シャワーを出て漸く一息吐く。 意味も無く疲れた。この疲労感はなんだ、と 自身に問いたかった。だが問うともうどうしようも無い気がして ヒートはやめた。 サーフを見ると視線は資料に集中しているらしい。机の参考書の間に 挟んであったから其処から引っ張り出したのだろう。 専攻は今のところ2科目しか重なっていないので見られて困るような ことも無かった。邪魔をするのも気が引けたので先程の食料品を 冷蔵庫に仕舞って、珈琲でも淹れようと小狭いキッチンへ立つ。 湯を沸かしながらサーフをちらりと横目で見た。 真剣な顔で文書を見るサーフは掛け値無しに綺麗だった。 端整な顔をしているのだ。かと云って少女と間違えるというものでも無い、 が美男子というのともちょっと違った。曖昧な境界の中の美しさだ。 どのパーツを取ってみても彼のような造作で構成された人間をヒートは 見たことが無かった。そんなサーフにヒートのよれたTシャツと更に よれよれのデニムは酷く申し訳ない気がした。(しかもどちらも大きいので サーフによってきっちり15cmは折られている) ピーッ、とけたたましい音が鳴り湯が湧いたことを薬缶が告げる。 薬缶を火から外し、最近来客用に(と云ってもこうして珠にサーフが来る時 の為のものなのでほぼサーフ用と云っても間違いでは無かった)バザーで 見つけてきたその大きめのカップにインスタントの珈琲を注ぐ。 自分の分も端が欠けたカップに少し濃いめにして湯を注いだ。 カップを差し出すとキリが良かったのかサーフが顔を上げた。 「砂糖は」 「二つ」 間髪いれず答えるとサーフが満足したように笑った。 自分はブラックで飲むのでサーフが砂糖を要求した時には 驚いたし呆れたものだった。何せ砂糖も置いてなかったから、 スーパーまで買いに行かされたのだ。 今ではそのお子ちゃまの味覚に合わせて事前に砂糖を入れてやっている。 呆れながらも満足気に微笑むサーフを見ていると悪い気はしない。 「そのスラックス初めてみる」 黒のスラックスだ。先日アウトレットで購入したものだった。 「似合ってるよ」 「どうも」 ヒートはそう答えると床に座り込んだ。 ひんやりと床が適度に体温を奪って行く。 思えばサーフに合うまでこんなやり取りをした人間が居ただろうか、と ぼんやり珈琲を口に含みながらヒートは思う。 少なくとも大学に入ってからは記憶に無かった。 友人らしい友人も居らず、こんな風なやりとりをする相手もまた居なかった。 不思議な男だ、とヒートは思う。 半年前のあの事件で出会い、そして「一緒に来るか?」と問うたあのサーフの 顔が今でも忘れられなかった。漠然としたものでもあるにもかかわらず サーフの云う言葉は何処か信じてもいい、と思わせるものがあった。 奇妙な説得力である。カリスマというものがあるのならそれはこの男に 対してであろうと最近ではそう考えるようになった。 それでもサーフに出会ってから、確実に一段一段、上へ登っていっているような 感覚に捕らわれる。込み上げる自信がある。友人の有難みを 改めて思った。2つ年下の不思議な友人だ。 不思議な友人はのほほんと珈琲を啜り、俺を見る。 「雨止まないな」 一向に止む気配も無い雨はより激しく窓を叩きつけていた。 思わず泊まって行くか、と口にしそうになった。 「泊まってってもいい?」 切り出された言葉に俺は呆れながらも笑うしかない。 明日は休みだ。講義に支障は無い。だがレポート類もあるし、 何より明日は朝一でバイトだった。 サーフにその旨を告げると、帰ろうか?と云われたので、 少し考えてから、ヒートは結論を口にした。 「傘無ぇんだ」 それは事実である。先週だったかいつだったかの雨で迂闊にも破れて仕舞ったのだ。 使い物にならない。こうなるならスーパーで買っておくべきだったかと 今更ながらに気付いて叱咤する。 「俺は床で寝るよ」 そう云うとサーフは悪戯に顔を歪ませ、俺のベッドを叩いた。 「別にふたりで寝たっていいじゃん」 しれ、と口から放たれた言葉に吃驚したのはヒートだ。 言葉を考えているうちにサーフに押された。 「子供の頃は友達とそうして寝なかった?」 その問いに、苦笑して、俺は部屋の隅にあったクッションをベッドに投げた。 遅くまで討論していた気がする。 ベッドに潜ったのは夜半もかなり過ぎた頃だ。 サーフは寝つきがいいのか身動ぎひとつせずに寝入っていた。 ベッドのサイドランプがサーフの顔を照らし出す。 その穏やかな寝顔にヒートは見入っていた。 成る程ベッドに二人で入ってもサーフが小柄なので ヒートが少し端に寄るだけで男二人が納まって仕舞った。 ふと昔、まだあの病気が判る前、あの頃よりも随分小さかった妹に していた所作を思い出す。あの愛らしい妹はもういない、 己の所為で。ぐ、と唇を噛んでから、再びサーフに視線を戻す。 他意は恐らく無い、ただ暖かで、この不思議な友人がそうさせるのかもしれない。 そう自分に言い訳をして、あの幼かった妹のようにその瞼にそっと、口付けを落した。 ジュウジュウと耳慣れない音が聴こえる。 ガチャ、という金属音で一気に目が醒めた。 起き上がると小狭いキッチンにサーフの姿があった。 そこでそういえば泊めたのだった、とヒートは思い出す。 「おはよう」 「ああ・・・」 何してんの、と問うと勉強机を指さされる。 ノートと参考書は床に丁寧に積まれ、代わりにトーストとサラダがあった。 家中の皿を総動員して、ハムエッグが追加された。 「まあお世話になったので」 サーフがにやりと笑う。これは照れ隠しの笑いだとヒートには わかった。だから遠慮なくその厚意をお腹に収めることにする。 結局机は小さいし椅子は一脚しか無いので 床に並べられることになった朝食は矢張り床に座って食べることとなった。 「インド人みたい」 サーフが愉しそうに云う。ヒートもつられてナマステと挨拶を云った。 ひとしきり笑い、食べ終わるともうバイトの時間である。 共に外へ出た。 「晴れたね」 休日の空は青い、何処までも澄み渡るような青さだった。 鳩が往来を横切る。 サーフはだぼだぼの俺の服を折り直して、バッグを背負った。 「じゃあ、また来週の講義に」 サーフが手を上げる。 分かれ道だ。サーフは寮へと戻り、ヒートはバイト先へ向かう。 「次に来るまでには椅子を用意しておく」 そう云うとサーフは振り返り、 「傘もね」 雲ひとつない空に白い鳩が飛んだ。 |
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