※パラレル。八尾比丘尼の人魚の肉ネタ。「10:噫、お前のその言葉だけで」の過去話。


あれは攘夷戦争中だった。
その時、高杉は左目を失った。
「晋助!しっかりしろ!」
誰の聲だったか、多分己の部隊の、懐かしい誰かの聲。必死な様子で左目を失い満身創痍の高杉を気遣う。
どうにか連れられた戦場から僅かに離れた山里の廃屋同然の庵で高杉は高熱を出し床に伏した。
これでいよいよ己も終いかと思った時に、何処からか、誰かが『それ』を持ってきた。
「銀時達はどうした?戦況は・・・」
「いいから、ほら、食いもんだ、あんたを此処で死なすわけにはいかねぇ」
特別に分けて貰ったのだと、云った。滋養の強い妙薬なのだそうだ。
薄い粥に混ぜられたそれ、味は白身の魚だった。
戦況は最悪で、食事だってままならない。そんな中苦心して調達したのだろう。
其処に悪意は無かった。ただ高杉を助けたい一心だった。その善意で高杉の全ては一変した。
何処からか『それ』を手に入れ、高杉が助かる様にと心を込めて出された粥だった。
けれどもその粥を食べた後、高杉は酷く苦しみ、朝まで呻きつづけ、そして『それ』に成った。
朝起きた時、感じたことが無いほど身体が軽く、今までの痛みが嘘のように引いた。
起き上がって仲間の名を呼んだが返事は無く、床の抜けた部分を避け土間に向かえば、高杉を此処に運んだ仲間の内残った粥を口にした二人は血塗れになって死んでいた。
その時は夥しい血に塗れていたものの外傷が無いことから何か強毒性の野草でも食べたのだろうと片付けられた。
そして高杉は戦場に戻った。いつものように、桂や銀時や坂本と作戦を練り、部隊を立て直し、戦いに明け暮れた。
そして気付いた。
「何故、俺は死なない・・・」
死なないのだ。明らかに致命傷だという傷を受けても息がある。
数分後には徐々に身体が動くようになる。
最初は運が良かっただけだと思った。頭に銃を撃たれても死ななかったことだって弾が外れたのだとか不発だったのだとかそんなことを思って楽観視していた。
けれどもそれが何度も続いて気付いた。
そう、自分は何度も死んでいるのだ。
試しに、敵に己を斬らせてみた。いい加減自棄になっていたのだろう。あまりにも続く疑念に己はいっそもう死んでいて夢でも見ているんじゃないかとさえ思っていたから死んでもいいと本気で思っていた。
そして斬られた。間違いなく致命傷を負い後数分で死に至る筈なのに、一刻も経てばその傷は消えている。
何度死のうとしても駄目だった。
何度戦場で死ぬ方法を探しても駄目だった。
憑りつかれたように高杉は激戦地に赴きある時は刺され、ある時は撃たれ、ある時は潰され、その都度己がどうなったのかを見極めようとしたが結果はいつも同じ。
周りが死ぬばかりで己だけは生き残る。
無様に、化け物のように、死体の山から息を吹き返して誰もいなくなった戦場で立ち竦む。
「なんで、俺だけ死なねぇんだ・・・!」
真っ暗だ。焦燥感、取り残される感覚。
荒野に一人佇み孤独に沈む恐怖。
絶望が在った。絶望が在ったから高杉は攘夷戦争に参加した。
世界を壊す為に戦争をした。絶望の内に死ねればきっとずっと幸せだった。
本当は、本当は世界なんてどうでもよくて死んで皆が逝った場所に逝くことだけが高杉の望みだったのかもしれない。
けれどもどうだ。
絶望は更なる絶望を産み高杉を地獄の中で苛む。
あれが地獄だと思っていた。先生を失い、攘夷戦争に参加し天人を殺して殺して殺しまくって、血を浴び、多くの仲間を見送りそれでも戦い続けたあれが地獄だと思っていた。
でも違った。
地獄はあんなものじゃない。
これこそが地獄だ。
今高杉の置かれた現状こそが真の地獄だった。
そして攘夷戦争が終結して数年後、テロリストとして潜伏した高杉はその時、己は死なない上に、年も取らないのだと気が付いた。



「あり?生存者が居る」
扉が開いた時高杉は壁に背をやりどうにか身を起こしていた。
鼻血が止まらないがその内止まるだろう。震える指先でどうにか懐から煙管を取出し口に含む。
そして目の前に現れた男を片目で見遣って不敵に哂った。
「火ィ呉れよ」
神威は目を丸くし、綺麗な顔を驚きで満たして、それから機嫌が良さそうに鼻を鳴らし、いくつかある死体の胸元からライターを探し当て恭しく高杉の煙管に火を点ける。
「どういうカラクリ?てっきり死ぬつもりなのかと思ってたけど、っていうか毒だよ、空気に混ぜたんだから普通死ぬよね、現に皆死んでるし」
血を吐き苦悶に満ちた表情で絶命した物言わぬ死体を神威はブーツで転がした。
高杉は体勢を立て直し、神威の点けた火を吸い煙を燻らせる。
「それとも逃げ道でもあったかな?まあアンタ時々魔法みたいなことするからこれも作戦?」
作戦、そう、作戦だ。高杉は煙を肺いっぱいに吸い込み吐き出した。
生き返った心地に息を洩らす。そう、文字通り高杉は『生き返った』のだ。
春雨と別の組織の間の取引の仲介を受け持った。その場で幹部全員を殺す手筈だ。
強襲なんて野暮なことはしない。やるのはもっと卑劣な作戦だ。要人全員が揃って杯を持ったところでダクトから毒ガスを流す。
ガスが流れることは予め高杉にも知らされていたから当然、万斉やまた子は良い顔をしなかった。
けれども高杉がその場に居ることが最大の信用であったのだから高杉自身が行かないわけにはいかない。
マスクを持たされたが不審がられるからと返したのは高杉だ。
だから神威が云うように『てっきり死ぬつもり』だったと思われても仕方がないし、実際高杉は数分死んでいた。
ガスが薄れ空気が徐々に戻ってきたから息を吹き返したのだ。
「そんなところだ」
高杉の返事に己の疑問がはぐらかされたと知った神威は不貞腐れる。
「いい加減教えてよ、この前の作戦の時も確実に死んだ筈なのにアンタは生きてた。いっそのこと此処でアンタを抱いて満足させれば下の口が教えてくれる?」
悪戯に笑みを浮かべる神威の頬を撫ぜて高杉は答える。
鼻血は無様だから着物で拭った。
神威と舌を絡め誘う様に高杉は笑みを浮かべる。
この餓鬼とこうして熱を分け合い寝るのは何もこれが初めてでは無い。
ただ情人と云うには少し遠いし、友人というには殺伐すぎる。神威と己の間にあるのは曖昧な関係だ。
だから云う気になった。自棄になっていたのかもしれない。否、己はいつだって自棄か。だから云った。何でも無いことの様に真実を、嘘のように潜ませて適当にはぐらかしながら。
「死なねぇ身体だって云ったら?」
冗談めかしに高杉が云えば神威がその宝石のような青い眼を更に大きくした。

「冗談?本気?」
「どっちだろぉな」
思わず問い返した神威に高杉が曖昧にはぐらかすのはいつものことだ。
神威は高杉の眼を見た。一瞬迷うが、興味の方が勝つ。
高杉を探るように見据えそれから神威はその言葉をもう一度胸の内で復唱した。
( 死なない身体・・・ )
現に高杉は今も生きている。マスク無しで、毒ガスの中を鼻血だけで済むなんてそんな莫迦なことがあるか、夜兎ならまだしも高杉は脆弱な地球種の人間だ。いくら強い侍だと云ってもそれだけは覆せない。肉体の構造は変えられない。
神威は思巡してから高杉の眼を見た。
悲しそうな、全てがどうでもいいというような、それでも地獄に立つ高杉の狂気の眼、いつも神威を惹きよせる眼だ。
今回の作戦だって高杉が参加すると聴いて神威は我が目を疑ったし止めようともした。けれども高杉と神威は其処まで互いを束縛していない。高杉がすると云ったらするし神威がすると云えばするだろう。それがどんな結果になろうとも、それが悪党の生き方というものだ。或る意味では冷たく、或る意味では互いを尊重している。そんな関係だ。
だからこそ神威はそれが本当かどうかわかった。
この男はそんなくだらないことを云う男では無い。
神威の知る高杉晋助という男はそんな男では無い筈だ。
( 嘘、じゃないか・・・ )
そう高杉はいつだって本気だ。
死なない、死ねない、多分本当。
高杉の部下達が高杉を揺るぎ無き御旗とするのは当然だ。
『この男は死なない』のだから。
高杉が死なないことを前提にすると今までの高杉の無茶でどうして生き残れたのか神威は得心がいった。
「どうりで生き残ったわけだ。アンタ死なないんだ・・・いや・・・死ねない?」
「本気で信じやがった、莫迦だな」
「本当でショ、高杉が云うんだから」
あっさりと信じた神威の髪を高杉が撫ぜる。
神威の髪を撫ぜる高杉の手が寂しそうで、いよいよ死ねないのが本当だとわかったようで、神威は一瞬言葉に迷った。
神威が何かを告げる前に高杉が云う。

「殺してみろよ、神威」

だから何度も、殺した。
神威は高杉をその場で殺した。
心臓を抉り、その身を引き裂いて殺した。
或る時は激しく、或る時は優しく謡うように、神威は高杉を殺し続けた。けれどもその都度、高杉は息を吹き返した。
「夜兎より不思議だ、最初から?それとも何かあってこうなったの?」
血塗れの手を拭いながら無邪気に問う餓鬼に高杉はいとしささえ覚える。
高杉が欲していたのはこんな餓鬼なのかもしれない。
無邪気に、怯えるのでも無く、哀れむのでも無く、ただ高杉の云ったことを確かめようとあっさり高杉を殺して見せるそんな存在が。
己の身体のことを身内に頼むわけにもいかない。高杉はどうしても同じ『人間』であった者達には云えなかった。
万斉は薄々勘づいているのかもしれないと思うこともある。けれども高杉から真実を告げられない。
もう何年も高杉は一人でこの苦しみの中に居た。
新たな地獄を望むのも既に目的と手段が入れ替わり、高杉は戦場で己の死に方を捜しているのだ。
だからこそ天人である神威と関係を持った時、冗談めかしに真実を云う気になった。
そして神威は莫迦らしくそれを信じて仕舞った。
最も殺せと云って躊躇無く高杉の心臓を握りつぶす餓鬼だ。
そして高杉は己が死なないことを身を以って神威に証明した。
事実を事実として神威は受け入れた。並みの人間ではこうはいかない。
夜兎という直線的な物の見方をする種族だからこそあっさりと事実を受け入れられたのだろう。
現に神威の手では余ると考えたのか、神威の腹心の阿伏兎にも伝えられたが、阿伏兎もあっさりとその事実を受け入れ高杉の了承の下この身体を調べた。
結果わかったのは高杉の肉体は常に再生し続けることだ。夜兎の再生能力とは別の因子が体内に在りそれがウイルスの様に身体の隅々まで行き渡り高杉が死んでも再生する。どれほどの傷を負おうと高杉の肉体は時間をかけて必ず再生する。試しに攻撃性の高いウイルスを体内に入れて高杉の体内にあるその不死の因子を攻撃してみたが一瞬で不死の因子がその悪性ウイルスを喰い尽くした。だから高杉は病気にもならない。そして肉体の成長も無い。もう何年も高杉は成長していない。老いが無いのだ。そしてそのウイルスのような高杉の全身に根を張る因子はどの星のデータベースとも照合しなかった。漸く全ての結果が出て己が不老不死だと告げられた時、諦めがいよいよ本当になって認めたくない物を認めざる負えなくなって己が暗がりに一人になった気がした。
だから何故こうなったのか、どうしてこんな身体になったのかという神威の疑問は最もだ。
高杉も何度も原因を考えた。
そして行き着く先はいつも其処だ。
あの粥。
高杉が攘夷戦争中に左目を失って死にかけた時に出された粥。
あの粥の中に入っていた白身魚のような肉。
そしてあの粥を食べた他の二人は土間で全身の血を噴き出し死んでいた。
高杉は肉を喰った。粥の中の肉を。

「『人魚の肉』の伝承か・・・」

宇宙中にいくつかある伝説の一つだ。
伝承の内容は様々だったが共通するのは只人が『人魚の肉』を食べたことそして食べて『不老不死』になったこと。
後に放浪したり神になったり結果は様々であったが、地球だけでは無く人魚伝説は数だけなら宇宙中山ほど在った。
なのに誰も『人魚』を観た者はいないのだ。個体数が少ないのか夜兎のように宇宙の海を放浪し続けているのか、『肉』の記録はあっても『人魚』の存在は無い。伝説の存在。
そして『肉』の記録があった場所ではいつも『肉』を巡って凄惨な争いと無数の死があった。
「捜そうか、『人魚』を」
神威のその言葉を待っていたのは己かもしれなかった。
只の興味で高杉に付き合うというこの海賊の酔狂が高杉は嫌いでは無い。
「地球の件を片付けたら行こうよ、宇宙は広いんだ、『人魚』の一匹くらい見つかるさ」
そして宇宙中を捜した。
数年かかって伝説のあるところを皆捜した。
その頃には神威は既に高杉には無関係だとは云えない間柄になった。
簡単に云えば情だ。情。
餓鬼の下手糞なセックスに絆されたと云うか、どうせ死なないのだからそのくらいの過ち過ちでも何でも無いだろう。
表向きは死んだことになっている高杉の動向に万斉は良い顔はしなかったが、話さずとも事情を察していたのか、資金と情報面で随分助けられた。
そして見つけた。
宇宙の果てで、その時可能な全ての技術の粋を使って造られた最新鋭艦のワープ航法で辿り着ける最も遠い星で。
水の惑星だった。
水があるだけの陸も魚も何もない青い星で、最後の人魚を見つけた。
事切れる寸前の人魚は其処に居た。
神威に首を掴まれ息も絶え絶えに耳鳴りのするような聲で高杉に真実を告げた。
一度人魚の肉を口にして生き残って仕舞ったら元の肉体に戻ることは不可能だということ、死にたければ永遠に燃える炎に身を投じるしかないこと、けれどもそれは死では無い。疑似的な死の体験にしか過ぎない。永遠に炎が燃えているから僅かに残った体組織が常に燃やされて死んでいるだけで本当の死とは云えない。
そして人魚は残酷に全てを告げた。人魚という存在は彼女で最後だということ、元々個体数の少ない人魚は繁殖出来る場所を捜して宇宙を放浪するのだそうだ。特殊な環境で無いと繁殖出来ない為に彼女達は宇宙を旅する。そして繁殖の地が見つかると新たな人魚が生まれ母体が滅ぶ。人魚は一匹で繁殖が可能なのだそうだ。番いを必要としない単為生殖の種であり、種の命は子を成さなければ永遠に永らえるが単為生殖であるが故に進化も無かった。そして緩やかな滅びが彼女達の種を襲い、ある時を境に奇形が生まれ何もかもが狂った。そして新たに生まれた奇形の種は醜く簡単に滅び、奇形で無い唯一の種が彼女だけになり、その彼女も因子の滅びに準じて既に単為生殖の機能を失ったこと、人魚には無い死が彼女を苛んでいることを明かした。
誰もいない水の惑星で死を待っていたのだと彼女は告げ満足そうに事切れた。

「戻らねぇのか・・・」
薄々わかっていたことだ。
この『身体』は呪われている。
皆、死んだのだと人魚は云った。それがどれほど羨ましいか、人魚にはわかるまい。
己は永遠にこの地獄に居ろと云われたのだ。救いは無い。
最早何処にも救いは無い。高杉の一縷の望みさえ潰えた。
震える高杉を見つめ神威は死んだ人魚の首をもぎ、海に捨てた。
それから残った胴体を掴んで高杉に向き直る。
「・・・何を・・・」
神威の様子に気付いた高杉に神威は微笑む。
晴れ晴れしいその様子に高杉は嫌な予感がして顔を上げた。
腹を決めたような神威の顔から眼が離せない。
いつも宝石のように煌めく神威の眼がこの水の星では一層青くて、まるで此処は彼岸の風景の様だ。
その風景の中神威は微笑んだ。何かを悟ったように。
何かを決めて仕舞ったようにその表情は凪いでいる。
「方法が無いなら仕方無い、『戻れない』んだ。アンタは永遠に死なない、運良く、否、悪く・・・かな、生き残って仕舞った。人魚の肉なんていう奇跡に当たって仕舞った、それは『恩恵』なんかじゃない。『呪い』だ」
神威はその胴体を口に近付ける。
「やめろ・・・食ったら死ぬ、いくら手前が夜兎でも死ぬ」
「俺はわりとアンタのことが気に入ってるんだ、多分残りの人生全部懸けてもいいくらい」
何を云っているのか。
「残りの人生が数分なのか、永遠なのか俺は賭けることにしたよ」
甘い菓子でも口にするように神威は『それ』を口に近付ける。
やめろと神威を止めたいのに、己の身体が動かないのは何故か。
期待など馬鹿げてる。皆死ぬ。
口にしたら最後神威は数分の内に身体中から血を噴き出して死ぬ。
死ぬのだ。
なのに高杉は神威から目が離せない。
彼岸で微笑むこの男から目が離せない。

「これで俺が死んだら哂ってよ、アンタの為に肉を食べて死んだ莫迦が居たって時々思い出してくれればいい」

そいつは『それ』を喰った。
血を滴らせるその肉を喰った。

その日から高杉の地獄は景色を変えた。
地獄だ。
地獄に変わりは無い。
何処に行っても地獄。何処まで生きても地獄。
地獄は深く、果てしの無い暗闇だ。

けれども、振り返った時にそいつは居る。
何年でも何百年でも、そいつは居る。
その事実に何か堪えていたものが溢れそうになる。
口になどしない。
口になどしてやるものか。
けれどもお前は其処に居る。
いつだって、どんな時でも、其処に。

「行くぞ、神威」
「待って、もう少し遊んでからにしようよ」
「船が出ちまう」

此処に永遠が在る。
飽く程永い暗闇の時間。
救いなんて無い地獄だ。
なのにそいつは居る。
いつまでも傍に。

「早く来い、置いていくぞ」
「時間なんて無限にあるのに高杉はせっかちだなぁ」

数多を見送り、死を踏みしめ、それでも生きよと生かされる身体に絶望しながらも、ずっと。


11:振り返れば、
お前は其処に
居たね。

お題「リフレイン」

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