかった。
傍から見ればこれは夫が別の女と出ていくのを本妻が見つけたみたいな構図にも見える。
残念なのはこの場に居るのが全員男な点であったが、峰津院大和という男は大地の眼から見ても華弥に対する執着が凄まじい。元よりセプテントリオンと戦っていた時から人の話など聞かない傍若無人な男であったが、大層優秀であるらしい峰津院大和は華弥の言葉だけは聞いたのだ。それを鑑るにどう考えてもこの事態は泥沼である。人に好かれすぎるというのは容姿と能力的に云って華弥の意思関係無くこの秀でた幼馴染の十八番ではあったが、相手が大和では性質が悪い。華弥は縛られるのが嫌いな男だ。幼い頃から華弥を知っている大地にはよくわかる。しかし大和は華弥を縛りつけたがる。手元に置いてこれこそが寵姫であると云わんばかりに周囲に知らしめるのを好む傾向にある。念の為云うが華弥は男である。
それを思いながら大地は改めてこの奇想天外な美形二人を眺めた。見慣れた美形の方、つまり華弥は華弥でもう完全に心が別の方を向いているし、もう一方の美形―ジプスの若き局長兼世界の王である大和は大和で今にも射殺しそうな目で大地を見ている。
何この修羅場、もうヤダ。大地はそう思いながら溜息を洩らした。
別に大地が誘ったわけでは無い。ただ実力主義のやり方には反対であったが、世界がそうなって仕舞った以上仕方が無い。そして華弥に来いと云われた時、断らなかったのは大地だ。大地は華弥を放っておくことが出来ない。これは幼い頃からの習慣だ。普段は何事にも興味を示さない華弥であったが、大地達近しい者は華弥の中で必要なものに含まれているらしい。欲しいものを滅多に口にしない華弥が欲しがれば大地は断れないと華弥は知っている。それをわかって云うのだから華弥は意地悪である。結局、大地は華弥に付いたのだ。それだけは事実である。けれどもジプスが大地にとって居心地が良いわけでは無い。実力主義の中でそれなりに力があったのは幸運であったし世界の頂点である華弥がいるのだから大地や維緒は何ら困ることは無かったがジプスに居ると息が詰まりそうになる。大和の遣り方と大地の生き方は合わないのだ。それは華弥も同感だろうと思う。だから父達と再会した時に大地は同じくジプスで居心地が悪そうに過ごしていた維緒も誘って移ることに決めた。
すると自然に華弥も「行く」と云ったのだ。
だから今日はジプスに置いてあった僅かな荷物を取りに来たのだが、大和と会いませんようにという大地の望みは残念ながら見事に砕け散った。

「それで志島は出ていくわけか」
大和が大地から華弥に視線を戻した。
「そうなるかな」
「それは結構だ」
邪魔者は早く去れと大和に暗に云われて、大地は肩を竦める。彼は普段、大人で非常に優秀なくせにこういう時、大地から見ても大和が十七歳の年相応の少年に見えた。こいつでも人並に嫉妬をするんだな、と。大和がこの事実を知れば激昂しただろうが、面倒事が嫌な大地は決してそれを口にしない。勿論大和は相手が華弥で無ければ簡単に見限るし切り捨てる。駒を駒として扱う男だ。
けれども大和にとって華弥だけは特別だ。特別なのだ。大地から見ても痛いほどそれがわかるのに当の華弥は煩わしさが増えただけと云わんばかりのつれない態度である。
大和は華弥に出来る限りのことはしているのだろうという事は大地にも分かる。この部屋だってそうだ。最上階のまるで何処かの王様にでもなったと錯覚できそうなくらい豪奢な部屋を華弥に与えている。世界がこうなる前に華弥が住んでいたアパートは六畳一間だ。それに比べれば天と地の差があった。食事も大地達ジプスに所属している者に与えられる物とも違う。近々大和はジプス内での仕事をポイント制にすると云っていたから直に結果が出せなければ今日の食事すら賄えなくなるだろう。そんな心配も華弥には無い。能力に見合った最高級の食事が提供されている。最もその殆どは食の細い華弥が大地や維緒に流していたのだが、とにかく華弥が欲しいと云えば大和は何でも華弥の為に用意するだろう。そのくらい大和は華弥を評価していたし確かに華弥にはその力があった。
けれども華弥は口を開く。その整った唇で、云ってしまう。
華弥が煙草の煙を吐き出し、灰を床に落とした時、大地は噫、云っちまう、と頭を抱えたくなった。

「飽きたんだよね」
ぴし、と空間が凍った感じがする。何もかも凍りつくような空気をぴりぴりと大地は感じた。これに出くわすのは一体何度目のことなのか、目の前の大和を見れば文字通り凍っている。
大地はああ、と頭を抱えた。
云っちゃった、と。ちなみにこれは華弥の常套手段である。誰かと別れる時に、何故と追いすがられれば決まって華弥はこの台詞を吐いた。華弥は天邪鬼なのだ。実際華弥が飽きているかどうかは大地にはわからなかったが、とにかく華弥はそう云って他人の神経を逆撫でする。
「何を・・・・・・云っている、華弥」
「だから飽きたって、」
「世界を作るのはこれからだろう?」
かろうじて大和は笑みを浮かべているが、顔面は蒼白だ。大地はそれを見て申し訳無いような気持ちになる。
「俺的には頂点取ったら終わりなんだけど」
「お前は私の手を取った筈だ・・・・・・」
大和の聲が微かに慄えている。華弥はそれを一瞥して煙草を口に含んだ。
煙をゆっくり吐き出し、それから云った。透明で少し優しげにすら聴こえる甘い聲で。
「別にお前の手を取った覚えはないよ、ただ俺はお前が居なくても実力主義の世界を作った。其処に都合良くお前が居ただけだ」
その方が楽そうだったし、と華弥が言葉を足す。
大和からしてみれば華弥が自分を選んだのは当然だと思っていた。
自分だったからこそ華弥が実力主義に賛同したのだとも思っていた。けれども真実は違う。華弥にとって実力主義は当然であり、其処にちょうど大和が居た。それだけだった。ただそれだけのことだったのである。
酷く簡単に云って仕舞う華弥に大和は激昂する。これ以上ない屈辱を浴びせられた。けれどもそれ以上に華弥が大和の手を離れる。そのことに頭が真っ白になる。華弥の手を大和が掴もうとするが遅かった。華弥は既に扉を出ようとしている。
「お前の居場所は此処しか無い筈だ華弥!」
「暫く大地たちのとこで暮らすから、実力主義なんだから別に俺がどこで何してようと俺の自由でしょ」
「華弥!」

大和の悲痛な叫びを置いて華弥は部屋を出る。慌てて大地がその背を追ったが、華弥は振り返りもしなかった。
「いいのかよ、あれ相当怒ってるぞ」
相当どころかこのままでは大地が呪い殺されるか八つ裂きにでもされそうだ。本妻怒らせると怖ぇ。
「別にいいんじゃねぇ、大和もガキじゃないんだし」
「そりゃそうだけどさ、お前本当、人の気持ち考えねぇよな」
「維緒の荷物も取りに行ってやらないと」
「ちょ、華弥!聞いてんのか?」
そんな遣り取りが大和に届いた筈も無く、万一聴こえていても大地が大和に殺されそうな筋は変わりそうに無かった。
大和が茫然としている間に扉は簡単に閉まる。あまりのことに怒りで大和の身体が震える。
許せない、許せる筈が無い。自分を置いて出て行った華弥に大和が納得出来る筈も無い。
「許さない、華弥、必ず戻してみせる」
手にした筈なのだ。永遠とも思えるものを、今更、離れるなど許せることでは無い。
欲しいと願い手にしたと思った。けれどもそれは簡単に大和の手をすり抜ける。


02:零れ落ちる水
prev / next / menu /