「ついでだから寄ってってよ」
大学の寮舎前まで送ったところでサーフが珍しく
そんなことを云うので「嗚呼、云」と答えて機嫌が良さそうな
友人の後に続く。
サーフの部屋へ入るのは2回目だったが相変わらず綺麗に
整頓されていた。
机には整理された書類とラベル付けされたファイルが燦然と並んで
いる。サーフは待っているようにヒートに云うと
簡易キッチンとして使用している長机で買って来た紅茶を開けた。
ヒートは手持ち無沙汰になりベッドに腰掛ける。
脇に置いてあったファッション誌を捲った。サーフは服装に気を
使っているのかわりと衣装持ちであるとヒートは認識している。
趣味がいいのだ。
「どうぞ」
雑誌に見入っているとサーフに聲をかけられる。
カップを手渡され礼を云って受け取る。
出された紅茶は良い香りだ。
一口含むと普段飲むような紅茶とは違う味がした。
「ふぅん、結構美味いな」
そう云うとサーフが満足したように笑った。
ふとヒートが気付く。
「紅茶には砂糖入れないんだな」
机上にあるスティックシュガーを使った形跡が無かった。
「当たり前だろ」
紅茶を口に含み飲み干してから、味が変わる、とサーフが云う。
成る程彼なりの哲学が存在するらしい。そうか、そうか、
と頷いてその滅多に手に入らないという紅茶を愉しんだ。
「珈琲もブラックで飲めばいいのに」
ヒートがつい、そう云うとサーフが顔をあげて反論する。
「珈琲は砂糖を入れないと飲めない」
断固主張するサーフのお子ちゃま味覚はやっぱり健在だった。
ヒートはそんなサーフが可笑しくて、不意に手を伸ばす。
伸ばしてその頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
さらさらとしたサーフの髪が揺れた。
それが心地良くてまた撫でる。
今度はサーフがいい加減怒って手を外させた。
「子供じゃない」
「子供だろうが」
サーフは妹を彷彿させた。
妹では無く弟というものなのだろうが、
恐らくそれに近いものを想い起こさせる。
その癖ヒートは時折サーフに意味もなく近づきたくなる衝動に駆られる。
ついこの前にサーフにしたことを突然思い出しヒートはうろたえた。
あのキスの件は事故だと、ヒートは云い聞かせている。
サーフも察してか察しなくてかあれからそのことは追求しなかった。
ヒートはあのキスを思い出し、居ても立ってもいられなくなり
立ち上がる。


「そろそろ、帰るな・・・」

夕暮れがサーフの部屋の窓から見える。
帰るには丁度いい時間だ。
サーフも引き止める理由は無いだろう。
どうせ来週にも始まる講義で逢うのだ。
「じゃ、そこまで送るよ」
断るのも変な気がしてヒートは頷く。
サーフは一向にそんなヒートの動揺に気付くことも無く
他愛も無い雑談をしながら寮舎の階段を共に下りた。


「寒い」
夕方の冷え込みはじきに冬が来ることを告げている。
夕焼けが綺麗だった。
「そろそろマフラー要るな」
そうだね、とサーフが相槌を打ち、自転車を置いた階下まで
歩く。かさかさと揺れる樹から落ち葉が飛んだ。
「ヒート」
じゃあ、と手をあげた時にサーフが呼ぶので振り返る。
「この間の・・・」
この間のと云われヒートはぎくりとした。
今まさにそれを連想しているのだ。
「この間って云うとあれか・・・テーラー教授の・・・」
「違う」
間髪いれずに云われて冷や汗が出る。
「この間のキスなんだけど・・・」
うわー、うわー、とヒートが叫んで言葉を遮る。
サーフは呆れた視線をヒートに投げた。
「あーあれはなんだ、その、あれだ、そうそう、気の迷い!」
気の迷いだとヒートは云いきかせる。
それがサーフに対しての想いだとはヒートは自覚したく無かった。
だが一方ではその自覚があったのだ。
でなければあんな衝動になることもなかった。
それでも必死に取り繕う。
この美しい友人に嫌われたくは無かった。
「そ、前にも云ったろ!気の迷いだ!気の迷い!」
サーフに苦しまぎれの言い訳をする。
当のサーフは辟易したように溜息を吐いてから口を開いた。
「わかった、もう忘れる」
忘れると云われると、ずきん、とヒートの心が痛んだが
此処は忘れてくれるに越したことは無い。
自制心だ、ヒートと云い聞かせサーフの言葉に頷いた。
じゃあ、と再び歩き出そうとしたところでサーフに
腕を引っ張られる。



いつかの


掠めるようにした、


あのキスを


一瞬感じたその唇にヒートは目を瞠り言葉を失っていると
サーフは悪戯が成功した子供のようににやりと笑い
こう云った。



「気の迷い、だろ」



呆気に取られ、じゃあ、と手を振り寮舎に戻るサーフを
夕焼け越しに見送りながら、湧き上がる複雑な感情の中に
僅かな歓びを感じ、舞い落ちる落ち葉の中、
その余韻に酔いしれた。



「次、どんな顔して逢えって云うんだよ・・・」



余韻を残したまま、夕闇が辺りを包んでいく。




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