※「06:午後のティータイムに」続き。現代パラレル。神威=大学生。高杉=手紙の相手。


その夏神威は人生を方向転換した。
原因は高杉だ。高杉晋助と云う司書の男。
何時の間にか神威が本を通じて文通していた男だ。
その高杉は秋になれば自分の大学へと戻るらしい。こちらへはあくまで研究ついでに来ていたのだと云われて、それが神威を動かした。そもそも大学など親父に煩く云われて頭の悪い己でも入れる地方大学を適当に決めただけだった。だから授業も適当、適当にバイトに励んで貯金をしてそれで夏中遊ぼうとただそれだけを思っていたのに、結果は神威をこの図書室に引き籠らせている。
何故引き籠っているかなど歴然だ。神威は小論文を作成しているのだ。
高杉の大学は京都だ。此処からは随分離れている。せめて東京ならなんとかなったが、京都と云われるとそう気軽に行ける距離でも無い。高杉とのメモの遣り取りは神威の世界を変えた。だからこそ少しでも高杉の傍に居たい。
不純な動機ではあったが神威は高杉にどうにかならないかと問うて、教授の推薦状を取り付け編入試験の論文を書いているのだ。
意外なことに神威の編入に賛成したのは神威の出したレポートをことごとく再提出させていた教授だった。
神威が本格的に学びたいのだと云えば、老教授は頷き厳しい課題を出されたが強力な推薦状を書いてくれた。その後押しもあって神威は編入用の小論文を完成させれば編入手続きに向かえるのだ。
その為に今書いている草稿を高杉に見せては青いペンで徹底的に添削されているのだが・・・これでは赤ペン先生でなく青ペン先生である。用紙が真っ青に染まっていた最初の草稿よりは幾分かマシになってきた。これで高杉がどうにか形になると判断すれば神威は改めて己の実力だけで論文を完成させるつもりだ。
正直此処まで勉強したのは生まれて初めてである。
けれども高杉が神威をそうさせた。
「出来そうか?」
珈琲を手に高杉が机に向かってくるので本の山を退けて置く場所を作る。
「うん、まあなんとかなりそう、多分」
「随分消極的だな」
くすり、と笑いを潜ませて高杉が云うので神威は少し拗ねて見せる。
「なんとかするよ、親父にも云ったし」
「その意気だ、俺の大学に来たいなんて最初はたまげたがな、まあその頑張りなら大丈夫だろう」
「京都なんて遠いし、俺あんたとこうしてるの好きだからさ」
素直な神威の言葉に高杉は眼を細める。
目の前でこうして前途ある若者が必死に慣れない勉強をしていれば労いたくもなるというものだ。
それに全く文学に関心の無い神威の感性は時として高杉に新しい物の見方を示した。普段文章という文章に凝り固まっている老人に囲まれているとこうした若い感性というのは眩しく映るのも確かだ。
「バイト、辞めちまったか」
「論文で手一杯だよ、バイトがどうしたの?」
神威のアルバイト先は近くに一軒だけあるガソリンスタンドだ。この辺りには其処しかないので車で来ている者は皆そのガソリンスタンドを使う。神威はメモの相手が高杉だと長らく知らなかったので気付いていないだろうが、何度か高杉も神威の居る時に給油を頼んでいるのだ。知らなかったのは神威だけで、高杉がその秘密の遣り取りを愉しんでいたのも事実である。
神威がいつ気付くかと、そんな風に胸を躍らせながらも何食わぬ顔で本の貸し出しの手続きをし、そしてメモの遣り取りに没頭したのは高杉だ。この遣り取りに惹かれたのは神威だけでは無い。神威と高杉はまるで違う方向を向いているくせに不思議とそれが気にならない相手だった。
「いや、俺は向こうで調べものをしているから終わったら声をかけろよ、夕飯くらい奢ってやる」
「本当?」
やった、と無邪気に喜ぶ神威に笑みを洩らしながら互いの作業に没頭した。

夏中それを繰り返し、そして神威は高杉の口添えと老教授の推薦状、そして及第点の論文を手に高杉の大学への編入を決めた頃には季節は秋だ。
「おめでとう」と云う高杉の言葉に神威はやっと文字から解放されると机に倒れ込む。
「お前のお蔭で俺は夏の間に万年筆のインクを何度補充する羽目になったか」
そう付け足してやれば神威はにやりと笑い、青ペンセンセイと嫌味を込めて云った。
それが可笑しくて高杉は気になっていたことを不意に口にする。
「それでお前、下宿はどうするんだ?新しくアパートでも借りたのか?」
「うーん、まだ、向こう行ってから考える。親父もそんな金出してくれないと思うから、暫く貯金で生活かな」
成程、神威らしい返答ではある。それなら、と高杉は言葉を足した。
「どうせ乗りかかった船だ。半分俺の責任もあるしな、」
「何?」
神威が顔を上げれば高杉は目線を神威に落とし云った。
「月一万円、朝食付き、週の半分くらいは気が向けば夕飯もある物件があるが」
「うっそ!紹介してよ!」
「ただし、築百年以上の化石みたいな家だし、同居人も居る」
「安いならもうなんでもいいよ」
そう答えた神威に高杉はにやりと笑みを浮かべる。

「俺の家だ」

京都の秋に紅葉が降る。
神威はその赤い自然の絨毯の中からいくつかの紅葉を拾いそして縁側に赴いた。
高杉の生家だという其処は古いなんてものじゃない。いわゆる名家の屋敷だ。
大学までは歩いて三十分とかかるがそれでも悪くない。
広い庭は季節を感じさせるし、きちんと日本庭園の形になっている。
部屋と云う部屋に古書が詰まっていたことには辟易したが、それも慣れた。
傍らには高杉。
悪くない。
この空気が神威は好きだ。
メモから始まったこの出会いがこうなるなんて思いもしなかった。
神威があの時草稿を挟んで本を返却しなければこれは無かった。メールのデータがクラッシュしてもう一度あの本を借りに行かなければこうはならなかった。
春が終わり夏が来て、秋の夜長にこうして二人、言葉を交わすわけでも無く思い思いに本に読みふける。
挟んだしおりは紅葉の葉だ。

「情緒的だけどある本が意味不明だよネ・・・何故にアリストテレスとプラトンの間にライトノベル・・・」
「これも意外と莫迦に出来ねぇ」


13:そして貴方と過ごす冬の色もきっと美しい

お題「紅葉と読書」

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