「授業始まる」
サーフの一言に我に返って、慌てて立ち上がった。
「悪い、また帰りに寄ろうか?」
問いかけるとサーフは首を振った。
「いい、また後日講義で」
サーフが手を上げる。ヒートが時計を確認するともう5分前だった。
走ればギリギリセーフだろう。
「後で!」
続きを云おうとして云う間も無く、講義へと走った。
全力で走って、教室に駆け込む。
一息吐いて、座ったところで講義が始まった。
講義を全て終えた頃には陽は暮れ、夜が訪れを告げていた。
バイトに少し遅れると連絡を入れて、ヒートは学内の生活課のコピーコーナーへ
立ち寄った。今日サーフが取れなかった講義のコピーだ。
最も重なっているのが2科目しか無いのであまり意味が無いかもしれない、
だが無いよりはマシだろうとコピーを取る。試験はそう遠く無い。
ホッチキスで端を止めて、ダヴェンポートの寮舎に足を赴けた。


「・・・」
帰りに寄ろうか?と問うて、不要だと云われた手前、
どうにもノックし辛い。ヒートは少し悩んで、ドア下の僅かな隙間に
レポートのコピーを折りたたんで挟み込んだ。



「先日はどうも」
聲をかけて来たのはサーフだ。
講義を終えて立ち上がろうとした処だった。
「平気なのか」
一昨日の話だ。サーフはにこりと笑うと、もうすっかり、と
答えた。昼食後の講義は同じだったから其処で尋ねようとしていたのに
不意を突かれた。
「コピーもね」
云われて先日の講義のコピーだったと思い出す。
借りを作ったと不貞腐れるサーフにヒートは聲をあげて笑った。
「まあもう元気なら何より」
微熱続きだけどね、とサーフが付け足す。
医大に行ったらこれでもかと試験薬を出されたとぼやいた。
「丁重にお断りしたよ」
サーフは溜息を吐きながらヒートに手にしていた包みを寄越した。
「これは先日の御礼です」
したり顔で云うので中を改めるとどうやら今日の昼食らしかった。
「Sセットじゃん」
中を見て驚く。ランドマーク前食堂限定の一日50食という滅多な
ことでは手に入らないと噂のランチボックスだ。
勿論ヒートはお目にかかったことは疎か食べたことも無かった。
「どうやって?」
入手経路が不思議でならない。まさかあのサーフが販売1時間前から
並んでいたとは考えにくかった。
「裏ルートがあるんだよ」
にやりと笑うサーフはいつもの調子だ。
思いもかけず湧いて出た昼食に舌鼓を打ちながら、
空き教室となった其処で昼食となった。


「講義の欠席は大丈夫なのか?」
口の端からはみ出たレタスを親指で押し込めてサーフに問う。
オレンジジュースを啜りながらサーフが大丈夫と返事をした。
「別でレポートを提出して先生に感動されたよ」
成る程立ち回りが上手いサーフは一日の欠席くらいでは
傷にもならないらしい。逆に株を上げたと、満足気に話した。
それは、そうだろう、とヒートは思う。この学年で16歳という異例の
幼さでまた年相応というかそれ以下にも見える外見のサーフがだ、
熱を押して講師のところで「すみません」と謝ってからレポートの
ひとつも提出してみればもうたまらないだろう。ましてや世間的には
美少年で通りそうな端整な顔である。云われて悪い気はしない。
「お前もよくやるな」
半ば感心して半ば呆れながらホタテのソテーを突付く。
「まあね」
サーフはごちそうさま、と云ってから次の講義の参考書を取り出した。
(次は同じ講義で「心理統計法」だった)そんなサーフを横目にヒートも
食べながら参考書を広げる。一通り美味しい昼食を食べ終えてから
本格的に予習を始めた。
「ヒート」
呼ばれたのでヒートは顔を上げた。
サーフの指が近づいてきて、口の端に触れる。
「ついてる」
汚い、と眉を顰めるサーフが端に着いたパン粕を拭った。
「どうも」
「いいえ」
短いやり取りが心地良い。
目を合わせた男は綺麗だった。



これは気の迷いだ。
そう思う。
不意に近づいた唇も、驚きに開かれたサーフの目も、
軽蔑とか、そんなことは考えなかった。
ただ衝動的になんとなくだ。愛情とも友情とも得難い感情に流されるままに、
ヒートはサーフの唇に吸い寄せられ、掠めるように口付けた。



唇を離すとサーフがヒートをじっと見る。
殴られるかと覚悟したがその気配は無かった。
「・・・今の・・・」
サーフが口にした途端、予鈴が鳴った。
ヒートはサーフを促して教室へと走り出す。


「今の、キ・・・」
続きの言葉はヒートがうわー、と遮って、
走りながら叫ぶ。


「ただの気の迷いだよ!」




「・・・気の迷いねぇ・・・」


サーフは呆れたように溜息を吐いてその後に続いた。




誰もいない教室の窓からかさり、と秋の落ち葉が舞い落ちた。


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