※短編連作「惚れた晴れた」の続きっぽい感じです。

まるで遊女の様だ、と神威は思った。
鳳仙の下で師事していたのだ。短い間とはいえ作法に煩かった師に神威は一通りのことは仕込まれた。
遊女の件もそうだ。件の巫山戯た吉原桃源郷などという場所を鳳仙が作った時に接待をされたのでどのようなものか神威も心得ているつもりだ。勿論殺すばかりで甘い一夜にはならなかったのが神威が神威である所以であったが、とりあえずそれがどういったものであるのかは神威は理解していた。
高杉を訪ねれば座敷へ通された。既に酒を煽っているらしい高杉は神威を一瞥してから小さな杯を神威へ差出し、神威はそれを受け取り中身を一気に煽る。そうしてやっと高杉は神威へとゆっくり目線を向けた。
「飲めよ」
神威は頷き高杉の杯にも酒を注いだ。
この頃高杉は神威に対して感情を吐露することが増えたように思う。
時折どうしようもなさそうに唇を噛み締めながらそれでも高杉から離れない神威を感情のままに打つこともあった。
けれども神威はその全てを受け入れる。受け入れると決めたのだ。
この男は駄目だ。過去にしか生きていない。だからこそ神威がその手を掴むと決めた。
それが神威の辿り着いた答えだ。
己と生きて欲しいと思いながらもいつか選択の時が来る。
それでも地獄の底まで神威は高杉と共に在ると決めた。
高杉を幸せにしたいなどと馬鹿げたことを、冗談で口にしたのではない。
ゆっくりでもいい、いつかでいい。いつか高杉の傍らで安寧と幸せを与えてやりたい。
それだけが神威の望みだ。
阿伏兎が訊けば卒倒するだろうなと神威は自嘲気味に哂って仕舞った。
他など、他の生き方など考えたことも無い。幸せとは何なのか神威は知りもしない。
神威は夜兎だ。夜兎の本性に最も忠実な夜兎だ。
殺すことが全て、叩き壊すことが全て、皆弱いものばかり、それを潰して潰して生きて往く。
ただ強い敵と戦いたい。刹那を生き、その最果てまで辿り着きたかった。けれども神威は高杉に出遭って仕舞った。
出遭ってその存在を欲して仕舞った。手探りで暗闇を捜すように高杉の形をなぞりそしてそれが何なのか答えに気付いて仕舞った。
気付けば最後、互いにどうにもならないとわかっていても、それでも神威はそれが恐らく幸福と云える類のものなのだろうと知って仕舞ったのだ。
案の定高杉は手酷く神威を拒絶したし、そして己も、己の生き方や性分と遥かにかけ離れている望みを抱いているとわかっている。
そしてそれは夢幻の寝物語なのだとも神威は理解している。
それでも、それでもと、神威は想う。このどうしようもない過去に生きる男と、そしてどうしようもない化物と云われる己と、どうしようも無い同士寄り添っていればいつか、それが本物になるのではないかと、そう思う。
「線香?」
高杉が取り出したのは一本の線香だ。
時折高杉は試すように神威に笑みを向けることがあった。
人の悪い笑みだ。寄りにも寄ってなんて男に惚れたんだと思うがこればかりは惚れた弱みである。
神威は世界とこの男ならこの男がいい。この男一人の方が余程価値があると本気で思っている。
世界と高杉を天秤にかければ神威は迷いなく高杉を取るだろう。例えそれで世界が滅ぶと云われても構わない。
世界が何だと云うのだ、高杉以上に選ぶものなどある筈も無い。己はもう生き方を決めて仕舞った。
高杉は酒の杯を煽り線香に灯した火を消して煙立つそれを香炉の灰の中に立てた。
まるで遊女の様に。線香が灰に届いて消えたら時間切れ。後は延長料金を払うか帰れという意味のそれ。

「これが消えるまでなら好きな事してやる」

にやりと口端を歪める様はさながら悪女だ。
遊女遊びのつもりか、神威は高杉の様に喉を僅かに鳴らしながらも眉を顰めた。
全く性質の悪いことだ。
神威の高杉への気持ちを理解しているくせにこういった悪い遊びが好きな男だ。
こうして遊女の飯事遊びの様に自分を抱かせて何になると云うのか、そうして高杉を囲って犯して他の誰の眼にも触れぬように閉じ込めようと思ったことは確かに在る。かつての師と同じように、高杉の健を切り、閉じ込めて己だけのものにしてしまえればどれほどいいかと今でも神威は思う。一度や二度では無いその衝動に激情すら覚えている。けれども神威はそれをしなかった。
閉じ込めて仕舞いたい、犯したい、殺したい、それを望みながらも神威はしなかった。
有りの侭の高杉を欲しているが故に神威の理性がぎりぎりのところで留まる。
高杉に対する想いだけは真っ直ぐで清廉だと穢せないのだとそれだけの理由で神威は踏み留まったのだ。
本能に忠実な夜兎の神威にとってそれがどういうことかわかっていながらもこうして高杉は神威を意地悪く試すようなことをする。
或いは今日はそういう趣向なのか、ならば乗ってやると神威は笑みを深めた。
空になった酒の杯を差し出し、神威は高杉に云う。
「じゃあ、お酒」
注いでよ、と神威が促せば高杉は鼻で哂いそして酒を神威の杯に注いだ。
神威の高杉を捕えたい気持ちと捕えたくないという葛藤を見透かしたように遊女より性質の悪い男が神威に酒を注いだ。
それを一気に煽りながら神威は再び高杉に杯を差し出す。
「入れてよ」
高杉は神威の意図を掴みかねたのか、そのまま何も云わずに酒を注いだ。
線香の火が消えるまで、灰に埋もれるまで神威はそれを続けた。

何もせずに終わると思っていなかったのは高杉の方である。
神威のことだから乗ってくるとは思ったが予想外の方向で興じてきた。
遊女のような真似事をして神威を誘ってみても神威は高杉に触れてさえこない。
それがどういうことなのか、薄々その答えを解っているからこそ高杉は舌打ちしたい心地になった。
これではまるで高杉の方が神威を誘ったようではないか。事実誘ったのではあるが、神威は乗ってこなかった。
高杉を組み敷いて手酷く抱くことも、縛ることさえ許したというのにそれをしなかったのだ。
まるで己が神威にそうして欲しかったかのように奔る思考に高杉は些か不機嫌になった。
いつもそうだ。神威は高杉の思いどおりにならない。触れて欲しいところで触れず、壊して欲しいところで壊さない。
離して欲しいところで離さない。ぎりぎりの綱渡り。そしてその遣り取りの中で神威は高杉と己の間にあるものが何なのか気付いてしまった。
それが恋情だと気付いて仕舞った。
愛だの恋だの馬鹿げている。今更、今更叶う筈のないことだ。
なのに誠実で透明なそれに高杉は眩暈がする。
だから神威のそのうつくしい感情が汚れて仕舞えばいっそ楽になるのかとさえ思うのに神威は何処までも真っ直ぐだった。
愚かなのは己の方なのだ。
これが戦であれば高杉は既に神威に敗けている。
神威の真っ直ぐで透明な感情を最早振り切ることも出来ず失墜する鳥のように堕ちていく。
共に地獄を往くというこの子供を、高杉の手を決して離さないというこの男を最早己は離せない。
それが悔しく、歯痒い、早く俺など捨てて仕舞えと思うのに神威がそうしないのもまた高杉は知っていたのだ。
そして神威を馬鹿げた遊戯を真似て試すことをしても己の愚かさに気付くばかりで、何故出逢って仕舞ったのだと、何故惹かれて仕舞ったのだと悔いても遅い。惹き合って仕舞ったものは離れることなどできず、己を幸せにしたいなどという莫迦な子供をせめて己のいない何処か遠くの場所でいつか幸福を手にできればいいなどと願う卑怯な大人になって仕舞った。
最後の煙が天井へ登り切って、高杉が「今日は仕舞いだ」と呟き立ち上がったところで風景が逆転した。

「仕舞ぇだと云ったが」
「うん、云ったね、遊女の真似事はお終い」
神威は高杉に笑みを向ける。いつもの殺しの笑みでは無く真っ直ぐに優しい蒼さを湛えた笑みで、高杉を真っ直ぐ見る。
夜の眷属の癖に神威の眼は空の色だ。きれいな蒼。
高杉の葛藤など神威はわかっている。互いの生き方がどうしようもないことなどもっとわかっている。
なのに互いにこの感情においてのみ酷く清廉で誠実だった。
けれども現実はどうだろう。
泥沼だ。
あがいてもあがいても何処が光なのかもわからない。
何処に辿りつけばいいのかも見えない泥濘の中ふたり溺れている。
高杉はその過去に捕らわれ続けて、そして神威はその血の怨嗟に苛まれる。
けれどもそれでいい。
それこそが己達ではないか。
夜の眷属、どうしようもない化物。
片方は人が化物になり、片方は化物が人の真似をしているのだ。
高杉を押し倒し、その上に乗り上げ衣服を剥ぎながら神威は言葉を紡ぐ。

「さて高杉、あんたの時間に付き合ったんだからここからは俺の時間だ」
「・・・っ」
「馬鹿げたことなんかしなくていい、俺はとっくに決めている。あんたは遊女なんかじゃない、俺はあんたをそういう風に扱いたいわけじゃない、あんたのその苦しみも過去も生き方も全部ひっくるめて付き合うと決めたんだ」
核心を突かれて項垂れたように下がる高杉の腕を掴み指を絡めながら神威は最も愛しい男に口付ける。
そうすれば諦めたように口付けが返された。
何度も何度も、口付ける。その熱だけが互いの真実だ。

「俺はあんたを離さない、俺がいつまでもあんたと地獄を往ってやる」

狂った化物が、願う。
巫山戯たこと、飯事遊びのような人の振り。
当たり前など願ってはいけないふたり。
けれどもと神威は想う。
いつか本物に成ればいい。当たり前に幸せだとか、生きるということがわかればいい。
その傍らにあんたがいれば最高だ。
繋いだ手を離さない。いつか其処に辿り着いてやる。
それが何処かは神威にはわからない。高杉にもわからないだろう。
けれども辿り着く。辿り着いてやる。
どうしようもない本性と、血に飢えた獣がそれを願ったのだ。

「俺はあんたと」

返事の代わりにその片目から溢れる透明な水を神威は祈るように唇で掬った。


01:夢を喰う化物

お題「線香」

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