わが世のさまの

気の迷いだ、
気の迷いだ、と胸の内でヒートは繰り返す。
もう此処数日間か何度も繰り返した行為だ。
クリスマスも開け、残り僅かな休暇を
ただバイトと勉強に明け暮れた日々だった。
そんな中やっと訪れた給料日である。
最近の冷え込みでついに酷使しすぎて
壊れた暖房器具を新調しようかと、
今か今かと待ちかねた給料日だった。
だがどうだろう?今自分は最も自分にそぐわない
場所に居る。
バイトの宅配で何度か通ったことのある場所だ。
有名店舗が並ぶ高級住宅街の一角だった。
そんな自分には縁遠い場所にヒートは立ち尽くしている。
目の前には0が一体いくつ付くのか、途方もない商品
が展示されているばかりだ。
それを溜息と共に眺める。
今までのヒートなら入ることすらしなかったろう場所だったが、
今は違う、サーフから貰ったマフラーと手袋
(いずれも手触りは上等でどのくらい値の張るもの
なのかヒートには想像もつかなかった)をして
其処に居た。はああ、ともう何度目かの溜息を吐く。
「お探し物ですか?」
と品の良さそうな店員に聲をかけられて
我に返った。
「え、あ、いや・・・」
見ると目の前には指輪だ。
エンゲージリングの類である。
慌てて違うんです、違うんです、と取り乱しながら
ヒートはその場を去った。

違う、探しているのは指輪では無い。
サーフのプレゼントだ。
クリスマスプレゼントを貰ったのだ。
お返しをしなければならない。
そう決意してあと一ヶ月コートを着て眠ることを
決意したのだ。
しかしヒートの予算では買えるものに限界があった。
ふと視界にここ数日見なかったものが目に入る。
万年筆だ。
上等そうなそれは深い緑と金の淵で彩られていた。
金額を見ると思わず後ずさるような値段である。
だが買えない金額では無かった。
浮かぶのはサーフの顔だ。
あの寒いアパートの鉄柵で雪に降られながら
困ったように微笑んでメリークリスマスと
云ったサーフの顔だ。
思わず唇をなぞる。
サーフの唇を思い出す。

あの後結局何にもなかった。
5度目のキスの後にサーフは部屋で眠り、
朝掠めるように口付けをし、それっきりだ。
明日にはもう講義が始まって仕舞う。
あの美しい友人にも会うだろう。
胸が高鳴る。
否、これはそんな邪なものでは無いと
云い聞かせる。
それでも、
それでもヒートの胸に、
『同じ道を歩け』と云ったサーフが
頭から離れなかった。
よし、と腹を括り、ヒートは店員を呼んだ。
「すみません、これを包んで下さい」


「やあ、ヒート」
すっかり馴染みになった講義では
隣りの席にサーフが着いた。
ヒートは美しい友人になんとか返事を返す。
このところ自分が歩いていて随分周りに
名前が知れ渡ったものだ、と痛感する。
勿論あの事件で不覚にも
有名になった、というのも一因しているが、
そんな不名誉な事象よりももっと別のものだ。
サーフの所為である。
確かにヒートも優秀ではあったがサーフほど
浮名を流してはいない。大学きっての秀才、
何より若く美しい友人は決まって人目を惹いた。
競争社会であるこの学内で、だ。
そのあまりある『有名人』が親しげにヒートに
語りかける、今となってはそれが周知の事象と
なって仕舞った。セットとして取り扱われることが
ことさら多くなったのだ。
「どうかした?」
不思議そうに問うサーフに我に返る。
余程変な顔をしていたのだろうか、
「何でもない」
と呟いて結局始まった講義にプレゼントを
渡すタイミングを見失って仕舞った。


「今日はバイト?」
講義後サーフが問いかける。
サーフはあと一つ講義があった。
だがヒートの今日の講義は終了だった。
この後はバイトの予定だ。
「嗚呼、そうだけど」
プレゼントを渡そうと鞄をごそごそしている
内にサーフが立ち上がる。
「じゃ、夜に寄るよ、資料置きっ放しだったよね」
あ、と止める前にさっさとサーフは教室を出て仕舞う。
「・・・おい・・・」
結局渡すタイミングを完全に失って仕舞い、
溜息をひとつ零して、
「ま、いいか」
家に来るというのだ、ならばその時に渡そう、と
決意してヒートは大学を後にした。

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